ベンガル~ブ-タンへの旅で出会った人たち
2009年の年末から年始にかけて、ツア-旅行でインドのカルカッタからバングラデシュ
さらにブ-タンを訪ねているが、それぞれの文化、生活風土の違いもあってそれまで経験した
ことのないほどの異国情緒を感じた。
”出会った人たち”としたが、ほとんどは車窓から眺めたり、休憩時にカタコトの英語で会話した
人たちの印象をまとめたものである。
カルカッタからクルナに向かう途中、頻繁にリキシャに出会うようになる。後ろの席はホロを
つけた1人乗り用のもの、3~4人乗り用のものがある。3~4人乗り用のリキシャは後ろに板を
並べてつくられた台が置かれてあり、人間を乗せたり、また荷物を載せて運んでいる場合も見か
ける。自転車さえ買えない人たちにとって、ちょっと出かける時に利用するとても便利な乗り物
なのであろう。
カルカッタからクルナへの道で出会ったリキシャ 2009.12.25

バングラデシュに入り、車はスピ-ドを上げながら菜の花畑、熱帯性の樹林に覆われたトンネル、
ホテイアオイの花が咲く池畔、バナナやパパイア畑が広がる道を走り抜け、トイレ休憩のためストップ。
レンガ工場のそばのトイレを借りる。すると、たちまち大勢のひとたちが集まってきた。その数20人位。
集まってきた村の人たち 2009.12.25

大人もいれば子供も居る。遠まきしながら私たちを見つめている。どうやら外国人が珍しいらしい。
辺りはバナナや、ナツメヤシの木が多い。ナツメヤシの実は夏に成るが、今頃は樹液を採って飲む。健康に
良いという。
何の木か判らないが、木にベタベタと団子状の泥のようなものが貼り付けてあった。よく見ると牛の糞、乾か
して燃料にするという。
翌日ホテルを出発してしばらくの間田園地帯を走って行くとガソリンスタンドあり、給油のためストップ。
その間バスから降りてみる。
周りはジャングルの森が広がり、その間に民家もチラホラ。すぐ近くの大木に何やらぶら下がっているものが
ある。何だろうと思ってそこに近寄ると、たちまち10数人の人たちが集まって来た。
集まってきた村の人たち 2009.12.26

ぶら下がっているものは小型の船のような形をしている。羊か山羊の皮でつくられているものらしい。
私がそれに指をさし、あれは何かと聞いてみた。 すると中年の男が近寄ってきて
「あれか?、あれはな、樹液を受け取る容器だよ、ホラ、容器の上に竹のような棒が見えて いるだろう、
あそこに液を流してあの容器に落としているのだ」。 ニコニコしながら身ぶり手ぶりで教えてくれる。
さらに二股にした長い竹の竿を持っていたので聞いてみると、
「アッこれか?これは樹液ががイッパイになると、こうして容器を支えて下に降ろすものじゃ... どうだ判ったか、
と言わんばかりに私の顔を見ている。いかにも誇らしげである。カメラを向けると「オ-ケ-オ-ケ-」と
言って気軽にポ-ズをとってくれた。
私はもう少し彼等と付き合ってみたかったが時間がないので、”サンキュ-”と言ってスタスタとバスの
ほうに向かった。歩きながら後ろを振り向くと、彼等が満面に笑みを浮かべながら手を振ってくれていた。
私も軽くそれに応じる 。何と素朴な人たちなのだろう...なんとも心和む気持ちになる。
樹液を受け取る容器

その後イスラム建築建築が残るバゲルハットの観光を終えて、その近くの農家に案内された。
家の前の広場には一面にモミのままの米が干されていたが、その上を子供たちが走りまわり、カラフル
なサリ-を着た数人の若い女性たちが、行ったり来たりしながら足で米を踏みつけていた。米は水に
つけて、蒸して、干すらしい。それにしても何とのどかな風景であることか。かっての日本の農村の風景を
思い出すような、なつかしさを感じさせてくれる。
バゲルハット近くの農家の人たちと子供 2009.12.26

クルナのホテルに帰り昼食したあと外に出てみると、リキシャの男もじっとこちらを見ていた。私と目が
遇うと
「リキシャにのらないか」と誘ってくれたが、”自分はこのバスに乗ってきたのだ”、と答えると納得してくれた。
カメラを向けると気軽に応じてくれたのでパチリ。
街中はリキシャの洪水、トラックとバスは通るが乗用車は見かけない。バスの中はすし詰状態、屋根の上
にも大勢の人が乗っている。屋根に乗るのは公認、料金は半額 らしい。
バスの席は2タカ(2.6円)、バスの屋根 は1タカ(1.3円)、 リキシャは1人乗り用で1km10タカ(13円)、
3~4人用は1人5タカ(6.5円)、したがってリキシャはバスよりも高級な乗り物ということになる。電車は無料
だそうだ
リキシャの男 2009.12.26
夕刻レンガ工場の前で休憩のためバスから降りたところ、たちまち大勢の人たちが集まってきた。
大人もいれば子供もいる。30~40人位。私たちに興味津々である。私が彼等の写真を撮り、再生して
”ユーハンサム”と言ってやると大いに喜び眼を輝かせている。写真が珍しいのかもしれない。
レンガは周りの土をもってきて、それをこねて型をとったものを干すと出来上がり。国内の需要の他に、
フランスやイタリアなどに輸出されるらしい。
レンガ工場の前に集まってきた人たち 2009.12.26

子供を抱くレンガ工場の人 2009.12.26

12月27日バスでショドルガットと呼ばれる船着き場に向かつたが、オ-ルド タウンに入ると
リキシャ、オ-ト三輪車でダンゴ状態、ごったがえしていた。リキシャは客を乗せて居るものもいるが、
客待ちのリ キシャはそこら中にたむろしている。数百台いや もっといるかもしれない、街中がリキシャだらけ
なのだ。それらのリキシャを追い払おうとオ-ト三輪車は激しくクラクションを響かせ、わがツア-バスも警笛
を鳴らしっぱなしである。もの凄い喧騒、人間の凄まじいエネルギ-が吹きだしている。
リキシャ同士が何か大声で喚きあっていた。 今にもつかみ合いが始まりそうな勢いだ。ケンカである。
ダッカの街 リキシャの洪水 2009.12.27

ダッカ裏通りの風景

”コノヤロ-俺の車にぶっつけたな!”
「何を言うか、お前が前に行かないからだ、早く行け!」とでも 言っているのだろうか。乗用車は居ない、
いやわずかに居ることはいるが、隅のほうで小さくなっている。ここではリキシャが主人公なのだ。それでも
わがツア-バスはノロノロと動きながら、何とかショドルガット に着くことができた。
ショドルガット

ショドルガットはダッカの街中を流れるラゾソン川の船着場という意味。川に橋は架けられていない。
バングラデシュの人たちは対岸を渡るとき、あるいは遠出をするときには船を利用することが多い。観光船
のような大きな船もあれば、バナナやみかん等の果物、野菜を運ぶ個人用の船もいる。大きな観光船の
展望デッキからは頻繁に行き来している大小の船が見られ、船着場というよりは大きな港湾 というイメ-ジ
である。1日100隻ぐらいの往来があるらしい。
再びバスに乗り国会議事堂に向かう。やはり凄い渋滞である。どちらを向いても、遙か遠くを見てもリキシャ、
リキシャ、リキシャ ---。リキシャがひしめきあい、洪水のように渦巻いている。動いているものは少ない、いや
皆動こうともがいているが、動けないのだ。 このリキシャの洪水でわがバスは身動きできない。まぁ~やむを
えない、腹を据えて周りの様子をゆっくり眺めさせてもらうことにする。信号はない。
洪水のように渦巻くダッカの街のリキシャ
ポリスが台の上に立ち、バトンのようなものを振って指示らしきことをしているが、役にたっているようには
見えない、皆無視している。リキシャの洪水の中をぬって歩いている者もいれば裸足でスリぬけている子供
も居る。しかしそれはほんのわずか、ほとんどの人はリキシャに乗っている。
どうして歩かないのか、動かないリキシャにどうして乗っているのか、歩いたほうが早いではないか...と思う
のは私たち日本人の感覚かもしれない。乗っている人たちはあせっているふうでもない。
”まぁ~ゆっくりやろう”そういった顔をしている。時間の観念など頭にないのだろう...そう思えてくる。 リキシャ
をこぐ人は上半身はシャツ、下半身はズボンか、ロンジ-と呼ばれる腰巻のようなものをまとい、 ゴム草履を
履いている。 周りの建物はほとんど古びており、新しいものは少ない。しかし何故かこのような凄まじい喧騒
のなかにいても、どこかのどかな空気を感じる。
洪水のように渦巻くダッカの街のリキシャ

夕刻ラジシャヒに着き、地元の少年少女たちの民族舞踊に招待された。
バスを降りて森の中に佇む劇場の入口まで歩いて行くと、10数人の少女たちが出迎えてくれていた。
皆きらびやかな民族衣装を着て、キラキラと瞳を輝かせている。 私たちが近づいて行くと、入口の階段の
上に居た彼女たちはニコニコと笑顔をふりまきながら、カゴの中に入れてあった花びらをパァ~ッとまき始め
た。全員が何度も何度もそれをやる。
花ビラはヒラヒラと空を舞い、私たちの頭や肩に落ちてくる。花吹雪のシャワ-である。そして彼女たちが
つくったと思われる香りのよい花輪を私たちの一人一人の首にかけてくれ、さらにバングラデシュの小さな
国旗もプレゼントしてくれた。国旗は国の草木を表す緑の中に赤い日の丸でデザインされていたが、
”緑の森から日出る太陽の国”とでもいうような意味であろうか。
観客は私たちだけであった。それでも少年少女たちはしなやかに手足や指を動かしながら、リズムカルに
テンポよく一生懸命に踊ってくれた。
民族舞踊を踊るラジシャヒの少年少女たち 2009.12.27
今日は思いがけない少年少女たちの心温まる歓迎を受けて感激、いつかこの国にもういちど来てみたい
... 純朴で心やさしい少年少女たちよ...そう想いながら眠りに入った。
翌日の昼食後、のどかな農村地帯が広がる田舎道を走って行く。相変わらず道悪し、メモをとるのは
あきらめる。...と突然”パン!”という大きな音、すぐドライバ-が バスを停めて降りて行った。どうやらタイヤ
がパンクしたらしい。スペア交換である。私たちもバスから降りて休憩。
すると遠くから何人かの人たちが、田舎の田んぼの小道を走ってこちらにやって来た。農作業をしていた
人たちだ。それを見て家から飛び出して来た人もいる。
たちまち大勢の人だかりとなり、私たちは取り巻かれてしまった。大人もいれば子供もいる。 ゴム草履を
履いている子供はほんのわずか、ほとんどは裸足。半裸の子も居れば、中にはクワを 持ったまま私たちを
見つめている大人も居た。クワを置くのを忘れてそのまま走ってきたらしい。集まってきた人たちはパンクした
バスの方にはチラッと見ただけ、ひたすら不思議そうに私たちの方を見つめている。みな興味津々の表情だ。
バハルプ-ルに向かう途中の農村で集まってきた人たち 2009.12.28
すぐ下の田んぼで、農作業をやめてこちらを見ていた中年の男性に、
「ユ-マイフレンド!」と言ってカメラを向けると、
「オ-ケ-、オ-ケ-」...気軽にポ-ズをとってくれた。
農作業していた男性 2009.12.28
ラングプ-ルに着いたあと、午後カントゴルに向かって出発。
車窓からはタバコや綿花の畑が広がるのどかな田舎道を走り、16時バスから降りる。そこから歩いて行くと
大きな河原に出た。河原には白い砂地に柳や芦が生え、その中に幅50cm 位の川が流れていた。その川
に架けられた小さな竹の橋を渡り、じゃがいも畑が広がるのどかな農村 地帯に入ると、たちまち大勢の子供
たちが集まってきた。 男の子も女の子も皆裸足、半裸の子もいる。何をせびるわけでもない。キラキラと瞳
を輝かせながら、私たちをじっと見ているだけだ。鋭い目付き をしている子もいるが、笑うと何ともいえない
人なつっこい笑顔になる。
カントゴル寺院のトイレに行くと、入口で少年にトイレ料を請求された。料金は1タカ(1.3円)、この少年も
裸足。なかなか利発そうな顔をしている。カメラを向けると、少しおどけて右手を上げ、敬礼のようなポ-ズ
をとってくれた。手のひらをこちらに向けるのは、相手に対する敬意を表すしぐさだという。
カントゴル寺院のトイレ前で出会った少年 2009.12.29

ラングプ-ルからダ-ジリンに向かう早朝、トイレ休憩のためバスから降りた途端、子供たちがワッと
集まってきた。16~17人位、大人も入れると20人はいる。何れも頭にマフラ-、素足にゴム草履、笑うと
黒い顔に白い歯が目立つ。
再出発。 後ろを振り返ると子供たちが手を振っていた...バイバ~イ...。
集まってきた子供たち 2009.12.30

ブ-タンに入り、首都ティンプ-からプナカに向かうのどかな風景の中で、若者たちが何やら
遊びに興じていた。”ダ-ツ”という遊びらしい。
”ダ-ツ”というのはお互いの陣地につくられた的を狙って、羽根のついた矢じりのようなものを投げつけて
競う、ブ-タン式の遊びだという。ブ-タンの遊びには伝統的なア-チェリ-もあるが、ダ-ツのほうが
金がかからず、手軽に遊べるという。
ダ-ツに興じるブ-タンの若者たち 2010.1.3

しばらく休憩したあと、ホテルのレセプションホ-ルにて王立舞踊団によるブータンの民族
舞踊を観覧した。
現地旅行社からのドリンクサ-ビスあり、私はウイスキ-をいただく。このウイスキ-、ブータン産のもの
だが、なかなか美味い。スコッチかと間違えたほどである。
舞踊団員は10人位。仮面の踊りは跳躍を多くとり入れ、テンポが早い。3年前中国の青海省に ある
タール寺で見たときの仮面の踊りは、非常にゆるやかで退屈してしまったが、こちらのほうはリズミカルで
躍動的、見ていて面白い。 神が悪霊を退治したり調伏したりするという筋書は日本の神楽舞と似て いる
が、踊りはまったく違っている。 また日本の神楽舞では大太鼓、小太鼓、シンバルといった打楽や横笛を
使うが、この踊りではブ-タン独自のシンバル、横笛、鉄筋、ギタ-を使い調子をとっていた。
ブ-タン王立舞踊団の舞

チベット仏教で男女が一緒に踊る舞踊は珍しい。おそらく”幸せの国”ブ-タンならではの
情景だろう。
男女が一緒に踊るブ-タンの舞踊

印象的だったのは女性4人が踊りながら歌っていた民謡のような歌。稲が実りを迎えてきたときの作業歌
かもしれない。ウイスキ-を何杯もお替りしながら眼をつむって聞いていると、宮崎県の民謡 ”刈干切り歌”
を思い浮かべた。その声は何とものびやかで、ヒマラヤ山塊の山から谷間へ、谷間から山へコダマしている
ようにも聞こえ、かっての心のふる里に帰ってきたような心和む思いをした。
女性4人が踊りながら唄うブ-タンの民謡

― 了 ― 2022.2.8 記
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