早春の越後に咲く花(五日町~六日町) 2015年4月26日~28日 イワウチワの花 2015年4月26日、新潟県の六日町は桜が満開を迎え、明るい日差しに街路樹のソメイヨシノが 華やかに町を彩っていた。ようやく雪国に春がやってきたのである。ソメイヨシノは田園の周りや 民家の庭先にも見られた。白い清楚な花びらが青空に映えて美しい。 民家の前に咲くソメイヨシノ しかし遠くに眼をやると、八海山から越後駒ヶ岳、中ノ岳にかけての山岳地帯は深い雪に覆われ、 越後の山々の春はまだ遠い先のように思われた。 今回はある旅行社による3泊4日のツア-、ホテル滞在中はすべて自由行動だったため、私は その3日間を利用して五日町の六万騎山、六日町の坂戸山の他に周辺の里山などを散策した。 早春に咲く雪国の花々を是非眼に収めかったからである。 当日14時前ホテルに着くと、私は部屋に荷物を置いてすぐ外に出た。随分前になるがホテル 裏山の中腹でオオイワカガミが咲いていたのを見たことがあり、そこへ行ってみようと思ったのだ。 裏山に続く道はいくつかあるが、どの道を上ったかはよく覚えていない。車道をしばらく歩いて この辺りではないかと上り道に入ったが少し不安になり、たまたま家の前にいた男性に聞いてみた。 「こんにちは、お尋ねします、上の方へ行きたいのですがこの道でよいのでしょうか?」 「この道はダメです、雪が多くてとてもムリです」 「どの道に行けばよいのですか?」 「あそこに家が見えるでしょう、ホラ信号から上ったところです、あの家のそばの道からはおそらく 大丈夫でしょう」 私は彼が教えてくれた道を上りはじめた。すこし残雪はあるものの歩けない道ではない。ところが しばらく行くと前方に除雪車が止められ、その先は深い雪に覆われた山道が続いていた。 一瞬躊躇したが引き返すわけにはゆかない。除雪車の横をすりぬけて雪道を歩きはじめたものの 滑りやすく、ときとき足をとられそうになる。山裾の雪の間からはキクザキイチゲ、ショウジョウ バカマ、カタクリなどが顔をのぞかせていたが、カメラを向ける余裕はない。ひたすら上を目指して 登って行く。やがて大きく視界が広がるところに出た。ひと息つく。 雪景色が広がる上の原高原へ続く道 気をとりなおし再び歩きはじめる。うしろをふり返ると、八海山(1778m)や越後駒ヶ岳 (2003m)、中ノ岳(2085m)の越後三山が聳え、その山麓に南魚沼の集落が広がっていた。 大きな展望だ。しばし雄大な風景に見とれる。 八海山から駒ヶ岳、中ノ岳へと続く越後の山々 道は平坦になり歩きやすくなってきたが雪の範囲はさらに広がってくる。辺りの落葉樹は芽を吹き 出したばかり、雪を取り囲む針葉樹は青空に黒く浮き上がっている。ほどなく広い雪原に出てきた。 田園が雪に覆われているのだ。上の原高原と思われる。その向うに民家も見える。湖畔には温泉 も湧き出ているらしい。 私はオオイワカガミを探していた。どこかにあるはずだ、この辺りにちがいない。しかし花らしき ものはどこにも見あたらない...と、その時山壁にオオイワカガミの葉が眼についた。よく見ると 随分たくさんある。ところがみな葉ばかり、花をつけているものはまったくなかった。 雪原が広がる上の原高原 オオイワカガミの葉 どこかに花が...と思ってさらに辺りを探してみたがやはりなかった。時期が早かったのだろう... ややガッカリしながらも諦めて引き返した。明日もある、明後日もある...そう自分に言い聞かせて。 時計を見ると16時を過ぎていた。写真を撮りながら歩いてきたとはいえ1時間半位かかっている。 雪がなければ20分~30分位で上れる道のりなのに。 雪道を下って行く。前方に坂戸山が見えはじめ、辺りの落葉樹が西日で赤く染まっていた。 前方に見える坂戸山 西日で赤く染まる落葉樹 翌日(4月27日)は六万騎山と南魚沼の田園地帯を散策した。早朝六日町駅から次駅の五日町駅 まで電車で行き、駅裏から魚野川に架かる橋を渡って30分ほどで六万騎山の入口に着く。駅から 六万騎山までの距離は約1.8km。 六万騎は南北朝時代につくられた城で、上田長尾氏の坂戸山時代の重要な要塞だったという。 標高は321m、名前は兵六万騎が収容可能であったことに由来しているらしい。 登山道入口には、弘法大師の作と伝えられる地蔵尊と呼ばれる総檜造りのお堂があった。大祭は 3月と8月の24日に行われ、近郷はもちろん関東地方からも参詣者が絶えないそうだ。 地蔵尊の山門 地蔵尊が祀られているお堂 登山道に入るといきなりカタクリ(片栗)が眼につく。道脇いっぱいに広がり、ところどころ群落 をつくっているところもある。首都圏周辺で見ているカタクリよりは色も濃い。雪融けとともに顔を 出し、雪国に春を告げる花だ。花は下向きにつくが、開くと同時にクルリとそり返った姿はなかなか 可愛い。幼い踊子の少女が逆立ちをしているようにも見える。 古名はカタカゴと呼んでいたらしいが、それがカタコユリ、さらにカタクリへ変化したといわれる。 濃い赤紫色のカタクリの花 六万騎山は低い山だが意外シンドイ、急坂の連続だ。日差しも強い。ゆっくり上って行くが汗が噴き 出し止まらない。グル-プになったハイカ-の一人が声を上げる。 「いや~低い山だと思ってバカにしていたが、こりゃ~キツイ」 初めのうちはジグザグ道を登っていたが、次第にジグザグはなくなり真っすぐ急坂が続くようになる。 道沿いにはカタクリの他にスミレサイシン(菫細辛)もたくさん眼につく。小さなかたまりをつくり 大きく花びらを広げていた。日本海側に生えるスミレだ。やはりこのスミレも雪融けとともに花を 開く。葉が ウスバサイシンに似ているのでこの名がついたという。 スミレサイシン 道脇の草叢で見たこともない花が咲いていた。エンゴサクの仲間のようだが小葉が細長い。 持っていた図鑑で調べたら、北海道から中部にかけての日本海側に分布するミチノクエンゴサク (陸奥延胡索)と分かった。同じ植物でも環境によって姿かたちが違ってくると、別の種として 分類されるのだろう。 ミチノクエンゴサク 上を見上げると見事なサクラが辺りを彩っていた。太陽の光を浴びてとても美しい。ヤマザクラに 似ているが花の色が濃い。オオヤマザクラ(大山桜)と思われる。北日本を代表する桜で、北海道 に多いことからエゾヤマザクラ、また花の色が濃いのでベニヤマザクラとも呼ばれる。 オオヤマザクラ ようやく山頂近くに上りつめると、平坦な台地が広がっていた。南北朝から戦国時代にかけての城跡 だろう。草地には無数のカタクリが絨毯のように広がり、辺りを埋めつくしていた。 太平洋側でもカタクリはたくさん見られるが、これだけの群落は見たことがない。圧巻である。 カタクリの群落 そこからやや起伏のある山道を歩いて山頂に着くと、視界大きく広がり越後の山々が展望できた。 東には八海山から越後駒ヶ岳、中ノ岳が、南に眼を向けると巻機山(1967m)から金城山(1369m) が聳え立っていた。それぞれの峰々は遠く近くに位置しているはずだが、連なり重なり合っている ように見える。どの山も白い雪を戴き、厳しい冬山の表情を見せていた。 巻機山から金城山にかけての峰々 山頂から下りにかかってすぐ、林の斜面にポツンとフデリンドウ(筆竜胆)が咲いていた。 小さな花びらをせいいっぱい開いている姿は何とも愛らしい。つぼみの形が筆の穂先に似ている のでつけられた名前だという。まさにその通りのイメ-ジだ。 フデリンドウの花 下り道の山壁にはイカリソウ(碇草)がたくさん眼につく。太平洋側のものより色が濃く鮮やかだ。 とてもよく目立つ。たしかに花の形はイカリによく似ている。しかしこの小さな花をあの大きな船の 碇に見立てるとは...この名前がつけられた当時は、のどかで平和な時代だったのだろう。 イカリソウの花 辺りには点々とユキツバキ(雪椿)も見られる。緑の葉の間からのぞく赤い花びらが眼にしみる ほどに美しい。枝は雪の重みに耐えられるようにしなやかに広がり、高さは1~2m、ヤブツバキ よりも低い。母種のヤブツバキと同じく日本固有種の花木だ。東北地方から北陸地方まで分布 する。 ユキツバキの花 下るにしたがい木々の間から南魚沼の田園風景が見えてくる。タムシバが青空に白い花びらを 伸ばし、マルバマンサクも小さな黄色い花びらを風に揺らせていた。さらに下って行くと、足元に 白い花が咲いているのに気づいた。イワウチワだ!、やはりあったか、久しぶりに出会えた!... そんな思いだった。イワウチワは点々と見られ、小さな群落をつくっているものもあった。 夢中になってカメラを向ける。 実は4年前の同じ時期、私はここでイワウチワ(岩団扇)に出会っている。しかしグル-プで来て いたこともあってカメラを持ってきていなかった。以来そのことが頭から離れず、もういちどイワ ウチワを見たいと思いこのツア-に参加したのである。 花びらは淡紅色、清楚でとても美しい。名前は、葉が丸くて団扇のように見えることからつけられ たといわれる。 イワウチワの花 11時過ぎ六万騎山から下りる。眼の前には広大な田園地帯が広がり、東に眼をやると越後の山々 が大きくうねりながら続いている。山裾から南魚沼の平野にかけてはいくつかの集落も見える。 さてどうしようか...一瞬考えたが六日町のホテルまで歩くことにした。 春とはいえ日差しは強く日影になるところはほとんどない、汗が流れるほどに暑い。しばらく歩いて 前方に見える樹林のところまで行き、そこで弁当を開いた。眼の前には澄んだ小川が流れ、時々 吹きぬけてゆくひんやりとした風が心地よい。 農道が続く南魚沼の風景 昼食後さらに農道に沿って歩いて行くと、遠くに杉林が見えてきた。あそこには何か花が咲いている かもしれない...そう期待しながら杉林の中に入ったところ、やはりあった!、思わず眼を見張った。 キクザキイチゲ(菊咲一華)が林の斜面を覆うように群生していたのである。しかも、その花びらの ほとんどは明るいブル-だ。首都圏で見られるキクザキイチゲの大半は白色だが、ここでは青色の ものが多かった。夢中になってカメラを向ける。 キクザキイチゲは、茎の先に菊に似た花が1個つくことからこの名があるという。別名キクザキ イチリンソウとも呼ばれる。 キクザキイチゲの花 キクザキイチゲ キクザキイチゲのそばにはエゾエンゴサク(蝦夷延胡索)も繁茂していた。これまた鮮やかなブル- だ。同じ植物ででもその風土や環境によって色合いが違ってくるのだろう。厳しい冬越しをしてくる 日本海側の花は、いずれも眼が覚めるほどに美しい。延胡索はこの仲間の中国名。 エゾエンゴサクの花 エゾエンゴサク 杉林は田んぼに囲まれた丘の上にあった。畔道をぐるりと1周して農道に戻り、のどかな風景の中 を歩きながらふと田んぼの草地に眼をやると、何とカラスとヘビがケンカしているではないか!。 いや、これはケンカではない、壮絶な戦いだ、ヘビにとっては命がけの戦いである。カラスはヘビに 襲いかかり、足や嘴でヘビの体をつつこうとするが、ヘビも負けてはいない、カラスに向かって大き く釜首を持ち上げ、果敢に跳びかかっていたのだ!。その度にカラスは飛び上がり身を避けるが、 また襲いかかる。ヘビもまた跳びかかり攻撃する。そうした戦いは何度も繰り返された。私は驚きの あまり茫然と双方の戦いぶりを眺めていたが、何とかその光景を撮りたいと思い近づいて行ったとき、 カラスは頭上の木の枝に飛び移った。その瞬間ヘビは水路に飛び込み、泳ぎながら藪の中にスル スルと姿を消した。ヘビは毒蛇ではない、アオダイショウほど大きくもない、どこにでも見られる ようなふつうのヘビだった。 それにしてもカラスがヘビを襲うとは...そしてまた、あのヘビの戦いぶりも見事というほかない。 残念ながらカメラに収めることはできなかったが、面白かった。二度と眼にすることのできない光景 だろう。 山沿いの道を歩いて行く。人に出会うことはない、辺りは静まりかえっている。聞こえてくるのは 野鳥の声だけ。日影となったところにはまだ残雪が見られ、民家近くでは杉林を背に満開を迎えた ソメイヨシノが青空に大きく花びらを広げていた。雪国の春を思わせる。 南魚沼の農村の風景 山裾の草叢にショウジョウバカマ(猩猩袴)が咲いていた。今までも何回か林の中で眼にした花だ。 通り過ぎようとしたが、”私を撮って”と言っているように思えカメラを向けた。 名前は花を猩猩に、地面に広がった葉を袴に見立ててつけられたという。猩猩を広辞苑で調べて みると、 「中国で、想像上の怪獣。体は狗や猿の如く、声は小児の如く、毛は長く朱紅色で、面貌人に類し、 よく人語を解し、酒を飲む」...とある。 なるほどそういう意味なのか...それにしてもこの花を猩猩に見立てるとは...この名付け親は よほど想像力豊かな人なのだろう。 しかし最後の”酒を飲む”というところを知り、急にこの花に親しみを感じた。私は大の酒好きなの である。 ショウジョウバカマ さらに進んで行くと、小さな流れにミズバショウ(水芭蕉)が、 「ようこそ雪国の越後へ...」...と歓迎しているかのように、一列に並んで私を出迎えてくれた。 周りにはすこし残雪も見られたが、雪融けを待ちかねたように花開いたのだろう。緑の葉に 包まれた白い花びらが清々しい。 名前は葉がバナナの仲間のバショウに似ているのでつけられたといわれる。実は花びらのように 見えるのは仏炎苞で、花穂はその中に抱かれている。 ミズバショウ ミズバショウ 水路に沿って歩いて行くと、杉林の中に群生する白い花が眼に入った。一瞬キクザキイチゲかと 思ったが、アズマイチゲ(東一華)だった。葉はキクザキイチゲのように深い切れ込みはない。 その近くではアオイスミレ(葵菫)も群落をつくっていた。スミレの中ではいちばん早く咲くスミレ だと言われるが、春の訪れが遅い雪国では他のスミレもほぼ同じ時期に咲いているように思われる。 名前は、葉がフタバアオイに似ていることからつけられたという。 アズマイチゲ アオイスミレ やがて民家が見えてくる。その周りに広がる残雪が、明るい陽光に照り映えていた。近くに車道も 見えているがそのまま山裾の道を歩いて行く。道沿いの赤いサクラが青空に浮き上がり美しい。 残雪が広がる南魚沼の農村 民家の間を通り過ぎ左に曲がって少し歩いたところの山裾に、見慣れないスミレが咲いていた。 初めて眼にするスミレだ?...しかし図鑑で見たことはある。よく見るとうしろに長い距がピンとつき 出ている...思いだした、ナガハシスミレ(長嘴菫)だ!。その距の形からテングスミレとも呼ばれる。 日本海側の多雪地に多いスミレだそうだ。 ナガハシスミレ 念のため図鑑で調べようと思ってチョッキのポケットに手を入れてみたがない、図鑑がないのだ、 植物の名前を書き込んだ古いノ-トも一緒だ。アレ、どうしたのだろう?...そうだ写真を撮ろうと してしゃがんだ杉林のところかもしれない、ポケットからスルリとこぼれ落ちたのだろう...。 そう思うと私は片道約1kmの道のりを引き返し、杉林の中を丹念に探したが見つからなかった。 一旦ナガハシスミレのところまで戻ったが、諦めきれずにもう一度同じ道を歩いた。しかし結果は 同じだった。もしかしたらキクザキイチゲが群生していたもう一つ先の杉林で落としたのかもしれ ないが、もはやそこまで行く元気はなく諦めざるをえなかった。 そこから六日町のホテルまで歩いたが意外に時間がかかり、何度も人に道を聞きながらホテルに 辿り着いたのは17時20分だった。この日歩いた距離は20km位か...。 3日目(4月28日)は六日町の坂戸山(634m)に上ることにした。ホテルから六日町駅をぬけて 商店街に入り、魚野川の橋を渡ると間もなく坂戸山登山口に着く。 坂戸山 登山コ-スはいくつかあるが、私は城坂コ-スへ続く杉林の道を歩きはじめた。家臣屋敷跡を通り 過ぎてほどなく、やや広い草地に上杉景勝、長尾兼続生誕の地と書かれた碑が建っていた。 城主の居館だったところだろう。 坂戸城が本格的に築かれたのは南北朝時代以降とされており、上田長尾氏ゆかりの城として知ら れている。残雪が点在する屋敷跡には明るい日差しが入り、その周りに広がるソメイヨシノが雪国 の春の訪れを知らせているかのように華やかに辺りを彩っていた。 上杉景勝、長尾兼続生誕の碑 城主の屋敷跡 林道にはカタクリ、キクザキイチゲ、アズマイチゲ、エゾエンゴサク、ミチノクエンゴサク、 ショウジョウバカマなどの花が咲き、眼を楽しませてくれる。林内にはまだ多くの残雪が見られ、 雪を踏みしめながら歩いて行くと、二人のオバさんに出会った。山菜とりらしい。 「こんにちは、何か採れましたか?」 「木の芽はまだダメ、採れたのはコゴミだけ」 オバさんはそう言って篭の中のコゴミを見せてくれた。木の芽というのはアケビの新芽のこと。 地方ではアケビの新芽を食べる習慣があり、この坂戸山の中腹でそれを摘んでいる風景を 見たことがある。随分前六日町のホテルで、アケビの新芽のおひたしを出してくれたことがあるが、 なかなかオツな味がして美味しかった。 樹林帯をぬけたところで思わず足をとめた。辺り一面に残雪が広がり道が消えていたのだ。 残雪に覆われた坂戸山の山麓 残雪は雪崩のように上部の谷間から眼の前の鞍部まで流れ落ち、辺りを広く埋めていた。 引き返すか...一瞬そう考えたが、どこかに道があるはずだ...私は意を決して積雪の山の斜面を 上りはじめた。 坂戸山砂防堰堤付近の残雪 砂防堰堤を乗り越え、山裾から林内へ続く道を探したがそれらしきところは見当たらない。さらに 上部へ這い上がって行ったが、やはり道は見つからなかった。もしかしたら道を間違えたのかも ...そう思いうしろをふり返ったとき、左後方の木陰に黒い道が見えた。そうだ、あの道に行こう ...として下りかけたが、鞍部でこちらを見上げていた男女5人のパ-ティ-が眼に入り、その中の 一人が両腕を交差させていた。どうやら”ここからは行けない”という意味らしい。 鞍部に下りてきた時すでに彼らの姿はなかったが、その意味は分かった。上から見えた木陰の道へ 行くには川を渡らなければならない。川には橋がつけられているはずだが、そこは広く雪に覆われ どこに橋があるか分からない。道が分からないまま強引に渡ろうとすれば川に転落しかねない...。 しかし引き返したくはない。私は辺りを見回し、対岸から杉林を通りぬければ道に出られるだろう... と考えた。幸い砂防堰堤手前から下にかけては川に雪はなく、水量も少ない。川幅も6~7m位か。 私はその通りにした。川岸の低いところから川を渡り、木々が繁茂する山側の壁を小枝を掴みな がら這い上がり、杉林を斜めに突っ切って無事道に出ることができた。思ったほど難しくはなかった。 杉林をぬけて出会った山道 ほぼ平坦な山道を歩いて行くと、ハイカ-たちの姿が見えてきた。坂戸山の薬師尾根コ-スに出て きたのだ。そこは明るい展望が開けたところで残雪はなく、案内板が建てられてあった。 このコ-スも階段はあるものの傾斜はかなり急だ。強い日差しが照りつける道をゆっくり上って行く。 しばらくして下ってきた女性に声をかけてみた。手に花の図鑑を持っていたからである。 「こんにちは、お尋ねしますがイワカガミはありましたか?」 「はい、咲いていましたよ、道のこちら側に」...私からみれば右手の方だ。 「その他に何か?」 「イワナシもたくさんありました、でも一番多かったのはイワウチワです、私は腰が悪くて山頂まで は行けませんでしたが、花が見られただけで満足です」 「よかったですね」 「そうですね、きれいな花が見られて嬉しかったです、是非ご覧になってください」...そう言い ながら彼女は降りて行った。野草が好きな女性なのだろう...。 ちょっとした会話だったが私も嬉しくなった。以前来た時にはいずれも葉だけになっていたが、 今回はそれらの花々が見られるというのだ。 眼をこらしながら上って行くと、やはりあった。最初に出会ったのはイワナシだった。この花も 久しぶりだ。随分前赤倉山麓で見て以来だろう。 果実が甘く、ナシの果肉に似ているのでこの名があるという。主に北海道から本州の日本海側に 分布する。 イワナシの花 イワナシの花 さらに上って行くと、今度はイワウチワが群落をなして咲いていた。六万騎山で見たものよりも色が 濃く、元気がいいように思える。広がりも大きい。ここは六万騎山よりも標高が高く、イワウチワの いちばん良い見頃を迎えていたのだろう。何度見てもこの花は清楚だ。夢中になってカメラを向ける。 イワウチワの花 イワウチワの花 オオイワカガミ(大岩鏡)も木々の間から赤い花びらを覗かせていた。それほど多くはないが道脇 に点々と散らばり気持を和ませてくれる。オオイワカガミより葉が小さいイワカガミは6-7月頃 高山で見られるが、雪国に分布するオオイワカガミは花期が早いのだろう。 まるくて光沢のある葉を鏡に見立ててつけられた名前だという。そういえばイワカガミの花期が 終わった高峰高原で、葉だけが太陽に照らされて鏡のように光り輝いていたのを見たことがある。 オオイワカガミの花 うしろを振り向くと六日町の集落が広がり、その向うに越後の低い山々が見える。雪を被っている のは飯縄山、2日前私が雪道を歩いて上った上野原高原はその山麓にある。町を貫いているのは 魚野川、魚沼地方を南から北へ流れやがて長岡市付近で信濃川と合流する。全長66.7km。 坂戸山から眺めた六日町の風景 山頂近くになるとマルバマンサク(丸葉満作)が眼につきはじめる。小さな黄色い花を枝いっぱいに つけて道沿いを縁どっていた。満作の名前の由来は、春いちばんに咲くので”まず咲く”がなまった という説と、黄色の花が枝いっぱいに咲くので「豊年満作」からきたという説とがあるらしい。 マンサクは関東西部から九州まで見られるが、マルバマンサクは北海道西南部から本州の日本海側 側に分布する。すでに花を落とし、葉だけになっているものもあった。 黄色い花を枝いっぱいにつけたマルバマンサク マルバマンサクの花 マルバマンサクの葉 ユキグニミツバツツジ(雪国三葉躑躅)も鮮やかに辺りを彩っていた。日本海側の多雪地に多いが、 近畿の六甲山系にも分布するという。ピンクの花びらが周りの緑に映えて美しい。 ユキグニミツバツツジ 山頂手前で倒れた木の上に座り昼食を済ませたあと13時山頂に着く。平坦な草地が広がる山頂 には富士権現と書かれたお堂が建ち、その周りでハイカ-たちがグル-プで昼食をとっていた。 この草地は本丸があったところだろう。 山頂からの展望は大きい。360度越後の山々を見渡すことができた。左前方には八海山から越後 駒ヶ岳、中ノ岳が連なり、右前方には巻機山から金城山へと続く峰々が聳え、うしろを振り向くと 飯縄山を中心とする低い山々が長い帯のように広がっていた。 いずれの山も雪をいただき厳しい冬山の表情を見せていたが、ここから流れ落ちる雪融け水が越後 の人たちの生活を支えているのだろう...日本有数の美味しい米や酒ができるのはこの雪融け水の おかげだ...そんな感慨に捉われた。 巻機山から金城山へ続く山々 帰りはやはり残雪のない薬師尾根コ-スをとって下山した。ホテルへの道の途中、今度来るとき は夏にしよう...越後の高山植物を見たい...八海山にはロ-プウエイもある...そんなことを考えながら、 雪を戴いた越後三山の峰々を眺めていた。 ― 了 ― 2015.5.31 記 私のアジア紀行 http://www.taichan.info/ |