思い出の映画  2


                 映画  「 道 」

                    旅芸人  ジェルソミ-ナ

           

      イタリア映画「道」が公開されたのは1954年。

       家の裏の海辺に行っていたジェルソミ-ナを、子供たちが母親の使いで呼びに来た。
     「ジェルソミ-ナ、ジェルソミ-ナ!早くお帰り、ママがすぐ帰れって、オ-ト三輪車に
      乗った人が来てる、ロ-ザが死んだんだって」
       ジェルソミ-ナが 家に帰ってみると、電信柱に背をもたせこちらをジロジロ見ている髭面の
     男が立っていた。旅芸人「ザンパノ」である。彼と一緒に旅廻りをしていたジェルソミ-ナの
     妹ロ-ザが死んだため、代わりの娘を求めてやってきたらしい。彼女の母親が言った。

     「ジェルソミ-ナ、ロ-ザが死んだんだって、可哀そうに、優しい娘だったのに…お前
      ザンパノと行くかい?、そうしてくれれば家も助かる、口減らしにもなる、いくらかでも
      お金になる…これごらん、1万リラくれたんだよ、これがあれば当分は食べられる、屋根も
      修理できる…ザンパノは親切でお前も幸せよ、唄って踊って…どうだろう、ママを助けて
          くれるかい?」、
       1万リラといえば、 当時ワインを5本買えるぐらいの価値しかなかったが、この貧しい家に
      とっては大金だったのだろう。

              旅芸人 ザンパノ           母親の話しを聞くジェルソミ-ナ

          

       ザンパノにはこう言った。
     「ザンパノ、この娘はね、ロ-ザとちがってとても従順なんだよ、言うことをよく聞く…少々
      変わり者だけど、毎日キチンと食事すれば変わる、よろしく頼むよ」
      ジェルソミ-ナは初め嫌だった。皆と別れるのが寂しかったのだ。しばらく考えていたが
     母親の気持を察してか、
     「芸人になって歌って踊るわ、ロ-ザみたいに」、そう言って笑顔を見せた。ザンパノと一緒
     に旅廻りをすることにしたのである。
       彼女はオ-ト三輪車のうしろに幌をつけた荷台に乗り、走ってくる子供たちに手を振った。
     母親も涙を流しながら娘のうしろ姿に手を振っていた。いよいよこれから二人の旅廻りが
     始まる。

              娘との別れに涙する母親      追ってくる子供たちを見るジェルソミ-ナ

          

      オ-ト三輪車は街中に入り、ザンパノは早速広場で芸を見せる。

     「さあ、さあ、皆さん、これは直径5ミリの鉄より硬い鋼鉄の鎖だ、この鎖を切ってみせる、
      胸の筋肉で切って見せます。この鉤を引きちぎる、まず肺にうんと空気を吸い込みます、
      ヘタすると血管が破裂します、いつかこれをやって眼が見えなくなった男がいます。
      眼の神経にムリがかかったからです。眼が見えなくなれば一生の終わりだ、心臓の弱い人は
      見ない方がいいですぞ…出血するかもしれん…」
       これがザンパノの唯一の芸である。しかし普通の男にはできない、並はずれた力が要る。
      彼にしか出来ない芸なのだ。

                    鎖切りの芸を見せるザンパノ

            

      食事は道端の空地ですることが多い。火を起こし温める場合もあるが、それが出来ない
     ところでは、持ってきた食物を容器に入れて食べる。容器はドラム缶を小さくしたような形。
     ザンパノは板きれに座り、ジェルソミ-ナは彼から少し離れたところで立って食べている。
     ザンパノが
     「ス-プを作れんのか?」と聞くが、「ダメなのよ」という返事。

      食事を済ませると、ザンパノは彼女に芸を教えはじめる。
     「舞台用の衣装があるぞ、靴も服もある、どれか合うだろう。優雅にしろ、汚い女の子とは
      仕事をせん、身なりを良くしろ」、
     そして太鼓を持たせ、
     「言え!ザンパノが来たよ!、太鼓はこうして叩くのだ、ダダダン、ダダダン、ダダダダン」
     と手本を見せる。
     「ザンパノが来たよ、ダダダダダ、」、
     「違う、太鼓の叩き方がダメだ、なってない、声も小さい!」
     「ザンパノが来たよ!…もう一度言え!…ザンパノが来たよ!」、を繰り返させていたが
     太鼓の叩き方がダメなのを見ると、近くの木の枝を折ってきてムチがわりにし、彼女の足を
     シバキながら何回も練習させた。さらにラッパの吹き方も教えた。しかしこの時以来、なぜか
     ラッパについては何も教えなくなった。

            ザンパノに太鼓とトランペットを教えてもらうジェルソミ-ナ

          

      その夜
     「きらめく炎、かがやく火、とぶ火花、夜」、ジェルソミ-ナはヘンなことを言いはじめる。
     「何をしてる?」
     「あさっては雨よ」
     「なぜわかる?来い、車に乗れ」
     「外で寝るわ」
     「名前は?」
     「ジェルソミ-ナ」
     「早く乗れ」
     「明日は…」
     「乗れと言うんだ」…二人はそんな会話をしていた。

      ジェルソミ-ナも大分芸が上手くなってきたある日、二人は村祭にやってきてコントを
     演じる。
     
     「さて皆さん、ただ今から珍無類の喜劇をご覧にいれます、よろしくどうぞ。心臓の弱い
      人は見ないでください、笑い死ぬと困ります。ただし無料ではお見せできませんぞ、
      あとで女房が帽子をもって伺います」、とザンパノは言いながらジェルソミ-ナに
     「おい、急げ」とせかす。自分も烏天狗のような恰好に早変わりして出てくる。
     「こんにちは、ジェルソミ-ナさん」
     「ザンパノ!」
     「あんたはこの私が恐ろしくないのかね?いや、私の持っている小銃がこわくないのかね?
      こわくなければアヒル撃ちに行きましょう」
     「アハハハッ、小銃ではありませんわ、鉄砲というのよ、おバカさんね、アヒルはどこに
      いるんです?」
     「ならアヒルがいなければお前がアヒル、おれが猟師になる」
     「イ~ア、イ~ア」
     「ダメダ、それではロバだ、アヒルではなく」
     「クワァ、クワァ、クワァ、クワァ、クワァ、ファ、ファ、ファ、ファ、ファ」、
     ジェルソミ-ナもコミカルに踊りながら会場を沸かせる。

                    街の広場でコントを演じる二人

             

         烏天狗のような恰好のザンパノ                     コミカルに踊るジェルソミ-ナ

          

     絶妙のコントに観客は大喜び、大勢の人たちがジェルソミ-ナの帽子に小銭を入れた。

      その夜二人は食堂で夕食をとった。ジェルソミ-ナは子羊の肉にシチュ-、ザンパノは
     パンに子羊の肉、それに
      ぶどう酒。めったにない食堂での食事である。ザンパノは機嫌がよい、昼間の稼ぎがよかった
     からだ。
     食事しながらジェルソミ-ナがザンパノに聞く。
     「ザンパノ、故郷はどこなの?」
     「生まれたところだ、エッヘヘ」
     「使う言葉がちがうのね、生まれたのは?」
     「親爺の家さ、そんなことはどうでもよい、オ-イぶどう酒だ!」、彼女の問いかけにはまとも
     に答えない。

                食堂で話しあうザンパノとジェルソミ-ナ

          

      ぶどう酒のお替りを何杯もとり、次第に彼は酔ってくる。店にいた女を呼び寄せて手を
     握り、尻をたたく。そして
     「オイ、飲むか!」と酒を勧める。女は嫌な顔をするどころか喜んでいる。ジプシ-の女
     らしい。そして彼はその女と話しはじめる。
     「タバコはどうだ?」
     「ありがとう、前に会ったわね、何の仕事?」
     「旅の芸人だ、こいつは助手だ、おれが一から教えたんだ、これを見ろ1時間で稼いだんだ」
     と札束を見せる。
     「一枚ちょうだい」
     「バカを言うな」
     「ここは臭いわ、花火を見に行きましょうよ」とザンパノを誘った。ジェルソミ-ナは自分も
     花火に連れて行ってもらえると思って喜んでいたのだが…しかしザンパノは、その女を連れて
     車でどこかへ行ってしまったのだ。
      ジェルソミ-ナは一人取り残されてしまったのである。彼女は街角の石段に座り、ザンパノの
     帰りを待ちながら一夜を明かしたが彼は帰って来なかった。
     夜が明けてもじっとそこに座っている彼女に、通りがけの女性が声をかけた。
     「あんた旅芸人の連れでしょ、あんたの亭主は森の外れの畑の中で寝ていたわよ」
     「どっちの方?」
     「村の外れよ」、そう聞いた彼女はそこまで歩いて行くと、やはりザンパノが寝ていた。車は
     そばに置いてあった。
     
          街角で夜を明かすジェルソミ-ナ    ザンパノを起こそうとするジェルソミ-ナ

          

     「ザンパノ!ザンパノ!」と呼んでみるが眼を覚まさない。死んでいるのかなと思い耳を胸に
     当ててみると、心臓の音は聞こえている。彼女はしばらくザンパノの寝顔を見ていたが、その
     ままにして辺りを散歩する。
     帰ってみると彼はようやく眼を覚ましたところらしく、彼女を見て
     「なんだ来ていたのか」というような顔をした。

     再び車に乗り次の街へ向かう。走る車の中で彼女がザンパノに聞く。
     「ロ-ザの時もこうだったの?」
     「何が」
     「ロ-ザとは…」
     「何を言うんだ!」
     「あの女と寝たんでしょ、ロ-ザともしたの?」
     「バカな話しはよせ!何だ!」
     「どんな女とも一緒に寝るの?」
     「何だと」
     「女ならいいの?」
     「俺と一緒にいたいのなら、つまらんことを言うな、いったい何を考えているんだ」

      そんな話していると、野外の草地で結婚式パ-ティ-が開かれているところにやって来た。
     子供たちが集まってきたので、二人は早速楽器をを取り出し準備する。ザンパノが太鼓を
     叩き、ジェルソミ-ナが踊りはじめた。

                野外の草地で踊るジェルソミ-ナとザンパノ

          

      二人がコミカルに演じていると子供たちがやって来て、近くのオバさんが呼んでいると
     告げられる。ザンパノはその家に行ったが、ジェルソミ-ナは子供たちに別のところに
     連れて行かれた。従兄が病気なので笑わせてほしい、というのだ。彼女は
     「小鳥よ、小鳥よ、小鳥なのよ」とコミカルに踊ってみせたが、その従兄は無表情のまま何の
     反応も示さなかった。彼女はヘンな子供だと思い、あきらめてザンパノの居るところに行く。

      ザンパノは、マカロニを食べながら中年の女性と話し込んでいた。古くから知り合いの
     ダンサ-らしい。
     二人は長話をしていたが、女性の死んだ亭主の服をザンパノが着てみないかということになり、
     階上に上がって行った。
     ジェルソミ-ナは、また一人にされ日暮れまで待たされる。ザンパノはまた女と寝てきた
     らしい…。
     感づくジェルソミ-ナ…女からもらった服に着替えているザンパノに彼女が話しかける。

     「ラ~ラララ、ラ~ラララ、覚えてる、雨の日に聞いた歌よ。なぜトランペットを教えてくれ
      ないの?教えてちょうだい、ロ-ザに教えたのに私はダメ、なぜなの?」
     しかしザンパノはそれには答えず、
     「どうだ、この服は?」と言う。
     自分の質問に答えてくれないザンパノ…、ついに彼女は泣きはじめる。
     「どうしたんだ?」
     「別に」
     「なぜ泣くんだ」
     「私にもわからない」、と言いながら後ずさりしていると、彼女はワラ穴に落ち込んで
     しまった。

         穴に落ち込んだジェルソミ-ナ       上がって来いと呼びかけるザンパノ

          

     「上がってこい」
     「いや」
     「上がれよ、そこで寝るのか」
     「ここで寝るわ」…彼女はワラ穴の中で一夜を過ごした。
       翌朝ジェルサミ-ナが起きた時、ザンパノはまだ寝ていた。そっと顔を近づけてみたが
     ぐっすり眠っている。その寝顔に彼女は
     「オゥ、ザンパノ、帰るわ、故郷へ…仕事じゃない、芸人は楽しいけど、あんたって人が
      嫌いなの」と、つぶやきながら彼の体を軽くひっぱたいた。
     「何だと?」
     「帰るわ、故郷の家に」
     「バカを言うな」…ザンパノは寝ボケていたのだろう、また寝てしまった。彼女はそこを
     離れ
     「靴は置いてくわ、オ-バ-も…私はもう我慢できなくなった、だから帰るわ」、そう言った
     あと靴もオ-バ-も脱いで車の中に入れ、自分のものに取り換えた。そして背を向けて
     歩きはじめた。ザンパノから逃げ出したのである。しばらく歩いて一度うしろを振り返ったが、
     そのまま前に進んで行った。

       ザンパノの寝顔を見るジェルソミ-ナ   逃げ出し、後ろを振り返るジェルソミ-ナ

          

     その歩き方は逃げ出すというより、トボトボと歩いて行くように見えた。行くあてはなかった。
     地理も方角も分からない、ただ足の向くまま歩いて行った。ザンパノに連れられるまでは、
     どこにも行ったことがない、生まれた家の周りしか知らないのだ。広々とした平原の道や川の
     そばを歩き続けた。疲れると道端に座り虫を手にのせてじっと見入ったりした。小さな虫でも
     けなげに生きているのだ…

      ふと顔を上げると、ラッパを吹きながら土手の上を歩いて行く3人の男の姿が見えた。
     何かあるのかもしれない、そう思ってあとをついてゆくと大きな街に入り、教会の記年祭が
     行われているところに出た。大勢の人たちが行進している。彼女もその中に入りキリスト像に
     十字を切りながら歩いて行った。するとさらに大きな群衆に出会った。みんな上を向いている。
     空中での綱渡り、いや、ロ-プの上での曲芸が始まるらしい。司会の女性がアナウンスして
     いる。

     「今から最も危ない芸当をご覧に入れます。ロ-プの上でスパゲティを食べます、どうか
     お静かにお願いします、 ひとつ間違うと命にかかわります。では皆さま、全世界に二つと
     ない芸当をご覧ください。

                    ロ-プ上で曲芸を始める男

             

                      空中で曲芸をする男

          

     「ねえ、調子はどう?気分は、空中の居心地はどう?」
     「ここは涼しい、おかげで腹がへって食欲が出てきたよ、おっと危ない風だ、ナプキンが
       飛んだ」
     「どうしたの?、私たちを誘わないで一人で食事する気?」
     「席があいている、どなたか一緒にいかがですか?」

         空中の曲芸をアナウンスする女性           曲芸を見上げるジェルソミ-ナ

          

       そう言いながらこの男、空中で回転し、逆立ちまでして見せた。観客はハラハラしながら
     見ている。
     ジェルソミ-ナもビックリした。まさに世界に二つとない芸だと思った。この芸人「キ印」
     と呼ばれている男らしい。長い棒をもって空中で曲芸している姿が、「キ印」の形に見える
     からだと思われる。

      空中の曲芸が終わり大勢の人たちが引き揚げていったあとも、ジェルソミ-ナは一人で
     道端の石に座りぼんやりしていた。夜も大分更けている。彼女はそこで朝まで過ごそうと
     思っていたのかもしれない。とその時、ライトをつけたオ-ト三輪車がやってきて、中から
     一人の男が出て来た。ザンパノである。彼女はすぐ彼に見つかってしまった、

     「乗れ!」
     「行きたくないわ、いやだ私は行きたくない、いやだ!いやだ!」
     「乗るんだ!」
     「いやよ、行かない!」、彼女は走って逃げようとしたが彼に捕まり、無理やり車に乗せられ
     た。泣く彼女をみて
     「文句あるのか、静かにしろ、厄介なやつだ」…。

       翌朝彼女は、テントを張ったサ-カス一団のところに連れて行かれた。車から降りると、
     どこからか
     ♪ ラ~ラララ、ラ~ラララ、ラ~ラララ~♪という音が聞こえてくる。その音の方に歩いて
     行くと、曲を弾いていたのは昨夜空中曲芸していた「キ印」だった。楽器はバイオリン、
     彼は彼女を見るとニコッと人なつっこい笑顔を見せた。

          バイオリンを弾く{キ印」       「キ印」のバイオリンを聞くジェルソミ-ナ

          

     「キ印」のバイオリンを聞いていると、ザンパノから呼ばれサ-カスの団長に
     「おれが芸を教えた女です、こいつは靴もない女でした、生まれ故郷以外は知らなかった
       のです」と紹介された。
      その後ザンパノと団長は打ち合せをした。
     「言っとくが固定給は払わんぞ、だがもらいは全部やる、他の芸人もそれで満足している」、
     「わかってる、文句は言わんさ」
     「帽子をまわす女はいるな、では今夜から始めろ」…二人はサ-カス団で働くことになった
     のである。テントには400の席が設けられ、立見席もあるということだった。

       そんな時「キ印」がやってきてザンパノの顔を見るなり
     「やあ~、誰かと思ったら”鉄砲”か、これはいいぞ、動物が要るからな」とからかったが、
     不機嫌なザンパノの顔を見て
     「冗談だよ、わかるだろ、ところでタバコはあるのか?」、そして周りの人に
     「彼は芸術家というべきだ、何を演るんだ?鎖を切る芸はどうした?」…とさらにザンパノ
     を茶化した。ザンパノは「キ印」をにらみつけ
     「友だちとして忠告する、口をきくな、余計な口をきくと後悔するぞ、忘れるなよ」…そう
     言って舞台裏に去って行った。

         ザンパノをからかう「キ印」         「キ印」を睨みつけるザンパノ

          

      夜になると大勢の人たちがサ-カスを見に来ていた。団長自ら司会を務めている。
     いくつかの演技が披露され、いよいよザンパノの番がやってきた。団長がアナウンスする。

     「ジラッファ・サ-カスの新アトラクション!ザンパノ!、鋼鉄の肺をもった男の発見です。」
     おむむろにザンパノが出てくる。ジェルソミ-ナもそばにいる。
      「皆さん!これは長さ5ミリの鉄の鎖です、鋼鉄より強い粗鉄製です、これを胸に巻いて
      このカギで両端をつなぎます。そして胸の筋肉を拡張するだけで、つまり胸の力でカギを
      壊します。カギに仕掛けが、と疑う方は確かめてください。仕掛けはありません、
      ジェルソミ-ナさん、これは痛さを消すたものものではありません」…
      そうザンパノが得意満面で口上をのべている時、客席にまわって見ていた「キ印」が
     「スゴイぞ!鉄砲いいぞ!」とはやしたてた。ザンパノはチラットその方を見たが、
     そのまま続ける。
     「カギが肉に食い込んで血が出ることがあるので…雄牛2頭分の力は必要としない、すこし
      頭が良ければ分かることだ。必要なことは3ツある、健全な肺、鉄の肋骨、それに超人的な
      力です。気の弱い人は見ない方がよいと申し上げる。太鼓が3回鳴りましたら…
      ジェルソミ-ナさんどうぞ」

      ジェルソミ-ナの3回目の太鼓が終わるやいなや、ザンパノが大きく腕を広げながら身体を
     うしろに倒しはじめ、かなり苦しそうな表情になったその時、「キ印」が大きな声で
     「ザンパノ!電話だよ!」と言ったのである。

        ”ザンパノ電話だよ”と呼びかける「キ印」        「キ印」の方を見るザンパノ

          

       ザンパノは激怒した。
      団長も「バカ野郎」と「キ印」を怒鳴りつけた。そして楽屋に入ってきたザンパノには
     「俺が話しをつけるから」となだめようとしたが、ザンパノはおさまらない。怒り心頭に
     発している。
     「このバカ野郎、二度と笑えなくしてやる」とわめきながら猛然と追いかけて行った。
     しかしすばっしこい「キ印」は暗闇の中を逃げ回りどこかに隠れてしまった。あきらめて
     戻ってきたザンパノに、ジェルソミ-ナが聞いた。
     「あの人どうしたの?」
     「知るもんか!」
     「彼に何かしたの?」
     「別に何もしねえ~さ、バカにしやがって、いずれ片づけてやる」
     「どんな人?」
     「育ちの悪いバカ野郎さ」
     「長いつきあい?」
     「大昔からだ」
     「ロ-ザは知ってるの?」
     「やつは何も知らん、何も知らん、聞きたくもねえ、俺は眠い、寝る」

      朝起きてみるとザンパノは居なかった。ジェルソミ-ナは、ザンパノがどこに行ったの
     だろうかと思い外に出てみると「キ印」に出会い、彼がトランペットを教えてやろうかと
     言ってくれた。しかしザンパノの眼が怖い。
     「ザンパノに叱られる」、するとそばにいた団長が
     「ザンパノは出かけてる、大丈夫だよ」と勧めてくれたのですこし安心した。
     「キ印」が弾いてみせる。
     「いいかね、こちらの曲に合わせてこっそりと吹いてみろ」、彼女が「ブ-ッ!」と
     吹くと彼は
     「上手い、その調子だ、続けて吹いてみろ」
     「ブ-ッ、ブ-ッ、ブ-ッ」、下手なラッパだったが「キ印」は
     「そうだ、そうだ、その調子」と誉めたのである。彼女は嬉しくなった。そしてラッパを
     吹きながら彼と一緒に空地の中を行進しはじめた。
     ♪ ラ~ラララ、ラ~ラララ、ラ~ラララ~♪…バイオリンとトランペットの二重奏だ。

        トランペットを吹くジェルソミ-ナ      行進するジェルソミ-ナと「キ印」

          

      ところが二人が楽しそうに行進していた時、ザンパノが帰ってきたのである。
     彼はジェルソミ-ナからトランペットを取り上げ「キ印」の胸ぐらを掴んだ。
     「何をしているのだ、勝手な真似はやめろ!」、そばから団長が
     「お前が街に行ってたから」と言ったが
     「このルンペン野郎はいやなんだ、ムシが好かないのだ」、すると「キ印」が
     「お前が口をきくなよ、この鉄砲野郎」と言ったかと思うと、バケツの水をザンパノの
     頭からぶっかけたのだ。
     怒ったザンパノ、今度はナイフをもって”殺してやる”と喚きながら「キ印」を追いかけ回す。
     逃げ回る「キ印」、オロオロするジェルソミ-ナ。
     逃げ足の速い「キ印」だったが昨夜のようにはゆかない、民家の部屋に入り、鍵をかけて
     閉じこもった。追いついたザンパノ、体当たりしてドアを開けようとしていた時、通報で
     やって来た警官に逮捕されたのである。ナイフを持っていたのがいけなかった。
     ザンパノは警察に連行された。

        ザンパノに水をぶっかける「キ印」          警官に見つかるザンパノ

          

      団長は
     「ジラッファ-一座で警官が踏み込んだことは一度もない、もう彼とは手を組まない」と
     言った。ザンパノは解雇されたのである。ジェルソミ-ナは一座の女性たちから
     「私たちといれば?、彼なんか忘れなさいよ」とサ-カス団に入ることを勧められたが、
     彼女はついて行かなかった。なぜかザンパノが心配だったのである。

     一座が去ったその夜、暗闇の中から「キ印」が現れ、ジェルソミ-ナに話しかける。
     彼も解雇されたらしい。
     「ヤツはブタ箱さ、何年でもいるがいいさ」…そして彼女を見て続けた。
     「それで女かい、まるでアザミだ」…その言葉に彼女はうつむいていたが、やがて考える
     ように
     「ザンパノを待たないわ…みなに誘われたのよ」
     「アハッハッハッ、明日出てきて誰もいない時のヤツも顔を見たい、絶対に別れろ、ヤツは
      野蛮だ…何の理由もない、ついからかいたくなる…何故かな?いつもそうなる…ところで
      どうしてザンパノと一緒になった?」
     「母さんに1万リラくれたの」
     「本当にそれだけか」
     「私は4人姉妹の長女よ」…自分がいなくなれば、家が助かると言いたかったのだろう。
     「ヤツを好きか?」
     「私が?」
     「そうお前さ、逃げないのか?」
     「逃げようとしたわ、でもダメだった」
     「お前は変わってるな、ヤツがいなければ皆と行けばいい」
     「皆と行っても同じことよ、ザンパノといたって変わりはないわ、どっちだって同じよ、
       私は何の役にも立たない女よ、いやだわ、生きることがいやになった」…うつむいて泣く
     彼女を見て彼が聞いた。
     「料理はどうだ?」、彼女は一瞬顔を上げ「エッ」と言った。
     「料理は作れるのかい?」
     「ノウ、ダメなの」
     「すると…男と寝るのが好きか?」その質問に彼女は「ノウ」と言ってうしろを向いた。
     「では何が好きだ?…別に美人でもなし」
     「私はこの世で何をしたらいいのか?」…繰り返す。
     「おれがお前と一緒になったら綱渡りを教える、ライトを当ててやる、おれの車で巡業する、
      世の中を楽しむ、どうだい?それとも…ザンパノと一緒に苦労をつづけるか、ロバみたいに
      コキ使われながら、しかし…お前もザンパノには何かの役に立つんだろ?…前に逃げたとき
      はどうだった?」
     「ひどく殴られたわ」
     「…ヤツは何故引き戻したか…わからん、おれなら一発ですててしまう…おそらく…惚れて
       るんだ」
     「ザンパノが?」
     「変かい?ヤツは犬だ、お前に話しかけたいのに吠えることしか知らん」
     「かわいそうね」

                  話し合うジェルソミ-ナと「キ印」

          

     「そうだ、かわいそうだ、しかしお前以外に誰がヤツのそばにいられる?おれは無学だが何か
      の本で読んだ、の世の中にあるものは何かの役に立つんだ、例えばこの石だ」
     「なぜ?」
     「どれでもいい、こんな石でも何かの役に立ってる、それはおれなんかに聞いてもわからんよ、
      神様がご存知だ、お前が生まれときも死ぬときも、人間にはわからん、おれには小石が何の
      役に立つかわからん、何かの役に立つ…これが無益ならすべて無益だ…空の星だって」、
     その言葉に彼女はすこし笑顔を見せてうなずき、小石を手にとって見つめる。
     「何もかも火をつけて焼いてやるわ、もうあの人とは働きたくないのよ、彼が思い知るわ、
      もう1万リラ分は働いたわ、彼は無関心よ、何も考えない、言ってやる何のつもりだと、
      ス-プに炭を入れてやる、いやダメ、みんな焼いてやる、私がいないと彼は一人ぽっちよ」
     「みなに誘われたんだろ?お前は一座の連中に来いと言われたんだろ?、おれのことは
      言わなかったか?」
     「二度と仕事しないって、ザンパノとも」
     「誰がヤツらと仕事するもんか、おれを必要としているのはヤツらなんだ、おれには家もない、
      おれはどこへでも 行ける、おれは一人でやる」
     「さっきなぜ先が短いと言ったの?」
     「いつも死を考えているからさ、おれの仕事はいつ死ぬかわからん危ない仕事だ、いつ死んで
      も誰も悲しまん」
     「これからどうするの?」
     「お前こそどうするんだ、ヤツを待つか、それとも一座を追って行くか」…彼女はじっと
      考えている。

                  話し合う「キ印」とジェルソミ-ナ

          

     「さあ乗れ、警察の近くまで運転して行ってやろう、ヤツが出て来たらすぐわかる」、
     彼はそう言って自分の車で彼女を警察近くまで送って行く。
     「さあ降りろ、ここだ、ここが警察だ」
     「行くの?」
     「本当におれと一緒に来たいのかい?」…誘われたが彼女はうつむいて何も言わなかった。
      その様子を見て
     「だが役に立たん女は連れて行きたくないんだ」と言葉をついで、何か思いついたように
     自分の 首輪を外し、
     「これをやる、思い出の品だ」…そう言って彼女の首にかけてやった。そしてチャオ、
     バイバイと笑顔を見せ、
     「♪ ジェルソミ-ナ~ジェルソミ-ナ~♪」…リズムをつけて鼻歌を唄いながら自分の車に
      戻っていった。しかしそのうしろ姿はどこか寂しそうに見えた。見送るジェルソミ-ナ…
     彼の車が見えなくなるまで手を振りつづける…彼女の眼には涙がにじんでいた。

        ジェルソミ-ナに手をふる「キ印」      「キ印」に手をふるジェルソミ-ナ

          

      警察の前に置いてあったザンパノの車のそばで待っていると、彼が出て来た。
     「ザンパノ、一座の人たちに誘われたのよ」、ジェルソミ-ナはそう言いながら車から彼の
     ジャンパ-を取り出し着せてやる。しかしザンパノは
     「行けばいいのに」…相変わらず無愛想だった。二人は車に乗り旅に出かけて行く。
     しばらく行くと海岸に出た。ジェルソミ-ナの故郷によく似たところだ。懐かしい風景が
     広がっている。彼女は車から降り走って波打ち際まで行き、遠く海辺を見渡しながら
     ザンパノに聞いた。
     「私の家はどっちの方角?」
     「あっちだ」、そう言いながら彼は裸足になり波打ち際に入って行く。彼も海に何か思いが
     あったのかもしれない。彼女が続ける。
     「前には家に帰りたくてしかたがなかった、でも今はどうでもよくなったわ、あんたといる
      所が私の家だわ」
     「そいつはズルな考えだ、家に帰れば満足に食えんから気が変わったんだ」
     「あんたってケダモノね、あきれたわ」・・・彼女は足で砂を蹴とばして怒る。

      ザンパノにジャンパ-を着せるジェルソミ-ナ      海辺に出て車から降りるジェルソミ-ナ

            

      再び車に乗って走る。途中若い尼僧も乗せている。日が暮れはじめ空模様がおかしくなって
     きた。嵐がきそうな雲行きだ。村まではかなり遠い、ガソリンも心細くなったため、若い尼僧
     に頼み僧院の納屋に泊まらせてもらうことになった。ス-プまでご馳走になり何かと親切に
     してもらったこともあって、ジェルソミ-ナが若い尼僧にラッパを吹いて聞かせた。
     ♪ ラ-ラララ、ラ~ラララ、ラ~ラララ~♪というあの曲である。
     「お上手ね、なんと言う曲ですの?」
     「知りません」…実際ジェルソミ-ナはこの曲を知らないのだ。
     「いつも車の中で寝るの?」
     「中が広いので、お鍋もランプもそろってるの」
     「ステキね、あちこちに巡業するのはお好き?」
     「あなたはここばかり」
     「私たちも移るのよ、3年ごとに僧院を変わるのよ、ここは3ツ目なの」
     「どうして?」
     「同じところに長くいるとどうしても離れなくなるから、住む土地に愛情が湧いて一番大切な
      神様を忘れる危険がある、私は神様と二人連れで方々を回るわけなの、ここは千年もたつ古い
      僧院なの」…若い尼僧はそう言ったあと、ジェルソミ-ナを僧院の中まで案内した。

          オ-ト三輪車で行く三人               若い尼僧

          

      その夜納屋の中でジェルソミ-ナはザンパノに聞く。
     「ザンパノ、なぜ私と一緒なの?、私は醜いし料理もできないのに」
     「何を考えてるのだ、早く寝ろ、おかしなことを言う女だ」
     「雨だわ、泊まってよかった…ザンパノ!私が死んだら悲しい?」
     「お前死ぬのか」
     「前にはこんな生活なら死にたいと思ったわ、今は二人が夫婦みたい…小石でも役立つなら
      一緒に暮らしたいわ、よく考える必要あるわ、あんたは考えない?」
     「考えることはねえ」
     「本当に?」
     「何を考えるんだ、こんなバカげた話しはいいかげんにやめろ!、早く寝る、眠い」、彼女は
     なおも「ザンパノ」と呼びかけるが返事がないので眠ったと思い、ラッパを吹きはじめる。
     ラ~ラララ、ラ~ラララ、ラ~ラララ~…。
     「うるさい!やめて早く寝ろ」

      間夜中、何か音がするので起きてみたら、ザンパノが格子の網目に手を入れゴソゴソして
     いる。彼は格子の向うにある銀の飾り物を盗ろうとしていたのだ。彼女が起きたのに気が
     ついた彼が、
     「お前の手は小さいから入るだろう」と言ったが
     「ノウッ、ノウッ!いやだ!」、激しく拒んだ。
     「何がいやだ!誰に言っとる!」
     「いやだ!悪いことだわ」
     「うるさい!」…そのあと彼は何度も網目に手を伸ばし、銀の飾り物を盗ってしまった。
     彼女は悲しかった、見ていて止められなかった、あれだけ親切にしてもらっているところで
     何故…悪いことをしたと思った。
      翌朝元気のないジェルソミ-ナを見て若い尼僧が
     「どうしたの?どこか悪いの?」…やさしく声をかけてくれたが、何も言えなかった。頭を
     さげて礼を言い別れを告げた。見送ってくれる若い尼僧、笑顔を見せて車の荷台から手を
     ふるジェルソミ-ナ…しかしその姿が見えなくなると顔をふせて泣きはじめる。

       出発時ザンパノの車を押すジェルソミ-ナ   若い尼僧の見送りに応えるジェルソミ-ナ

          

       ザンパノの車は平原の中を走りマリア-ト村に向かう。山を越え下り道にさしかかった
     ところで、ザンパノは車を止めた。そこに「キ印」の車が止めてあったのである。どうやら
     パンクしているらしい。
      「キ印」は思わぬザンパノの出会いにビックリしたような顔を見せたが、パット表情を変えて
     笑顔をつくり何か話 しかける。ザンパノが睨みつけたにもかまわず、ジェルソミ-ナ~、
     ジェルソミ-ナ~と鼻歌を唄いながらタイヤの修理に取りかかろうしたとき、ザンパノは
     その前の道具を蹴とばし、「キ印」が立ち上がったところで強烈なパンチを浴びせた。
     さらに一発、彼が倒れそうになったとき、もう一発顔面に殴りつけた。

            笑顔を見せる「キ印」         「キ印」を殴りつけるザンパノ

          

              「キ印」はのけぞって車にぶち当たりフラフラと歩きはじめたが、突然 
     「アァ~、おれの時計が壊れた」とつぶやいたかと思うと、頭をおさえて崩れるように
     地面に倒れて動かなくなった。    
     心配したジェルソミ-ナが走りより、”「キ印」大丈夫”と声をかけたが何の反応もなかった。
     彼女はビックリしてザンパノを呼んだ。ザンパノはまさかと思い、足で彼をあお向けに
     動かしてみたがピクリともしない。「キ印」は死んでしまったのだ。

                「キ印」の様子を心配するジェルソミ-ナ

        

      あわてたザンパノ、すぐ道路上に駈け上がって辺りを見回し、誰も見ていないことを確かめ
     てから「キ印」を担ぎあげ橋下の草叢に置いた。そして彼の車を崖下に突き落としたのだ。
     事故にみせかけようとしたのである。
     炎上する車…「オオッ、ノウ、ノウ、ノウ」…悲痛な声を上げるジェルソミ-ナ、ザンパノは
     やめろ!と怒鳴るが彼女は泣きやめない。

       「キ印」を担ぎあげて運ぶザンパノ         炎上する「キ印」の車

          

      その後ジェルソミ-ナはまったく口をきかなくなった。遠くぼんやりと雪景色を眺めたり、
     うつむいて何か考えているような様子が多くなった。それでもザンパノは街の道路脇で
     「鎖切りの芸」を演じることがある。
     「さて、皆さん、これは直径5ミリの鉄より硬い鋼鉄の鎖だ…肉が破れて…太鼓が3回鳴り
     ましたら…
     ジェルソミ-ナさんどうぞ」と呼びかけるが、彼女は立ったまま悲しそうな顔をして太鼓を
     叩こうとしない。

                冬景色          街の道路脇で鎖切りの芸を演じるザンパノ

            

      車の中で毛布にくるまり、横になりながら彼女がつぶやく。
     「彼の様子が変よ…彼が死にそうよ」、ザンパノは驚いて
     「どうしたんだ、何があった、起きろ!冗談はよせ」
     「死ぬわ!」
     「静かにしろ!静かにしろったら」…そう言いながら雪道を走っていたが、車を止めて
     荷台にまわり、
     「誰も見ていなかったんだ、誰も知っちゃいねえ…腹がへった、ここにいろ」…ザンパノは
     そう彼女に言って車を離れた。炊事用の水をつくるため鍋に雪を入れに行ったのである。
     ところが彼が戻ってみると車の中に彼女がいない・・・驚いて遠くを見ると、彼女は雪道を
     フラフラと歩いている…どこに行こうとしているのか…追いかけて行くザンパノ…。

                   ジェルソミ-ナを追いかけるザンパノ

           

     「おい、どこへ行くつもりだ、どこへ行く気だ?」…泣き顔で何も答えないジェルソミ-ナ…
     彼は彼女の頭がおかしくなったのではないかと心配した。まさか気がふれたのではないかと
     思った。
     「家に帰りたいのか?」と聞いてみたが、彼女は首を横にふる、そうではないらしい…。

       ジェルソミ-ナの様子を心配するザンパノ    泣き顔で何も答えないジェルソミ-ナ

          

      ザンパノは彼女を車に乗せ隣村に向けて雪道を走り、やがて広い雪原に出たところで再び
     車を止め、たき火を起こしたあと、戻って彼女の様子を見る。彼女は相変わらず毛布にくる
     まったまま泣いている。幌を開けて彼が話しかける。
     「泣くのはよせ!やめろ、泣くなったら!」…怒りながらも心配顔のザンパノ。
     「ノウッ!いや、いや!入らないでちょうだい」
     「好きにしろ」…そう言ってザンパノは食事の支度に雪原に出て行った。

        ジェルソミ-ナの様子を見るザンパノ     ザンパノの話を拒むジェルソミ-ナ

          

      彼が戻ってみると彼女は車の外に出ていた。いつもよりは明るい顔になっている。
     雪原を見回し
     「ここがいいわ」とめずらしく言葉らしい言葉を発した。ザンパノは少し安心したらしく
     彼女に声をかけた。
     「そこは寒いぞ、こちらに来てすわれ、火にあたれ…ス-プを飲むか」そう言いながら
     味見をしていたが、
     「何かが足らんな」…すると彼女が
     「よこして私がするわ」と言った。料理ができないジェルソミ-ナだったが、ザンパノとの
     旅の中で味付けぐらいはするようになったのだろう。
     「久しぶりだ、10日ぶりに口をきいたな」…そして「キ印」のことについて話し始める。
     「殺す気はなかった、たった3発喰わしただけだ、何てことなかった、鼻血がすこし出た
       だけで…放したら倒れやがった…3発ぐらいで刑務所行きはごめんだ…人並みに働きたい、
       生きる権利がある」

         雪の残る原に立つジェルソミ-ナ           ジェルソミ-ナに話すザンパノ
     
          

      彼女は味付けをしてス-プを渡す。
     「ウン、悪くはない…さあ、もう行こう、村でお祭りがある、5~6キロ先だ、稼げるかも
      しれんぞ」と言ったとき、彼女は急に悲しそうな表情を見せた。
     「どうした?どうしたんだ?」
     「彼の様子が変よ」…小さく嗚咽しだす。このとき、やはり彼女はおかしいと思ったの
     だろう。
     「お前の家に帰ろう、お袋さんのところに帰りたくないのか?」…彼女は首を横にふる。
     「わたしが居ないとあんたは一人よ」
     「おれは遊んでられん!飯のタネを稼ぐんだ!…お前は病気だ、ここがな」、頭をさして
     言った。
     「来い、何をしてる?寒いぞ、乗れ、乗れ」…しかしその場に横になるジェルソミ-ナ…。
     「あんたが彼を殺したのよ、もういやだわ、逃げたかったのに…彼が言ったのよ、あんたと
      一緒に居ろって…タキギが足りないわ…火が消える…」

                   話し合うジェルソミ-ナとザンパノ

           

      そのまま寝込んでしまった彼女を見て、ザンパノは車からコ-トと毛布を出して彼女に
     かぶせ、小銭をそばに置いた。そうして立ち去りかけたが、荷台の中に彼女の好きな
     トランペットが眼に入り、それもそばに置いてやった。
      それは彼が初めて見せる、彼女へのやさしさだった。さらに、冬空に一人彼女を置いて
     いくことに心残りがしたのだろう…車を押しながらも後ろをふり向き、寝ている彼女の
     姿を見つめていた。

                 冬空の石壁のそばで眠るジェルソミ-ナ

           

            ジェルソミ-ナに毛布をかぶせトランペットを置いてやるザンパノ

           

      その後何年かの歳月が流れた。あるサ-カス団に入って働いていたザンパノが、海岸通りの
     街にやってきた。
     彼がジェルソナミ-ナを置き去りにして行ったところからそう遠くない街である。あの日は
     寒い冬空だったが、その日は青空が広がり、温かい太陽の光が降り注いでいた。
     サ-カスが開演するまでの時間、彼がブラブラ散歩していると、聞き覚えのあるメロディが
     流れてきた。
     ♪ ラ~ラララ、ラ~ラララ、ラ~ラララ~♪、ジェルソミ-ナが好きだったあの曲だ。
     歌っているのは女性らしい。ザンパノがその方に歩いて行くと、洗濯物を干しながら唄って
     いた若い女性に出会う。ザンパノが聞く。

     「へい、その歌どこで覚えたんだ?」
     「歌って何なの」
     「いま唄っていた歌だ」
     「ああ、この歌?」
     「それだ」
     「ずっと昔ここにいた娘が歌ってたの」
     「どれくらい前だ?」
     「ずっと昔よ、4年か5年前だわ、ラッパ吹いてたわ、それで覚えたのよ」
     「その娘は?」
     「死んだわ、かわいそうに…あんたはサ-カスの方ね、あの娘も旅廻りの芸人だったわ、ここ
     では知り合いもなく口数も少なかった…頭が変だったわ…ある夜私の父があそこの浜辺で
     見つけて連れて帰ったの、熱が高かった…何も言わず何も食べずに泣いていた…具合がいいと
     日光浴してた、そしてラッパを吹いた…ある朝冷たくなってたの…町長さんに聞けば分かる
     かな…

          女性から話しを聞くザンパノ           ザンパノに話す女性

          

       ザンパノは話しを聞き終えて茫然とした…そうだったのか…あの娘は死んでしまったのかと
     …彼はジェルソミ-ナをあそこに置き去りにしたことを悔やんでいた…。

      サ-カスが開演されザンパノの番がきた。司会者が
     「ザンパノに盛大な拍手を、鋼鉄の肺をもった男です、どうかご期待ください、では音楽を」
     と言うと彼が出て来て
     「さて皆さん太さ5ミリの鎖と大きなカギがあります…つまり胸の筋肉だけで…気の弱い人は
     見ないでください」…いつものように鎖切りの芸を披露したが、その表情は元気がなかった、
     どこか落ち込んでいるように見えた。

                    鎖切りの芸を見せるザンパノ

          

      その夜ザンパノは街の居酒屋で飲んだ。飲んで飲んで深夜まで飲みつづけた。正体がなく
     なるまで飲んだ。酔った勢いで客にケンカを売り、暴れた。店主から「大分酔ってるぞ、
     もうやめとけ!」と言われるが
     「うるさい!」とわめき酒をラッパ飲みする。 ついに彼は皆に抱えられ、店の外に叩き
     だされてしまった。酔い方があまりにひどかったからである。
      ヨロヨロと夜の闇の中を歩くザンパノ…ドラム缶を蹴とばし抱え上げて投げ飛ばし、
     「友だちなんぞ要らん、一人で居たいんだ」とわめく…電柱にすがり涙を流す。そして
     フラフラと海岸の方に歩いて行き、波の中に入って顔を洗った。ハア、ハアと大きく息を
     しながら砂浜にもどり、空を見上げる。

                       砂浜で空を見上げるザンパノ

             

     「あの娘は星になったのか…どこにいるんだ」…その表情は、まるでジェルソミ-ナを
     探しているかのように見えた。そして崩れるように座り込み、砂をかきむしった。
     ウッ、ウッ、ウッ、悲しみが胸にこみ上げてくる。
     「ジェルソミ-ナ悪かった、許してくれ…俺は寂しい、寂しいのだ」…彼の顔は悲しさと
     淋しさと苦しみでゆがんでいた。泣いていたのである。

                    砂浜に座り込み泣くザンパノ

          

      ザンパノは身体を倒して地面に伏せ、砂をかきむしりながら泣いた、泣きつづけた、嗚咽が
     止まらなかった…。
     砂浜に伏せる彼の孤独な黒い影を映しながら、
     ♪ ラ~ラララ、ラ~ラララ、ラ~ラララ~ ♪…ラッパの曲が流れ、FINEの字幕が出る。

                 砂をかきむしりながらむせび泣くザンパノ

             

      ラストシ~ンは感動的だった。映画「道」はこのラストシ~ンによって生き生きしたものに
     なっている。この映画のすばらしさが分かる。もちろん全体のシナリオもいい、面白かった。
     昔よく見た旅芸人の情景を思い出し懐かしかった。
      ジェルソミ-ナ演じるジュリエッタ・マシ-ナの豊かな表情に魅せられる。笑顔を見せて
     いたかと思うとすぐ悲しい表情になる。コミカルなところも見せる。また「ザンパノ」と呼び
     かける声が温かい。ジェルソミ-ナは少々頭が足りないとか、イカレテいるとかコメントする
     人もいるが、それは適当な表現ではない…と思う。
     彼女はナイ-ブなのだ。ウブで純真なのだ。世間ズレしていないのだ。それゆえ傷つきやすい
     のである。あまりに純粋なゆえに心の病に陥るのだろう。むしろ世俗に汚れた私たちが、
     真ともでないと言えるかもしれない。
     ジュリエッタ・マシ-ナは、のちにフェデリコ・フェリ-ニ監督の夫人になる。

      ザンパノ演じるアンソニ-・クイ-ンも私の好きな俳優である。
     映画「アラビアのロレンス」や「ナバロンの要塞」の豪快な演技が印象に残っている。
     このザンパノの演技もすばらしい、気性の激しいところと情感豊かなところを見せている。
     「キ印」演じるリチャ-ド・ベイスハ-トもいい。暗くなりがちなスト-リの中で、彼の
     コミカルな演技はとても明るい気持にさせてくれた。


        監 督                フェデリコ・フェリ-ニ

        役 名              俳 優

        ザンパノ       アンソニ-・クイ-ン
        ジェルソミ-ナ    ジュリエッタ・マシ-ナ
        「キ」印       リチャ-ド・ベイスハ-ト

                                   2013・12・11 記


                      映画 [ロ-マの休日」


                 アン王女の笑顔 (オ-ドリ-・ヘップバ-ン)

           

      「ロ-マの休日」は1953年に制作されたアメリカ映画。日本では1954年に公開されている。

       ヨ-ロッパ某国の若きアン王女は、親善大使としてロンドン、アムステルダム、ロンドンに
     訪問したあとロ-マにやってきた。ニュ-スでは
     「過密日程の中王女はお疲れの様子も見せず」と報じられていたが、本人はヘトヘトに疲れて
     いる。
      早速駐在大使館の主催で舞踏会が開かれ、ロ-マ皇室、各国大使、文化人の歴々と謁見を
     受けていたが疲れてしまい、ドレスの中で片足の靴を脱ぎ再び履こうとしたがなかなか見つ
     からない。履こうとした時に足先で動かしてしまい、どこかにコロがってしまったらしい。
     立ったまま前方を向いているためしゃがんで見るわけにはいかないのだ。ようやく謁見の
     応対が終わり座ったところ、靴はドレスの外に出ていた。
      舞踏会が始まりダンスに付き合わされたが相手は侯爵、伯爵、何々卿といったオジさんたち
     ばかり、公務とはいえまったくイヤになってしまう。

           舞踏会でのアン王女        脱いだ靴をコロがしてしまうアン王女

          

      舞踏会を終え自室にもどり窓を開けると、街では若い男女が楽しいそうにダンスをしたり
     遊びに興じているのが見える。
     「ああ、いいなぁ~」と思っているときに侍女が入ってきた。
     「御召し替えをどうぞ」、ネグリジェを持ってくる。
     「やぼったい服ばかり」
     「極上品ばかりです」
     「年寄りっぽいわ、パジャマで寝たいのに、何も着ずに寝る人もいるんですって」
     「どこでそんなバカげたことを」、そんな話をしているとき、別の侍女がミルクを持って
     きた。
     「ミルクを」
     「子供じゃないのに、ミルクなんてどうでもいい」
     「よく眠れます」
     「疲れすぎて眠れそうにない」…そこまではダダをこねながらも素直に応じていたが、侍女が
     翌日のスケジュ-ルを読みはじめた途端王女は機嫌を悪くする。
     「8時半大使館員と食事を、9時自動車工場へ、10時55分孤児院訪問、スピ-チは日曜と同じ
      ものを、11時45分…ここで休憩を…いえ記者会見があったわ、かわいらしく上品に、
     1時外務省の関係者と昼食、白ドレスに”ピンクのバラを、3時5分額の贈呈、4時10分機銃
     警察隊を視察…」
     初めのうちは「イエス」「ノウ」と言いながら聞いていたが、次々に出てくる
     過密スケジュ-ルについに癇癪を起こしてしまった。
     「オウ!ノウ、ノウ!やめて、もう聞きたくない!結構です」。と言ってベッドに寝転ぶ。
     「ご気分が悪いのね、先生をお呼びするわ」
     「お医者様はいや、このまま死ぬの」
     「何てことを」
     「放っといて」
     「落ち着くのよ」
     「一人にして」
     「王女様すぐ先生を」
     「ムダよ、来る前に死ぬわ」…すぐに医師がやってきた。彼女は眠ったふりをしている。
     「眠ってる、3分前は大騒ぎでした」
     「お休みで?ちょっと失礼します」…医師は額に手をあて体温計を王女の口にさし、
     注射器を出す。
     「それは?」彼女眼をあけ医師に聞く。
     「眠気をさそい幸せな気分にしてくれる薬です、安全な新薬です」…鎮静剤を注射した
     のである。
     「何も変わらないわ」
     「じきに効いてきます、安心してお休みください」…医師は出ていった。つづいて侍女も
     出て行き部屋に誰もいなくなる。

        侍女からスケジュ-ルを聞くアン王女      アン王女の口に体温計を入れる医師

          

      しばらくベッドで華やかに装飾された天井や周囲を見回していた彼女、突然飛び起きて
     私服に着替え、ドアを開けてみると待従は居眠りしている。しめしめと思いながらこっそり
     ベランダに降り、階段を回って裏庭に出たところで止まっている車を見つけ、荷台の荷物の
     中に忍びこんだ。ほどなくドライバ-がやってきて荷台のフタを閉め、車を走らせはじめた。
     御用邸の出入りが許された車らしく門が開けられる。
     日は暮れていたが街中にはまだ大勢の人たちが行き交い、カフェで楽しそうに話し合っている
     人もいる。彼女にとってはみな珍しいものばかり、ウキウキした気分になる。通りがかりの
     馬車やスク-タ-に相乗りした男女に、笑顔を見せながら手を振ったりする。

         スク-タ-の男女に手を振るアン王女         馬車とスク-タ-の男女

           

      ところがトレビの泉を過ぎた辺りからだんだん眠気がさしてきた。どうやら薬が効いてきた
     らしい。ウトウトしていたが突然ガタンとした音で眼が覚め、気がつくと車が停車していた。
     あわてて車から飛び降りて夜の街をラフラと歩いて行く。
     その頃、アメリカ人新聞記者のジョ-・ブラッドリ-は友人たちとポ-カ-をしていたが、
     翌日のアン王女の記者会見があるため早めに切り上げ外に出て歩いて行くと、道端のベンチ
     で若い女性が眠っているのに出会う。

         道端のベンチで寝ている彼女        彼女を起こそうとするジョ-

          

     ふと見ると彼女、寝がえりをうって転げ落ちそうになっている。とっさに彼女の体を支え
     戻しながら、
     「ご機嫌いかが?」…ジョ-が声をかけてみた。しかし返事がない。
     「起きろよ」…彼女の頬を軽くたたく。
     「感謝しますわ、どうぞよろしく」…寝ボケている。
     「こちらこそ」と言いながら手をとって座らせると、彼女すこし眼を開けてジョ-の顔を
     見る。
     「起きないと警察に連れて行かれるぞ」…彼女を起こしながら
     「さあ、警察だ」と言う。
     「2時15分には着替えに戻り45分から…」…彼女まだ夢を見ているらしい。
     「酒に弱いのなら飲まない方がいいぞ」
     「この身は死すともその声聞かば…地をさまよいわが心喜びに震えん…この詩をご存じ?」
     「教養もあるようだし…身なりもいい…なのに道端で居眠り、なぜか説明してくれるか?」
     「世界に必要なのは青春時代の心を取り戻すことです」…ジョ-の肩に寄りかかりながら
     眼をつぶる。
     「ごもっともな話しだが」…と言いながら手をあげてタクシ-を止める。
     「コ-ヒ-で眼を覚ませ」…ところが彼女またベンチにふさってしまう。困り顔のジョ-、
     思案していたが
     「君が乗れ、ほら帰るんだ」
     「光栄です」…半分寝ている。

                    道端のベンチで話しあう二人

          

     「金は?」
     「持ってないです」
     「しかたがない、送ってやる」…彼女を抱き起こしタクシ-に乗せる。
     「タクシ-だわ」
     「我慢してくれ」
     「どちらへ?」…運転手が聞く。
     「君の家は?」
     「コロセウム」…古代ロ-マ帝国の円形闘技場のこと。
     「そこまで酔ってないぞ」…とジョ-。
     「ええ、酔ってないわ、とても幸せなだけ」
     「おい、寝るなよ」…またジョ-に寄りかかる。
     「どちらへ行くんです?」・・・と運転手。
     「すこし待ってくれ、どこに送ってほしい?」…彼女のホッペをたたく。
     「家はどこだ?どこに住んでる?言ってくれ」…しかし彼女は半分眼をつぶったまま
     「コロセウム」…とつぶやく。
     「…だとさ」…ジョ-、もう処置なしといった顔で運転手に言う。
     「話しにならん、遅くなると女房に叱られます、子供が泣いて待ってるんで、早く帰ら
      ないと」…と運転手。
     やむをえない、ジョ-は自分のアパ-トに行くことにした。
     「マルダック51番地へ」
     「マルダック51番地ですね」…ようやくタクシ-発車、セプティミウス凱旋門の前を通り、
     街外れのジョ-の家の前に着く。
     「着きました、これで私も家に帰れる、1000リラです」
     「5000だ」
     「はい、4000のお釣り」…ジョ-はお釣りの中から運転手にチップを渡しながら
     「代わりに頼みがある、あの娘を送り届けてくれ、頼んだぞ」
     「わかった」…と運転手は一旦応諾したものの、逃げるように行く彼にあわてて
     呼びかけた。
     「ちょっと待った」
     「眼が覚めたらちゃんと行き先を言うさ」
     「困るよ、タクシ-はベッドじゃない」
     「知らない娘だし、俺とは関係ないんだ」
     「私だって無関係、引き取りたくないのは私も同じだ、警察に任せよう」…運転手の言葉で、
     ついにジョ-は意を決した。

           タクシ-に乗った二人            運転手に交渉するジョ-

          
     
     「わかったよ、俺が引き取る」…彼は寝ている彼女を起こし、自分のアパ-トに連れて行く。
     彼女フラフラとジョ-のあとをついて行くが、玄関前で顔を彼の背中につけて寄りかかる。
     …まだ半分眠っている。
     「なんでこんな目に」…部屋に入ってつぶやくジョ-。
     「ここエレベ-タ-?」…彼女部屋を見回し、ジョ-に聞く。     
     「申し訳ありませんが目まいがひどくて、寝てもよろしい?」
     「しかたないな」
     「バラのつぼみがついた絹のネグリジェを」
     「今夜はこれで我慢してくれ」…パジャマを見せる。
     「パジャマね」
     「俺はネグリジェは着ないんでね」
     「服を脱がせてくださる」…ジョ-びっくりするが、彼女のネクタイを外してやる。
     「あとは自分でやれ」…そして水を入れて彼女にさし出す。

         玄関前でジョ-によりかかる彼女       彼女のネクタイを外してやるジョ-

          

     「不思議だわ、男性と二人きりになるのは初めてなのに服を脱ぐなんて、でも私は平気です、
      あなたは?」と言って顔をジョ-に近づける。
     「コ-ヒ-を飲んでくる、君は寝なさい」…彼女が彼のベッドに寝ようとすると
     「違う、君はこっち」…ベッドの横に持ってきた長椅子の方を指さす。
     「ご親切ね」
     「これがパジャマだ、ちゃんと着て寝てくれ」…パジャマを渡しながら言う。
     「この長椅子で寝るんだ、ベッドでも椅子でもない」
     「私の好きな詩を?」
     「もう聞いたよ」
     「雪深き山の中で長椅子より立ち上がる…キ-ツよ」
     「シェリ-だ、10分で戻る」
     「キ-ツよ」…ジョ-が外に出ようとすると、身についた言葉が自然にでる。
     「下がってよろしい」
     「それはどうも」…ジョ-がコ-ヒ-を飲んで帰ってみると彼女、彼のベッドで寝ていた。
     「何て女だ」…彼はどうしたものかと考えた末に、彼女が寝ているベッドのマットを抱え
     上げ、ポンと彼女を長椅子に移してしまった。
      彼女の身体は1回転して長椅子に収まったが、それでも”ベリ-ハッピ-”と言いながら
     スヤスヤ眠っている。

             ジョ-のベッドに寝ている彼女     マットを抱え上げ彼女を長椅子に移すジョ-

         

      その頃、大使館では王女失踪で上を下への大騒ぎになっていた。待従長が側近を呼び出し
     尋ねる。
     「どうだった」
     「まだ分かりません、行方不明のままです」
     「捜したのか」
     「屋根裏から地下室まで」
     「すぐ国に連絡をとり護衛官を呼び寄せ捜索させろ、極秘にな」
     「かしこまりました」
     「口外は厳禁だぞ、王女は王位の第一継承者だ、絶対に世間にもらしてはならん、両陛下に
      報告しなければ」

      翌朝大使館の発表として
     「アン王女急病のため、記者会見は中止」というニュ-スが流れる。

      翌日ジョ-が目覚めた時は丁度12時になっていた。時計塔の鐘の音で起きたのである。
     彼女はまだぐっすり眠っていた。記者会見が11時45分だったことに気づき、彼女をその
     ままにして出社する。
     編集長に呼びつけられ、王女の記者会見について根ほり葉ほり聞かれる。彼はまだ記者
     会見が中止になったことを知らない。編集長は知りながらカマをかけたのである。
     ジョ-は遅刻の理由や記者会見のことを見て来たかのように説明していたが、新聞を見せ
     つけられて観念する。

     「白状しますよ、寝過ごしました」
     「たまには早起きして朝刊でも読んだらどうだ、そんなバカげたウソをつかずに済むぞ、
      もっと楽な仕事に転職するか?」…ジョ-は、つきつけられた新聞の写真をじっと見る。
     「これが王女?」
     「そうだ、女優オ-クレ-でも蒋介石夫人でもない、顔も知らないんじゃ会見に行けないぞ」
     「クビでは?」
     「クビにするときは聞かれる前にこっちから言う…」

       アン王女急病のため記者会見中止の新聞       ジョ-に質問する編集長

          

      編集長の話しはまだ続いていたが、ジョ-は突然新聞を持って部屋を飛び出し電話口のところ
     に走って行った。
     「ジョバンニか、ジョ-・ブラットリ-だ、俺の部屋に行って誰か寝ているか見てきてくれ」
     …アパ-トの管理人に電話したのである。
     「見てきます、すこしお待ちを」…しばらくして管理人が戻ってくる。
     「ジョ-さん」
     「俺だ、居たか?」
     「美人でした」
     「君に頼みがある、銃をもって家の前で番していてくれ、誰も入れるな!」
     「銃で?ムチャだ」
     「ナイフでも何でもいい、誰も部屋に出入りさせるな」…そう指示して電話を切り、再び
     編集長の部屋に戻ってきて彼に聞く。
     「彼女のインタビュ-の値段は?」
     「アン王女のことか?どうせ会えないよ」
     「万が一できたら?」…さんざんしぼられたジョ-だったが、今度は攻勢に出てきた。
     「まあ、250がいいところだな、フッションの話しなら1000だ」
     「ドルで?…私生活の秘密です、王女の知られざる素顔を独占記事にできるとしたら?」…
     編集著はあきれた顔をしている。
     「ダメですか、残念です」…ジョ-が部屋から出て行こうとすると、編集長が呼びとめた。
     「戻ってこい」
     「恋の話しは?もちろん写真も値段次第」
     「それが本当なら5000ドルの価値はある。酔っているわけでもなさそうだが、本気で取材
      できるとでも?」
     「大丈夫です」…ジョ-は自信満々で言った。二人は5000ドルの約束をして握手する。
     ところが編集長が個人的にカケをしよう、と持ちかけてきたのである。取材に成功すれば
     500ドルやるが、失敗すれば500ドル払えというのだ。ジョ-はもう一度新聞の写真を見て
     「カケましょう」と宣言した。
     「すでに500ドル貸しているから負ければ1000ドルだぞ、君は俺の奴隷同然だな」…
     編集長が負けたとしても貸した金がチャラになるだけの話。
     「見ててくださいよ…僕が勝ってその金でニュ-ヨ-クへ帰りますから」
     「あとで泣くなよ」
     「僕がいなくなったら寂しくなりますよ、いじめる相手が誰もいなくなる」
     「用意しとけ、500ドルだ」

      アパ-トに帰ってみると銃をもったジョバンニが、護衛兵のように部屋の前を行ったり来たり
     していた。子供が近づくと
     「寝てる人がいる、静かにしろ」と追い払っていたという。

          編集長と話し合うジョ-         ジョパンニから部屋の様子を聞くジョ-

          

     「異常なしか?]…ジョ-、ジョバンニに聞く。
     「誰も来なかった、誰も出ていない」…ジョバンニが答える。
     ジョ-は礼を言ったあと、もうけ話があるとして彼に金を借りようとしたが、家賃を2ヶ月
     滞納しているジョ-に金は貸せないと断られる。
     部屋に入ってみると彼女まだ寝ていた。新聞の写真を枕元で彼女の顔と見比べ、本人に
     間違いないと確信する。
     王女様と分かれば長椅子に寝かすわけにはいかない。ジョ-、彼女を抱えて自分のベッドに
     移したとき
     「ボクサ-ベン先生」…彼女目をつぶったまま声を発した。
     「もう大丈夫ですよ、何かお望みのものは?」
     「山ほどあるわ」
     「私は医師ですから何でも話してください」
     「ずっと夢を見てたの、道端で寝ていたら若い男性がきたの、背が高くて強くて意地悪なの」
     「彼が?」
     「楽しかった」…彼女眼を開ける。しかしまだぼんやりしている。

         彼女を抱えベッドに移すジョ-            目覚めた彼女

          

     「おはよう」…ジョ-笑顔で挨拶。
     「先生はどこ?」
     「先生なんていない」
     「いま話したのよ」
     「勘違いだ」
     「私事故に遭ったの?」…ジョ-首をふる。彼女はっきりした眼になる。
     「起きても平気?」
     「もちろん」…ジョ-、枕を外し彼女を支え起こす。
     「これ、あなたの?」…着ているパジャマを見て。
     「何か無くした?」…彼女首をふる。
     「ここは一体どこなのでしょうか?」…彼女部屋を見回す。
     「僕のアパ-トだよ」
     「無理やり私をここへ?」
     「いやむしろ反対だ」
     「私は昨夜ここで一人でいたの?」
     「僕を除けば」
     「あなたと夜を過ごしたわけ?」…じっとジョ-を見つめる。
     「その言葉が適切かは分からないが、一緒だったのは事実だ」…彼女”まあ”といった表情で
     笑顔を見せる。
     「はじめまして」…ジョ-が手を差し伸べると彼女もそれに応じ握手。
     「お名前は?」
     「ジョ-・ブラッドリ-」
     「よろしく」
     「こちらこそよろしく」
     「座って」
     「どうも。君の名は?」…彼女すこし考えて
     「ア-ニャと呼んで」…と答える。
     「コ-ヒ-を?」
     「いま何時?」
     「1時半だ」
     「大変だわ、帰らなきゃ」…ベッドから起きて立ち上がるのを見て
     「そう急がなくても」…と言って止める。
     「すっかりご迷惑かけたし」
     「とんでもない」
     「本当に?」…笑顔を見せる。
     「風呂でもどうぞ」…ジョ-風呂の湯を出して勧める。

           はじめましてと握手する二人            笑顔を見せる彼女

          

      ア-ニャが風呂に入っている間、ジョ-は外に出て近所の店で友人のカメラマンに電話、
     「ものすごいスク-プがある、写真がいる、すぐ来てくれ」と頼むが、
     「今日は忙しいから無理だ、仕事で身動きとれん」と断られる。
     家に戻ってみると、彼女はベランダに出て街の景色を眺めていた。
     
     「ここで暮らすのって楽しいでしょうね」
     「そうだな、いろんな隣人がいるし」
     「帰ります、お別れです」
     「会ったばかりなのに…朝食でも」
     「時間がないわ」
     「食事もできないほど大事な用が?」
     「そうよ」
     「一人で帰れますから、ベッドをありがとう」
      彼女は「さよなら」と彼に握手をしたあと出ていったが、すぐ何か思いついて引き返して
     来た時、あとを追いかけていったジョ-と階段下でばったり会う。
     「世間は狭いね、何か忘れ物でも?」…ジョ-にこにこしながら話しかける。
     「実は…お金をお借りしたくて」
     「そうか文無しだったな、いくら必要だい?」
     「分からなくて」
     「僕の金を半分やる、1000リラだ」
     「1000も、いいんですか?」
     「1ドル半さ」
     「必ずお返しします、ご住所は?」
     「マルダック51番地」
     「マルダック51番地、ジョ-ブラッドリ-ね、ありがとう」

             話しあう二人            二人の様子を見ているジョバンニ

          

      二人の様子を二階から見ていたジョバンニ、「わしの金を倍にする、よく言ったもんだ、
     信用できるか」…つぶやく。

      お金をもったア-ニャ、外に出て街の中をブラブラ歩いて行く。市場に入ると果物、靴、
     カバン、肉類、飲み物、魚、雑貨類などが露店にいっぱい並べられてあり、眼にふれる物が
     みな珍しい。キョロキョロと辺りを見ながら行くと、屋台の人に呼び止められ
     「これどうですか?」と勧められたり、大きなうなぎを眼の前に出されて思わず手を引っ
     込めたりする。街の雰囲気は自由で、のびのびとして楽しい。靴を勧められ履いてみたら、
     ピッタリ合う。
     代金を払いそのまま歩いて行くと美容院の前に出た。立ち止まってしばらく考えていたが、
     意を決して中に入る。ジョ-はア-ニャのあとをついてきている。

        市場の人に呼びとめられるア-ニャ     ア-ニャのあとをついて行くジョ-
     
          

     「きれいな髪ですね、セットしますか?」…男性の美容師が聞く。
     「カットを」
     「カットですね、このくらい?」
     「もっと短く」
     「この辺」
     「もっと」
     「ここ?]
     [もっとよ」
     「ここよ」…耳のところを指す。長い髪の半分以上切ることになる。
     「本気ですか?」…美容師はビックリしている。美しい髪をバッサリ切るとは…しかも
     半分以上。
     「もちろん」
     「全部?」…美容師はまだ信じられない顔でいる。
     「そうよ」…彼女平然として言った。
     「本当に?」…美容師、最後の確認をして、彼女の希望通りバッサリ髪を切り落とし
     セットした。

                  髪を短くカットしてニッコリするア-ニャ

           

     「お仕事は音楽関係?それとも絵画かな?」…彼女首をふる。
     「どうですか、ショ-トカットがお似合いですよ、とてもステキです」
     「希望通りだわ」
     「今夜ダンスにご一緒しませんか?、サンタンジェロ城の近くで船上パ-ティ-があります。
     月の光と音楽、ロマンチックです、どうですか?」
     「残念ですけど」
     「お友達に会っても誰も気づきませんよ」
     「きっとそうね」…彼女、そう言いながら外に出ようとすると、美容師が追いかけてきて
     誘う。
     「9時に行ってますから、サンタンジェロですよ、是非来てください、間違いなく会場で
      一番の美人だ」
     「ありがとう」…笑顔を見せる。

      外では彼女が出てくるのをひたすら待っていたジョ-、何とか美容院の様子を撮りたいと
     思っていたが、彼はカメラを持っていない。丁度カメラを持った子供たちがやって来たので、
     借りようとしたら先生に止められてしまった。

      ア-ニャは美容院を出てアイスクリ-ムを買い食べながら歩いていたが、花屋の前で店の
     オヤジに呼びとめられた。
     「お嬢さん、花はどうですか、あなたはこれが似会う、摘んだばかりです」…
     彼女オヤジから花束を渡され、笑顔で握手する。プレゼントされたのかと思ったのかも
     しれない。ところが
     「1000リラでいいです」…と聞いてビックリ。
     「お金がないの」…と言って花束を返したところ
     「800でいい」…値下げしてきた。
     「本当にないの」
     「じゃ、700だ、これが限界ですよ」…彼女、残っていたアイスクリ-ムのわずかな釣り銭
     を見せ、
     「これが全部なのよ」…というしぐさをしたらオヤジ納得したらしく、花束の中から一輪の
     花を差し出した。彼女残りの金を渡そうとするがオヤジ手をふり、
     「お幸せに」…

         アイスクリ-ムを買うア-ニャ       店主から一輪の花をもらうア-ニャ

          

      ア-ニャがスペイン広場に入ったところで、あとをついたきたジョ-が声をかけた。
      「やあ、ア-ニャかい?」…偶然にあったかのように呼びかける。
      「あら、ブラッドリ!…驚いた?似会ってる?」…髪を短くカットした姿をジョ-に聞いて
     いる。
      「とてもいい…大事な用ってそれか?」
      「黙ってたことがあるの、実は学校から逃げ出したの」
      「先生に叱られたのかい?」
      「違うわ」
      「じゃあ何故?」
      「すぐ戻るつもりが睡眠薬を飲んでたので…」
      「なるほど」
      「もう帰るわ」
      「どうせならもう少し遊んでからにすれば?」
     「なら1時間くらいなら」
     「思いきって1日遊べよ」
     「長年の夢がかなうかしら」
     「夢って何だい?」
     「1日中気のむくままに過ごしてみたい」
     「ヘヤサロンとかアイスとか?」
     「カフェに入ったりお店を見たり雨の中を歩いたり、考えただけでワクワクする…
      くだらないと思ってる?」
     「とんでもない、全部やってみないか」
     「一緒に…お仕事は?」
     「今日はサボリだ」
     「あなたには退屈だわ」
     「最初はカフェだったな、ピッタリの店がある」

                     スペイン広場で話しあう二人

            

      二人は歩いて近くのカフェに入った。
     「髪を見たら先生たちが驚くよ、卒倒するかも」
     「昨夜のことがバレたら大騒ぎだわ」
     「あれは二人だけの秘密にしょう」
     「いいわ」
     「何を飲む?」
     「シャンパンを」
     「シャンパンある?」…店の人に聞くとOK。
     「では彼女にシャンパンを、僕はアイスコ-ヒ-、学校でも昼食にシャンパンを?」…
     ジョ-は仕事、大スク-プのときに酒を飲むわけにはいかない。
     「特別なときだけ」
     「たとえば」
     「この前は父の記念日」
     「結婚の?]
      「いえ、あれは40周年のお祝い…お仕事の」
      「40周年もお仕事とはすごい…職業は?」
     「えっと…広報の仕事よ」
     「そりゃ大変だ、私には無理…父上は?」
     「グチをこぼしてる」
     「やめないの?」
     「やめられる仕事ではないのよ、健康上の問題でもないかぎり」
     「お父様の健康を祈って」
     「皆そう言ってくれるわ」…二人はグラスを合わせる

                  カフェで話し合うジョ-とア-ニャ

          

     「おいしい」
     「ええ、お仕事は?」
     「セ-ルスの仕事だ」
     「面白そうね、何を売ってるの?」
     「肥料とか…化学薬品だよ」…彼女うなずく…そこへカメラマンのア-ビングやってくる。
     「ア-ビングいいところへ来た」…ジョ-彼と連絡をとっていたのだろう、ただその理由は
     言ってない。
     「財布でも忘れたか?」
     「まあ、座って」
     「紹介しろよ」
     「友人のア-ビングだ、こちらはア-ニャ」
     「よろしく」
     「光栄です」
     「あんた瓜ふたつだな」…ア-ビングの言葉にジョ-顔色を変え、目くばせするが彼は何の
     ことか分からない。
     ア-ビングは二人の様子を見て
     「僕は失礼するよ」…気を使ったのかもしれない。
     「そう言わずにここに居ろよ」
     「じゃ、フランチェスカが来るまで」…ア-ビングの彼女のこと。
     「さっきの瓜二つって何ですか?」…ア-ニャ、ア-ビングに聞く。しかしジョ-が
     「アメリカの表現で”魅力的な”人っていう意味だ」…と言ってその場をつくろう。
     「うれしいわ、ありがとう」
     「どういたしまして」…ア-ビングが言う。
     「お仕事の話を伺ったんです、あなたは?」
     「同じ商売だが…」…とア-ビングが言いかけたとき、ジョ-が自分のグラスを彼のグラス
     に当てて飲み物をこぼした。わざとしたのである。正直に言われたらすべてが水の泡になる
     と思ったからだ。
      ア-ニャは、とっさにナプキンをとり濡れたア-ビングのズボンを拭いてやったが、彼は
     怒ってしまう。
     「俺が邪魔ならそう言えよ、失礼するよ」
     「まあ、そう怒らずに座ってくれ」…ア-ビング思いなおして座る。
     「もう怒らさないでくれ」
     「頼むからこぼさないでくれ」
     「誰がこぼした」
     「お前だ」
     「俺が?…こいつは頭がおかしんだ」…ア-ビングが彼女の方を見て言う。さらに
     「君はいい娘だ、乾杯、髪さえ長けりゃあの王…」と言葉をついだ瞬間、ジョ-がテ-ブル
     の下から彼の椅子を足で蹴とばし、うしろへひっくり返してしまった。

          ジョ-に怒るア-ビング        ひっくり返ったア-ビングの手を持つ二人

          

      ア-ビング今度は本気で怒ってしまう。お前がやったんだろう、何のつもりだ!と叫び
     ながらジョ-に掴みかかっていったが、ジョ-は彼女の方を向いて
     「こいつの手当てが必要だ、ちょっと失礼」と言って彼を店の奥に連れて行く。
     「放せよ、一体どういうつもりだ!」…ア-ビングは興奮している。
     「ライタ-はあるか?」…ライタ-付き隠しカメラのこと。
     「あるが関係ないだろう」
     「5000ドル欲しくないのか」
     「5000ドル?」
     「俺の職業には絶対必要だ、大スク-プを逃したくない」
     「じゃ、本当に…」…ア-ビング、やっとジョ-の意図が分かったようだ。
     「お前の写真があれば完璧なんだ」
     「王女の?
     「25パ-セントやる、12501ドルだ」
     「乗った」…二人は握手する。
     「ところで3万リラ貸してくれ」
     「50ドルだぜ」
     「シャンパン代と彼女を楽しませる経費だ」
     「街中を連れ回すのはヤバイぜ」
     「分け前は要らないのか」
     「土曜には返せ」…ア-ビング金を貸してやる…二人はア-ニャが待っているところに
     引き返す。
     ア-ビングが耳をおさえてくるのを見てア-ニャが
     「耳を?」
     「ジョ-が手当てしてくれました…タバコどうです?」…ライタ-付き隠しカメラを取り
     出しながら聞く。

       ア-ニャにタバコの火をつけるア-ビング     隠しカメラで彼女の写真を撮るア-ビング

          

     「いただくわ、実は生まれて初めてなの」
     「初めてだと?学校は禁煙か」…とジョ-。ア-ビングはタバコをくわえた彼女に火をつけ、
     ちょっと調子悪くてと言いながらライタ-付きカメラのシャッタ-を押す。
     「どうだい」
     「平気よ」
     「よかった、ところで次のスケジュ-ルは何かな?」…ジョ-彼女に聞く。
     「その言葉は嫌い」
     「勉強のじゃなくて遊びのスケ-ジュ-ルだよ」
     「じゃ、行きましょ」
     「お前もくるか」…ジョ-、ア-ビングに言う。…3人はカフェの勘定を払い外に出る。

      ジョ-は、ア-ニャをスク-タ-に乗せて街を案内しはじめる。彼女は初めてのドライブに
     大喜び、何もかもが自由だ、楽しい…。そんな思いに浸りながら、ジョ-の背中で街中の
     景色や庶民の様子を見ている。
     コロセウム前を通ったり、ヌオ-ヴァ教会修道院時計塔を眺めたりして走って行く。
     ア-ビングは車で追いかけながら、二人の様子をカメラで撮っている。
   
                      スク-タ-に乗って街中を走る二人         

                      

                 コロセウム            ヌオ-ヴァ教会修道院時計塔

          

      ところがジョ-、道を聞こうとしたのかスク-タ-を降りて通りがかりの人と話していた時、
     ア-ニャが運転席に乗りハンドルを握って何かしていたら、突然スク-タ-が走りはじめた。
     もちろん彼女運転免許などもっていない。アラッ!と言う大きな声でビックリしたジョ-、
     走って行き彼女の後ろに跳び乗る。運転するのはア-ニャ、うしろからジョ-が操作しようと
     するが、彼女ノウ-!と言ってその手を払いのける。自分で運転してみたいのだ。
     しかしこのスク-タ-、街中をあっちに行ったりこっちに来たり、電車にぶっかりそうに
     なったり…どこに行くか分からない暴走運転。露店の市場の中を通り抜けて屋外のカフェに
     突っ込み、テ-ブルやイスを蹴とばして行ったのだ。
     周囲は大騒ぎになり、ついに警官に追いかけられ警察に連れて行かれてしまった。二人は平身
     低頭謝り、何とか釈放される。

                   スク-タ-を運転するア-ニャ

             

         屋外のカフェに突っ込んだり、電車にぶっかりそうになる二人のスク-タ-

          

      警察を出てからア-ビングが笑いながら、
     「自分の結婚式で急いでたは傑作だったよ」と言った。ジョ-が警察で弁解した言葉らしい。
     「本気にしないから安心して」…とア-ニャ。
     「ありがたい」…とジョ-
     「喜びすぎよ」
     「悪かった」
     「私もウソが上手でしょ」…警察でジョ-の言葉に合わせたことを言っている。
     「見事だった」
     「ありがとう」
     「さて次は…そうだ、あそこへ行こう」…ジョ-はア-ニャを真実の口の像の前に連れて
     行った。ア-ビングもついてくる。
     「真実の口だ、ウソつきが手を入れると、噛みちぎられるそうだ」
     「こわい話ね」
      「どうぞ」…ジョ-がア-ニャに勧める。…彼女、自分の手をおそるおそる真実の口に
     近付けていったが、入口手前でさっと引っ込めた。そしてジョ-に言う。
     「あなたから」…ジョ-右手をその口に入れ奥深く差し伸べたとき、
     「アッ、やられた!」…と大きな声で叫んだ。
     驚いた彼女、大丈夫!と言いながら、とっさにジョ-の身体を引っ張り戻そうとしたとき、
     彼は平然と自分の手を引き出した。一瞬自分の顔をふさぐア-ニャ、ジョ-の手が引き
     ちぎられたかもしれないと思ったのである。しかしジョ-、
     ”何でもなかったよ”と笑いながら自分の手を広げて彼女に見せる。
     「ひどいわ、いじわる、本当に驚いたのよ」…両手で彼の胸をたたき、すがりつくア-ニャ。
     「悪かった、落ち着いた?」

                 真実の口の像の前でジョ-にすがりつくア-ニャ

             

        真実の口に手を入れ叫び声を上げるジョ-    ア-ニャに手を広げて見せるジョ-

                    

       3人は車に乗り、壁に無数の札がかけられた教会のようなところに行く。ア-ビングは車を
     止めてくると言ってそこを離れた。
     「何が書かれてるの?」
     「願いがかなった感謝の言葉さ。4人の子供と父親がここで空襲に遇い、壁の陰に隠れて神に
     祈ったんだ。近くに着弾したが全員無事だった。その後父親が札をかけにきて以来…大勢の
     人が訪れるようになった…夢がかなった感謝を表わすために…
     「ステキなお話ね」
     「読んでごらん」…彼女、札に書かれた文字を読んだあと眼をつむって祈る。
     「願った」
     「はい」
     「どんな?」
     「どうせかなわないわ」
     「次はどこへ?」…戻ってきたア-ビングが聞く。
     「船上パ-ティ-は?」…とア-ニャ。
     「サンタンジェロ城の?いいね、行こう」…とジョ-。
     「12時になったら私はカボチャの馬車で消えるわ」…彼女が言う。
     「おとぎ話も終わりか、お前もう帰るんだろ?…ジョ-がア-ビングに言う。
     「どうして」
     「頼まれた仕事があるんだろ?」
     「そうだった、急いだほうがいい、またあとで」…ア-ビングは帰って行った。
     「がんばってね」…とア-ニャ。

         石の文字を見るア-ニャとジョ-         ジョ-に話しかけるア-ニャ

          

      ジョ-とア-ニャは走ってきた馬車に乗り、サンタンジェロ城にやってくると、船上では
     すでに大勢の人たちが踊っていた。早速二人はその中に入りダンスを始める。
     息はピッタリ、彼女は自分の額をジョ-の頬につけるようにして踊っている。ところが、
     そうした様子に眼を光らせている男たちがいた。黒いハットに黒いス-ツ…どうやら待従長
     が呼び寄せた秘密護衛官らしい。数は2~3人。ア-ニャの方を見ながら周囲をうろついたり、
     時々ヒソヒソ話している。

                     船上で踊るア-ニャとジョ-

           

               サンタンジェロ城                秘密護衛官

            

       踊りを終え、ア-ニャがジョ-に話しかける。
     「あなたって瓜二つだと思うわ」…自分が思い描いた好きな男性像と…。
     「何?…そうか、ありがとう」
     「なぜ1日中私につきあってくださったの?」
     「理由なんてないよ」
     「本当にやさしいのね」
     「気にするな」
     「自分のことを考えずに…」
     「何か飲もう」…ジョ-とア-ニャが売店のカウンタ-に来たとき、彼女の髪をカットした
     美容師がやってきた。
     「来てくれたんですね、もう来ないかと思った、ヒゲは剃りました」…美容師がア-ニャに
     言う。
     「そのほう、ステキよ」
     「ありがとう」
     「こちらブラッドリ-さん」…彼女、美容師に紹介する。
     「マリオです」
     「友人?」…ジョ-がア-ニャに聞く。
     「美容師さんよ、船上パ-ティ-のことも彼が」
     「名前何だったかな?」
     「マリオ・デ・ラ-ニ」
     「デ・ラ-ニさんか、よろしく」
     「彼女と踊ってもかまいませんか?」…マリオ、ジョ-に聞く。
     「どうぞ」
      マリオとア-ニャはフロアに行き踊りはじめる。そこへア-ビングがやってくる。
     「いい時に来た」
     「あの男は?」…ア-ビングがジョ-に聞く。
     「美容師だ、彼女をここに誘ったヤツだよ」
     「王女と美容師か…これはいい」と言ってア-ビング、二人のダンスの写真を撮りはじめる。
     ア-ニャは踊りながらジョ-に手を振っている。そこへ新たな秘密護衛官が大勢やって来て
     ダンスパ-ティ-の中に入り、その中の一人がマリオを引き離しア-ニャと踊りはじめた。
    
         踊りながらジョ-に手を振るア-ニャ    大勢やってきた黒ずくめの秘密護衛官

          

     「王女様入り口に車を待たせてあります、人目があります」…秘密護衛官が彼女にささやく。
     「人違いよ、放してちょうだい!」…ア-ニャ護衛官を突き放し、ジョ-に助けを求める。
     「ブラッドリ-さん助けて!」…その声で走ってきたジョ-、護衛官に襲いかかってとり
     伏せ、ア-ニャを連れて逃げようとするが追いかけられ、殴り合いの乱闘になった。
     二人の護衛官がア-ニャの腕を掴んで引き立てようとするが、ジョ-が引き離して相手を
     川の中に殴り落とす。彼女も食器やギタ-で護衛官の頭を叩いたりして大活躍。
      ここで写真を撮っていたア-ビング、彼女がギタ-で叩いたところをもう1回と要求して
     パチリ、そのあと彼も加勢、ダンスパ-ティの会場は大騒ぎになった。

                秘密護衛官の頭ををギタ-でたたくア-ニャ

           

      ア-ビングが秘密護衛官と戦っている間、ジョ-がア-ニャを連れてその場を抜け出して
     いったが、廊下の曲がり角で護衛官の待ち伏せに遇い、ジョ-は川の中に叩き落されてしまっ
     た。ア-ニャも捕まりそうになった瞬間、ジョ-のあとを追って川に飛び込んだ。そのうち
     秘密護衛官たちは、通報でやってきた警官に逮捕 され警察に連行された。

           秘密護衛官たちと戦う3人           川に飛び込むア-ニャ

          

      川に飛び込んだジョ-とア-ニャ、泳いで川岸に辿り着き這い上がった時は二人とも全身
     ビショぬれになっていた。身体が冷え込んでいる。草叢に座り、ジョ-はア-ニャの体を
     温めようとマッサ-ジしながら話しかける。
     「大丈夫か?」
     「平気よ、あなたは?」
     「大丈夫さ…大活躍だったな」
     「あなたも」
     ジョ-は彼女の眼をじっと見つめていたが、思わず彼女を抱きよせ接吻する。彼女も素直に
     受け入れる。
     彼女は、ベンチで寝ていた自分をアパ-トに泊まらせ、1日中親切に街中を案内してくれた、
     ハンサムで誠実なジョ-を好きになっていたのである。…熱い抱擁だった…。

                      接吻しょうとする二人

           

       泳いだあと川の中を歩くア-ニャとジョ-        ア-ニャを支えるジョ-

          

      ジョ-の目的は彼女のスク-プだったが、そんなことはどうでもよくなっていた。彼女の
     可憐さに惹かれ、愛おしくなっていたのである。
     二人はしばらく抱きあっていたが、ジョ-が身体を離し声をかけた。
     「僕のアパ-トへ帰ろう」
     「いいわ」
     停めてあったア-ビングの車でアパ-トに帰り、シャワ-を浴びてガウンに着替えた彼女に
     ジョ-が聞く。
     「服は?」
     「じきに乾くわ」
     「僕の服は何でも似会う」
     「そうね」
     「落ち着くよ」…ジョ-がワインを勧める。
     「何かつくる」
     「台所がない、いつも外食なんだ」
     「大変じゃない?」
     「人生は大変さ…違う?」
     「楽じゃないわ」
     「疲れた?」
     「すこし」
     「大変な1日だった」
     「楽しかったわ」

          ガウンに着替えたア-ニャ          ア-ニャに話しかけるジョ-

          

      二人がそんな話をしていたとき、ラジオから
     「アメリカンニュ-スをお伝えします。アン王女のご病状についてまだ何の発表も
      ありません…一部では重体説も流れ…国中の人々が憂慮しています」…と報じられた。
     「もう少しいただける?…夕食つくりたかった」とア-ニャ…ワインを注ぐジョ-。
     「学校で習ったの?」
     「料理は得意なの、プロ並みの腕よ。裁縫やアイロンかけも上手、してあげる相手が
      いなかっただけ」
     「それなら引っ越すよ、台所つきの部屋に」
     「そうね…もう帰らなくては」…そう言いながらア-ニャは近寄り、顔を彼の胸に埋めた。
     ジョ-は彼女を抱きしめながら、
     「ア-ニャ言いたいことがある」
     「言わないで何も…」

                     抱き合うア-ニャとジョ-

           

      ジョ-はすでに彼女のことを記事にする気はなくしていた。自分のことを正直に打ち明け
     謝ろうとしていた。何も知らないで、ただひたすら自分についてきてくれた彼女を裏切る
     ことはできないと思った。それ以上に彼女の純真さに惹かれ、愛するようになっていた
     のである。

     「着替えるわ、帰ります」…その言葉でジョ-は車を運転して彼女を送る。宮殿の近くに
     来たとき彼女が、
     「次の角で停めて」
     「ここ?」
     「お別れです、私はあそこの角を曲がります。あなたはこのまま帰って…私の姿を追わないと
     約束して…うしろを振り返らずに帰って…私もそうする」…ジョ-うなずいて
     「分かった」
     「お別れなのに…さよならが言えない」…彼女の眼に涙が光る。
     「言うな」…彼女、ジョ-の眼をじっと見ていたが、涙があふれ彼に抱きつく…彼も彼女を
     抱きしめる…そして熱いくちづけ…泣く彼女…ようやく離れしばらくジョ-の顔を見ていたが、
     意を決したかのように車から出る。

                   熱いくちづけをするア-ニャとジョ-

           

      宮殿の灯りの中を一人で歩いて行くア-ニャ…うしろ姿を茫然と見つめるジョ-…
     彼女の言葉通り、うしろをふり向かないまま歩いて建物の角に姿を消した。…それでも
     ジョ-、しばらく彼女の消えた方に眼を当て、涙ぐみ茫然としていた。…さよならア-ニャ…
     最後の別れだった…。

         車から降りて歩いて行くア-ニャ       茫然とア-ニャを見送るジョ-

          

        ア-ニャが宮殿に帰ったとき、側近たちは安堵の表情を見せたものの、待従長や待女長には
     ひどく叱られた。
     「24時間ですぞ、何もなかったはずはない、陛下に何とご報告すれば」と待従長から問い
     つめられたときには、
      「病気になり、その後回復したと…」…待女長から
     「王女様には王女様としての義務があります」と咎められたときには、
     「私が義務を忘れたら、ここには戻ってこなかったでしょう」と答え、その場は何とか
     切り抜けた。

      翌朝、編集長がジョ-のアパ-トに飛び込んできた。走ってきたのかハア、ハア息を切らし
     ながらジョ-に聞く。
     「出来上がったか?」
     「何が?」
     「王女の独占取材だよ」
     「ダメでした」
     「何だと?」
     「まあ、コ-ヒ-でも」
     「とぼけるな!」
     「誰が?」
     「お前だ、お前は王女の特ダネを約束して飛び出して行った。…そこへ王女が街にいると
      いう噂だ」
     「デマに踊らされてどうするんです」
     「船上パ-ティ-の大騒動も知ってるぞ、国籍不明の諜報部員が8人逮捕された。さらに
     王女の奇跡的な全快だ、バカでも想像がつく、もったいぶっても値は上げんぞ、一体どこに
     隠している」…編集長ジョ-の机の上をかきまわして探す。
     「隠してません」…そこへア-ビングやってくる。
     「見て驚くなよ、ちょうどよかった」…ア-ビングが写真を取り出そうとすると、ジョ-、
     彼を軽く突きとばす。
     「何の真似だ」…ア-ビング怒りかける。
     「お前こそ何度こぼす気だ」
     「誰がだ!」
     「お前だよ、この前も注意しただろ」…と言いながらジョ-、ア-ビングの写真を取り上げる。
     「これ見ろよ」…ア-ビング、ジョ-が持った写真を見せようとする。
     「こっちで乾かせ」
     「それよりスミスの話はしたか?」…ア-ニャのことを暗に指す。
     「スミス?」…そのときア-ビング、写真を編集長に見せようとしたが、ジョ-彼を足払い
     して転がす。
     「また転んだな」…とジョ-、怒ったア-ビング、ジョ-をひっぱたく。
     「話はあとだ、家に帰ってヒゲでも剃ってこい。帰らないのならとにかく黙ってろ」
    
          ジョ-に話しかける編集長      転がされてジョ-を見上げるア-ビング

          

     「お前たち何か隠してるな、スミスとは誰だ?」…編集長が聞く。
     「知り合いの男です」…ジョ-が言う。編集長写真をとり見ようとするが、ジョ-がさえぎり、
     「こいつの女の写真です」…ア-ビングをさしながら再び写真を取り上げる。
     「ごまかすな昨日の話しでは…」
     「当てが外れたんです、記事はありません」
     「もういい、これから王女の記者会見が始まる、今度こそ取材してこい、500ドルの負けだぞ」
     「給料から」
     「引いてやるとも」…そう言って編集長は出て行った。二人の会話を聞いていたア-ビング、
     何か感じたらしくジョ-に聞く。
     「別な新聞社に売る気か?」
     「言いにくいんだが…無いんだ」…ア-ビング、ジョ-の顔を見て唖然とする。
     「なぜ?」
     「俺には書けない」
      ア-ビング、納得したのかしないのか、昨日撮った”ア-ニャの初めてのタバコ、真実の口、
     願いがかなう壁、警察での彼女”などの写真をそれぞれジョ-に見せていたが、ア-ニャが
     秘密護衛官をギタ-で叩いているところにくると二人で大笑いした。そしてジョ-が
     ア-ビングに言った。
     「写真を売りたいのなら俺に止める権利はない…高く売れる…会見に行くのか?]
     [お前は?」
     「仕事だからな」
     「あとで」…ア-ビングはそう言って部屋を出て行った。

     11時45分、アン王女の記者会見はじまる。

        椅子に座り記者会見に望むアン王女     集まってきた記者とジョ-、ア-ビング

          

     「皆さんこちらへ、王女のお出ましです」…皇室の一人がアナウンスする。アン王女待従長に
     つき添われて厳かに出てくる。
     「王女様、報道関係者の皆さまです」…アン王女記者連中を見廻し…というよりその眼は
     ジョ-を探しているように見えた…ジョ-がいることに気づき眼を合わせ、笑みを浮かべて
     うなずく。そして椅子に座る。彼女は、彼が記者であることを感づいていたのかもしれない。

                 眼を合わせ笑みを浮かべるアン王女とジョ-

          

     「これより王女が質問にお答えします」…アナウンスされると記者団の代表が、
     「私が皆を代表して、ご病気の回復をお喜び申し上げます」…と挨拶。そのあと個別の
     質問が始まる。

     「連盟によって経済問題が解決するとお考えですか?」…記者の一人が質問する。
     「欧州諸国が緊密になるから賛成です」…王女が答える。
     「諸国の親善関係の見通しについては?…」…別の記者が質問する。
     「国家間の友情を信じます、人と人との間にも友情があるように」…立派な王女のお答えに、
     待従長思わず彼女の方をふり向く。そしてジョ-の番がまわってきた。
     「わが社を代表して申し上げます。王女様の信念が裏切られることはないでしょう」
     「そうお聞きできて嬉しく思います」…王女が答え、つづけてジョ-が聞く。
     「最もお気に召した訪問地は?」…二人はほのかに微笑んで見つめ合う。
     「それぞれ良さがあって比較はむつかしいですが…ロ-マです…何といってもロ-マです…
     今回の素晴らしい思い出は生涯忘れないでしょう…」…その言葉はジョ-の胸にジンときた…
     自分も同じ思いだった…彼女からもらう最高の贈り物だと思った…ジョ-の胸に熱いものが
     こみあげてくる。
     「ご病気になられたのに?…」
     「そうです…」

                     記者の質問に答えるアン王女

             

       総合的な質問が終り”写真をどうぞ”とアナウンスされると、大勢の記者たちが前に出て
     王女の写真を撮りはじめた。
     ア-ビングがライタ-つき隠しカメラをもって出てくると、彼女ニッコリ…。そのあと彼女は
     階段を降り、記者一人一人に挨拶していく。
      ヒッチコックです”、クリンガ-です、モンタブレです、ガレマです、グロスです、…名前を
     名乗る記者たちに笑みを浮かべながら手を差しのべ握手してまわる。
     ア-ビングのところで彼は
     「ロ-マ訪問の記念写真です」と言いながら例の写真を渡すと、彼女チラット見てニッコリ…
     すべてを理解したようである。ア-ビングも写真を売ることは諦めたようだ…。
     そしてジョ-のところにやってきた。
     「ジョ-・ブラッドリ-です」
     「光栄ですわ」…二人は見つめ合ったまま握手した…彼女、心なしかそれまでより長い時間
     立ちつくし何か言いたそうにしたが、笑みを浮かべただけで次に移った。

       隠しカメラでアン王女を撮るア-ビング       握手するアン王女とジョ-

          

      アン王女直接会見を終えて階段を上り、自分の席に戻ろうとしたところで振り返り、
     ジョ-の方にニッコリ笑顔を見せて軽く会釈…ジョ-もそれに応えると彼女うなずく。
     そして奥のほうに姿を消した。
       

                   明るい笑顔を見せるアン王女

           

      アン王女の姿が見えなくなると記者連中はみな引き揚げていったが、ジョ-はそこに
     立ったまま、彼女が姿を消した奥の方を見つめていた。しばらくすると宮殿関係者以外誰も
     いなくなり、辺りは静かになった。

                アン王女が姿を消した奥の方を見つめるジョ-

           

     ジョ-はようやく背を向け門の方に歩いて行ったが、ふり向いてもう一度宮殿の奥の方に
     眼を当て…そして思いをふり切るように宮殿をあとにした…。
     これですべてが終わった、再び彼女に会うことはないだろう、本当の別れである…しかし
     これでよかったのだ、…そんな思いで…。

            宮殿をあとにするジョ-          宮殿の奥の方をふり返るジョ-

          

       久しぶりに見る「ロ-マの休日」だったが、やはりこの映画はすばらしいと思った。
     メルヘンのような雰囲気をもつ第一級のロマンチック映画である。王女様が窓から見える
     庶民の世界に興味をもち、フラリと出かけたが、いつのまにかベンチで居眠りしてしまい、
     目覚めたらそこは新聞記者のアパ-トだった。彼とつきあっていくうちに彼が好きになり
     恋をする…観客はメルヘンのようなところに引きずり込まれていくのだが、あたかも現実で
     あるかのように錯覚してしまう。
     コミカルなところと情感豊かなところが融けあい、どこか明るいロマンを感じさせてくれる。
     ラストの別れのラブシ-ンも感動的。記者会見でのアン王女とジョ-の表情、最後に見せる
     輝くようなアン王女の笑顔が印象に残る。

      時々映し出されるロ-マの景観も美しい。この映画を見てロ-マを訪れた人も数多いに
     ちがいない。私はまだイタリアに行ったことがないが、いつか機会を得てロ-マの街角に
     立ち、「ロ-マの休日」に思いを馳せてみたいと思っている。

       しかしこの映画の魅力は、何と言ってもオ-ドリ-・ヘップバ-ンの清楚な美しさだろう。
     当時彼女は24歳、まだ少女のようなあどけなさも見え、とても可愛い。初々しい表情が
     清々しい。
      ”真実の口”のところでジョ-が手を噛みちぎられそうになったと声を上げたシ-ンでは、、
     彼女は驚きのあまり本気で叫び声をあげ彼を引きもどそうとしたが、それは彼女の思わず
     出た反射的な動きだったという。演技ではなかったのだ。彼女は何も知らされていなかった
     のである。初々しい彼女の、新鮮な魅力を引き出そうとして監督がしかけたものらしい。
      オ-ドリ-・ヘップバ-ンは当時女優としては無名の新人だったが、このロ-マの休日で
     アカデミ-最優秀主演女優賞を受賞している。

      グレゴリ-・ペックの飄々とした演技もいい。人柄なのだろう、誠実さも伝わってくる。
     彼はロ-マの休日以外にもアラバマ物語、大いなる西部、ナバロンの要塞、西部開拓史、
     白昼の決闘など数多くの映画に出演し、その知名度は映画ファンなら知らない者はいない
     ほど。


        監 督                  ウイリアム・ワイラ-

        役 名                俳 優

        アン王女          オ-ドリ-・ヘップバ-ン
        ジョ-・ブラッドリ-    グレゴリ-・ペック
        ア-ビング         エディ・アルバ-ト
        編集長            ハ-トリ-・パワ-

                                     2014・1・2 記




            映画 「真昼の決闘」


               フランク・ミラ-一味と闘う保安官ウイル・ケ-ン

             

      時は10870年、アメリカ西部のハドリ-ヴィルの町近くの大平原で3人の男が落ち合い、
     正午に列車で帰ってくるというフランク・ミラ-を出迎えるため駅に向かおうとしていた。
     男たちは、その弟ベンと仲間2人。
      ミラ-は5年前罪のない町の人を射殺して保安官ウィル・ケ-ンに逮捕され、絞首刑送り
     にされ刑務所に収監されていたのだが、何故か減刑されて帰ってくるというのである。
     しかし、町の人達まだ誰も知らない。


                      大平原を走ってくるベン

             

     フランク・ミラ-の弟(右)と仲間のヌルビ-        ベンの仲間ピアス

        

      彼らが町中に入ってくると町の人たちは驚いた。
     「まさか…ミラ-が帰ってくるはずはない、奴はテキサスにいるはずだ」
     「しかし、ベンの他に仲間のピアスとヌルビ-もいる」…みなミラ-の手下で、無法者として
     嫌われている連中である。
     「今日の日曜日は何かあるぞ」…と町の人たちはささやきあっていた。
     保安官事務所の前に来ると、ベンがはやる気持を抑えられないのか馬の前足を大きく上げて
     「今やりたい、あの野郎!」…と叫んだが、
     「よすんだ、行くぞ」…年長のピアスが止めた。ミラ-と合流するまで”待て”ということなの
     だろう。ベンが仲間を誘ったのは、保安官ケ-ンに報復するためだったにちがいない。
      
         街に入って来たミラ-の仲間          馬の前足を上げて叫ぶベン

        

      その頃教会ではケ-ンとエミイの結婚式が行われていた。ケ-ンは長年の保安官の職務を
     終えて新妻と共に他の町に移り、新しい人生のスタ-トを切ろうとしていたのである。
     ところが、そこにハア、ハア息を切らしながら駅員が入ってきて、彼のところに電報を持って
     きたのだ。

     「保安官電報です…とんでもないことに」…ケ-ン、駅員が持ってきた電報を開いて驚く。
     「ミラ-が釈放だ」…町役人に電報を見せる。
     「まさか」
     「それも1週間前だ」
     「しかも弟ベンと仲間二人が昼間の列車を待ってる」…駅員が告げる。
     「昼の列車?」…とケ-ン。その時、時間は10時40分を指していた。正午まで1時間20分
     しかない。
     「ケ-ン今すぐに町を出るんだ、急ごう」…町役人が言う。
     「何事なの?」…エミイが聞く。
     「心配するな、町のことは任せてくれ」…そう町役人は言いながら彼女を馬車に乗せる。
     ケ-ンは
     「私は残る」…と言ったが、町役人の
     「エミイ-のことを考えろ」…という言葉に彼も馬車に乗る。まだ躊躇している彼の様子を
     見た町役人が、半ば強引に馬の尻を叩き馬車を走らせた。

                   教会で結婚式を挙げるケ-ンとエミイ

           

      ケ-ンとエミイを乗せた馬車は町を出て高原を走っていたが、彼はエミイに何か言いた
     そうなそぶりを見せ突然馬車を止めた。
     「なぜ止まるの?」…エミイが聞く。
     「やはり戻る」
     「なぜ?」
     「銃の一丁も持っていない」
     「だから急ぎましょ」
     「ずっと考えていたんだ、誰にも背を向けたことがない」
     「一体どういうことなの?」…不思議そうに聞くエミイに彼は時計を見て
     「話す時間がない」…と言う。
     「戻らないで」
     「これは使命なんだ」
     エミイが引き留めようとするのもきかず、ケ-ンは馬車の向きを変え町の方へ引き返し
     はじめた。

                   高原を走るケ-ンとエミイの馬車

        

      町に戻ってきたケ-ンを見て町の人たちは驚く。床屋に来ていた棺桶屋が窓を見て主人に
     伝える。
     「ケ-ンが戻って来たよ」
     「まさか」
     「外を見ろ」
     「なるほど、棺はいくつ?」
     「2つだ」
     「あと2つ必要になる、頼んだぞ」…床屋の主人が棺桶屋にささやく。

      二人が保安官事務所に着いたとき、エミイがケ-ンに聞く。
     「ウィル、話してちょうだい」
     「5年前ある男を絞首刑送りにした。それが減刑されて結局釈放になった、とにかく奴は
      戻ってくる」…
     ケ-ンは再び保安官のベルトをつけながら言う。
     「わからないわ」
     「野蛮で狂った男でいつも問題を起こしてた」
     「もうあなたには関係ないわ」
     「私が捕まえたんだ」
     「それは職務だからでしょ、新保安官も来るわ」
     「明日にな、それまで私が残る…引けない性分なんだ、奴は私のところに仲間を連れてくる
      だろう」
     「だから逃げるのよ」
     「どこまでも追ってくるだろう、逃げ道はない」…ケ-ン時計を見る。10時50分を指して
     いる。
     「1時間あるわ」
     「逃げても追いつかれるだけだ…死ぬまで逃げ続けるつもりか?」
     「うまく隠れれば見つけられない」…そう言いながらケ-ンは外に出ようとしたが、エミイは
     「お願いよ、行きましょう」…必死で引き留めようとする。

                  ケ-ンを引き留めようとするエミイ

             

     「無理だ」
     「英雄になる必要はないのよ」
     「そんな気持は毛頭ない、つまらんことを言うな、ここは私の町だ、友人もいる、仲間で
      力を合わせれば対抗できる」
     「うまくいかないわ」
     「受けて立つまでだ…済まない君の気持はわかる」
     「本当に…私たち結婚したばかりよ、将来のことを考えないと…」
     「時間があまりない、ホテルで待っててくれ」
     「未亡人になるつもりはないわ、そんなの耐えられない」
     「エミイ…」
     「本気よ…でなければ昼の列車で町を出るわ」
     「私は残らなければならない…」

      これ以上話してもケ-ンの気持は変わらないと思ったのか、エミイは黙って外に出て行った。
     彼女は昼の列車で町を出るため駅に向かったのである。

      入れ代わりに入ってきたのが、ケ-ン知り合いの判事。
     「よく来た」…とケ-ン。
     「ミラ-に判決を下したのは私だ」
     「君も戻るべきではなかった…私は逃げるわけにはいかない」
     「間違いだ」…判事が言う。
     「10人ぐらいの自警団を組む」
     「そううまくはいかないぞ」

                     話し合う判事とケ-ン

          

     「なぜ?」
     「過去の教訓があるからさ、紀元前アテネで民衆は暴君を追いだしたが、数年後暴君が軍を
      率いて町に戻ると同じ民衆が暴君を迎え政府役人を処刑した。8年前にも同じような事が
      小さな町で起こった」
     「あなたは判事だ」
     「今までもそうだしこれからも判事を続けたい…指図は出来ないがあの狂った男の悪行を
      忘れたのか、奴は椅子に座り言った
     ”何があろうと戻り、お前を必ず殺す”と…じゃあな、見損なっただろ?」
     「いや」
     「ここはうす汚い小さな町だ、つまらない町だ、お前も出ろ」
     「時間がないんだ」
     「無駄なことを」…判事はそう言って保安官事務所を出た。

      駅では、ベンと仲間が1時間半も前から列車の来るのを待っていた。手もちぶたさにホ-ム
     の上をブラブラしていたが、そこにエミイがやってくると彼らは一斉に彼女の方をジロジロ
     見はじめた。
     「あの女、5年前にはいなかった」…とベン。
     「それが?」…仲間のヌルビ-が聞く。
     「いや、何でもない…今はな」…ヌルビ-は彼女にはあまり関心がないのか、無心に
     ハ-モニカを吹いている。そんな雰囲気に駅員が気をきかして彼女に言う。
     「ホテルで待ったほうがよろしいかと、列車が来るまで時間がありますので」
     「そうするわ」
     「お気の毒に、だがご心配なく、保安官は何とかします」
     「ありがとう」…エミイは1時間近くをホテルで待つことにした。

              駅員と話すエミイ           駅で列車を待つベンとその仲間

          

      判事が帰ったあと保安官補佐のハ-ベイ・ベルがやってきた。腕はいいが精神的には未熟な
     若者で、ケ-ンの後任に自分が選ばれなかったことを恨みに思っている。ケ-ンが協力を
     頼むと、条件があるという。自分を保安官に推薦してくれれば協力するというのである。
     しかしケ-ンは協力はして欲しいが取引はなしだ、と言って断る。怒ったハ-ベイは保安官の
     バッジとベルトを外し、
     ”俺とヘレンのことを妬んでいるんだ、俺に取られるのが嫌なんだろう”とすてゼリフを吐いて
     出て行った。
     ハ-ベイが同棲しているメキシコ女ヘレンにその話をすると、彼女にケラケラと笑われて
     しまった。
     「何がおかしい」…とハ-ベイ。
     「承知すると思ったの?…大人になりなさい、子供ね」…ヘレンがたしなめる。
     「ダマレ!…ケ-ンは俺の手を借りたいはずなのに、俺たちの関係が気に入らないだけ
      なんだ」
     「あなたはバカよ」
     「隠したいのか?どっちから別れを切り出した」…かってのケ-ンとの関係を言っている。
     「出て行って!」…ヘレン、ドアを開けてハ-ベイに出て行くよう促がす。

          話し合うケ-ンとハ-ベイ            話し合うハ-ベイとヘレン

          

       保安官事務所にケ-ンの友人ヘンダ-ソンが入ってきた。
     「聞いたぞ、頼りにしてくれ」
     「そう思ってた」…二人は握手。
     「あんたがキレイにした町だ、誰にも汚させないぞ」
     「その意気だ」
     「仲間は何人集まった?」
     「まだだ」
     「急いで集めよう、俺は銃を取りにゆく、10分待ってくれ」…そうヘンダ-ソンは言って
     外に出て行った。

     ヘレンは5年前まではフランク・ミラ-の女だったが、その後ケ-ン、ハ-ベイとも関係を
     もっている。ミラ-が戻ってくれば何をされるかわからない。そのため彼女も昼の列車で
     町を出ようとしていたのである。
      

       10分待て、と言って外に出るヘンダ-ソン      ウイ-バ-に相談するヘレン

        

      エミイが休憩しているホテルにケ-ンがやってきた。彼女は驚いてケ-ンのところに笑顔を
     見せながらかけよった。彼が思い直して自分に会いに来たのかと思ったのである。
     ところがケ-ンも
     「気が変わったのか?」…と聞いた。エミイが列車に乗るのを止めたのかと思ったのである。
     「やっぱり変わってないのね…列車の切符を買ったわ」…彼女もケ-ンの表情から自分に
     会いにきたのではないことを知った。
     「そうか…」ケ-ンはそう言ったあと、フロントにヘレンの部屋を聞き階段を上って行った。
     彼はヘレンに用があつてこのホテルを訪ねてきたらしい。

     ドアをノックして入ってきたケ-ンを見てヘレン驚く。ケ-ンは黙ったままヘレンを見つめ
     ている。
     「なぜじっと見るの?わたし変わった?」…ヘレンが切り出し続ける。
     「何の用?助けを求めにきたの?ミラ-に命乞いをして欲しいいの?…そんなのお断りよ」
     「奴が来ることを知らせに来た」…ケ-ンが言う。
     「知ってたわ」
     「君は町を出ろ、何があるかわからん」
     「怖くないわ」
     「分かるが相手が悪い」
     「知ってるわ…もしかしたら私たちのことも?」
     「知ってるだろう」…とケ-ン。
     「そうね…人生は楽じゃないわ…もう荷物をまとめてるの」
     「それがいい…達者で」
     「ケ-ン、逃げるのが賢明よ」
     「無理だ」…それだけ言ってケ-ンは部屋を出た。

                     話し合うヘレンとケ-ン

            

      ケ-ンが外に出て行ったあと、エミイは立ち上がりフロントの男に聞く。
     「質問しても?…彼女は何者?」
     「ヘレンさんのことですか?…ご主人の古い友人です…その前はフランク・ミラ-の…」
     「そうですか、ありがとう」…エミイ、浮かない表情で椅子に座る。

      駅では3人の男が列車の来るのを待っていた。ヌルビ-はハ-モニカを吹き、ピアスは
     列車の来る方を眺め、ベンは酒をラッパ飲みしていたが、ビンが空になると
     「酒を買ってくる」…と言い馬に乗ろうとした。
     「まだ飲むのか…まさか女を」…ピアスがたしなめる。
     「酒を買うだけだ」
     「ケ-ンには?」
     「手は出さん」…ベンはそう言って酒場に出かけた。

      酒場では大勢の男たちが酒を飲んでいた。ベンが入ってくると酒場のオ-ナ-らしき男が
     「ベン元気か、久しぶりだな」…と話しかける。
     「元気さ、1本くれ」
     「今夜は好きにやってくれよ」
     「そうだな」…ベンは酒を買うとすぐに出て行ったが、入口でケ-ンとばったり出会う。
     一瞬驚くがニヤリと笑って立ち去る。
 
           列車を待つベンと仲間             酒場に入るベン

          

      ベンが去ったあと酒場では酔った男たちが
     「ミラ-の手にかかればケ-ンは5分で殺される」…とか、
     「ミラ-はスゴイ早撃ちだからな」などとワイワイ騒いでいた。彼らはカウンタ-で話して
     いるため、後ろから入ってきたケ-ンに気づかない。主導していたのは酒場のオ-ナ-。
     ところがケ-ンはその話を耳にした瞬間いきなりオ-ナ-の胸ぐらを掴み、殴り倒して
     しまったのである。
     「あんたは保安官だ、ひどいことをしやがる」…床に倒れたままオ-ナ-はケ-ンを睨み
     つける。
     「そうだな」…と言いながらケ-ンはオ-ナ-に手を差しのべようとするが拒否される。
     彼はこの酒場に手を貸してくれる男を求めにきたのだが、雰囲気を壊してしまったと思った。
     しかし気をとり直してみなに声をかける。
     「まもなくミラ-が町にやってくる、時間がない、誰か手を貸してくれないか」
     「無理な話だ、ここにはミラ-の友人もいるんだ」…オ-ナ-が言う。
     「奴を捕まえたとき、補佐保安官だった人間もいる」…とケ-ン。
     「当時は6人も常時補佐保安官がいたんだ、皆がすご腕だった、だが今は二人だけ」…と
     カウンタ-の男。
     「ハ-ベイが抜けた、なぜなんだ?」…もう一人の男が言う。ハ-ベイは椅子に座った
     まま様子を見ている。
     「2人の問題だ」…ケ-ンが答える。
     「相手はミラ-なんだぞ」
     「だからこそ皆の力が必要なんだ」…ケ-ン辺りを見回すが、危険なことはゴメンだという
     顔をしてみな黙ってしまった。声を発するものは誰もいない。

        酒場のオ-ナ-を殴りつけるケ-ン       酒場の男たちに声をかけるケ-ン

        

      ケ-ンはみなの表情を見てあきらめ、もう一人の友人フラ-を訪ねて行く。残された時間は
     1時間を切っている。急がなければ…。ところがこちらにやってくるケ-ンを窓から見た
     フラ-、妻にこう言う。
     「ミルドレット、私は留守だと言うんだ」
     「友達でしょ」…と妻のミルドレット。
     「文句を言うな」
     「ウソだとわかるわ」
     「言う通りにしろ、俺が殺されて未亡人になりたいのか」…フラ-はそう妻に告げて奥の
     部屋に隠れる。その時ケ-ンがドアをノックする。
     「フラ-はいるか」
     「いえ留守にしています」…ドアを半分開けてミルドレットが言う。
     「とても重要なことなんだ、今どこに?」
     「今は…教会に行っています」
     「君を置いて?」
     「私は着替えたらすぐに」…ミルドレット苦しまぎれに答える。
     「そうか、わかった…」…ケ-ン、フラ-は居留守だと感づくがあきらめる。時間は刻々と
     迫ってくる。
     困り果て町を歩いて行く彼の姿を象徴するように、この映画のテ-マ曲”ハイヌ-ン”の
     メロディが流れる。

          フラ-を訪ねてくるケ-ン        妻に居留守を使うように言うフラ-

          

      ケ-ンがフラ-の家を出て歩いていると、片目の老人に呼びとめられる。酒場の片隅で
     一人ポツンと酒を飲んでいた男である。
     「どうした?」…ケ-ンが言う。
     「あんたを探してた、あんたの力になりたい」
     「銃の扱いは?」
     「昔はいい腕だった、本当だ」…老人の言葉にケ-ンが何か言おうとすると
     「俺にとっていいチャンスなんだ、立ち直りたいんだ」…と訴える・
     「何かあったら呼ぶ」…ケ-ンはそう言って立ち去る。

     場面はヘレンの部屋、ハ-ベイが来ている。
     「町を出るのか?どこへ?」…ハ-ベイがヘレンに聞く。
     「わからない」
     「何のまねだ…ミラ-が怖いんだな、俺といれば何の心配もない、いつでも倒せる」
     「信じるわ」
     「では何故?…もしかしたらケ-ンと…」
     「違うわ…でも彼はあなたと違う。あなたは男前で肩幅も広いけど、それだけよ、男には
       なれないわ、あなたはまだ未熟よ、あなたには無理なのよ」
     「どこにも行くな、これまで通り俺といてくれ」…ハ-ベイ哀願する。
     「本当の理由を聞かせてあげるわ、ケ-ンはすぐに殺され誰も何もできない、彼が死ねば
       この町も死ぬのよ、私は一人で生きていくために他の町へ行くのよ、嫌いな男には触られ
       たくないの、もうあんたの事は好きじゃない」

            ケ-ンに訴える片目の老人            話し合うヘレンとハ-ベイ

        

      ケ-ンは教会に入って行った。町の人たちが集まりミサの最中だった。神父が聞く。
     「ここに何か用があるのですか?」…実はケ-ンはカトリック教徒ではない、結婚式も他の
     教会で挙げている。
     「信仰が厚くないことは反省しています。式は妻がクエ-カ-教なので…ここには協力を
       求めに来ました」
     「そうでしたか、何でも言ってください」
     「知ってる者もいると思うがミラ-が昼の列車でこの町に…何人でも保安官補佐が必要だ」
     ケ-ンの呼びかけに
     「何をぐずぐずしてる、すぐ行こうじゃない」とか
     「いいか彼はもう保安官じゃない、これは彼とミラ-2人だけの問題だ」
     「2人の問題かどうかは関係ない、ミラ-がどんな悪い奴かみんな知ってるはずだ」
     「我々は保安官にいい給料を払ってるんだ、だから我々が協力する理由はない、我々には
       無関係だ」など様々な意見が出された。そしてある女性は
     「聞いてられない、皆どうしたのよ?当時は女性や子供が外を歩けなかった、それを忘れて
       しまったの?」と訴え、意見を求められた神父は
     「”汝殺すなかれ”と言い一方で人を雇いやらせている、善と悪がハッキリしていても殺し
       合いを勧めるわけにはいきません、済まないが私には何も言えません」…と苦しい弁明を
     した。

        教会で町の人たちの意見を聞くケ-ン         教会で意見を聞く町の人たち

        

      ところがそれまで皆の意見を聞いていた町役人は
     「私から言わせてもらおう、ケ-ンのこの町の貢献度は金では返せない、彼は最高の
       保安官だった。だからこれは我々の問題なのだ、この町の問題なのだ、我々の町を守る
       ためにハッキリさせよう…2人が顔を会わせれば必ず撃ちあいになる、間違いなくケガ人が
       出る、北部はこの町に注目している。だが撃ちあいのことが新聞に出てみろ、どう思われ
       る?…野蛮で未開の町だと思われる。これまでの努力が水の泡だ、たった1日の出来事で
       5年前に逆戻りだ、それは誰も望まない。皆も知っての通りケ-ンは勇敢で善良な男だ、
       しかし彼は戻るべきではなかった、彼がいなければミラ-と面倒は起きないだろう…」そう
       演説したあとケ-ンの方を向き
     「時間のあるうちに町を出るんだ、自分自身のために、我々のためにも」…と言った。
     …町役人の言葉にみな下を向いて沈黙…意見を言う者は誰もいなかった。ケ-ンは町役人の
     顔をしばらく見ていたが、
     「そうか…」…と一言つぶやいただけで教会を出て行った。肩を落として町を歩くケ-ン…
     ハイヌ-ンのメロディが流れる。

      再び駅の場面。ヌルビ-は相変わらずハ-モニカを吹き続けている。ベンは酒をラッパ飲み
     していたが、ピアスから
     「もう飲むな」と言われる。しかしベンにやりと笑ってまたラッパ飲み。

              町を歩くケ-ン              列車を待つベンと仲間

        

      ケ-ンは元保安官の先輩を訪ねた。
     「あんたは生涯の友だ、仕事もくれた、長い間保安官で憧れていたんだ」
     「ああ素晴らしい職務だった、しかし命をかけて逮捕しても無罪になり仕返しに来る、正直
       だと貧乏生活で最後は道端で死に果てる…単なるバッジのために」…元保安官が言う。
     「判事も去りハ-ベイも辞め、人も集まらない」
     「それが人の本音だ…法律だ秩序だと口では何とでも言うが、腹の内の本音はどうでも
       いいのさ」
     「私はどうすれば」
     「戻ってはいけなかった、自殺行為だ」
     「刑務所の中で変わったかもしれん」
     「奴は違うぞ、最初からやる気でいたんだ…いいから逃げるんだ」
     「一緒に駅に」
     「ダメだ、一緒に行きたいが行けないんだ…手も動かすことが出来ない、君のお荷物になり
       きっと 死なせて しまうだろう、圧倒的に不利だ、何もならんぞ…無駄死にするだけだ」…
     と元保安官。ケ-ンは彼の顔をじっと見つめていたが、
     「じゃあな」と言って外に出る。またしても断られてしまったのだ。

                    話し合う元保安官とケ-ン

            

      場面はホテル。エミイはヘレンの部屋を訪ねた。
     「ケ-ンの妻です」
     「知ってます」
     「入っても?」
     「ぞうぞお掛けに、ご用件は?」
     「結婚したばかりで旅立つ準備も終わってたけど、こんなことになり…頼んでも夫は耳を
       貸しません」
     「それで?」
      受付であなたと夫のことを聞いて…行かないのはあなたのためだと思ったのです」…
     とエミイ。
     「私に何を?」
     「行かせてあげてください」
     「無理よ」
     「お願い」
     「私のためではない、会ったのは1年ぶりよ、私も昼の列車で」
     「では夫はなぜ?」
     「言ってもわからないわ…なぜ彼を残して行けるの?」
     「そんなことありません、父と兄は撃ち殺されました、彼らは正しかったけど関係なかった…
        兄の死がきっかけになって私はクエ-カ-教徒に…正義なんて関係ない、他の生き方が
       あるはず、私の気持は 無視よ」
     「下で列車を待つんでしょう、ここで待ちなさい、私も駅に行くから」…さらにヘレンは
     言う。
     「ずっとこの町が憎かった、私はメキシコ女だから」
     「わかるわ」
     「あらそう、私にはあなたが分からない…ケ-ンが私の男だったら銃をとり私も戦う」
     「そうすれば」
     「彼はあんたの男よ」

                     話し合うヘレンとエミイ

          

      ヘレンに振られたハ-ベイが酒場でやけ酒を飲んでいると、オ-ナ-が話しかけてきた。
     「お前は肝も据わっているし頭のいい男だ」
     「どうしてだ?」
     「引き際を心得ている」
     「胸くそが悪い、もう来ないぞ!」
     「そうか好きにしろ、もうバッジもないじゃないか」…オ-ナ-にからかわれ頭にきた
     ハ-ベイが店を出ようとした時、窓の外にケ-ンの姿が眼に入る。どうやら馬小屋に入って
     行くようだ。ハ-ベイ追いかけて行く。
     「鞍を乗せろよケ-ン、逃げることを考えていたな」
     「まあな」
     「怖いか?そりゃそうだ、急げ手を貸す」…そう言いながらハ-ベイ馬の背に鞍を乗せる。
     「皆が私を追い出したがる」…とケ-ン。
     「死体を見たくないのさ」…ハ-ベイが言う。ところがケ-ンが馬小屋を出ようとしたので
     「どこへ?」…ハ-ベイが聞く。
     「事務所に戻る」
     「いいから逃げろ、さっき逃げる気だったと」
     「すこし疲れていただけだ、だが逃げ出すわけにはいかないんだ」
     「なぜ?」
     「わからん」
     「馬に乗るんだ」
     「お前には関係ない」
     「さあ」…ハ-ベイ、ケ-ンの胸ぐらを引っ張ろうとする。
     「やめろ、触るんじゃない!」…ケ-ンが手を払いのけようとした時、ハ-ベイがいきなり
     ケ-ンに殴りかかった。二人はもの凄い殴り合いの乱闘になる。初めは劣勢だったケ-ン
     だったが次第に盛り返し、ついにハ-ベイを殴り倒してしまった。動かなくなったハ-ベイに
     桶の水をぶっかける。

                    殴り合うケ-ンとハ-ベイ

          

      馬小屋から出たケ-ン、カフェに入り顔の傷を手当してもらったあと事務所に戻ると、
     ほどなくヘンダ-ソンがやって来た。
     「よく来てくれた、待っていたぞ」…とケ-ン。仲間が来てくれたと思ったのである。
     「何をしていたんだ、もう時間がないぞ」…ヘンダ-ソンが言う。
     「そうだな」
     「他の連中はどうした?」…ヘンダ-ソンが聞く。彼も仲間を探すと言って事務所を出たの
     だが…。
     「他にはいない、私たちだけだ、」
     「冗談だろ?」…とヘンダ-ソン。
     「集まらなかったんだ」
     「たった2人か」
     「そうだ」
     「2人で4人を相手に…」
     「そうだ、やめたいのか?」
     「そうじゃないが、これでは…こうなるなんて思わなかった」
     「私もだ」
     「俺も自分で志願したんだ…手は貸したいが状況が変わってしまった、これでは自殺行為だ、
       俺は保安官じゃない、俺はただの住民だ、何も関係ない」
     「その通りだ」
     「限度ってものがある、妻も子供だっている」
     「家に帰ってやれ」…ケ-ンが言う。
     「仲間さえいれば手を貸せるんだが」…ヘンダ-ソンは先程身につけた保安官バッジを置い
     て事務所を出て行った…机にふさるケ-ン。
      これで最後の望みは断たれてしまった。自分一人で戦うしかないのだ。時刻は12時2分前、
     いよいよフランク・ミラ-が乗った列車が着く頃である。残された時間はない。

          ヘンダ-ソンを迎えるケ-ン             時刻は12時2分前

          

      二人の様子を入り口で見ていた少年が入って来てケ-ンに言う。
     「僕が一緒に戦うよ」
     「いらん」
     「お願いだよ」
     「お前はまだ子供だ」
     「もう16歳だ、銃も使える」
     「ウソを言うな、14歳だろ」
     「でも身体は大きい」
     「大きいのはわかった、だがダメだ」

      ケ-ンは手早く遺書をしたためる。表には”開封は死後に”と書いた。
     時刻は12時、町はシンと静まりかえっている。誰一人出ている者はいない。しかし、
     これから起ころうとする事態をみな固唾を飲んで見ていた。家の窓から…酒場から…
     教会から…。相手は4人、こちらはケ-ン1人、どう戦うのか…ケ-ンに勝ち目はない…
     誰もがそう思っていた。

                        静まりかえる町

           

              これから起ころうとする決闘に固唾を飲んでいる人たち

          

      ケ-ンが遺書をテ-ブルに置いて外に出てみると、静まりかえった町の中から馬の足音が
     聞こえてきた。見るとエミイとヘレンを乗せて馬車が近づきつつあった。ケ-ンの眼の前を
     通り過ぎようとしたとき、彼女たちは一瞬彼の方をふり向いたが、言葉を交わすこともなく
     駅の方へ走り去っていった。そのうしろ姿を見送るケ-ン…。

          エミイとヘレンを乗せた馬車         通り過ぎて行く馬車を見送るケ-ン

          

      遠く大平原の中からモウモウと黒い煙りを吐きながら列車が現れ、定刻の12時に駅に
     着いた。
     ミラ-が降りてくる。入れ代わりにヘレンとエミイが列車に乗り込もうとしていた時、
     ミラ-とヘレンの眼が合う。一瞬ミラ-は彼女を睨みつけるようにキラリと眼を光らせたが
     無言のまま…仲間に聞く。
     「あの女どもは…まあいい、どうだ準備は」
     「万端です、銃も準備してある」…弟のベンが言う。
     「始めようか」…ミラ-は腰にベルトと銃をつけ、ブ-ツも履き替える。

                   黒い煙を吐きながら駅にやってくる列車

             

      町に出たケ-ン、しばらく立ち止まり辺りを見回していたが、駅の方へゆっくりと歩いて
     行く。駅を出た4人の男たちは意気揚々と町の方に歩いて来る。まるで獲物を狙う狼の集団の
     ように…。

                    やってきたフランク・ミラ-

             

            町に佇むケ-ン           町に入って来たミラ-の仲間

          

      突然町の静けさを破るかのようにガチャン!という音がした。ベンがショ-ウィンドの
     ガラスを壊し、中から何かを取り出したのである。その音でケ-ンは彼らの位置に見当を
     つける。彼は建物の角に廻り
     ”ミラ-!”と大きな声を出した…瞬間バン!、バン!、バン!…銃声が鳴り響く。双方の
     撃ち合いが始まったのだ。
     それまで列車に乗っていたエミイ、驚いて列車から跳び下り町の方へ走って行く。彼女は
     自分一人で町を出て行くことにいたたまれなくなっていたのである。その直後列車は動き
     始めた。エミイの姿を見つめるヘレン…彼女はそのまま町を離れる。
     エミイが走って町に入ると、うつぶせになって倒れていた男に出会う。まさかと思って
     近寄ってみると、それはベンの死体だった。彼女は胸をなでおろし建物の中に入る。

        列車から跳び下りて走って行くエミイ       うつぶせに倒れているベン

          

     銃声のあと相手はどこに潜んでいるのか分からなくなった。しかしどこからかケ-ンを
     狙っているはずである。
     彼は辺りを警戒しながら建物の陰から出た時、突然銃声が響き左腕を撃たれた。彼はとっさ
     に道を横切り、向かいの馬小屋に飛び込んだ。幸いケガは軽傷だった。二階によじ上り様子
     を窺う。そこから見る限り人影は見えない。ところが建物の角から男が現れ、走ってきて
     馬小屋に入り、二階にいるケ-ン目がけて撃った。しかし一瞬ケ-ンの方が早かった。倒れ
     た男はヌルビ-だった。

                       馬小屋から拳銃を構えるケ-ン

           

        ケ-ンがヌルビ-を撃った瞬間          馬小屋で様子を窺うケ-ン

          

      残るは二人。ところがミラ-がランプを馬小屋に投げ込み、それを狙って撃つとたちまち
     ワラに火が移って燃え上がり、中は煙りで充満する。驚いた6~7頭の馬が騒ぎ始める。
     ケ-ン二階から飛び降りてすべての馬を外に放ち、自分もその中の一頭に乗り馬小屋を
     脱出した。追いかけるミラ-とピアス…。
      
          ランプ目がけて撃つミラ-            煙で充満する馬小屋

        

      しかし馬に乗って町中に出た時、追いかけて来た二人に馬を撃たれケ-ン落馬するが、
     起き上がり建物の中に逃げ込む。銃声に驚き窓から外を見るエミイ。二人はケ-ンの入った
     建物に近づく。ミラ-の指示で二手に別れ、彼はケ-ンの建物の角に、ピアスは隣の建物の
     陰から様子を窺う。

        馬上のケ-ンを撃つミラ-とピアス              落馬するケ-ン

        

      ほどなく撃ち合いになった。ケ-ンのいる建物に容赦なく弾丸が撃ち込まれる。応戦する
     ケ-ン…。ところが銃声が散発的になる。ピアスが弾を詰め替えていたからである。そして
     弾を入れ替えケ-ン目がけて撃とうとした瞬間、いきなりピアスは倒れてしまったのだ。
     実は窓の外にいた彼を、エミイが至近距離から撃ったのである。

       ピアスがケ-ン目がけて撃とうとした瞬間      エミイに撃たれて倒れるピアス

         

      残るはミラ-一人。しかし彼はすばやくエミイのいる建物に入った。拳銃を構えるケ-ン。
     ほどなくミラ-は建物から出てきたが、エミイを抱きかかえ楯にしている。そしてケ-ンに
     言う。
     「ケ-ン出て来い!、この女の命はないぞ」
     「出て行くから放せ」…とケ-ン。
     「出てきたら放す、銃は撃たない」…ミラ-の声でケ-ン両手を下げて姿を現す。ベルトは
     外し拳銃は見えない。その時とっさにエミイがミラ-の顔をふさいだ。虚をつかれたミラ-
     は彼女を突き飛ばし拳銃を発射したが、同時にケ-ンも撃った。倒れたのはミラ-だった。
     ケ-ンは胸に予備の拳銃を隠し持っていたのである。

                 ミラ-が出てくるのを待ち構えるケ-ン

           

       エミイを楯に建物から出て来たミラ-       ケ-ンがミラ-を撃った瞬間

           

      これでケ-ンの仕事は終わった、全てが片付いたのである。彼は倒れていたエミイを抱き
     起こし頬ずりしてやる…黙ったまま…いや”心配かけたな”と言ったかもしれない…。

                    エミイを抱いてやるケ-ン

        

      それまで、家の中で息をひそめて事態の成り行きを見ていた町の人たちが、一斉に広場に
     出て来た。少年が駈けよって来てケ-ンの顔を見上げる。少年の肩を叩いてやるケ-ン、
     そして保安官バッジを捨てる。彼は集まって来た人たちにも多くを語らず、エミイとともに
     馬車に乗り込み町を出て行った。見送る町の人たち…ハイヌ-ンのメロディが流れ、
     THE ENDの字幕が出る。

                 馬車に乗って町を出て行くケ-ンとエミイ

           

      私は西部劇の中ではこの「真昼の決闘」が一番印象に残っている。忘れられない映画なの
     である。ラストの撃ち合いのシ-ンはもちろん、そこに至るまでの緊迫したドラマに引き
     込まれる。それは刻々と迫ってくる時間との戦いが、切迫感をもって描かれているから
     だろう。
     またギラギラと強い陽光が照りつける駅や町の風景にも、いかにも西部劇らしい雰囲気を
     感じる。
      この映画は、ある日曜日の午前中の1時間25分のドラマとして描かれているが、上映時間も
     1時間25分のリアルタイム劇となっている。

      この映画の特徴は、通常の西部劇に見られるように無法者に立ち向か保安官は、
     ”誰の力も借りない”、自分一人でやる”という
     イメ-ジに反して、皆の協力を求めていく普通の人間として描かれているところにある。
     保安官ケ-ンは、友人たちのに力を借りようとするが、ことごとく断られる。みなスゴ腕の
     無法者に命をさらすのはゴメンなのだ。それどころか彼は、同僚や先輩の元保安官、町の人達
     からもすぐ町を出て行くよう警告される。妻のエミイの言うことにも耳を貸さない。
      彼は死を覚悟して一人で4人の無法者に立ち向かおうとする。だから遺書も書いている。
     あくまでも自分の信念を貫こうとするのである。

      ゲ-リ-ク-パ-の重厚な演技がいい。「誰がために鐘は鳴る」から9年後、その演技は
     さらに厚みが増しているように思える。これは彼自身がもっている雰囲気がそう感じさせて
     くれるのかもしれない。

      エミイ演じるグレ-スケリ-も美しい。どこか気品を感じる美しさだ。彼女の映画出演は
     「真昼の決闘」が2度目で22歳の時である。その後ヒッチコック監督の「裏窓」「泥棒成金」
     やジョ-ジ・シ-トン監督の「喝采」などに主演し、「喝采」ではアカデミ-主演女優賞を
     受賞している。
      非常に恋多き女優としても知られ、ゲイリ-・ク-パ-、クラ-ク・ゲ-ブル、ウイリアム・
     ホ-ルデンなどの、自分より年長の男性と浮名を流していたらしいが、1956年女優業を辞め、
     同年モナコ大公レ-ニエ3世と結婚、モナコ王妃となる。しかし1982年交通事故で52歳の
     生涯を閉じる。

      映画 「真昼の決闘」は1952年公開されたアメリカ映画。

      監  督         フレッド・ジンネマン

      役  名            俳  優

      ウイル・ケ-ン     ゲイリ-・ク-パ-
      エミイ・ケ-ン     グレ-ス・ケリ-
      ヘレン・ラミレス    ケテイ・フラ-ド
      ハ-ベイ・ベル     ロイド・ブリッジス
      フランク・ミラ-    アイアン・マクドナルド
      ベン・ミラ-       シエブ・ウ-リ-

                                    2014.2.6 記


        映画 「アラバマ物語」


                 娘スカウトに話して聞かせるアティカス

           

      その頃、と言っても今から随分昔の1930年代前半になるが、私はアメリカ南部アラバマ州の
     田舎町に住んでいた。毎年夏はひどい猛暑になり、朝9時にはシャツは汗まみれ、女たちの
     日課は二度の水浴びと昼寝だった。夕方汗取粉が湿り、まるで砂糖菓子のよう、1日が24時間
     より長いように思われた。人々は急用も心配事もお金もないのどかな町、私は6歳の夏を迎え
     ていた。
      家族は弁護士の父アティカスと4歳上の兄ジェムと私の3人。それに通いでやってくる黒人
     メイドのキャル。ママは私が2歳のときに亡くなっている。
      私の名前はスカウト、みんなからお転婆娘と言われているが、ジェムは私よりやんちゃで冒険
     好きな男の子。好奇心は私もジェルも人一倍強い。ある日の朝食時、メイドのキャルが外に
     出ていた私に
     「お兄ちゃんを呼んで」…と言った。ジェムは大きな木の上の小さな小屋にいて、私の言う
     ことなど聞いてくれない。パパが家から出てきてジェムを呼びにきたので
     「ジェムは木から降りないの、フットボ-ルの試合に出てほしいって」…そう告げると、
     「ジェム、朝食だから降りなさい、焼きたてのパンもあるぞ」…とパパ。
     「試合に出ると約束して」…木の上からジェルが言う。
     「無理だと言ったろ、もう齢なんだから、たった一人の父親だぞ、首でも折ったら困る
      だろう?」
     「それなら降りない」
     「好きにしろ」…そう言ってアティカスは家の中に入って行った。
      私たちはパパのことをファ-スト・ネ-ムのアティカスと呼んでいる。なぜかパパがそう
     呼ばせているのだ。…そこに隣のオバさんがやってきて
     「どうしたの?」…と聞く。
     「ジェムが強情なの、アティカスが試合に出ないと木から降りないって、アティカスは齢だか
     ら無理だって」
     すると木の上からジェムが
     「いつもそう言って逃げるんだ、能なしだよ」…オバさんに言うと、
     「お父様は有能な人よ、文句を言わず感謝なさい、年相応にふるまうように」…彼女ジェル
     をたしなめる。
     アティカスが仕事に出かけたあと、私も木の上に登って行き
     「年寄りってことね」…ジェムに言う。
     「仕方ないね」…ジェムは諦めているようだ。…小屋は私達のためにパパが作ってくれたもの
     である。

       木の上のジェムに呼びかけるアティカス        木の上の小屋にいるジェム

          

      私たちは、家の近くで出会ったディルという名前の男の子と友達になった。夏休みで
     ミシシッピから叔母さんのところに来たという体の小さい子だ。ある日3人が遊んでいる時、
     眼の前をフラフラと通り過ぎて行った背丈の高い老人を見て、ジェムがディルに話しかける。
     「恐ろしい人なんだ」
     「何が恐ろしいの?」
     「ブ-って名の息子をベッドに鎖でつないで閉じ込めてる」…そう言いながらジェムは、
     ディルと私をその家の近くに連れて行く。
     「あの家だよ、ブ-は夜中しか外に出られないんだ…夜中に起きれば聞こえる…家の戸を
       ガリガリ引っかいている音を…アティカスを見て逃げて行ったことも…」
     「中で何してる?…どんな姿かな?」…ディルが聞く。
     「あの足音だと身長2メ-トルはある、リスやネコを捕まえて生肉を食うんだ…顔中に傷あと
     があって歯は黄ばんでいる…両目が飛び出して口からはヨダレを…」…ジェム怖い顔して
     ディルに言う。
     「そんなのウソだ」…ディルは半信半疑。そこにディルの叔母さんが通りがかりディルに聞く。
     「何してるの?、あの家には近づかないほうがいいわ」
     「ブ-の事を教えてあげたのに信用しないんだ」…とジェムが口をとがらせると、叔母さん
     はこんな話をした。
     「彼の母親の叫び声を聞いたわ、
     ”息子に殺される!”と…また紙を切っていたハサミを突然父親の足に突き刺したこともある
      のよ…病院に入れろと言ったら父親が猛反対してね、裁判所の地下室に閉じ込めて死ぬ寸前
      に連れ戻したの、それ以来ハサミを手に持ったまま…一体何を考えているのか…」

         老人を見つめるスカウトとディル         老人を見つめるジェム

          

      その日近所のオバアちゃんの家の前を通りがかった時、ジェムが
     「デュポ-ズさんだ、何を聞かれても黙ってろ、口答えするとひざかけに隠した銃で
       撃たれる」…と言ったので、小さな声で
     「こんちは」…と挨拶したらオバアちゃんからひどく叱られた。
     「”こんにちは”、とちゃんと言いなさい、人の話を聞く時はそばに来るものよ」…て。
     その時仕事からアティカスが帰って来て、オバアちゃんの前で
     「目上の人への礼儀を教わってないのかい!」…怒ってみせた。さらにオバアちゃんに
     「今日もお美しい」…と言ったが、ジェムはアティカスの背中で”ウソばっかり”…さらに
     アティカスは「そしてこの花も、こんな見事な花壇は初めてだ、ベリングラスの庭園など
     比べものになりません、この町一番の名所ですよ」…とつづける。
     ジェムが”おだてて話をそらしてる”と小声で言うと、彼は背中にいる息子を帽子で叩いた。

      私は寝る前に、いつも本読みの練習をする。アティカスは聞いてくれている。
     「ネコを二匹いかだに乗せ、岸へとこいで行く、イヌも一匹…」…その時私はブ-の事が
     気になり
     「ブ-は夜中に窓から外を見てるの?ジェムが言ってた、今日はあの家の…」…パパに
     話すと
     「人のウワサ話はよくないぞ、そっとしてあげるのが思いやりだ…今日の本読み練習は
     終わり」…彼はおやすみと言ったあと、私にキスして出て行った。

            本読み練習するスカウト             娘を抱くアティカス

          

      アティカスが家の前の椅子に座って書類を見ていると、判事がやってきた。
     「暑いですね、奥様は?」…とアティカス。
     「元気だよ…ところでトム・ロビンソンの事件を」…判事が聞く。
     「知ってる」
     「大陪審が明日彼を起訴する、彼の弁護を引き受けてくれないか…忙しいのは分かっている、
      子供たちの時間も大事だとは思うが…」…判事の依頼にアティカスはしばらく考えていたが、
     「やりましょう」…と答え、トムの弁護を引き受けることにした。この事件を訴えたのは
     暴行されたという若い白人女性、起訴されたのはトム・ロビンソンという黒人青年だった。
     この町は黒人に強い偏見をもっている。アティカスが黒人を弁護すれば町の人たちの反発は
     眼に見えていたが、彼は弁護士として仕事を選んではならないと考え、この事件の弁護を
     引き受けたのである。
     「明日の審問に立ちあいを…では明日裁判所で」…そう言って判事は帰って行った。

         黒人弁護を引き受けるアティカス       アティカスに弁護を依頼する判事

          

      その翌日、私たちは家の近くで車のタイヤを回しながら遊んでいた。ジェムがディルに言う。
     「君は本当は臆病者だ、ブ-の家に近づけないんだから…怖いんだろ」
     「怖くなんかない、毎日あの家の前を通っている」…とディル。
     「それならこのタイヤの中入ってあそこまで行ってみろ」、とジェルがディルに言ったが、
     タイヤで転がるのは面白そうだと思ったので私が先に行かせてもらうことにした。
     出発!…中に入ってタイヤをジェルに強く押してもらうと、タイヤはクルクルと勢いよく
     回り、木にぶっかりそうになったらしい…でも私は眼が廻りそうで早く止まりたかった。
     止まれ!止まれ!早く止まれ!と思った。でもタイヤは木からそれて、その先のブ-の家の
     前の階段のところでブチ当り、私は外にはじき出された。ビックリしたジェムが飛んできて
     私を抱き起こしてくれたが、頭がフラフラしてしばらく立ち上がれなかった。

                 タイヤと共に回転しながら進んでいくスカウト

          

      ジェムは早く逃げろ!と言ったが何を思ったか私を離し、階段を駆け上がって廊下を走り、
     ブ-の家の扉にタッチ、ハア、ハア息をしながら戻って来て
     「逃げろ!全速力だ!」…と大きな声で叫んだ。私たちは一目散に走って逃げた。ブ-の
     家から遠く離れたところでジェムはディルと私に
     「どんなもんだ、僕は臆病じゃないだろ、今の事みんなに言うんだ」…自慢そうに言った。

           スカウトを抱き起こすジェル       ブ-の家の扉にタッチするジェム

          

      私たちはブ-の姿は見たことがない、夜に現れるということらしいがそれは怖い。そこで
     ディルが
     「ブ-が閉じ込められた裁判所の地下室を見に行こう、コウモリとカビで死にかけたって、
      きっと拷問の道具もそこにあるぞ」…と誘った。ジェムはアティカスに叱られると言ったが、
     結局は見に行くことになる。
     3人は裁判所に入り、法廷の扉のすき間から中を覗いてみたがよく見えない。そこでジェムと
     私がディルの足を抱え上げ、彼に上の窓から見てもらうことにした。

     「静かだな、判事さん寝てるよ、君たちのパパと黒人が…黒人が泣いてる、何をしたのかな」
     …ディル上の窓を覗きながら言う。
     「それから?」…ディルを見上げながら私が聞く。
     「男の人がたくさん座ってる、誰かが黒人に怒鳴ってるよ…黒人が連れて行かれた」
     「アティカスは?」…ジェムが聞く。
     「アレ、どこかに行ったみたい、もういない」

      法廷の扉のすき間から中を覗く子供たち   ディルの足を抱え上げるスカウトとジェム

            

      3人でそんな話をしていた時、横の部屋からアティカスが出て来て子供たちに気づく。
     「ここで何してる?なぜ裁判所に来た}…アティカスが聞く。
     「ブ-のいた地下室が見たくて、あとコウモリも…」…とディル。
     「すぐに帰りなさい、早く、夕食には帰る」…アティカスに叱られて、私たちは裁判所を
     出た。

      子供たちが帰ったあと、酒に酔った男がアティカスに近寄って来て絡みはじめる。黒人に
     暴行されたとされる女性の父親ユ-ウェルである。
     「娘に乱暴した野郎を弁護するらしいな、通報するまえに殺せばよかった、あんたの手間と
      税金が省けたのに」
     「忙しいので失礼」…とアティカス、相手にしたくないようだ。
     「俺よりも犯人の言い分を信じるって?、何のつもりだ、あんな奴を信じるとはとんだ
      大間違いだぜ、あんた正気か?」
     「トムの弁護人として職責を果たすだけだ、失礼する」…そうアティカスは言ってその場を
     離れた。
     「人でなしめ、あんたも人の親だろ!」…ユ-ウェル、アティカスの背中に浴びせる。

      その夜、デイルがジェムを呼びに来た。昼間裁判所の地下室を見れなかったので、ブ-の
     家に探検に行こうと誘いに来たものらしい。夜になるとブ-が現れるかもしれないのだ。
     私が”怖い”と言ったら
     「臆病者は来なくていいぞ、女の子らしく家で待ってろ」…ジェムは私を置いて行こうと
     したが、ブ-見たさに一緒について行くことにした。ジェムは垣根越しに様子を窺って
     いたが、
     「裏から行こう、金網をくぐるんだ、絶対大丈夫」…と言うので私たちは裏に廻り、垣根を
     乗り越えて裏庭に入り腹這いになって進んで行くと金網にブチ当った。

         垣根越しに様子を窺うジェム        ブ-の家の裏庭で様子を窺う3人

          

      破れた金網を這いくぐると裏木戸のところに出た。ジェムが扉を開けようとすると
     ”ギイ-”という音、一瞬ビクリ。そこでディルと私が、音がしないように蝶番にツバを吐き
     かけ、扉を開けて中に入り、そろそろと前に進んで行く。辺りはシンと静まりかえっている。
     ブ-が出て来そう、怖い。

          裏木戸を開けて中に入る3人           ブ-の家の玄関

          

      3人はじっとブ-の家を見つめていたが、ジェムが縁側に這い上がって行き、背伸びして
     ドアのすき間から中を覗こうとした。すると、どこからかギ-という音、私は心臓が
     ドキドキしてきた。ディルも心配そうに見ている。その瞬間、スウ~と大きな影がやって
     きて、ジェムの頭をさわっているのが見えたのだ。私はビックリして思わず両手で顔を
     覆った。ディルも顔をふさいでいる。

                 ブ-の縁側にスウ~とやってきた黒い影

           

         黒い影にビックリするスカウト        ブ-の縁側で様子を窺うジェム

        

      しばらくして恐る恐る指の間からのぞくいて見ると、黒い影は消えていた。ジェムはまだ
     座ったまま顔を隠していたが、私が
     ”ジェム!”と呼びかけるとビックリしたように跳ねあがり、”逃げろ!”と言ったかと思うと
     一目散に走りはじめた。でも金網のところで待ってくれていたので、ディルと私が先に出た。
     ジェムは2人が出たあと金網をくぐろうとしたが、ズボンがひっかかってしまい脱出できなく
     なっていた。私とディルが彼のズボンを金網から外そうとしたがなかなか取れない。
     ついにジェムはズボンを脱いでしまい、パンツだけの恰好でまた走りはじめた。私もディルも
     追いかけて行きやっと近所の家の庭に入ったが、3人ともまだハアハア大きな息をしている。
     私が
     「ズボンどうするの?」と聞くと
     「そうだな、こんな恰好ではアティカスに叱られる、ズボン取ってくる、10数えるうちに
      帰ってくるから」…そう言ったかと思うとジェムは猛然と走って行った。私が
     「1、2、3…10、11、12、13、14」と数えているとジェムが大きな音をたて、垣根を飛び
     越えて帰ってきた。犬が大きな声で吠える。

          金網から這い出るスカウト          ズボンを脱いでしまうジェム

          

      いよいよ私は小学校1年生になる日がやってきた。その第1日目、授業を終えて学校を出た
     途端同じクラスの男の子に
     ”許せない!”と言っていきなり跳びつき、押し倒してやった。学校にいる時、この子のせいで
     先生に怒られたからだ。私が馬乗りになって男の子を押さえつけている時、驚いたジェムが
     やって来て
     「やめろ!何してるんだ!」…と言いながら私をうしろから抱きかかえ、男の子から引き
     離した。
     「こいつが悪いのよ、昼食代を持ってこないから、貧乏だと説明したら先生に怒られたわ」…
     ジェムに言う。

         男の子を押さえつけるスカウト        ジェムに引き離されるスカウト

          

     「カニンガムさんの息子?」…ジェムが聞くと相手はうなずく。
     「今夜家に来ないか、夕食に招待するよ、パパたちは友達だし」…彼が誘うと、その子は
     始めは首を振っていたが、結局は夕食に招待されることになった。

      夕食時アティカスは、
     ”どうぞ召し上がれ”と言いながら料理の牛肉ステ-キを皆に盛ってあげていた。
     カニンガムさんの息子ウオルタ-は滅多に牛肉は食べないらしく、いつもウサギかリスが
     多いと言っていたが、シロップをかけすぎていたので私が、
     「あんた何してるのよ、シロップのかけすぎよ、せっかくの料理が台無し」…と言ったら
     メイドのキャルから
     「スカウト!こっちに来なさい」…と台所に呼び出され
     「お客さまですよ、文句を言ったらいけません、いい子にできないなら台所で食べなさい」…
     ひどく叱られた。私は悲しくなりすねて外に出ていったら、アティカムがやって来て諭す
     ように話をしてくれた。

     「行儀が悪いぞ」
     「もう学校なんか行かない」
     「まだ1日目じゃないか」
     「だって全然おもしろくない、親の読み方は間違ってるからもう教わるなと先生が怒るの、
      その先生ウオルタ-にお金を恵むのよ、あの子は物乞いじゃないのに、先生は何も
      わかってない」
     「先生も新米でまだ事情を知らないのさ、まあ待ちなさい」…と言ってアティカスは私を
     抱きよせながら続ける。
     「考え方をすこし変えれば皆とうまくやっていける、相手の立場になって考えてごらん、
      その人になったつもりで想像する」
     「学校に行くなら、本読みの練習ができない」
     「”妥協”ってわかるか?」
     「法を曲げること?」
     「いや、話し合いでお互いが歩み寄ることだ、こうしょう、ちゃんと学校にも通う、毎晩の
      本読みの練習もいままで通り続ける」…アティカスは私を自分の方に向かせ、眼を見ながら
     やさしく説明してくれた。

                   すねたスカウトを諭すアティカス

          

      ある日の夕食後アティカスが車で出かけようとしていたので、私は
     「連れてって、お願い」…ねだると、ジェムも
     「僕も行きたい」…と言いながら走って出てきた。
     「仕事だよ、子供は退屈する」
     「退屈なんてしないから」
     「ヘレンと話す間は車の中で待つんだぞ、あとで文句を言うなよ、それでよければ乗り
      なさい」
     「ヘレンって誰?」
     「依頼人の奥さんだ」
     私たちは暗い夜道を走りヘレンの家に着く。そこには女性に暴行したとされるトムの家族が
     住んでいた。
     私とジェムが車の中でアティカスの帰りを待っている時、酒に酔った男がフラフラと車に
     近づいてきた。窓に手を当て私たちを恐ろしい形相で睨んでいる。あとで分かったのだが、
     娘を暴行されたという父親のユ-ウエルさんらしい。私は怖くなり、車のそばに来ていた
     黒人少年に頼みアティカスを呼んでもらった。

         車の窓に手を当て脅すユ-ウエル         ユ-ウエルを見るジェム

          

      アティカスがやってくると
     「黒人の仲間め!」…ユ-ウエルは吐きだすように言い、フラフラしながら去っていった。
     「怖がるな、ただの脅しだ…世の中には汚れた部分もある、見せたくはないが…難しいな」…
     アティカス私たちに言う。

      二度とケンカするなとパパと約束させられたが、守るのは至難の業だった。私が我慢する
     ほど友達は図にのってきた。そしてセシルの一言で約束は破られた。

                    友達とケンカするスカウト

          

      家の玄関前でふさっているとアティカスが心配して
     「どうした?」…私に尋ねる。
     「黒人野郎の弁護をするの?」
     「その言い方はよせ」
     「セシルがそう言ったからケンカしたのよ」
     「ケンカしない約束は?」
     「だってセシルが…」
     「どんな理由にしろケンカは許さない、トムという黒人を弁護するのは本当だ、子供のお前
      にはまだ分からない事もある、トムの弁護に反対する者も少なくない」
     「反対されるのになぜやるの?」
     「一番の理由は…もし断れば公平な人間ではなくなる、お前たちを叱る資格も失う」…
     アティカス私を抱き寄せ、さらに言う。
     「学校で嫌なことを耳にしても、これだけは約束してくれ、何と言われても絶対にケンカ
      しないこと」
     「うん」…アティカスの言葉に答えた。今度は本当に約束したのだ。

                   アティカスの話を聞くスカウト

        

      何日か経ったある日、ジェムが顔と片手を前に突き出し、ヘンな恰好で歩いていたので
     「何してるの?」…と聞くと
     「エジブト人さ、世界の基礎を作ったんだって、学校で習った」
     「そうなの?」
     「文明の発祥地だ、ミイラやトイレの紙も発明した」…ジェムが言うので私もマネしてみた。
     「違うってば、足の向きはこう」…またヘンな恰好して見せたが、木の穴に何かあるのに
      気づいたらしく
     「スカウト、これ見て」…と言う。私もその穴を覗くと、何か置いてあるのが見えた。
     ジェムが取り出し
     「これはエジプト人形だ、それも古代のものらしい」…確かにジェムの言う通り不思議な
     人形だ。
     「前髪がジェムと同じ」…私が言うとジェムが
     「女の子はお前そっくり、これ僕たちだよ」…と私の顔を見て眼を輝かせた。そんな話を
     していた時、突然背丈の高い老人が現れ私たちをじっと見つめていたが、無言でシャベル
     を取り出しセメントで木の穴をつぶしはじめた。…もしかしたらブ-のお父さんなのかも
     しれない、でもどうして穴をつぶすんだろう?…。

             古代エジプト人形?              突然現れた老人

          

      その晩ジェムのベッドに行ったら箱を開けて何かじっと見ている。大事なものらしい。
     「何の箱?」…と聞くと
     「いいから早く寝ろ」
     「教えて」…ジェムはなかなか見せてくれなかったが、私が何回もねだると
     「絶対誰にも言うなよ」…ようやく見せる気になったようだ。
     「誓うわ」…私は左手を挙げて宣誓した。
     「本当に?」…ジェムおもむろに箱を開ける。中には昼間の人形、壊れた時計、ペンダント、
     ナイフ、首輪、腕輪、メダル…いろいろな物が入っていた。ジェムが宝物のように大事にして
     いるものらしい。
     「全部あの木の穴で見つけたんだ」…と彼は言いながら、一つ一つ取り出し誇らしげに見せて
     くれた。そしてこんな話をした。
     「実はあの晩すごい事があったんだ、ズボンを脱いで逃げただろ、金網から外れなくて…でも
      取りに行ったら、たたんで掛けてあった…戻ると知ってたんだ…もしかしたらブ-がしたの
      かもしれない」…。

           スカウトに話すジェム          箱に入れてあったジェムの宝物

          

      その後しばらくブ-の話題は出なかった。1年が過ぎ夏の訪れとともにディルと再会した。
     家の前を連ねて通り過ぎる車を見て、ジェムがアティカスに聞く。
     「乗ってたの誰?」
     「トム・ロビンソンだ」
     「今までどこに?」
     「アボッツビルの留置所」
     「なぜ?」
     「彼の安全のためだ、明日裁判だから町に連れ戻したんだよ」…アティカス椅子に座り書類を
     見ながら答える。

      その晩保安官がやってきてアティカスに
     「トムを戻した話しが町中に広まってる、被害者の仲間が騒ぎを起こす恐れがある」…
     と伝える。
     子供達を心配したアティカス、メイドのキャルに今夜泊まってくれるように頼む。彼はその
     夜翌日のトムの裁判に備え、留置所の前で深夜まで番をしなければならないのだ。私達は
     家から出ないように言われ一旦ベッドに入っていたが、何かが起こりそうな気がしてなかなか
     寝られなかった。
     ジェムが私の家に泊まっているディルに
     「裁判所に行ってみよう」…と誘った。デイルは
     「そうだ、あの地下室が見られるかもしれない、行こう」…と言うなりベッドから起きて
     ジェムと一緒に外に出て行った。私も後を追いかけて行く。私達は夜道を走り、裁判所近くの
     茂みの中で様子を窺っていると、7~8台の車がやって来てアティカスが座っている留置場の
     前で止まった。

         茂みの中から様子を窺う子供たち       留置場の前で番するアティカス

          

      そして大勢の人たちが出て来て彼の前に集まった。何人かは銃を持っている。その中の
     一人が
     「奴は中か?」…と聞く。
     「そうだ、もう寝てる、起こすなよ」…皆を見ながらアティカスが言う。
     「目的はわかるな?、そこをどいてくれ」
     「家に帰ったほうがいい、保安官が来るぞ」
     「来ないさ、連中は俺たちを探して農園に行った、だから別の道を来た、驚いただろう」…
     と町の人。
     私たちは遠くから様子を見ていたが心配になり、走って行き大勢の人の中をすり抜けて
     アティカスの眼の前に出た。ビックリしたアティカスがジェムに
     「2人を連れて帰りなさい」…と叱ったが
     「イヤだ」…ジェム言い張る。町の人がジェムを抱え上げ
     「家まで送ろう」…と言ったが、ジェムは
     「触らないで、放してよ!」…突っぱねた。私はジェムを助けようとしたが、アティカスが
     「スカウトもういい」…そう言って私を呼び寄せた。
     「ジェムに乱暴したわ」…私はアティカスを見上げながら訴えた。
      私は一番前にカニンガムさんがいることに気づき話しかけた。彼は時々私の家に作物を
     もってきてくれていたので顔なじみだった。息子のウオルタ-とはケンカしたが、そのあと
     夕食に招待している。
     「カニンガムさん畑仕事は忙しい?」…カニンガムきまり悪そうに黙っている。
     「私を忘れちゃった?スカウトよ、昔ヒッコリ-の実をくれた、お話もした、パパとお礼を
     言ったわ、オジさんの子供と同じクラスなの、いい子だわ…今年は不作だったのよね」…
     カニンガム、困った顔をしている。そこでアティカスを見上げながら
     「カニンガムさんを励まそうと思ったの」…と言った。そしてカニンガムさんの方見て
     「いい作物は時間がかかるって…どうしたの?」…アティカス、うなずきながら娘の肩を
     抱く。その言葉でカニンガムようやく口を開いた。
     「わかってる…せがれにも伝える…」…そして後ろにいる町の人たちに
     「引き上げよう、帰るぞ」…と声をかけた。その呼びかけに大半の人は帰りはじめ、まだ
     留置場を見つめて残っていた人たちも、引きづられるように帰って行った。
     「お前たちも帰りなさい、私は遅くなる」…アティカスが言うと、私達も引き上げた。

         カニンガムに話しかけるスカウト       スカウトの話を聞くカニンガム

          

      翌日はトム・ロビンソンの裁判が開かれるため、馬車が次から次に家の前を通り過ぎ、
     裁判所に向かって行った。私たちも、アティカスに怒られるかもしれないと思いながらも
     是非見たくて裁判所に行ったが、1階の傍聴席はすでに満員、そのため2階に上がり黒人
     神父さんの横に座った。2階にいる人のほとんどは黒人だった。
     間もなく開廷され、保安官が起訴理由を読み上げる。

     「8月21日の晩、帰り支度をしているとユ-ウェルさんが署に興奮状態で現れ、
     ”来てくれ娘が暴行された”と…彼の家に駈けつけると被害者はひどい傷で、殴ったのは
     トムかと聞くと”そうです”と、
     誰に暴行され たか尋ねると、”トムに”と…以上です」…
     続いてアティカスが保安官に聞く。

     「医者を呼んだか?」
     「いいえ」
     「なぜ」
     「傷の状態から必要ないだろうと…暴行事件と判断できたので」
     「被害者の傷の状態を具体的に」
     「頭を殴られて腕には青アザができて…眼の周囲にもアザが」
     「どちら側の?」
     「確か…左側だ」
     「それは君から見て?それとも被害者から?」
     「被害者からだと右だ…思い出した確かに右だ、顔の右側を殴られていた」…保安官説明
     する。
     アティカス立ち上がり、保安官の横に行き確かめる。
     「どちら側?」
     「右側だ、両腕にはアザ…首にもはっきりと指の跡が」
     「指の跡は首全体に?首のうしろにも?」…アティカス聞く。
     「首全体だ」…保安官答える。

               保安官に、被害者の顔の傷は右か左かを聞くアティカス

          

      次に証人が指名された。被害者の父親ロバ-ト・ユウ-ウェル、手を聖書に当て真実のみ
     を述べると宣誓させられたあと、保安官が尋ねる。

     「ユ-ウェルさん、8月21日に起きたことを正直に述べてください」
     「森から戻る途中娘の悲鳴が聞こえて家へ走った、だが垣根に服がからまり時間を食った、
      窓に駆け寄った時には奴が娘に乗ってやがった」…とユ-ウェル。
     「それからどうしましたか?」
     「裏口から駈けこむと奴は玄関から逃げた、だが顔は確かに見た、間違いない、娘に駆け
      寄ると床に倒れていた、俺はすぐ保安官のところへ」…そうユ-ウェルは言い放ち、勝ち
     誇ったように自分の席に戻りかけたが、アティカスに呼びとめられた。
     「私からも質問が」
     「いいとも」
     「証人はよく走った、家へ帰り、窓へ駈けより、家の中へ、娘さんの側へ、保安官のところ
      へ、なのに何故医者へは走らなかった?」
     「必要がなかった」
     「傷の状態について保安官の証言に異議は?」
     「全部彼の言う通りだ、眼の周りもアザだらけ、ひどく殴られてた」
     「ユ-ウェルさん、字の読み書きは?」
     「もちろん出来る」
     「では名前を書いて見せてください」…と言いながらアティカス、紙とペンを証人に持って
     いくと、ユ-ウェル左手で自分の名前をサインしてアティカスに渡した。
     「何のつもりだ」
     「左利きですね」…アティカス確かめる。
     「それが何だ?俺は信心深い善良な男だ、何を企んでる?俺をハメル気だな!」…ユ-ウェル
     大声で喚くが、裁判長に”静粛に”と注意され、興奮して席に戻った。暴行したのは父親では
     なかったのかと、暗にほのめかされたのである。

      名前をサインしてアティカスに渡すユ-ウェル       わめくユ-ウェル

          

      次に被害者メイエラ・ユ-ウェルが呼び出される。保安官が聞く。

     「メイエラさん、何が起きたか述べてください」
     「ボ-テにいたら彼が通りががって…庭に古いタンスがあったので、タンスの解体を彼に
      5セントで頼みました。庭に入って来たので私はお金を取りに部屋へ…振り向くと彼に押し
     倒されて…叫んで抵抗したけど首を絞められ何度も殴られて…気づいた時は父が部屋にいて
     叫んでた”誰にやられたかと…”
     彼女時々つまりながら説明する。保安官の質問を終え、アティカスが尋ねる。
     「メイエラさん、お父上との仲はどうです?、うまくいってますか?」
     「優しい父よ」…と言った。
     「シラフの時だけ?、怒って殴るようなことは?」…質問にメイエラ驚いた顔になる。
     しばらくためらっていたが、
     「ぶたれたことは1度もないわ」…と言った。
     「トムに解体を頼んだ…何でしたっけ」
     「古いタンスよ」
     「庭に招き入れたのはそれが初めて?…アティカス鋭く切り込む。
     「はい」
     「それ以前には一度も?」
     「…たぶん」
     「何度かあったのでは?」…彼の追求にメイエラは顔をそむけていたが、
     「ありません!」…激しく首を横に振った。
     「首を絞められたのは確かですか?」…という質問に、今度は首を何度もタテに振った。
     「その時犯人の顔を見た?」
     「覚えてないわ…あとで思い出して…いえ間違いないわ、あいつが殴ったの!」…彼女
     しどろもどろに答える。

         メイエラに質問するアティカス       顔をそむけながら答えるメイエラ

          

     「ありがとう、犯人が法廷内にいますか?」…アティカスが聞く。
     「はい、あの男です!」…トムを指さす。
     「立ってくれ、彼女によく見てもらおう」…アティカスの指示でトム立ち上がるが、
     メイエラはためらってトムから眼をそらす。
     「トム、これを受け取って」…アティカスがグラスを投げると、トムは右手で受け取った。
     さらに
     「今度は左手で取ってくれ」…と言うとトムは
     「できません」…と答えた。
     「なぜだね?」
     「左手は動きません、12歳の時機械に挟まれて、それ以来筋肉がマヒを…」…トムの言葉に
     法廷内ザワめく。
     「この男が暴行を?」…アティカス、トムの傍に近づき彼女に聞く。
     「間違いないわ」…彼女の声ふるえている。
     「どうやって?」…具体的に聞こうとするアティカスに彼女は
     「わからないけど…確かにその男よ」…泣いてつまりながら言う。
     「首を絞められ殴られたと証言しましたね、背後からいきなり殴られたのではなく、振り 向い
     て見ている、本当の事を言ってくれ」
     「すべて事実よ」…と言いながらアティカスに顔をそむけ、声をつまらせる。そして
     「もう話す事はないわ、あいつが犯人よ…気取ってないでこんな茶番終われせて!あんた達は
      憶病者よ!能書きだけは一人前で、偉そうにふるまっても中身はカラッポなくせに、優しい
      声で丸めこもうとしてもそうはいかないわ!」…とメイエラはヒステリックに泣き叫び、取り
      乱しながら自分の席に戻った。

         右手でグラスを受け取ったトム      右手で受け取ったトムを見て驚くメイエラ

          

     最後にメイエラに暴行したとされる、トム・ロビンソンが呼び出された。弁護人のアティカス
     が質問する。
     「メイエラ・ユ-エルを知っているね?」
     「はい、彼女の家は畑への通り道なので」…と、トム。
     「ほかに道は?」
     「私の知る限りありません」
     「彼女に話は?」
     「はい通る時に会釈を…ある日タンスを壊してと頼まれたので斧を借りて解体を…お礼に
       お金をくれると言われたけど、断って家に帰りました…去年の暮でした、1年以上も前の
       話です」
     「その後彼女の家には?」
     「行きました」
     「いつ?」
     「その後何度も、通る度に頼み事をされました、まき割とか水汲みを」
     「昨年の8月21日の晩何があったかを詳しく」
     「いつも通り畑からの帰り道でした…ポ-チに彼女が座っていて頼みたい事があるから
      入ってくれと…まき割だと思い庭に入って見廻したが何もなかった…すると戸の修理だから
      中へ入ってくれと…入って戸を調べたがどこも壊れていない…彼女は戸を閉めた…家の中が
      静かで不思議に思っていたが…その時気がついた、弟たちが留守だったんです。どこに
      行ったかと彼女に尋ねると、アイスクリ-ムを買いにと…彼女が1年間貯めた金を 持ち、
      弟たちは町へ行ったのだと…」
     「君は何と言った?」
     「あなたのような姉がいて弟さんは幸せだと…他に用もないようなので私が帰ろうとすると、
      手伝う事はあると引き留められました…椅子に乗りタンスの上から箱を降ろしてくれと…
      私は椅子に乗り箱に手を伸ばした、その瞬間彼女が私の足に抱きついた…私は驚いて跳び
      降り椅子を倒した…傷つけたのは椅子だけだ、本当です」

                      2階で傍聴する黒人たち

           

         アティカスの質問に答えるトム        トムの証言を聞くユ-ウエル親娘

                

     「椅子を倒してそれから?」.…アティカスの質問にトムためらう。
     「真実のみを述べると誓ったね、話してくれ、その後何があった?」
     「椅子から跳び下りて振り返ると…彼女が抱きついてきた、腰に手を回し私の顔に何度も
      キスを…キスの経験がないから知りたいのだと…私からもキスするように迫られた…
       許しを請い逃げようとした時、ユ-エルさんが窓越しに叫んだ
      ”このアマ殺してやる”と、」…トム苦しそうな表情で答える。
     「その後は?」
     「必死で走ったのでよく覚えていません」
     「トム、彼女に暴行したか?」
     「していません」
     「傷を負わせたことは?」
     「ありません」…と、トムきっぱり。

         苦しそうな表情で供述するトム           トムに質問するアティカス

          

      アティカス質問を終えて席に戻る。代わりに保安官が質問に立つ。
     「昼は片腕で家具を解体できる、女を倒して首を絞めるぐらい簡単だろう」
     「してません」
     「だがその力はある」
     「おそらくは」
     「なぜいつも彼女の頼みを聞いた?」
     「手伝う人がいないようなので」
     「父親と7人の弟がいるのに?、君がまき割などすべて手伝っていた謝礼も受け取らず、
       たいしたお人よしだな」
     「彼女が気の毒に思えたので」
     「気の毒に思った?、白人の女性を?、黒人の君が?」…保安官はそう言って席に座った。

     そして再びアティカスが立ち、皆を見廻しながらこう訴えた。

     「本件は裁判に値しないと思われる。何故ならば検察側には起訴するに充分な医学的
       証拠が何ひとつない、たった2人の証言だけが頼りだ。その証言すら確かな裏づけもなく、
       被告の供述と大きく矛盾する。
      状況証拠によれば被害者はひどく殴打されていた。その傷から加害者は左利きだと
       推測できる。そしてトムは我々の前で宣誓した。彼が唯一使える手、右手でだ…私は
       被害者に対し心からの同情を禁じえない、彼女は貧困と無知の犠牲者だからだ。だが
       自分の罪を隠すため他人を踏みにじる気なら、同情ゆえに見過ごすことは出来ない」…
       アティカスの言葉に、法廷内は水を打ったように静まりかえる。ジェムもスカウトも、
       身を乗り出すように耳を傾けていた。

                   皆を見廻しトムを弁護するアティカス

             

             アティカスの言葉をじっと聞くジェム、スカウト、ディル

          

      さらに彼はつづける。

     「彼女を駆り立てた動機を”罪”と表現した。だが犯罪ではない。世間に古くからある掟を
     破ったに過ぎないのだ。これを破った者は我々の社会から追放される。彼女にはその
     ”証拠”を消す必要があった。その証拠とは何か…トムという生きた人間である。彼女には
     トムを消し去る必要があった。トムが生きている限り自分の過ちを思い出してしまう。
     その過ちとは何か?…白人でありながら黒人を誘惑した…この社会では口にも出せぬ行為、
     黒人との接吻、老人ではなく、若くたくましい黒人男性だ。今まで気にも留めなかっ掟が
     彼女を苦しめはじめた…皆さんの前で証言した証人は、保安官を除き疑われるはずがないと、
     人をくった確信があった…陪審員がある前提のもとに審議するという確信だ…その前提とは
     すべての黒人はウソつきで不道徳で、女性を必ず”だます”という偏見である。誰もがそう
     思っていると信じこんでいる…だがその考えは間違いだ。いまさら言うべき事でもない…
     謙虚で誠実な黒人の若者が運悪く白人女性に同情したがために、2人の白人に反論する羽目に
     なった…被告は無実だ、罪は法廷内の人物にある。

      熱弁をふるってトムの無実を訴えるアティカス     2階の柵の間から見るスカウト

          

      そして彼は陪審員の方を向き
     「陪審員の皆さん、我が国において裁判は絶対の公正を約束をしており、すべての人間は
     法のもとに平等である。現行の裁判を疑わぬほど、私は夢想家ではない。裁判は夢物語
     ではなく現実なんだ。私は信じて いる…今までの証言や証拠を皆さんが公正に判断して
     被告を家族のもとへ帰してくださることを…神の名のもとに義務を果たしていただきたい、
     神の名のもとに被告を信頼してほしい」…そう訴えてアティカス座る。
     シンとした静けさを破るかのように裁判長の声が響く。
     「これから審議に入る、それまで休憩する」
     傍聴人は判決を待っている。動くものは誰もいない。それまでじっと聞いていたジェムが
     ポツンと言った。
     「きっと無罪だよね」
     私も無罪だと思った。トムの供述は本当で、アティカスの言うことが正しいと思った。
     2時間後審議が終わり、陪審員、裁判長、判事、保安官そしてアティカスも入廷、トムも
     鎖を外され席に座る。みな真剣な表情で結果の発表を待っている。裁判長が口を開いた。
     「開廷する、全員起立」…バンバンという木槌の音で座る。
     「陪審員、評決は?」…裁判長の問いに陪審員の一人が言う。
     「出ました」
     「被告は起立して陪審員を、評決を」…裁判長の呼びかけに、トム立ち上がり陪審員の方を
     向く。
     「被告は起訴通り有罪」

                     判決を待つアティカスとトム

           

          トムの有罪を告げる陪審員        有罪のトムに声をかけるアティカス

          

      陪審員の一声に2階席ザワめく。トムがっくりして、よろめくように座る。ほどなく閉廷が
     告げられた。アティカスはある程度予期していたのか、あまり表情を変えることはなかった。
     しかしトムが退廷する時、
     「力を落とすな、まだ再審がある、望みはある、絶望するな」…と彼に声をかけていた。
     トムはしばらく落ち込んだ表情でアティカスの顔をじっと見ていたが、何も言わないまま
     保安官に連行されて行った。

     ジェムは”どうして?”とつぶやき、顔をふせて何か考えている風だった。私も”どうして?と
     思った。トムの言うことが真実だと思ったのに、なぜ?…よくわからないけど陪審員は全員
     白人だったからかしら?…。
     判決を下すのは陪審員、この町にすむ普通の人たちである。裁判官ではないのだ。
     閉廷してからでも、2階の神父と黒人傍聴者は立ち去りがたい思いで、書類をかたづけて
     いるアティカスを静かに見守っていたが、彼が法廷を出て行くと、ようやく彼らも裁判所を
     出て行った。それは彼に対する感謝の気持を表しているようにも思えた。トムが有罪に
     なったとはいえ、彼への弁護の言葉は大勢の黒人たちの胸をうったにちがいないのだ。

          閉廷してからでも、2階からアティカスを見つめるジェムと黒人傍聴者たち

            

      私たちはアティカスと一緒に裁判所をあとにし、家に帰った。その直後保安官が車でやって
     来てアティカスに
     「話しがある」…と言った。二人はしばらくの間話し合い、そのあと保安官は去って行った
     が、アティカスはそのままそこに立ちつくし動かなかった。肩をガックリ落とし、背を向け
     たままうなだれている。
     長い時間が経ったような気がした。やがて彼はゆっくりと向きなおり、こちらにやってきて
     重い口を開いた。

     「トムが死んだ…安全のためアボッツビルに護送中、トムは逃走した。保安官代理の制止も
     聞かず走り続けた。足を狙ったが弾がそれて…トムは死んだ…トムの中で何かが壊れたよう
     だったと…絶望せず、再審を待てと言ったのに…勝算はあった…救えたかもしれないのに…
     家族に知らせる…」
     私はビックリした。悲しい気持が胸にこみあげてきた。どうしてなの?…トム…。

     トムの家族のところに出かけようとする、アティカスのうしろ姿を見てジェムが
     「一緒に行こうか?」…と言った。
     「いや一人のほうがいい」
     「僕も行くよ」…アティカスはじっとジェムを見ていたが、車で待つならということで、
     連れて行くことにした。
     トムの家の前に着くと年配の男が出て来た。
     「トムの父親、スペンスです」・・・二人は握手したあと、アティカスが聞く。
     「ヘレンは?」…トムの妻の名前。
     「中で休んでいます、再審の話しをしていました、いつ頃ですか」…父親の問いに、
     アティカスはしばらく間をおいて
     「再審はありません…トムは死にました」
     「死んだ?」…それだけ言って父親は絶句した。ヘレン家から出てくるが、父親の声が聞こ
     えたのかその場に倒れ泣き崩れてしまった。アテッカスは彼女を抱きかかえ、家の中に
     入って行った。

           トムの父親と話すアティカス      アティカスを見つめるトムの妻ヘレン

          

      そこにメイエラの父親ユ-ウエルが現れ、
     「アティカス・フィンチを呼んで来い!」…トムの父親に叫んだ。かなり酒に酔っている。
     アティカスが出て来ると、いきなりツバを吐きかけた。アティカスは黙ってユ-ウエルを
     睨みつけていたが、ゆっくりとハンカチを取り出し顔を拭き車に乗った。彼は殴りつけて
     やりたい気持を我慢したのである。

       ツバを吐きかけられ顔を拭くアティカス    アティカスにツバヲ吐きかけるユ-ウエル

          

      10月町は再び静かになった。私はまたブ-が気になりはじめた。そして待ち望んだ
     ハロウインの夜、郡の農産物をテ-マに仮装大会が開かれ、私はハムの着ぐるみで仮装して
     臨んだがその帰り、着ぐるみが脱げないままジェムに付き添われて夜道を歩いて家路に向か
     っていた。木々が生い茂る暗い道で、心配した
     ジェムが
     「危ないから支えてやるよ」…と言ってくれたが私は
     「1人で歩けるもん」…と答えた。でも私が裸足で歩いていたので、
     ジェムがまた聞いた。
     「クツは?」
     「わからない」
     「明日探そう、管理人さんに頼む」
     そんな話をしながら歩いていたが、ジェムが何かに気づいたらしく
     「シ-、誰かが来る」…立ち止まって私に言った。でも私には何も聞こえない。
     「何なの?」
     「静かに…何か聞こえた…いいや行こう」…二人はまた歩きはじめたが、また
     「待て」…ジェムはうしろを振り返り、警戒するような眼で辺りを見ていたので、
     「私を脅かしてるつもり?、イヌの鳴き声よ」…と言ってやった。
     「歩くと別の音が、止まると消える」…とジェム。
     「私の衣装の音でしょ、臆病者ね…アッ、聞こえた」…私にも何かの音が聞こえたのである。

     辺りを警戒するジェムと着ぐるみのスカウト        夜道を歩くジェムとスカウト

          

      その時木の間から人の影が現れ、ガサガサッとした音がしたかと思った瞬間、いきなり
     ジェムと私は押し倒されてしまった。
     「スカウト逃げろ!」…ジェムは起き上がりながら大声で叫ぶがまた襲われてしまい、殴られ
     蹴とばされひどく乱暴されていた。私はハムの着ぐるみのまま転がって動けない。
     何とか着ぐるみから抜け出そうともがいていたら、誰かが抱き起こし立たせてくれた。私が
     着ぐるみの穴から見ていると、もう一人の白い服の人が現れてジェムを引き離し、そのあと
     白い服の人と黒い服の人が格闘していた。

        何者かに襲われ押し倒されたジェム        着ぐるみの穴から見ているスカウト

          

      しばらくすると誰かのうめき声が聞こえていたが、やがて静かになった。でもジェムの姿は
     なかった。
     私は何とか着ぐるみから脱出して下着のまま必死で走って行くと、白い服の人がジェムを
     抱きかかえ、家の方へ走って行くのが見えた。家の前まで来るとアティカスが飛び出して出て
     きて、私を抱きあげてくれた。
     「何があった?大丈夫か?」…アティカスが聞く。
     「わからないの、でも大丈夫」
     「本当に?」

       誰かに抱きかかえられて運ばれるジェム      スカウトを心配するアティカス

          

      アティカスは随分心配していた。ジェムは誰かに連れ込まれ、ベッドで死んだようになって
     いる。
     「ジェムは死んだの?」
     「気を失っているだけだ、先生に診てもらう」…アティカス医師に電話、ほどなく医師が
     やってきてジェムを診る。
     「ひどい骨折だ、腕も完全にねじれているが、命のほうは大丈夫」

      しばらくすると保安官が訪ねて来た。アティカスが
     「何だ?」…保安官に聞く。
     「ユ-ウエルが脇腹を刺されて現場に倒れていた…死んだよ」
     「本当か?」
     「そうだ、もう子供たちは安心だ」…そう言いながら保安官は私に尋ねる。
     「何があったか、聞かせてくれ」
     「突然誰かに捕まって倒されたの…ユ-ウエルさんだと思うけど、ジェムも捕まって悲鳴を…
      そしてまた 私を…それもユ-ウエルさん、そしたらユ-ウエルさんが誰かに襲われて…
      うめき声を…その人がジェムをここに…」
     「誰だ?」…保安官が聞く。誰だろう?…周囲を見回すと、私は引き戸の陰に立っている男の
     人に気がついた。ジェムをここに連れて来たのは彼にちがいない。
     「そこにいる人よ、名前を聞いて」…私が彼の方に頬笑みかけると、彼もわずかに笑みを
     見せた。
     その時私はハット思った。あの時の黒い影の姿を…そうだ、あれに間違いない。
     そして私は言った。
     「ブ-ね?」…そう呼びかけると、彼はやさしい笑顔で私を見つめてくれた。

           スカウトに微笑みかけるブ-        「ブ-ね」、と話しかけるスカウト

          

     「ア-サ-・ブ-・ラドレ-さんだ…お前たちを知ってるようだ」…とアティカス。そして
     保安官に
     「外の空気を」…と誘い、二人は家から庭に出て行った。私は彼に近づき
     「ジェムにおやすみを言う?」…手を差し伸べると彼も私の手を握り、ジェムの寝顔を見る。
     「寝てるからなでてあげて、起きると触らせないから、今のうちよ」…そう言うと、彼は
     そっとジェムの寝顔をなでた。そして私は彼の手を引っ張って、外にあるブランコに座った。
     外ではアティカスと保安官が何か話し合っていた。
     「困った、どうすればいいんだ、気が動転してしまって…ジェムは何歳だ、12か13か…
     いずれにせよ裁判は避けられない、正当防衛にはちがいないが、まず署に出頭して…」…
     少し混乱しているアティカスを見て保安官が言う。
     「 ジェムが刺したとでも?そうじゃない」…そしてスカウトとブランコに座っているブ-を
     見る。

            ジェムの頭をなでるブ-         外のブランコに座るブ-とスカウト

          

      短い沈黙が流れ、保安官が口を開いた。
     「ユ-ウエルは転んでナイフを自分に刺した…無実の黒人が死に、その原因をつくった
      男が死んだ…これは当然の報いだ、犯罪を防ぐ行為なら違法とは言えないだろう…事実を
      公表しろと主張するだろうが、どうなると思う?、町中の女が同情して奴の家に押しかける…
      そしてあんたと町を救ったあの内気な男を人前に引きずり出す羽目に…それこそ罪だ、
      俺にはとてもできない…俺は有能じゃないが、仮にも郡の保安官だ…ユ-ウエルは転んで
      自分を刺した…おやすみ」…そう保安官は言って車に乗り、エンジンの音を響かせ帰って
     行った。
     「保安官の言う通りよ」…私が言うと、アティカスが
     「どうして?」…と聞いた。
     「マネシツグミを殺すのは罪なんでしょ?」…いつだったかアティカスから、
     ”マネシツグはさえずるだけで悪さをしない、穀物倉庫にも巣を作らない、美しい歌声で
      我々の心を癒してくれる”と教わったことを思い出したのだ。その言葉がよほど嬉しかった
     のか、アティカスは私を抱きしめた。

         スカウトを抱きしめるアティカス        握手するブ-とアティカス

          

      そしてブ-に
     「ありがとう、本当にありがとう」…と言い、彼に握手を求めた。
     私はブ-の手を握り、暗い夜道を歩いて彼の家まで送ってあげた…。

      隣人は贈り物で心を通わせると言うが、ブ-は人形、ナイフ、ペンダント、壊れた時計と鎖、
     そして命をくれた。ブ-は隣人だったのである…。

                 手をつないでブ-を家に送っていくスカウト

          


                                  ― THE・END ―

     「アラバナ物語」は1962年末に制作されたアメリカ映画で、日本では1963年に公開されて
     いる。
     人種的偏見が根強く残るアメリカ南部で、白人女性への暴行容疑で逮捕された黒人青年の
     事件を担当する弁護士の物語ではあるが、単なる法廷ドラマに終わらず、子供の視点から
     見た大人の世界や、周囲の人々に対する純粋な好奇心がノスタルジックに描かれている。

      私はこの映画を見て、自分の子供の頃を思い出した。深い海にもぐり、砂を取って来て
     友達に見せて自慢したり、当時食べ物は乏しい時代ではあったが、高いヤマモモの木に
     登って果実をとったり、他所の家のクリやカキをかっぱらって追いかけられたり、夜スプ-ン
     を持って畑のスイカを割って食べたり…
     今思い出すと子供ながら随分悪いことをした。それは、好奇心と冒険心の強かった、子供の
     頃の懐かしい思い出として残っている。ジェムとスカウト、ディルが夜ブ-の家に探検に
     出かけて行く、あの気持とよく似ているように思えるのである。

      裁判のシ-ンは圧巻だった。それまで多少退屈だった画面が、ここで一挙に盛り上がる、
     画面に引き込まれてしまう。トムを弁護するアティカスは事件の真相を解き明かし、トムが
     無実であることを訴えるが、結果は有罪。人種差別が蔓延するこの町では、かえってそれが
     陪審員の反感を買ったからだろう。古くから根強く残る風土と人の心に沁みついた感情は、
     容易に取り去ることは出来ないのだ。
     しかし弁護人のアティカスの言葉は感動的だった。人間の良心を感じる。
     アティカス演じるグレゴリ-・ペックの演技がすばらしい。妻を亡くした父親の子供に接する
     眼がやさしい、諭すように言う言葉がいい、真剣な表情でトムを弁護する表情もいい。
      彼は、「ロ-マの休日」とならんで「アラバマ物語」が大好きな作品だと告白していると
     いう。
     グレゴリ・ペックはこの作品でアカデミ-主演男優賞を獲得している。

      ブ-は内気でうまくものが言えない、社会性の乏しい人間として描かれ、夜以外は外に出る
     ことを許されず、いつも家に閉じ込められているため、彼の姿を見た人はあまりいない。
     それがあらぬ噂を呼び、子供たちの妖しい好奇心の対象になっている。しかし本来は子供の
     ような純真な心の持ち主なのだ。だから木の穴に人形や時計、ペンダント、鎖、ナイフなどを
     入れてジェムにプレゼントしたり、最後はスカウトとジェムを助けている。
     ジェム、スカウト、ディルたちの生き生きとした表情が、私たちの子供の頃を彷彿とさせて
     くれる。


       監 督       ロバ-ト・マリガン

       役 名         俳  優

       アティカス      グレゴリ-・ペック
       スカウト       メアリ-・バダム
       ジェム        フィリップ・アルフォ-ド
       ディル        ジョン・メグナ
       ブ-         ロバ-ト・デュヴァル
       保安官         フランク・オ-ヴァ-トン
       トム         ブロック・ビ-タ-ズ
       ユ-ウエル      ジェ-ムス・アンダ-ソン
       メイエラ        コリン・ウィルコックス
       キャル        エステル・エヴァンス


                                2014.2.24 記

                        私のアジア紀行  http://www.taichan.info/