アンコ-ル遺跡の記憶
                    2006年1月13日~26日

                        アンコ-ルワット

           

     カンボジアの遺跡といえば、シェムリアップのアンコ-ルワットを思い浮かべるが、その遺跡
    群はタイ国境からトンレサップ湖までの広範囲におよぶ。9世紀から15世紀まで、クメ-ル王朝が
    栄華を誇った都である。
     私は旅行社のツァ-で2006年の1月13日から2週間、アンコ-ル遺跡や仏教寺院を訪ねながら
    カンボジアの北から南まで旅したことがある。しかし、すでに19年の歳月を経ているためその
    ほとんどは忘れてしまっているが、手元にある紙写真と添乗員のメモ、資料などを参考にして遠い
    記憶を辿って行きたいと思う。

     なお、カンボジアの地図および、今回訪ねた地域の地図も併せて掲載しています。見づらいです
    が、日付を見ながら地図を参照ください。地域の名前と遺跡名は必ずしも一致しません。

                       カンボジアの地図

       

                      今回訪ねた地域

       

     1月13日成田から空路バンコクに行き1泊、翌日バンコクから空路タイのウボンラ-チャニ-に
    到着したあと、バスでラオスのワット.プ-を訪ねる。

              ワット.プ-(1月14日)
     ワット.プ-はメコン河を渡った対岸にあり、渡し舟を使った。わずか30分足らずの船旅だったが、
    空は青く澄み渡り、対岸の草葺の小屋には子供たちが見える。のどかである、どこかの楽園に来た
    ようなひと時だった。

           メコン川の渡し船                草葺の小屋

      

            ワット.プ-は、5世紀クメ-ル人によって建てられたヒンズ-教寺院とされ、現在の建物は
    11~13世紀に改修されたものであり、その後幾多の変遷を経て今では仏教寺院として礼拝されて
    いる。10世紀前半からこの地は、アンコ-ル王朝の一部であったと考えられているようだ。
     階段を上って行くと、やがて山麓にひっそりと佇む古びた寺院が現れた。右側が北宮殿、左側が
    南宮殿だという。

              南宮殿                  北宮殿 

       

     参道をさらに上って行くと山頂に出た。ここには本殿があり、中にはヒンズ-教の神々が祀られて
    いた。シバ神、ビシュヌ神、プラマ神らしい。

            ワット.プ-本殿        本殿の中に祀られるヒンズ-教の神々

       

     山頂から振り返ると、先程上つてきた参道に立ち並ぶリンガの像や、いまを盛りと咲き誇る
    ラオス国花のプルメリア、大きな池の向こうにはラオス南端の街並みが一望できた。

                      ワット.プ-山頂から

           

       カオ.プラ.ヴィハ-ン(プリア.ヴィヘヤ)1月15日

     翌日はラオスからカンボジアに入り、カオ.プラ.ヴィハ-ンを訪ねた。10世紀初め、クメ-ル
    王朝により建てられたヒンズ-教寺院である。ここはタイとカンボジアの国境線上にあり、長い間
    両国間での領有権争いが続いていたが、国際司法裁判所の裁定でカンボジア領となっている。
    カンボジア名はプリア.ヴィヘヤ。
     寺院は標高625mの山頂にあり、長い階段を上つて行くとインド神話に起源をもつナ-ガ
    〈蛇神)が出迎えてくれた。

            山頂近くの階段              ナ-ガ(蛇神)

       

     この地帯にはカンボジア内戦当時、ポル..ポト派の拠点があり、激しい戦闘が行われたため
    膨大な地雷が埋設されたという。瓦礫の山と化した主祠堂では地雷の犠牲者による民族楽団が
    演奏をしていた。その姿に心を痛め、私は彼らの前に置かれた箱に幾ばくかのチップを入れた
    ことを憶えている。
     楼門は4つあり、それぞれ美しいレリ-フを持っているというが、私の写真にあるのは第一
    楼門だけ。

                        第一楼門

            

     寺院の回廊を抜けて裏手に出ると、眼下に壮大なカンボジアのジャングルが一望できる。
    その記憶はかすかにあるが、これもわが写真にはない。

       ピマ-イ(1月16日)

     前日はカオ.プラ.ヴィハ-ンからタイのスリンに1泊。この日はのどかな農道を東に走り、
    ピマ-イに着いた。
     南側から参道に入った時、思わず息をのむような美しい建物が眼に飛び込んできた。広大な敷地
    にいくつかの高い塔が建ち並び、青空に聳えている。タイのアンコ-ルワットといわれるピマ-イ
    の中央祠堂である。この寺院は11世紀から12世紀かけて建立されたもので、1本のクメ-ル古道が
    シェムリアップのアンコ-ルワットに通じているという。
     この遺跡は、1964年~69年年フランス人によって修復されている。

                      ピマ-イの中央祠堂

           

     当初この寺院はヒンズ-教として建てられていたが12世紀後半、仏教の熱心な信者でもあった
    当時のアンコ-ル王によって、12世紀後半大乗仏教に改修された。そのため中央祠堂の中にも
    仏教伝来や仏教説話に基づくレリ-フが刻まれている。

                       仏教風のレリ-フ

          

               パノムルン(1月16日)
     
ピマ-イから南下したカンボジア国境に近い標高383mの小高い山に建つ神殿。建設されたの
    はピマ-イとほぼ同じ時期の10世紀から13世紀で、クメ-ル王朝の最盛期である。寺院の屋根は、
    カイラス山をモチ-フにしたといわれる。

                      パノムルンの祠堂

         

     カイラス山は、チベット西端のヒマラヤに位置し、チベット仏教、ヒンズ-教の聖地である。
    標高は6656m、信仰の山であるため登山許可は下りず、未踏峰になっている。多くの巡礼者や
    トレッカ-が訪れるが、上れる最終地点は5630mまで。
     この日の最後にパノムロン遺跡を訪れたことになっているが、疲れていたためか記憶に残って
    いない。

       バンテアイ.チュマ-ル(1月17日)

     前日はアランヤ.プラナ-トに泊まり、この日はタイから国境を越えてカンボジアの街ポイペト
    に入る。その後ワゴン車3台に乗ってシソポンを通過、そこから北上してのどかな田園風景を見な
    がら60km走り、バンテアイ.チュマ-ルに到着する。
           この遺跡は、12世紀後半、ピマ-ル遺跡やバイヨン寺院を建てたアンコ-ルの王が、亡くなった
    息子を弔うためにに築いた仏教寺院だという。
    深い森に覆われた遺跡の中は、森閑と静まりかえり、精霊でも棲んでいそうな雰囲気が漂う。

                                                    バンテアイ.チュマ-ルの森

                              

     出迎えてくれたのはヒンズ-教のプラフマ-神のレリ-フ。4つの顔をもち、左右に楽器をもった
    男と鳥を侍らせている。しかしどこか仏像のイメ-ジも感じる。

                    プラフマ-神のレリ-フ

            

     全長800mにおよぶ回廊で、いちばん眼を惹いたのは千手観音。見事なレリ-フだ。左右にある
    千手は、ぐるぐると回転しているかのように見える。すばらしい装飾技術である。かっては8体
    あったとされるが、度重なる盗掘で現在は2体だけとなっている。

                        千手観音

          

            レリ-フの中にはチャンパとの戦いを思わせるものもあった。文献によれば、12世紀末は
    アンコ-ル王国の最盛期にあたり、チャンパを降伏させたという記録もある。

                 チャンパとの戦いを思わせるレリ-フ

       


     チャンパとは、当時ベトナム中部から南部にかけて勢力を張っていたチャム人の王国のこと。
    それを象徴する遺跡にミ-ソン遺跡がある。

                    ミ-ソン遺跡(ベトナム中部)

           

     この遺跡は仏教寺院として建てられたはずなのに、ヒンズ-教のリンガを拝む人の像もあった。
    バイヨン寺院と共にこの寺院を創設した仏教徒の王は、それまで続いていたヒンズ-教を気遣った
    のであろう。

                      リンガを拝む人たち

           

     さらに奥深く入っていくと、無数の崩れた石仏が散乱し雑草の中に瓦礫の山と化していた。
    これはこの寺院が歴史の舞台から忘れ去られ長い間放置されていたことの他に、度重なる盗掘団の
    仕業もあると思われる。

                   放置されたままの遺跡内部の様子

           

            午後2に過ぎ、遺跡見学を終えてシソポン経由で東に走り、シェムリアップに向かう。天気は快晴、
    どこまでも続くのどかな田園風景を眺めながらの快適なドライブだったが、危険を知らせるドクロ.
    マ-クが眼につくところもあった。地雷はほとんど除去されたと聞いていたが、まだ点在している
    ところもあるのだろう。
     途中、仏像やヒンズ-神像造りの村に立ち寄る。砂岩で造られたものだが、そのほとんどは仏像
    であった。カンボジアの人たち(クメ-ル人)の大半は、仏教徒(上座部仏教)なのである。

                     店前に置かれた仏像

       

           その後夕刻シェムリアップに着く。

         アンコ-ル.トム(1月18日)

     いよいよクメ-ル王朝の首都を訪ねる日がやってきた。華麗な遺跡群が建ち並ぶアンコ-ル.
    ワットとアンコ-ル.トムである。
     この日はアンコ-ル.トムの見学。大型のバスに乗りアンコ-ル.ワットのそばを通り過ぎると
    前方に南大門が現れ、道の左右に神々の像が出迎えてくれた。いずれもこちらを向いて
    ”アンコ-ル.トムへようこそ”と歓迎してくれているように見える。

                     アンコ-ル.トムの南大門

           

     
バイヨン寺院

     南大門をくぐり抜けると、眼の前にバイヨン寺院が見えてきた。澄んだ青空に、数えきれない
    ほどの高い塔を突きあげている壮大な建築群だ。12世紀後半、仏教を信仰するジャヤヴァルバン
    7世が築いたといわれる都城である。

                       バイヨン寺院

           

     この塔は49基あり、それぞれ四面に微笑む観音菩薩が刻み込まれている。当時の建築技術の
    すばらしさに驚く。古い時代であっても人間の英知に感動する。

                    天空に聳える観音菩薩像

       

                      微笑む観音菩薩像

          

     王宮前広場に面した”象のテラス”の前に、ガイドのソカ-さんが立つてくれた。日本語のできる
    20代の青年である。象が鼻で摘んでいるのはハスの花。

                 象ノテラスの前で ガイドのソカ-さん

           

     次に訪ねたのは、勝利の門をくぐったところにあるトマノン。12世紀前半に建てられた寺院で、
    中に入ると美しい女神像が見られた。
     トマソンの反対側に造られたチャウサイ.テヴォダ寺院は、中国チ-ムによる修復中で内部に
    入ることはできなかったが、建物の一角をカメラに収めた。トマソンと同時代の寺院である。

           トマノン寺院の女神像          チャウサイ.テヴォダ寺院

       

     昼食後、アンコ-ル保存事務所を見学した。アンコ-ル遺跡群から出土した文化財を保護する
    目的で設立した国立機関で、数多くの仏像や神像が展示されてあった。

                   アンコ-ル遺跡から出土した石像

       

     遺跡事務所からプレア.カンという寺院を訪ねる。12世紀ジャヤヴァルバン7世がチャンパ軍と
    の戦いに勝ったことを記念して建てたもので、王の父の菩提寺とされる。東西820m、南北640m
    と、
遺跡群のなかでも最大級の規模を誇る。

                      プレア.カン西塔門

           

     院内をぼんやり歩いているとき、ハッと眼が覚めるような光景に出くわした。ガジュマルの
    大木が祠堂の壁にからみついて突き破ったり、わし掴みにしていたのである。
     ガジュマルは枝から多数の気根を垂れ下げ、何かにふれるものにからみつき、それを支え
    に生長していく”絞め殺しの木”として知られ、アスファルトやコンクリ-トを突き破るほどの
    威力があるというから、この壁を壊すぐらの力はあるのだろう。それにしても、数百年かけて
    建物の壁にからみつき、わし掴みするまでに至ったこの大木の凄さに驚く。

                  祠堂の壁にからみついたガジュマル

        

     プレア.カンから少し東に移動し、12世紀末つくられたニャック.ポアンを訪ねた。中央祠堂の
    周りに4つの池が配され、治水の技術を象徴する寺院とされている。病院の施設という説もあるが、
    詳細は不明。
     ここから南に走りプラサ-ト.クラヴァンに立ち寄る。10世紀に創設されたレンガ造りのヒンズ-
    教寺院で、見事なレリ-フが施されたヴィシュヌ神が祀られている。

             ニャック.ポアン            プラサ-ト.クラヴァン

         

      ロリュオス遺跡群(1月19日)

            この日は上智大アンコ-ル研究所に務める、ブティさんが案内してくれた。この施設の所長であり
    上智大学の学長でもある、石澤良昭氏の指導をうけた研究員である。
     石澤氏はカンボジア人による、カンボジアのためのアンコ-ル保存修復をモチ-フに、遺跡の
    発掘、修復、人材育成に長年活動し、先年アジアのノ-ベル賞と呼ばれる”マグサイサ賞を受賞して
    いる歴史学者である。

     この遺跡群は、シェムリアップから10数キロ離れたロリュオスにあり、9世紀築かれた3つの遺跡
    がある。そのひとつロ.レイは当時の王の一族を祀ったヒンズ-教寺院で、巨大な貯水池の小さな
    島に建てられていたそうだが、今は干上がった水田にあった。南国の森に佇む赤レンガの祠堂は、
    青空に映えて美しかった。

                        ロ.レイの祠堂

           

     内部にはガル-ダの口からナ-ガが出てくるレリ-フがあった。ガル-ダとはインド神話に登場
    する炎のように光り輝く神鳥、ナ-ガは蛇神のことらしい。

                ガル-ダの口からナ-ガが出てくるレリ-フ

           

     プレア.コ-は、聖なる牛という意味。創建は879年で、アンコ-ル遺跡の中で最古の寺院。
    私たちが訪ねたときには、中央祠堂に枠がかけられ修復中であった。

                       プレア.コ-

           

     バコンは9世紀のほぼ同じ時期に建てられたヒンズ-教寺院で、東西約900m、南北約700m
    あり、ロリュオス遺跡群のなかでは最も規模が大きい。中央祠堂は須弥山をイメ-ジしている。
    現在の建物は12世紀に改築されたもの。

                          バコン

           

        アンコ-ル.ワット(1月19日午後)

     アンコ-ル.ワットは、アンコ-ル.トムより半世紀早い12世紀前半にヒンズ-教寺院として
    建立されたが、16世紀後半に仏教(上座部仏教)寺院に改修され現在に至っている。
     昼食後ホテルで休憩したあと、西参道からアンコ-ル.ワットの中心部に向かう。

                    アンコ-ル.ワット西参道

           

     しばらくすると池の向こうに、アンコ-ル.ワットの全景が見えてきた。その姿は中央祠堂を
    真中に5基の尖塔が天空に聳えたち、その影を池面に映している。美しい、華麗である。
           これを建てた当時の王は、自分の菩提寺として建てたものだそうだが、壮大な宮殿でもある。

                      アンコ-ル.ワット

           

     第一回廊に入り、そこから第三回廊まで上って行った。急な階段が長く続き、とてもキツかっ
    たことを憶えている。
     第三回廊の壁面には、舞姫を模したレリ-フがあった。祠堂のあちこちにも彫られたデヴァダと
    呼ばれる女神像とされているが、王宮華やかし頃が忍ばれる。

                  第三回廊壁に彫られた女神像のレリ-フ

          

     第一回廊には、ヒンズ-教の天地創造の神話である乳海撹拌や天国と地獄などのレリ-フが
    あったというが、ほとんど記憶にない。それよりも西日が入ってくる回廊の光景は印象深く、
    カメラに収めている。壁に向かってカメラを向けているとき、自分の姿が映っているのには驚いた。

                      西日が入ってきた回廊

       

     外に出ると太陽は遠く森の地平線に沈み始め、アンコ-ルワットの高い尖塔や祠堂、それを
    とり巻く池面の水草も赤く染まつていた。そして大地も赤い光に包まれていた。黄昏時の幻想的な
    風景である。

                   夕日に染まるアンコ-ルワット

           

       

       ベンメリア(1月20日)

     早朝6時前ホテル出発。途中スラ..スランで日の出を見たあと、2時間かけてベンメリアに着く。
    ここはアンコ-ル.ワットと類似点が多く、東のアンコ-ル.ワットと呼ばれるヒンズ-寺院。
    創建年代の碑文はないが、11世紀末~12世紀初頭に造られたとされる。
     かってはポルポト軍の拠点のひとつで、多くの地雷が埋められていたが今は取り除かれ、観光客
    も入れるようになった遺跡だという。
     ここはトイレ休憩に立ち寄ったところで長居はせず、その施設と古代インドの叙事詩と言われる
    ラ-マ-ラナのレリ-フの一部を写真に収めた。

              トイレ施設              ラ-マ-ヤナのレリ-フ

        

    午後シェムリアップへ帰る途中、もういちどベンメリアを訪ねた。この時は近年設けられた木道を
    辿りながら鬱蒼とした森の奥深く入って行ったが、そこはゴロゴロした石や壊れた石碑が散乱、
    ガジュマルなどにからみつかれた建物や、原型をとどめていない中央施設などがあり、この遺跡は
    荒れ放題という印象を受けた。ただ、森の中は涼しい風が通り抜け、意外としのぎやすかった。

                     大木にからみつかれた建物

       

        コ-ケ-(1月20日)

     ベンメリアから未舗装の道を北へ1時間走り、コ-ケ-を訪ねる。
    この遺跡は、928年から944年までの王都で、わずか17年という短命さから忘れ去られた幻の都
    であったとされるがその規模は大きく、7層からなる巨大な階段ピラミット型寺院が建てられて
    いた。
                 階段ピラミツド型寺院(プラサ-ト.トム)

             

     50度はあるかと思われる急階段を上り切り、頂上に立つことができた。そこからは、カンボジア
    の広大な大地が見渡せるすばらしい眺望があった。温帯性気候の日本とは違う、熱帯性の樹木が
    繁茂する森ではあるが、空地もあり乾いた感じもした。

                      プラサ-ト.トムの頂上

          

        クバ-ル.スピアン(1月21日)

     シェムリ.アップから北東へ車道を約50kmのところにあるクバ-ル.スピアンは、シェムリ
    アップ川の源流の一つとして知られ、その河岸や川底にはインド神話やヒンズ-教の神々の像が
    彫られている。
     ホテルを8時半出発、10時現地に着く。
    駐車場からゆるやかな山道を歩いて行くが、ときおり赤いペンキのついた樹木が眼につく。この
    辺りまだ地雷が残つているらしい。40分ほどで神々のレリ-フが見られるところに出た。
     この川底には1000本ともいわれる神々のレリ-フが彫られており、そこを水が流れることで聖水
    に変わると信じられてきた。この聖水が海のように大きいトンレサップ湖に流れ込むことから、
    クバ-ル.スピアンは山と海を結ぶ聖地となったのであろう。
    少し下流に来ると、この川は滝となって落下していた。

                    川底に彫られた神のレリ-フ

           

          河岸に彫られたレリ-フ               落下する滝

         

       バンテアイ.スレイ(1月21日)

     シェムリ.アップから北東に30kmの郊外にあるバンテアイスレイは、967年当時の王の時代に
    着工し、息子の時代に完成したヒンズ-教寺院。1930年代に修復されているが、アンコ-ル
    遺跡群のなかでも群をぬいて美しい壁画やレリ-フが見られ、「クメ-ル美術」の至宝とまで言わ
    れている。とくに有名なのは「東洋のモナリザ」と呼ばれる女神の彫像。
           この女神像に魅せられたフランス人作家アンドレ-マルロ-が盗掘を試みて失敗したが、その気持
    も解るような気がする。確かに美しい、気品がある。優しさと温かさを感じる。

                     東洋のモナリザと呼ばれる彫像

             

     赤い大地に赤色砂岩やレンガが使用されている寺院の建物は、緑の木々や青空に映えて美しい。

                     バンテアイ.スレイ寺院

       

        タ.ケウ(1月21日)
     タ.ケウは、アンコ-ル.トムの勝利の門から1kmのところに位置する寺院。10世紀末から
    建設が始まったが突然の王の死去により中断された。あるいは落雷により建物の一部が崩れて
    しまい、それは「神の怒りだ」として中断されたという説もある。いずれにしても未完成のまま
    放置されていたため、一切の彫刻は施されていない。
     タ.ケウというのは「ケウ.じいさん」の意味だそうだが、この寺院を管理していた人の名前かも
    しれない。
                      未完成のタ・ケウ寺院

              

        バンテアイ.クディ(1月21日)

     この遺跡は、12世紀末アンコ-ル.トムを創建したジャヤヴァルマン7世が建てた仏教寺院。
    アンコ-ル.トムの周辺に広がる遺跡群の一つである。
     2001年この遺跡を発掘した上智大学が、274体の仏像を発見、世界的なニュ-スになった。
    発掘された仏像は、ジャヤヴァルマン7世の後に即位した王はヒンズ-教を信仰していたことから、
    その勢力が埋葬したものとされる。しかし、ほとんどの仏像は痛みがなく、丁寧に扱われていたと
    いう。発見された仏像の多くは「シハヌ-ク.イオン博物館」に展示されている。

                       バンテアイ.クディの中央祠堂

           

        プレル-プ(1月21日)

     ここもまたアンコ-ル遺跡群の一つで、961年当時の王によって造られた寺院。
    東塔門を抜けたところに死者を荼毘に付したという石槽が置かれ、火葬の儀式が行われていた寺院
    と考えられている。
     階段を上り最上部に出ると、眼の前に西日に輝く祠堂があり、その向こうには広大な緑の森が
    アンコ-ルの大地を覆っていた。

                                           西日に輝く プレル-プの祠堂

                              

     やがて遠く彼方に夕日が沈み始めると青空は茜色に染まり、辺りの森は次第に黒い影となり闇に
          包まれていった。

                                                       森の彼方に沈む夕日
                               

     この日の観光をすべて終わりクメ-ル料理で夕食を済ませたあと、観光省の主催で伝統芸能
    アプサラダンスを観賞した。
     この踊りはカンボジアに古くから伝わる宮廷舞踊の一つで、きらびやかな衣装に身を包んだ若い
    男女がしなやかに手足を動かしながら踊る姿は、カンボジア独特の雰囲気があるという。
     王宮の破風にも舞姫たちのレリ-フがたくさん見られたが、踊子たちはその華やかなアンコ-ル
    時代の伝統を引継ぎ、私たちを楽しませてくれた。

                        アプサラダンス

             

                       アプサラダンス
         

       アンコ-ル.ワットの日の出(1月22日)

     早朝ホテル出発。アンコ-ル.ワットの西参道から日の出を待っていると、次第に夜が明けはじめ、
    アンコ-ル.ワットの雄大な姿がシルエットとなって浮かび上がってきた。日の出は6時45分。
    正面は西向きのため日は当たらない。夕日に輝くような華麗さはないが、その姿は神秘的であった。

                  夜明けに浮かび上がるアンコ-ル.ワット

           

        トンレサップ湖(1月22日)

     一旦ホテルに戻り朝食後出発、30分後トンレサップ湖に到着する。
     トンレサップ湖は東南アジア最大の湖であり、乾季(11月-5月には琵琶湖の4倍位の大きさ
    だが、雨季(6月-11月)にはメコン川の水位が上昇すると、トンレサップ川が逆流して湖も急激
    に膨れ上がり、琵琶湖の20倍以上になるという。
     25人乗りのボ-トで出発。初めは浅い水路のようなところを走っていたが、湖に出ると視界大きく
    広がり一時は対岸が見えなくなった。
     岸辺に近づくと高床式の家や、湖に浮かべた船のような家で水上生活を営む集落があった。
    この集落には、ス-パ-や、郵便局、病院、学校などもあり、約100万人位が住んでいるという。
    カヌ-のような船を、器用に操る子供たちの姿もあった。のどかな風景にしばし見とれる。

                      小船を操る子供たち

           

                     トンレサップ湖の風景
       

     湖の水深は乾季には1m位だが、雨季には6倍の広さに増水し水深も10m前後になるらしい。
     湖岸に暮らす人たちは、水量に応じて移住するためか、家を丸ごとトラックに載せて引っ越して
    いる光景に出くわした。彼らは土地を持たない、いや持つ必要はない、水上に浮かべる簡素な家が
    あればいいのだ。それにしても、増水するとき家が大きく揺れないのかしら?

     トンレサップからシェムリアップに戻って昼食後、7世紀建立のピラミット寺院としては最も古い
    アック.ヨムと、貯水池西バライなどに立ち寄ったが、印象が薄かったためか写真は撮っていない。

       タ.ブロ-ム(1月22日)

     12世紀末アンコ-ル.トムを創建した王が、母の菩提寺として建てた仏教寺院。
    後にヒンズ-教に改修されたため、仏教的なものはほとんどは削り取られていたというが憶えて
    いない。ただ、ガジュマルに絡まれて潰されそうになりながらも寺院の体裁を保っていた祠堂は、
    神秘的な雰囲気が漂い印象に残った。

                 ガジュマルに絡まれたタ.プロ-ムの祠堂

       

       プノン.バゲン(1月22日)

     9世紀末、須弥山をイメ-ジして建造されたヒンズ-教寺院。
     アンコ-ル.トムの南大門と、アンコ-ルワットとの間にあるブノン..バゲンの丘に上りると、
    遠くぼんやりと夕日を浴びたアンコ-ル.ワットが望めた。ここは小高い丘の上にあり、アンコ-ル
    地域を360度見渡すことができる。旅の疲れを癒してくれるような大きな展望に魅せられ、その
    風景をしばらく見つめていた。

                 プノン.バゲンからのアンコ-ル.ワット

           

     昨日でアンコ-ル地域での観光はすべて終わった。この日はカンボジアの首都プノン.ペンに
    向かうが、途中サンボ-.プレイクックに立ち寄る。
     7時半ホテル出発。8時45分スピアン.プラトスという橋を通過する。この橋はアンコ-ル時代
    最盛期の12世紀末に築かれたものだが、800年以上の歳月にもまだ現存しし、大型トラックが通過
    してもビクともしないという。
     珍しく雨が降っているなか国道6号線をひたすら東進していたが、2時間半でコンポントムの街に
    入り、ここから6号線を離れて北上、10時過ぎサンボ-.プレイクックに到着する。

       サンボ-.プレイクック遺跡群(1月23日)

     サンボ-.プレイクックは2017年、カンボジアで3番目の世界遺産に登録されている。私たちが
    ここを訪れた2006年の11年後のことである。
     この遺跡は7世紀前半に建てられた、チャンラ(真臘=クメ-ル人)の王都であったことから、
    前アンコ-ル期とか、アンコ-ル王朝最古の遺跡とも呼ばれている。
     遺跡内は南(S群)、中央(C群)、北(N群)の3つのグル-プがあり、八角形のレンガ祠堂が
    特徴。インド美術の影響のある遺構が多く建てられているが、その目的ははっきり分かっていない
    といわれる。
     私たちは南から中央、北グル-プの順に見て廻った。
     南グル-プにある主祠堂は八角形。基壇や入口は砂岩だが、祠堂の大部分はレンガで出来ている。
    北グル-プの祠堂は、全体が木にワシ掴みされて祠堂の形をなしていない。基壇はアリの巣で覆わ
    れている。

            主祠堂(南グル-プ)         木に覆われた祠堂(北グル-プ)

       

     南グル-プで眼にした建造物で、サンボ-.プレイクックのみに見られる珍しい構造だという。
    レンガの壁面には空中宮殿と呼ばれるレリ-フが彫りこまれている。

                空中宮殿が彫りこまれたレリ-フ(南グル-プ)

           

     中央グル-プでは、クメ-ル語でタオと呼ばれる獅子像や、建物の上部に彫られた精緻な
    レリ-フが見られた。ここの空地で、大きなサソリがノソノソと歩いているのにはビックリした。

           獅子像(中央グル-プ)         建物上部の精緻なレリ-フ

       

                       サソリ(蠍)

          

        アツ村(1月23日)

     遺跡の見学を終え、スタッフたちが持参してくれたおにぎり弁当で昼食をとったあと再出発、
    ほどなくアツ村を訪ねる。
     ここは1993年、UNTACの主導で総選挙が行われた際、国連ボランティアとして活動していた
    中田厚仁(ナカタアツヒト)さんが、この地で何者かに銃撃されて25歳の若さで殉職したが、
    その後彼の父親が日本で募金を募り、1998年学校を建てたことで生まれた新しい村である。
    この学校名は「ナカタアツヒト小学校」だが、その後中学校、幼稚園も併設されているという。
    現地の人たちは親しみをこめて「アツ小学校」、村は「アツ村」と呼んでいるそうだ。
     父親の武仁さんが、この地に学校をつくる動機になったのは、現地の人たちの強い要望に
    よるものだ、ということをNETに掲載された記事で知った。

     わずか10分ほどの訪問だったが、子供たちの元気な姿をカメラに収めた。

                      アツヒト学校の成都たち

           

                        アツヒト学校
       

     再び6号線に戻り、のどかな田園風景が広がる田舎道に飛び出してくる、犬や牛、豚に鶏などを
    避けながら3時間余走り、夕刻プノンペンに着く。

     プノンペン~プノン.チソ-ル(メコン川支流往復)
 
1月24日ボ-トクル-ズ

     ガイドのソラさんは昨日でお別れ、今日から明日のガイドはトラさん。
     8時30分ホテル出発、市内から郊外に出て舗装状態の悪い道を2時間近く走り、10時30分南部の
    中心都市タ.ケオに着く。
     ここからは小型のモ-タ-ボ-ト3艘に分乗、プノン.チソ-ルまでボ-トクル-ズになる。
     この辺り一帯は、東を流れるメコン川のデルタ地帯の一端を担い、ほとんでの人が農業で暮ら
    しているが、中には川魚を捕って生計を立てている人たちもいるという。

                     タ.ケオのボ-ト乗場

           

     初めは細い水路を走っていたが次第に川幅広くなり、岸辺で漁をしている人たちがいた。
    こちらを向いて手を振ってくれている。投網量で魚やしじみを獲っているのだそうだ。親しみを
    感じる光景である。

                  投網量をしながらこちらに手を振る人

            

     さらに進んで行き12時過ぎ、山頂に建つプノム.ダ-と、その近くのアスラム.マハ-.ルセイ
    に立ち寄る。いずれも6世紀に建立され、その後再建されたというインド風の祠堂であるらしい。

     再びボ-トで走つて行くと、岸辺に農家の人や子供たちが見えて来た。こちらから手を振ると、
    彼らも大きく手を伸ばして振りかえしてくれた。その姿に、この大地に豊かな実りを!少年たちよ
    幸せに、カンボジアに明るい未来を...とエ-ルを送りたい気持ちになった。

               岸辺で大きく手を振ってくれる農家の子供たち

            

                 岸辺で大きく手を振ってくれる農家の人たち
          

     やがてプノン.チソ-ルに到着。学校の敷地内にある長い階段を上つて、寺院を訪ねる。
    山頂に上つてみると大きな水田地帯が広がっていた。遠くかすかに青い流れが見える。
    このデルタ地帯を育むトンレオン川だと思われる。ここはカンボジアの南端、ベトナムとの
    国境地帯である。

                   プノン.チソ-リ山頂からの風景

           


     プノン.チソ-ル寺院は11世紀建立された仏教寺院。1970年、ベトナム戦争時の空襲で破壊
    された祠堂の破風には、砂岩に施された彫刻が残っていた。
     階段に上る途中、たくさんの子供たちが眼の前をチョロチョロしながら一緒に上つていた。
    私たちが、もの珍しかったのかもしれない。カメラを向けると3人が並んでくれた。
     その後2時間走り、夕刻プノンペンのホテルに着く。

              寺院の仏像             階段を一緒に上った子供たち

       

       プノンペンの観光と帰国(1月25日~26日)
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     この日はタイ~カンボジアの旅の最終日。朝8時過ぎホテル出発して1920年フランス統治時代に
    建てられた、国立博物館、1870年落成の王宮、銀寺、さらに中央市場を観光。
     昼食後は、ポルポト政権下による罪なき人たちの大虐殺が行われた「トゥ-ルスレン刑務所」
    などを訪ねた。
     夕刻ホテルを出発して空港へ。タイの飛行機で夜バンコクに到着。23時過ぎ日本航空で
    バンコクを出発、翌朝6時50分成田に着く。気温マイナス3度C。心地よい暑さだったカンボジア
    から真冬の日本に帰国する。
     19年後の今日、2025年1月30日朝7時千葉の気温は2.5度C。今年の冬は寒いと思っていたけど、
    まだマイナス気温になったことはない。

                                    ― 了 ―

                                  2025年1月30日 記