西部戦線異状なし


                     戦場に送られるポ-ル

           

      「西部戦線異状なし}は、第一次世界大戦(1914年~1918年)によって戦場に送られた
     若者たちの戦争への恐怖、疑念、苦悩が描かれた反戦映画の秀作である。
     原作はドイツの作家レマルク、映画は1930年に公開されたアメリカ映画。

      第一次世界大戦が始まってまもないドイツのある街では、連日のように群衆の歓声に見送ら
     れながら戦場に送られて行く部隊があった。街は祖国のためにという、ナショナリズムの
     昂揚感に沸き返っていた。
      戦争の悲惨さなど誰も想像できない、誰の頭にもない、ただ群衆の頭にあったのは、彼らが
     祖国のために戦い必ず勝利を収めてくれるだろうということだった。

                群衆に見送られながら戦場に送られて行く兵士たち

             

      ポ-ルが通う学校では、カントレック教師が生徒たちを前にさかんに愛国心を説いていた。

     「我々は全力を尽くして戦わねばならない、年末までに勝利を手にするのだ。繰り返し言う
     ようだが、君たちは祖国の命だ、ドイツの鉄の男だ、動員され敵を倒す偉大なヒ-ロ-になる、
     君たちは立ち上がり祖国のために戦うのだ。君たちも同じ考えかね?…ある学校の生徒たち
     は軍隊に志願したらしい、君たちもそうであれば私も誇りに思う。行くべきでないと言う人も
     いるだろう、だが君たちの父親は祖国を忘れ滅びるに任せろというのか?…息子が国を
     代表することが耐えられないというのか?、戦争の経験は無意味なことか?若い女性は軍服に
     魅力を感じないのか?、安っぽい憧れなどないことは分かっている、教えた覚えもない、
     目先にこだわらず自分の価値を探求するのだ。戦争で一番大切なのは美徳である、軽蔑しては
     いけない、犠牲者を眼にしたらラテンの格言を思いだせ。”祖国に捧げる死は甘美である”…。  
     今祖国は君たちを呼んでいる!祖国がリ-ダ-を求めているのだ!…大義名分の下に個人的な
     野心は捨てろ、君たちの栄光が今始まるのだ、名誉の地が呼んでいる!…。


                   愛国心を説くカントレック教師

             

      教師はここで一息いれた。生徒たちは引き込まれるように彼の顔を見つめていた。
     ”よし、僕も祖国のために尽くそう”…そんな気持にさせられた。ポ-ルも、クロップも、
     ミュ-ラ-も、レ-ルも他の生徒たちも…。

                   教師の話を熱心に聞く生徒たち

          

                   教師の話を熱心に聞く生徒たち

          

       カントレックは皆の顔を見廻しながら問いかけた。

     「君たちはなぜここにいる、クロップ何が引き留める、ミュ-ラ-、君は必要とされている
     んだ。
     「ポ-ルどうするつもりだ?」…ポ-ルははじかれるように立ち上がり
     「行きます」…元気よく答えた。他の生徒たちも、次々と手を上げ眼を輝かせながら言った。
     「行きたい」
     「任せてください」
     「僕も行く」
     「準備は万端です」
     「もちろん行くさ」
      教室内は熱い空気に包まれたが、中には不安を口にする生徒もいた。
     「つれないな」…ベ-ムがつぶやいた。そんな彼の様子を見た他の生徒たちが集まり
     「そうだなベ-ム、でもみんなで一緒に行こうよ、力を合わせるんだ」
     「君一人ではないんだ、僕たちも一緒に行くんだ」
     「祖国のために共に戦おう」
     「君一人を見捨てたりはしない」…皆からそう口ぐちに言われるとベ-ムは抗しきれなく
     なり、
     「わかった、行くよ」…彼は級友の誘いに呑まれてしまった。自分一人卑怯者になりたく
     なかったからでもある。

                    ベ-ム(右)を説得する級友たち

               

       ベ-ムが応じると誰かが
     「そうこなくちゃ」と言ったのを機に教室内は大騒ぎになった。両手を振り上げ全身を
     動かして歌い踊り、気勢をあげる生徒たち…その様子をカントレック教師は満足そうな
     顔で見つめていた。

                   両手を上げ気勢を上げる生徒たち

          

      志願した少年たちは軍事教練所に徴集された。初年兵として軍事訓練を受けるためだ。
     宿舎に入り口ぐちに勝手なことをしゃべっていると上官が入ってきた。もと郵便配達員の
     ヒメルシュトス軍曹である。

                    上官のヒメルシュトス軍曹

           

     「気をつけ!」…威厳を正して命令するが、学生たちは彼の顔を知っている。
     「郵便局員のヒメルシュトスだ!」…誰かが言うと、ポ-ルが彼に近づき
     「立派な服だな、ここで何してるんだ?」…親しそうに話しかけるが、ヒメルシュトスは
     気にいらない。
     「階級が見えないのか!」…と一喝、しかしポ-ルは動じない。
     「見えるよ」
     「下がれ!」…上官は大声で叱るが、さらにもう一人が
     「元気にしてた?」…からかう。
     「何だと、ダマレ!」
     「どうしたんだよ」
     「上官の前では敬語を使え」
     「どこで手に入れたんだ、郵便隊所属か?」…彼の服を見ながら少年が言う。
     「ダマレ!」
     「そんな大声だすなよ、知り合いだろ、どうしたんだ?本気なのか?」
     「今に分かる」
     「3日前までは郵便局員だったのに」
     「うるさい!戻れ!、整列!、一列に並べ!」…いよいよヒメルシュトスは怒り心頭に発して
     いる。その声に押されてか少年たちは引き下がるものの、バラバラに並ぶ。中には壁に背を
     もたせている者もいる。

       ヒメルシュトスに親しそうに話すポ-ル     ポ-ルを叱りつけるヒメルシュトス

          

     その様子を見て上官はこう言い放った。
     「いい眺めだな、君たちは整列もできないのか、ひどいな、教育が必要だ、ゆっくり時間を
       かけてな、バカの扱いには慣れている、だが見捨てたりはせん、これから全力で教えてやる、
       お前たちの勘違いをたたき直してやる、手始めに知ってることは全部忘れろ、習ったことも
       全部だ、自分が何者か、何になりたかったかも忘れろ、兵隊になれ、立派な一人前の人間
       にしてやる、お前たちを兵士にしてやろう…気をつけ!」

     彼の迫力に少年たちはようやく整列し、直立不動の姿勢をとる。

                   直立不動の姿勢をとる少年たち

           

      翌朝初年兵の軍事訓練が始まった。

     「分隊伏せ!」…ヒメルシュトスが号令をかける。ところが一人伏せながら顔を上げる者が
     いた。教練場の敷地はドロドロのぬかるみである。
     「頭を下げろ、ポ-ル頭を下げろ!、分隊立て!行進、歌え!」…上官は矢つぎばやに命令
     する。少年たちは軍歌を唄いながら行進していくが、元気がない。
     「それでも歌か?、分隊止まれ!、やる気がないのか?遊びじゃないんだ、訓練だぞ、いいか
       もう一度やる」少年たちはやり直される。
     「分隊伏せ、立ち上がれ、さあ歌え」…少年たち、今度は大声で歌いながら行進する。
     こうした訓練は数日続いた。ある日訓練が終わりに近づいたとき、上官はこう告げた。
     「分隊止まれ!立て銃、3時から査閲だ」…ようやく少年兵たちは解散させられた。

                軍歌を唄いながら行進する上官と少年兵たち

           

       ドロドロのぬかるみから顔を上げるポ-ル      号令をかけるヒメルシュトス軍曹

          

     「あいつのせいで時間がない、査閲までたった4時間だ」
     「あいつの腹の中はどうなってるんだ」
     「からっぽさ、割って見てやりたい」
     「皮が厚くて切れないさ」
     少年たちはブツブツ言いながら引き上げる。そして4時間後、査閲の時間がきた。

     「立て銃、になえ銃、右向け行進」…上官のかけ声で少年たちは同じことを何回も繰り
     返させられる。やがてヒメルシュトスは査閲官に呼ばれる。
     「ヒメルシュトスよくやった、明日から前線だ、夜中に出発するぞ」
     「了解」…ヒメルシュトス。
     「分隊伏せ!ほふく前進!」…少年兵たちは腹ばいになって銃を構えながら前進する。

                    査閲官の前で整列する少年兵たち

           

      その夕刻少年たちは宿舎で不満をぶちまけていた。

     「門出を台なしにされた気分だぜ」
     「夜中に出発だとさ」
     「服を乾かす時間がない」
     「俺たちが苦労してるのにヤツは酒を飲んでるぜ」
     「一発殴ってやる、いつかやってやるぞ」
     「俺はケリを入れてやる」
      彼らがそんな話をしているとき、ポ-ルは大きな布切れを広げて何か細工をしていた。
     級友が聞く。
     「何をしてるんだ?、逃げる気か?」
     「まさか…いい考えがある、今に分かるさ」…ポ-ルが答える。

      その夜ヒメルシュトスは教練場の中をフラフラと歩いていた。
     「ウハハハ、ほふく前進、伏せ」…酒に酔い大声を出しながら上機嫌である。ところが木の
     上にひそみ、彼を待ち伏せする者がいた。ヒメルシュトスがだんだん近づき樹木の下に来た
     とき、突然彼は転倒した。木と木の間にかけられたロ-プにつまづいたのだ。とっさに木の
     上にいた少年兵たちが飛び降り袋状になったシ-ツをかぶせ、頭から詰め込んだ。さらに
     彼の尻を竹でさんざんひっぱ叩いたあげく、ぬかるみの中にほうり投げたのである。悲鳴を
     上げるヒメルシュトス…少年兵たちは誰かがくるのに気づき、すばやく逃げた。

     酒に酔い夜の教練場歩いてくるヒメルシュトス   ヒメルシュトスの尻を叩く少年兵たち

          

       少年兵たちは遠く戦場に送られることになった。
     貨車で運ばれ現地に着くと、爆音が轟き黒煙が立ち昇る中を大勢の兵士たちが行き交い混雑を
     極めていた。混乱する少年兵、すぐ近くに砲弾が撃ち込まれベ-ムは倒れてしまう。ポ-ルが
     気づき
     「ベ-ム、急げよ行くぞ」…彼を抱き起こし声をかけるが、どうやらひどいケガではなさ
     そうだ。ポ-ルは誰かの声にひっぱられるように先を急ぐ。この町は最前線から約10km
     離れているところだが、すでに激しい戦場となっていた。

         町を行き交う大勢の兵士たち            ベ-ムを気づかうポ-ル

          

      少年兵たちは兵営に入った。しかし荷物をどこに置いていいか分からない、ポ-ルが入口近く
     の壁の下に荷物を降ろそうとすると、先輩兵が
     「俺の名前はウエストフ、ここは俺の場所だ」…止められ、やむなく奥の隅に自分の場所を
     とった。
     他の少年兵たちもそれぞれ自分の場所を確保した。ただみな長旅で疲れ果て腹を空かせて
     いる。ポ-ルとデテリングが先輩兵のところにやってきて自己紹介する。
     「ウエストフさん、先程はすみません、こちらは農園をやってるデテリング、私はポ-ルです」…
     するともう一人の先輩兵が言う。
     「俺はチャ-デン、まあ座れよ」
     「今日は何も食べてないんです、何かありませんか?」…とデテリング。
     「食べ遅れるな」…先輩兵たちが笑う。
     「なぜ笑うんですか?」
     「ここは食欲がなくなるところさ、俺たちも昨日の朝から何も食べてない」…チャ-デンが
     言う。
     この前線では戦闘が激しくなったため兵站部も近よれなくなり、まともな食料など手に入ら
     なくなっていたのである。ところが少年兵たちはそんな事情など知る由もない。
     「お金を払います、食料係はどこですか?」
     「食料を探しに行ってるさ、カチンスキ-を知ってる?…彼は40キロ以内にあれば必ず手に
       入れてくる」

                  話しあうウエストフ、ポ-ル、チャ-デン

           

      そのカチンスキ-は貨車のそばにいた。貨車の奥からブタが次から次に運び出され、一人の
     兵士がそれを受け取りトラックに積みこむのを見ている。ところがどういうわけか、その途中
     でトラックが走り去って行った。その隙にカチンスキ-が貨車の前で待っていると、ブタが
     ポンと放り投げられてきたのだ。

      運び出されるブタを見ているカチンスキ-       ブタを抱えるカチンスキ-

          

      大喜びのカチンスキ-、ブタを抱えて宿舎に帰る。先輩兵たちも喜んだ。ところが
     カチンスキ-
     「誰だこいつら?」…少年兵たちを見て言う。
     「未来の将軍候補生たちさ」…とチャ-デン。
     「どうして学校をやめて入隊したんだ?、まあ楽にしなよ、腹減ったか?」…そう少年兵
     たちに声をかけたカチンスキ-だったが、彼らが奥に行こうとすると
     「ちょっと待て、払えるのか?」…と言った。
     「お金ですね」…少年兵が金を出そうとすると、カチンスキ-
     「金なんかただの紙切れだ、タバコか葉巻き・・・石鹸かブランデ-は?」…と聞いたが
     彼らは首を振る。
     「それなら持っているものを全部出しな」

      先輩兵がブタを料理しみんなで食べているところに、ドシャブリの雨の中から一人の兵士が
     入ってきてカチンスキ-に告げる。
     「カチンスキ-、今夜の仕事は鉄条網張りだ」
     「場所は?」
     「墓地の向うだ」
     「こいつらと?」…カチンスキ-、少年兵を指して言う。
     「今夜は静かだからいろいろ教えてやれよ」…入って来た兵士はそう言って外に出た。車の
     運転手らしい。

            食事中の兵士たち           カチンスキ-に仕事を告げる兵士

          

      その夜、カチンスキ-はじめ兵士たちはトラックで前線へ行くことになった。
     「ひどい運転だな」…少年兵が言う。車は左右前後に大きく揺れる。
     「好きに運転させてやれよ、腕が折れたって家には帰れる、敵襲よりはましだ」…と
     カチンスキ-。やがて車は現場近くに着いた。
     「生き残ってたら明日の朝迎えに来るよ」…運転手が告げる。
     「この運転で生き延びたんだ、死なないよ」…カチンスキ-。
     「時間通りに来いよ、朝食に間に会いたい」…そう運転手は言って帰って行った。

      年長のカチンスキ-は、兵士たちと暗闇の中を歩きながら仕事の手順や戦場の心構えなどを
     話す。
     「お前たちは遅れるな、いいか今夜は鉄条網を張るんだ、材料は集積場からここに運ぶ…
       今から砲火が見られるぞ、きっとお前たちは震えあがる」…と言った瞬間キュ-ン!
      空気を切り裂くような鋭い音、そして爆音、ビックリして地に伏せる初年兵。
     「気にするな、俺も最初はそうだった、みな立て…あの砲火は無視していい、音は大きいが
      命中率は低い、光るやつは注意しろ、あれは予想がつかない、ヒュ-バンとくる、その音を
      聞いたら伏せろ、地面に体を深く押しつけるんだ、体を埋めこむように…俺の動きを見ろ、
      俺が伏せたら伏せるんだ、うまくやれよ」
      やり方を説明するカチンスキ-。兵士たち地を這いながら進んで行く。

         初年兵に教えるカチンスキ-        地を這いながら進んで行く兵士たち

          

      上空に光の玉、照明弾だ、さらに信号弾、これが打ち上げられると何もかも真昼のように
     明るく照らされて兵士の影が地面に映る。あわてて地に伏せる初年兵。
     「君、布をとってくれ、これで音を抑える」
      カチンスキ-は杭を打ちはじめ、他の兵士たちも鉄条網を張り巡らす。必死の作業だ。
     遠くに光、砲弾の音、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、…機関銃の音、さらにバ-ン、バ-ン、耳を
     つんざく爆音、砲弾が近くで破裂したのだ。伏せる者、塹壕に飛び込む者、恐怖で泣き叫ぶ
     者…そのとき
     「ワア-、目が!目が明かないよ!目が痛いよ!」…ある初年兵の悲痛な叫び声が聞こえた。
     「ベ-ムだ!」…他の初年兵が叫ぶ。
     カントレック教師の言葉に感化されて気勢を上げていた少年たちの中で、ただ一人兵役への
     志願を不安に思っていたあのベ-ムである。彼は狂ったように絶叫しながら走りまわっていた
     が、倒れてしまった。弾丸は雨のように飛び交っている。
     塹壕にいたポ-ルが飛び出した。ベ-ムはポ-ルの親友だ。他の友人も助けに行こうとした
     が止められる。ポ-ルは友人を抱え上げ仲間のところに運び塹壕に入った。しかしベ-ムは
     すでに死んでいた。
     「ベ-ムが死んだ…」…ポ-ルがつぶやく。
     「なぜ助けに行ったんだ?」…とカチンスキ-。
     「ベ-ムは…友達だ」
     「誰だろうとただの死体だ、二度とするな…運べ」…カチンスキ-、ポ-ルを叱責する。

          鉄条網辺りを照らす照明弾       照明弾を見上げるカチンスキ-とポ-ル

          

         ベ-ムを見つめるポ-ルと友人      砲弾にやられ悲痛な叫び声をあげるベ-ム

          

     翌朝兵士たちはトラックで兵営に戻ったが、次の移動が待っていた。
     「早く準備しろ」…隊の上官。
     「何が起こるんだ」…ポ-ル。
     「移動しろという命令だよ」…カチンスキ-。
     「どくへ?」
     「別の隊へ、今度は長く続くぞ」

      カチンスキ-他兵士たちは別の前線に送られた。地下につくられた塹壕だが周りは板の柱で
     囲まれている。相変わらず爆音は頻繁に鳴り響いており、相手の声も聞こえないほど。一歩
     外に出れば戦場である。
     それでもこうした状況に慣れている古参兵たちはトランプに興じていた。かけているのは
     ビ-ルか、勝ち負けでその瓶がやりとりされる。ポ-ルはその様子を見ていたがカチンスキ-
     に話しかける。
     「あと2日も続くのか」…すでにこの塹壕に来て5日経っている。
     「我慢しろ」…カチンスキ-。.
     「昼間はあまり気にならないけど、一晩中続くとな!」…爆音のことを言っている。
     「あと2日で1週間だ、そしたら一人前の兵士だぞ」…カチンスキ-。
     「もしかして怖いのか?」.…今度はチャ-デンがポ-ルに聞く。
     「聞いてみただけさ」…そうポ-ルが言ったとき近くで砲弾が炸裂、天井から土埃が落ちる。
     初年兵たち怯えるが、ポ-ルは平静さをよそおいカチンスキ-に挑んだ。
     「もっとゲ-ムしようか」
     「もちろんだ」
     「俺からだぞ」
     「ブ-ツは隠したほうがいい」…ポ-ルが言う・
     「ア、ハハハハハ、こいつは大丈夫だよ」…カチンスキ-おかしそうに笑う。

          塹壕の天井から落ちる土埃          ポ-ルの言葉に笑うカチンスキ-

          

      またバン、バン、バン、激しい砲弾の音…そのとき塹壕の隅に横になっていたケメリックが、
     突然ヘンなことを口ばしりだした。
     「ベ-ム、ベ-ムは戦争に来たくなかったんだ…いやベ-ムじゃない、ケメリックだ、俺だ」…
     そばにいたミュ-ラ-が
     「黙れ!もうウンザリだ」…怒鳴りつける。するとポ-ルが
     「大丈夫だ、ケメリック、あまり気にするな」…彼の肩を叩きなだめる。
     「ただの夢さ」…ケメリックつぶやく。
     また天井から土埃、今度は先程のより大きい、柱が崩れ落ちてくる。そのとき濛々と埃が立ち
     込めている中から中隊長が現れ
     「この前線はひどくなってきた、また2つの塹壕がやられた、夕方までに食料を届けさせる」…
     そう告げて出て行った。爆音はひっきりなしに続いている。
     「イヤ~、イヤ~アア~、やめてくれ!」…ケメリックが両耳をふさぎ、奇声を上げはじめた。
     さらに爆音はひどくなり入口近くで砲弾が炸裂、黒い煙で辺りは見えなくなる。
     「助けて!」…ケメリックは泣きわめきながら外に出ようとしたが、取り押さえられる。
     「なんであんなことを」…ポ-ルが話しかけたとき、カチンスキ-が
     「黙れ!つかめ、押さえろ!」と言ったかと思うと顔面に一発、ケメリックは静かになった。

      ケメリックを見つめるカチンスキ-とポ-ル      両耳を押さえおびえるケメリック

          

            砲弾が炸裂した塹壕          ケメリックを殴りつけるカチンスキ-

          

      ポ-ルはケメリックをゆすり起こし意識をとり戻させる。
     「大丈夫?」
     「アア~…もう耐えられない!」
     爆音は絶え間なく続きさらに天井の柱落下する。それまで片方の隅で怯えながらじっとして
     いたもう一人の少年が、
     「キャ~ア~!キャ~ア~!」…狂ったように泣き叫びながら外に走り出ようとした。
     驚いた古参兵とポ-ルが取り押さえたが、その隙にケメリックが外に飛び出し塹壕の壁を這い
     上がりかけたとき、敵弾に当った。ポ-ルが追いかけて行くと、外には中隊長がいた。
     「これはダメだ、腹をやられてる…タンカを」…中隊長ポ-ルに指示。ポ-ルがタンカを持っ
     てくると
     「頭を持て、持ち上げろ」
     「重体ですか?」…ポ-ル中隊長に聞く。
     「分からんな…みんなに大丈夫だと言うんだ」
     「分かりました」

         ケメリックに話しかけるポ-ル           外に飛び出すケメリック

          

         ケメリックの様子を見る中隊長           ポ-ルに指示する中隊長

          

      兵士たちは気が立っていた。立っていたミュ-ラ-が
     「なぜ戦わない、なぜ座っているんだ?何かしょうぜ!」…大声を出す。
     「まあ、座れ」…チャ-デンがたしなめる。
     「食料係はなぜ来ない?」
     「怖くて前線に近づかないんだよ」
     そんな話しをしていたとき、外からカチンスキ-が入ってきた。何か食べ物を持っている。
     「みんなで分けろ」…カチンスキ-がさし出した物はパンくずだったが、それでも兵士たちは
     むさぼるように食べる。そのときギ-ギ-、けたたましい音。戦闘準備の合図だ。敵が押し
     寄せてきているらしい。兵士たちは全員外に出て塹壕の溝から銃を構える。

         塹壕から銃を構えるドイツ兵             銃を構えるポ-ル

          

      前方に鉄条網、その先に濛々と噴煙が上がっている。キュ-ンという音がしたかと思うと
     砲弾が炸裂、またキュ-ン…激しい爆撃の間をぬって大勢の連合軍兵士が押しよせてくる。
     双方壮絶な砲撃の応酬。機関銃をぶっ放すドイツ兵、次々と倒れる連合軍兵士、しかし彼らは
     鉄条網を乗り越えドイツ兵が守る塹壕までやってきた。

          機関銃を撃つドイツ兵             爆撃で濛々と上がる噴煙

          

         押し寄せてくる連合軍兵士        鉄条網を乗り越えようとする連合軍兵士

          

      銃剣で入り乱れての突き合い、塹壕の溝の入っての格闘、殺し合い、しばらく続いていたが
     ドイツ軍劣勢になり後方の塹壕まで退却する。しかしさらに後方の援護射撃により一時盛り
     返す。銃、銃剣、機関銃、砲撃、壮絶な戦いが続いていたが、中隊長が命令を出した。
     「これはダメだ、退却だ、急いでそこから出ろ!」

           鉄条網を越えて撃たれる兵士         塹壕で銃を向けられるドイツ兵

          

         塹壕を飛び越える連合軍兵士          連合軍を撃つドイツ兵士

          

      前線にいた兵士たちは1週間の任務を終え、一旦兵営に戻ってきた。ここには食べ物がある。
     炊事係は大きな鍋にたくさんの料理をつくっていたが、なかなか支給してくれない。腹を減ら
     している兵士たちはいらいらしている。長い時間列をなして順番を待っていたのだ。
     「オイ、早く出してくれ、3時間も待ってるんだ」…一人の兵士が言うが炊事係は辺りを見回し
     言う。
     「黙れ!全員来たら食わしてやる」
     「全員いるぞ」
     「隊の半分じゃないか、みんな起こして来い」
     「無理な話だ、もう80人しか残ってない」
     「80人だと?150人分つくったんだぞ」…炊事係が言う通りこの隊は150人いたが、70人は
     戦死したか負傷して病院に運ばれていたのである。喜んだのは兵士たち。
     「十分足りる、豆とパンが150人分あるのか?、ソ-セ-ジとタバコも?」
     「全部ある、だが全部は出せない」
     「いいか、第二中隊のためにつくったんだろ?」…食いしん坊のチャ-デンが聞く。
     「俺たちが第二中隊だ」
     「命令は命令だ」…炊事係ガンとして出そうとしない。
     「俺たちは生き残ったんだ、飯くらい食わせろ」
     「ダメだ」…炊事係鍋のフタを締める。
     「なんて卑怯な料理係だ、ガタガタ言いやがって八つ裂きにするぞ、お前が前線に近づかない
       から俺たちには冷や飯しか届かない、飯を出さないなら力ずくで奪ってやる」.…
     カチンスキ-が炊事係の襟首に掴みかかろうとした。

         炊事係に交渉するチャ-デン          炊事係に指示する中隊長

          

      そこに中隊長がやってきた。
     「休め、何事だ?」
     「飯を出さないと言うんです」…誰かが告げると、中隊長は鍋のフタを開け
     「うまそうだな…すべて配給するんだ」…炊事係に指示。
     「分かりました」
     「私にも一つ運んでくれ」…そう中隊長は言い残して去って行った。
     「いいぞ、みんな好きなだけ持って行け」…許可が出たため炊事係は愛想がよくなった。
     兵士たちは二人分の食べ物を飯盒に入れ空地で食べはじめる。久しぶりのご馳走である。
     むさぼるように食べる兵士たち…。

                    むさぼるように食べる少年兵

          

      腹が一杯になると若者たちは空地で雑談をはじめる。
     「前線にはいつ戻るんだ?」…ポ-ルが聞く。
     「明日だとさ」
     「ケメリックの見舞いに行こうよ」…ポ-ルが皆を誘う。
     「いいね、ここから病院までどのくらい?」
     「3キロぐらい」
     「何か持って行こう」
     「あいつがこんな目に遇うなんてひどい話だ、あんないいヤツが」…とポ-ル。
     「フランスが悪いんだ」
     「なすりあいさ」
     「戦争はなぜ始まる?」
     「国が国を侮辱したからさ」
     「どうやって?ドイツの山がフランスの野原に腹を立てたか?」…チャ-デンが問う。
     「誰かが誰かを侮辱したんだ」
     「なら俺には関係ない」…そんな話しをしているところに、カチンスキ-がやってきて言う。
     「たしかにお前には関係ないな」
     「よかった、なら俺は家に帰る」…とチャ-デン。
     「やってみろ、撃たれるぞ」
     「たぶんこの戦争はイギリス人が始めたんだ、俺は見たこともないイギリス人を撃ちたく
      ないよ、彼らもここで初めてドイツ人を見たのだろう、おかしな話だ」…他の少年兵が
     言う。
     「誰かの利益になるんだろう」
     「皇帝が望んだのかも…俺たちは違う」
     「皇帝が戦争をする理由は?」…とカチンスキ-。
     「後世に名前を残したいのさ」
     「戦争は熱病みたいだ、誰が望まずとも自然に起きる、俺たちもイギリス人もなぜか戦争を
      している」
     「こんなのはどうだ、戦争が起きたら広い場所にロ-プを張って…チケットを売る、そう王様
      や政治家や将軍らを下着姿にして棒で戦わせるんだ…それで勝者を決める」

                      雑談する若者たち

            

      ポ-ルと少年兵は、野戦病院に入院しているケメリックを見舞いに行く。
     「ケメリック、順調に回復してるか?、ちゃんと介護を受けてるか」…ポ-ルが話しかける。
     「ああ…でも…泥棒がいるんだ…泥棒に腕時計を盗まれた」…ケメリックが言う。
     「時計は外せと言っただろ」
     「麻酔が効いてる間に」
     「きっととり戻せるさ、体調は?」
     「手を見てよ」…ケメリック血の気のない白い手を見せる。
     「大量に出血したからさ、食べれば元気になる」
     「すごく足が痛むんだ…右足のつま先が痛くて.…」…ケメリック訴える。
     「そんなバカな!、お前の足は…」…とポ-ルは言いかけてハットした。ケメリックの右足は
     切断されて いたのだ。彼はそれを知らされていなかったのである。
     「そうなのか!そうなんだな!、俺の足は切られていたのか…なぜ黙ってた?なぜ教えてくれ
     なかった?]…ケメリック悲痛な声を出しながら責めるが、
     「命があるだけ幸せだ…」…ポ-ルなだめる。
     「俺はキコリになりたかった…」
     「なれるよ、義足をつくればいい」…他の友人が言う。
     「お前の任務は終了だ、もう家に帰れるぞ」
     「お前の荷物を持ってきた」…ポ-ルはケメリックに荷物を見せる。もう一人の友人ミュ-ラ-
     がそれをベッドの下に置こうとしてケメリックに言う。
     「いいブ-ツだな、高級革だ、履き心地もよさそうだ、俺にゆずってくれない?…無用の
      長物だろ、俺が使うよ、俺のは水ぶくれになる」…ミュ-ラ-の言葉にポ-ルは眉をひそめ、
     彼のクツを軽く踏む。そして
     「もう行くよ、また来る、きっと良くなるよ、またな」…と言いその場を立ち去ろうとしたが、
     ケメリックは
     「待って、もうすこしいて」…とせがんだ。
     しかしポ-ルは、”あとで来る”と言い残して一旦友人を部屋の外に連れ出した。みなは帰って
     行ったが、ミュ-ラ-は 
     「ごめん、あいつが元気なら言わなかった、あいつのためなら何でもするよ、ただ看護兵に
      盗まれると思ったから…」…ポ-ルに謝る。
     「分かってる」…ポ-ルはそう言ったあと、ケメリックのところに戻ってくる。

                   ケメリックに話しかけるポ-ル

             

         ケメリックのクツを見る二人           病床にいるケメリック

          

     「医者を呼んで」…とケメリッック…ポ-ルは近くにいた医師のところに行き
     「隣の患者を見てください」…頼むが医師は
     「手は尽くした、これ以上施しようがない、とそっけなく断られる…が、ポ-ルは
     ケメリックに
     「次だって」…と言う。
     「回復するかな?」
     「もちろん」
     「本当にそう思う?」
     「手術をすればな」
     「大丈夫さ、また元気になる。クロスペルヒの保養所の窓から2本の木が見えるんだ、今なら
       トウモロコシが実ってる、外出許可はいらないし、ピアノも弾ける、今日はゆっくり休め」…
     そう言いながらポ-ルはケメリックに顔をよせ力づけようとする。泣くケメリック…ポ-ルは
     床にひざまずき祈る。
     「神よケメリックはまだ19歳です、お願いです、どうかケメリックを助けてください」
     「ポ-ル、ブ-ツを母さんに届けて、時計も見つかれば家に送って」…泣きながら
     ケメリックは言う。
     「そんなこと言うな」…そうポ-ルは言ったものの、彼の様子がおかしいのに気づく。
     「先生、先生!」…ポ-ルは病院内を走り回り、やっと見つけた医師に
     「先生助けて!」…と懇願する。そばにいた看護兵が
     「足を切断された患者です」…と伝える。しかし医師は
     「時間がない、次の手術がある」…そう冷たく言って立ち去った。ポ-ルは追いかけて行こう
     としたが
     「朝からずっと手術だ、すでに今日は16人死んだ」…看護兵は彼を止める。ケメリックは
     しばらく苦しんでいたが、ポ-ルに看とられながら死んだ…。

     ポ-ルは兵営に帰り、部屋にいたミュ-ラ-にケメリックの靴を差し出す。
     「ブ-ツだ!」…ミュ-ラ-が欲しがっていたブ-ツである。
     「ミュ-ラ-あいつを看とったよ、死を考えることがなかった…生きる幸せを感じたよ…歩き
       ながらヘンなことを考えた、野原に行くんだ、女の子とね、そしたら体がムズムズして走り
      たくなった、兵隊に話しかけられたけど俺は走った、胸一杯呼吸したかった」.…ポ-ルは
     初め涙を流していたが次第に明るい顔になった。
     「腹減ったな…」

      翌朝彼らはまた前線にかりだされた。ミュ-ラ-は新しいブ-ツを履いて嬉しい、歩きながら
     時々足許を見る。しかし戦場に出てガレ場を上がろうとしたとき、敵弾に当り倒れる。撃たれ
     てもしばらく生きていたが、息を引き取る前にポ-ルにブ-ツをもらってくれるよう遺言した。
     あのケメリックから譲り受けたブ-ツである。

       新しいブ-ツで戦場に行くミュ-ラ-        敵弾に当り倒れるミュ-ラ-

          

       塹壕のバラックで兵士たちは、上半身裸になってシラミ退治をしながら雑談をしていた。
     そこへ食料探しに出ていた兵士が帰ってくる。
     「パトロ-ルはどうだった?」
     「収穫ゼロだよ…こいつ桜の木を見て動揺してるんだ」…パトロ-ルしていた兵士が連れの
     デテリングを見て言う。
     「美しかった、家に桜の木があるんだ、満開のときは花のジュ-タンみたいで…白くて…」…
     とデテリング、彼は田舎の農家の出身である。
     「もうすぐ帰れるさ、頑張れ」…と他の兵士。
     「女房一人で農園は無理だ、手が足りない、もう収穫なのに」
     「女房の手紙で里心が出たのさ」
     「戦争が終わったらどうする?」
     「酒と女をさがす」
     「俺はシンデレラを探すぞ、見つけたら2週間は閉じこもりだ」
     「俺は泥炭に戻るよ、ビアガ-デンで幸せをかみしめる」
     「いいものを見せてやる、家族の写真だ」…カチンスキ-見せる。
     「みんなには帰る場所がある、家族に仕事…でも俺たちはどこに行けばいい?、学校?」
     「それでいいじゃないか」…とカチンスキ-。
     「砲弾の飛び交う中に3年もいたら、学校の授業なんて意味がない」…ポ-ルが言う。
     「湿った木で火をおこす方法とか、学校じゃ教えないもんな」
     「俺たちの授業を受けろよ…20人中上官は3人で9人が戦死、4人の負傷者は病院行き…
       いつかは死ぬんだ、忘れよう」

                  塹壕のバラックで雑談する兵士たち

             

      そんな話しをしていたとき外から
     「早くやるんだ、早く!」…大声が聞こえた。様子を外に見に行ったレ-ルが戻って来て
     「ア、ハ、ハ、ハ、ハ、ヒメルシュトスがいるぞ!」…とおかしそうに笑いながら言った。
     あの軍事訓練所で上官だった元郵便配達員の彼が、前線に来ていたのである。
     「そりゃ面白い」…とポ-ル。そこへヒメルシュトスが入って来た。
     「これはこれはお前たちもいたか」
     「随分前からね」
     「いつから慣れ慣れなしくなった?、全員起立して整列!」…ヒメルシュトス大声で命令
     するが、兵士たちは平然としている。
     「そんなに気張るなよ」…レ-ルが茶化す。
     「知り合いか?」…とチャ-デン。
     「ヒメル将軍にイスのご用意を」…レ-ルがおどける。
     「それが上官への態度か!、軍法会議にかけられたいか!」…ヒメルシュトス、レ-ルを
     怒鳴りつける。
     「そしたら今夜の攻撃をサボれる」…ポ-ルが言う。
     「命令に従えないのか!」…軍曹さらに激昂する。
     「かまうもんか」…今度は他の少年兵が背をかがめお尻を彼の方に向けてからかう。ポ-ル
     立ち上がり、ヒメルシュトスに近づき彼の眼を見て言う。
     「ここで敬礼の習慣はない、今夜大規模の出撃がある、激しい戦いになる、今夜はあなたも
       ご同行だ、死ぬときは聞きますね、”軍曹死んでもいいですか”」
     「後悔するぞ」…そう言い捨てて軍曹は出て行った。

         兵士に命令するヒメルシュトス        ヒメルシュトスをからかうレ-ル

          

      外でもの凄い爆音、それを機に兵士たちは一斉に戦場に出る。塹壕の溝から戦況を見つめる
     ドイツ兵。連合軍兵士たちは金網を破り押し寄せてきている。ピュ-、行けという合図と
     ともに兵士たち塹壕から出て行く。双方壮絶な戦い、キュ-ン、砲弾炸裂、ヒメルシュトス
     岩陰に隠れていたが、ポ-ルに引き起こされる。
     「負傷した!」…ヒメルシュトス悲痛な叫び声、震えている。ポ-ル彼の手を見て言う。
     「かすり傷だ、行くぞ」
     「いやだ!」
     「意気地なし、意気地なしめ!」
     「ヒア-ア-ア-」…軍曹座り込み動こうとしない。
     「立てよ!」…ポ-ル彼を引き起こそうとしたとき、カチンスキ-がそばに来て呼びかける。
     「前進だ!」
     「前進するぞ!」…ポ-ルの声に、ヒメルシュトス引っ張られるように皆のあとについて行く。
     そして
     「進め!ヒア-ア-」…雄叫びを上げながら狂ったように突進して行った。

       ヒメルシュトスを引き起こそうとするポ-ル   狂ったように突進するヒメルシュトス

          

      爆音は絶え間なく鳴り響く、キュ-ン、ヒュ-ン、ヒュ-ン、空気を切り裂くような音と
     ともに砲弾炸裂、濛々と黒い煙が空を覆う。爆煙の中に突進していく兵士、ポ-ルも猛然と
     その中に走って行ったが、手に弾丸当り倒れる。しかし立ち上がり数歩行くが崩れるように
     倒れる。手で土をかきむしり窪みに伏せる。そして走って行くがまた倒れる。そのとき彼の
     肩を引き起こす者がいた。カチンスキ-だった。彼もポ-ルと一緒に伏せる。眼の前で数発
     の砲弾炸裂。

         弾丸当り手を押さえるポ-ル          崩れるように倒れるポ-ル

          

           爆煙の中を走る兵士          ポ-ルに呼びかけるカチンスキ-

          

     …静かになった。顔を上げるカチンスキ-とポ-ル。
     「行こう」…カチンスキ-の声に二人は起き上がり窪みを出た。連合軍は大軍となって
     やってくる。
     ポ-ルはしばらく走っていたが穴の中に飛び込んだ。上を大勢の兵士が飛び越えて行くのが
     見える。じっと様子を見ていたその時、一人の兵士が穴の中に飛び込んできた。驚いた
     ポ-ル、敵兵だと思いとっさにナイフで相手の胸を突き刺す。そして声を出さないように
     相手の口をふさいでいると、男はぐったりした。
      彼は外に出られるかどうか鉄兜を銃剣で頭上に突き出してみたが、たちまち鉄兜が落ちて
     きた。
     見ると鉄兜には銃弾の穴があいていた。弾丸は地上すれすれに飛び交っていたのである。
     ポ-ルあきらめて穴に留まる。
     しばらくすると、男は意識をとり戻した。ポ-ルを見て驚愕している。フランス兵だった。
     連合軍兵士である。ポ-ル近づき
     「あんたを助けたいんだ」…肩をさすりながら呼びかける。フランス兵口を動かそうとする
     が言葉が出ない。ポ-ルは穴の中に流れていた水を布に沁み込ませ、彼の口にそそいでやる。

         フランス兵の口をふさぐポ-ル        意識をとり戻したフランス兵

          

         フランス兵に話しかけるポ-ル      フランス兵の口に水を注いでやるポ-ル

          

       ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、…頭上では銃弾の音が鳴り響いている。
     「やめろ!もう聞きたくない!」…ポ-ル絶叫、そしてフランス兵に言う。
     「死ぬのに何で時間がかかるんだ?」…しかしすぐ思い直し
     「ウソだよ、負傷しただけさ、大丈夫さ、家に帰れるよ」…ポ-ルの呼びかけに、フランス
     兵は大きく息を吐いたかと思うとガックリと首を落とした…。ポ-ル彼を抱き起こし、また
     口元に水をそそいでやる。 フランス兵の顔は、笑みを浮かべているかのように見えた。
     ポ-ルは
     「俺を責めてるんだな…殺すつもりはなかった、もう刺したりはしない、敵だったから怖か
       ったんだ、だから殺してしまった、許してくれ…許すと言ってくれ…」…涙声で呼びかける。
     そして
     「俺よりはマシだ、あんたの任務は終了だ、これ以上ひどい目にあわない…神よなぜ私たち
       をこんな目に?ただ生きたいだけなのに…なぜ殺し合いをさせるのです、軍服をぬいだら
       友達になれたのに…許してくれ、何でもする、両親に手紙を書くよ」…と言いながら彼の
     服をさぐると内ポケットから、軍役証明書と家族の写真が出て来た。彼の奥さんと娘の写真
     らしい。
     「奥さんにも手紙を書く、両親の世話もする、だから俺を許してくれ」…ポ-ルは泣き崩れた。

      何時間が経ったのだろう…長い間いたような気がする。気がつくと辺りは静かになっていた。
     ポ-ルは鉄兜をかぶり穴から這い出た。

         フランス兵に話しかけるポ-ル         死んでしまったフランス兵

          

          フランス兵の身分証明書          フランス兵の奥さんと娘の写真

          

      ポ-ルは包帯所に運ばれていた。カチンスキ-がそばにいる。
     「昨日やってしまった、この手で人を刺したんだ」
     「分かるよ、初めてだもんな、救急隊が手当てしてくれる」…とカチンスキ-。
     「死んだよ…」
     「仕方ない、戦争なんだ、どうしょうもない、あれを見ろよ」…カチンスキ-窓から銃を
     撃つ兵士を指して言う。
     「あの男、3人殺して勲章もらんだとさ、そんな男もいる…寝て忘れろ」
     「長くここにいたせいだよな…戦争なんだ」…ポ-ルつぶやく。

      それから何日か経ったある日、兵士たちは兵営本部に戻った。ポ-ルも回復、友人たちと
     ビ-ルを飲みながら楽しんでいた。
     「今日はとことん飲もう」…ポ-ル級友のクロップに言う。
     「そのつもりだ」…とクロップ。
     ポ-ル、眼の前に掲げられてあった若い男女の絵を見て話しかける
     「女の存在を忘れてた」
     「絵だぜ」
     「小さいクツだな、長距離の行進は無理だろう」
     「そんな話するな、彼女が退クツするだろう」
     「何歳かな?」
     「22歳とみた」
     「年上なもんか、17歳だ」
     「きっといい娘だ」
     「残念、男がいるぞ」…クロップが言うと、ポ-ルは男の方を破り捨てて
     「彼女に乾杯」
     「すべての女に乾杯」
     「クロップ風呂に入ろう」

     ビ-ルを飲みながら話しあうポ-ルとクロップ     掲げられてあった若い男女の絵

          

      ポ-ルと友人たちは風呂に入る。といっても掘割のようなところだ。運河と言ってもいい
     かもしれない。
     「冷たい水だな」…とクロップ。
     「あの娘の澄んだ眼を思い出せ、髪も」…とポ-ル。そのとき河畔を歩いている女が眼に
     入る。
     「女だ!」…女好きのレ-ルが叫ぶ。見ると3人の女が歌を唄いながら散歩している。
     「泳ぐかい?」…4人の若者たちは大喜び、手を振り上げ大声を出してアピ-ル。彼女
     たちも何か話しあっている。
     「待ってよ、こっちにおいで」…若者たちは泳ぎながら手招きする。チャ-デン大急ぎで
     部屋に戻りパンを持ってきて振り回すと、彼女たち急に笑顔を見せる。そして何やら彼らに
     話しかけてきた。どうやらパンが欲しいらしい。
     「何だって?」…クロップが聞く。彼女たちの言葉はフランス語らしい。
     「今夜待ってるってさ」…ポ-ル教える。
     「やったね」
     「金髪は俺に夢中だ」…とチャ-デン。
     「人数が合わない」…とクロップ、こちらは4人、相手は3人だ。
     「俺が気を引いたんだ、あの娘は俺のだ、あとは好きにしろ」…チャ-デン言い張る。
     「愛と戦争のために戦うぞ」…ポ-ルおどける。
     「どういう意味だ?」…チャ-デン、ポ-ルに聞く。
     「あとで分かる」…とポ-ル、何か考えているようだ。

         若者たちを見つめる女性3人      手を振り上げ彼女たちにアピ-ルする若者

          

         若者たちに手をふる女性たち          女性たちを見つめる若者4人

          

      その夜若者たちは彼女たちの家を訪ねた。若者はポ-ル、レ-ル、クロップの3人、
     チャ-デンがぬけている。掘割を泳いできたのでみな素っ裸、ドアを開けてビックリした
     彼女の一人が
     「ちょっと待ってて」…と言い、部屋から女性用の服を3枚持ってきて彼らに渡す。それを
     まとって3人がおどけながら部屋に入ると
     「キャ-、ア、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ」…彼女たち大笑い。
     手には大きな軍用パン、彼女たちへのお土産だ。さっそくパンを切りはじめる彼女たち…
     腹を空かしているらしい。ポ-ル金髪の彼女にすりより手にキス、レ-ルもクロップも自分の
     彼女に…。

           若者を歓迎する彼女        女性用の服をまとって入ってきた3人

          

         彼女にパンを手渡す若者たち         彼女を抱きよせるポ-ル

          

      一方宿舎ではカチンスキ-とチャ-デンが酒を酌み交わしていた。二人共かなり酔っている。
     舌はもつれて、レロレロ。
     「もっと飲めよ」…カチンスキ-がチャ-デンに勧める。
     「今日はおれの誕生日か?」…チャ-デンが聞く。
     「なんで?」
     「2時間も俺に酒を注いでいるのはなぜだ?」
     「なんだっけ…オウ-、ア-そうだ、連中がお前を楽しませろって」
     「いいヤツらだ」
     「お前なら許してくれるとさ」…その言葉にチャ-デン、ハット気がついたようだ。
     「裏切られた」…チャ-デン悔しがる。
     「その通り」
     「ちくしょう!」…チャ-デン、よろよろと立ち上がり腕を振り回すが勢い余ってテ-ブルに
     あお向けになり、そのまま眠ってしまう。そして大きなイビキ。
     「うるさいな」…カチンスキ-、テ-ブルを持ち上げ彼を床に落としてしまう。
     その頃ポ-ル、クロップ、レ-ルの3人は、それぞれ自分の彼女と楽しい一夜を過ごしていた。

                 酒を飲みながら話すカチンスキ-とチャ-デン

           

      翌朝兵士たちは前線へ行くため、兵営本部の敷地内を行進していた。広場にはたくさんの
     棺桶が並べられている。
     「俺たちの新しい棺桶だ」…クロップが言う。
     「棺桶とは用意がいい、でもチャ-デンには小さいぞ」…とポ-ル、チャ-デンは長身なのだ。
     「黙れ裏切り者!、そんなの俺には必要ない」…チャ-デン、昨晩はポ-ルに謀られ、腹を
     立てているのだろう。
     「どうかな、防水服に包まれるよりはましだ」…とカチンスキ-。

      辺りには爆音が鳴り響いている。連合軍はすぐ近くに押し寄せてきているのだ。…とその時、
     兵営が攻撃された。建物の一角が崩れ落ち黒い噴煙が立ち昇る。行進していた兵士たちすぐ
     戦闘態勢に入るが、砲弾は容赦なく撃ちこまれてくる。そして第二中隊の近くで砲弾爆発、
     ポ-ル撃たれて倒れ、
     「腹が…」…と言ったきり意識を失う。さらにクロップも足を…。

      ポ-ルとクロップは病院に運ばれた。ポ-ル辺りを見回し
     「カトリック病院だ、いい待遇が受けられる、運がいいな」…と言いながらも痛そうに腹を
     押さえる。
     「これぐらいの権利はあるさ」…とクロップ。
      二人がそんな話をしていると、隣にいる男が話しかけてきた。
     「ヒ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ、俺の名前はハマッヘル、頭のヒビのおかげで行動に責任をとら
     なくていいんだ、それ以来楽しい人生だよ、君たちのケガが軽ければいいな、みんなすぐ死ぬ
     から友達になるヒマがない」
     …この男頭に包帯を巻き、狂人を装っている。軍医を騙しこんで実際に証明書も取得している
     らしい。
     「俺たちは平気さ」…クロックが言う。
     「よかった」

      クロップの隣で母親が悲しそうに息子の顔を見つめていた…息子は瀕死の重傷らしい。そこへ
     看護婦がきて母親に告げる。
     「ごめんなさい、時間です」…無言で離れる母親…。

         ポ-ルと狂人を装うハマッヘル           息子を見つめる母親

          

      その様子を見ていたハマッヘルが言う。
     「見てろ…服が逃がされた、これで終わりってことだ、死の部屋に移される」…彼が言う
     ように息子はタンカで外に出され、ベッドは新しいシ-ツに取り替えられた。
     「死の部屋?」…ポ-ルが聞く。
     「死にそうなヤツは出される、ベッドが空くからね、建物の角に小さな部屋がある、死体
       置き場所のすぐ隣だ、ア、ハ、ハ、ハ、手間も省けるし問題も起きない」
     「もし回復したら?」
     「戻ってきたヤツなんか一人もいないね」
      そんな話をしているとき、一人の若い男がフラフラとベッドから立ち上がり、窓際で外を
     見てわずかにほほ笑んだかと思うと崩れるように倒れ、ガックリと首を落とした。若い男は
     外に出され、ベッドも早々と新しいシ-ツに取り換えられる。

       何時間かが過ぎ、ハマッヘルはポ-ルが何かしているのに気づく。
     「ポ-ルどうした?」
     「出血してるんだ、鳴らしているのに誰も来ない」…と、ポ-ル、そのとき看護婦が入って
     くるのを見て
     「出血してます、アイスパックを」…と伝える。
     「どうして知らせないの?」
     「鳴らしたよ」…と言いながらクロップがいないのに気づき看護婦に聞く。
     「彼はどうなんです?」
     「大丈夫です」
       まもなく医師がやってきてポ-ルの胸と頭を触っていたが、黙って離れる。
     「何してるんだ?」…ポ-ル、看護婦に聞く。
     「包帯を取り替えるの」
     「どこへ行くんだ?」
     「包帯室よ」
     「イヤだ行かない、ここにいる!死の部屋へは行かない!」
     「包帯室に行くだけです」
     「じゃあ、なぜ服を脱がす?」…ポ-ル聞くが、看護婦と看護兵は黙って彼のベッドを外に
     押し出して行く。
     「俺は戻ってくる、絶対に死なないぞ!」…ポ-ル絶叫。

          包帯室に運ばれるポ-ル          ポ-ルの容態を診る軍医

          

      ポ-ルが包帯室に運ばれて行くと、壁に”クロップ・アルバ-ト”の名前が貼られてあった。
     「彼は?」…ポ-ルが看護婦に聞く。
     「足を切断されたのです」…ポ-ル驚きクロップのことを思いやる。

      ほどなくクロップが運ばれ部屋に戻ってきた。ポ-ルがいなくなっているのに気づき、
     「ポ-ルは?・ポ-ルがいない…」…つぶやく。アマッヘルが彼に声をかける。
     「よう、おかえりアルバ-ト、気分はどう?」
     「足に痛みが…俺の足は切断されたのか?…」
     「まさか、足は2本かい?、イチ、ニ、ほらあるぞ」…アマッヘル慰めようとするが
     「ほんとうのことを言ってくれ」…クロップはアマッヘルの言葉が信じられない。
     「本当だとも、体調もよさそうだ、ほらね」…そうアマッヘルは言い、鏡を見せる。クロップ
     は鏡で自分の顔をじっと見つめていたが、突然
     「俺は死ぬ!…自殺してやる!」…悲痛な叫び声を上げた。

        クロップに鏡を見せるアマッヘル         悲痛な叫び声を上げるクロップ

          

     「アルバ-ト!…」…アマッヘルがなおも彼をなだめようとしたその時、ポ-ルが運ばれて
     きた。
     「戻ってきたぞ!、言った通り帰ってきたぞ!、あそこは俺の場所じゃない」…そう叫び
     ながら、ポ-ルの顔は喜びにあふれていた。
     「よかったわ」…看護婦祝福する。
     「死の部屋から出られたぞ!」
     「よかったな」…アマッヘルそう言いながらポ-ルに手をさしのべる。
     「早く元気になって家に帰ろう、もう平気だ」

      その後何日か経ったある日、ポ-ルはいちばん仲のよかったクロップと、何かと元気づけ
     てくれたアマッヘルに別れを告げ退院した。しかしクロックは沈みこみ、元気な頃ポ-ルと
     一緒に撮った写真を眺めていた。

                   看護婦に付き添われ戻ってきたポ-ル

             

       クロップに別れを告げ退院するポ-ル     退院するポ-ルを見つめるクロップ

          

      ポ-ルは負傷兵として休暇をもらい帰郷した。家に帰ると姉が玄関に立っている弟を見つけ、
     「ポ-ル!」…抱きついた。しかしあまり元気がない弟に
     「どうしたの?」…心配そうに聞く。
     「なんでもない」…そっけなく答えたが、階段を上がり母親の部屋をのぞき、
     「母さん」…と呼びかける。母は床に伏していた。姉が
     「病気なの」…弟に伝える。ガンに侵されているらしい。母は息子を見て
     「ケガをしたの?」…と聞く。
     「休暇をもらったんだ」…ポ-ル母親に近づき二人は抱き合う。
     「いやだ涙が…」…母親は涙をぬぐいながら
     「ブラックベリ-を持て来て」…娘に言う。そしてポ-ルには
     「好きでしょう?」
     「うん、久しぶりに食べるよ」
     「帰ってくる気がしたわ、ポテトケ-キを作ってるから」…と姉。
     「焦がさないでね・・・ポ-ルここに座って…私のポ-ル、私の息子…」
     「そうだお土産があるよ、パンにソ-セ-ジ、それからワインも」…ポ-ルお土産をとり出す。
     「あなたの分は?」
     「父さんに知らせてくる」…姉はそう言って外に出かけて行った。
     「あなた兵士になったのね…遠くに行ってしまった気がするわ」…母親は息子の軍服を見つめ
     て言う。
     「これは脱ぐよ」
     「本当に帰ってきたの?…消えたりはしない?」
     「ここにいるよ」…ポ-ルはそう言ったあと母から離れ、自分の部屋に入る。

           ポ-ルを心配する姉           帰郷した息子に話しかける母親

          

      その夜ポ-ルは、父親とその友人たちから酒場に招かれた。帰還祝いである。
     「戦場を生き抜いてきた兵士を讃えよう」…父親の友人が言う。
     「諸君、私の息子だ」…父親が紹介する。
     「乾杯!」…高々とビ-ルを持ち上げたあと、父親と友人たちは口ぐちに勝手なことを
     しゃべり始める。
     「会えてうれしいよ、戦況はどうだ、ひどかったか?…しかし前進あるのみだ、戦地ではいい
       物が食べられる、ここじゃひどい物しか食えん、兵士には最高のものを、軍隊に最善をだ…
       フランス人を打ちのめしたか?…ア、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ、」…ポ-ルは黙っている…
     が父親の友人はつづける。
     「今後の作戦について提案がある」…大きな地図を広げ
     「ここが前線だ、ここに宿営がある、君がいたところだ、持久戦を続けずにこっちに進むんだ、
       一気に攻め敵を蹴散らせば終戦だ」…どうだと言わんばかりにポ-ルの顔を見る。
     「ここで見ているのと実際は違う」…とポ-ル。
     「細部にこだわるより全体を見る必要があるぞ、君は任務を果たしているが名誉を手にしない
      とダメだ」
     「みんな勲章を与えるべきだ」…父親が言う。
     「前線はフランダ-スで突破するんだ」…今度は別の友人。
     「違う、突破はここから始めるべきだ」…地図を指しながら父親。
     「敵はここに予備兵力を蓄えている」…他の友人。
     「いやフランダ-スだ」
     「半分攻め終わっているのにいまさらだ」
     「フランダ-スは山がないから都合がいい」
     「でも川だらけじゃないか」
     口論は果てしなく続いていたが、ポ-ルは黙っていた。現場を知らない彼らに失望、やりきれ
     なかったのである。

       ポ-ルを交え話し会う父親と友人たち    戦況についてポ-ルに意見を言う父親の友人

          

      翌日ポ-ルはケメリックの母親を訪ねた。友人として少しでも母親を慰めたいと思ったから
     である。しかし彼女はポ-ルの顔を見るなり
     「あの子が死んでいるのに、なぜあなたは生きてるんです!」…と体を震わして叫んだ。
     そして
     「なぜあなた方は、どうしてこんなところに来たんです…あなたはあの子にお会いになり
       ましたか?、息を 引き取りましたときは、どんなふうに?」…問われた。ポ-ルはつら
     かった。彼が苦しんで死んだことなど絶対に言えない。
     「ケメリック君は胸に弾丸を受けて、すぐその場で戦死しました。見事な戦死をなされた
       のです」…ポ-ルはそう説明したが、母親は
     「あなたはウソばかりおっしゃる、わたしはあの子が苦しみながら死んだことを、ちゃんと
      感じて知っております、わたしはあの子の泣き声を聞きました、どうか本当のことを
       おっしゃってください、私は本当のことが知りたいのです」…と嘆願するように彼の眼を
     見つめた。しかしポ-ルはどんなに口説かれても、本当のことは断じて言えないと思った。
     「ケメリック君は本当に、すぐそぐその場で死んだんですよ、僕は彼の隣にいましたから
      いちばんよく知っています…ごく穏やかな顔をして息を引き取られました」
     「あなたは誓ってそうおっしゃいますか?」
     「誓って申します」
      母親はようやく納得したようだ…泣きながらも彼女はポ-ルにキスをし、ケムリックの
     写真をポ-ルに差し出した。それは彼が初年兵時代の軍服を着て、丸いテ-ブルに依り
     かかっている写真だった。

      ケメリックの母親の家を辞したあと、ポ-ルは母校を訪ねた。教室に入りかけると、相変わ
     らず愛国心を説くカントレック教師の声が聞こえる。
     「農場や学校からみんな勇敢にも志願した…祖国を護ることが重要な任務だと理解して…」
     …生徒たちを前に講義していたカントレックだったが、ポ-ルを見ると走りより声をかけた。

     「オオ-、ポ-ル・ハウマ-か!」
     「お久しぶりです」…ポ-ルが挨拶すると、カントレックは
     「いい時に来てくれた」…と言いながら彼を生徒に紹介、さらに
     「彼は最初に志願した者の一人だ、最初の年ここで戦争への志願を決意した、わが軍に貢献
      している鉄の若者の一人だ、見なさい青銅のように強く澄んだ眼をしている…君から話して
      くれ、祖国のために戦うことを教えてやってほしい」…と頼むがポ-ルは
     「話すことはありません」…そっけなく言う。
     「一言でいい、彼らが必要とされている意義を教えてやってくれ」
     「私には言えません」
     「英雄の崇高さを話してくれないか」….再々のカントレックの頼みにポ-ルはためらって
     いたが、こう言った。
     「話すことなんかない、塹壕で過ごし殺されないように戦闘する、それだけさ」…彼の言葉に
     少年たちは、友人たちと顔を見合わせザワメキはじめる。
     「ポ-ル違う」
     「違わない!」…ポ-ル、大きな声でキッパリ。
     「その話じゃない」…とカントレック、ポ-ルの意外な言葉にあわてている。ポ-ルは
     続けた。
     「相変わらず同じ話をして多くの若者を扇動している、祖国に命を捧げることが正しいと
      でも?、僕はあなたを信じていた…でも最初の爆撃で悟ったんです、自分の命を犠牲に
      してまで戦う必要がないことを…どれだけの人間が命を落としたか…」

        カントレック教師に訴えるポ-ル       ポ-ルの言葉に抗議する生徒たち

          

      ….訴えるが、生徒たちが何か口ぐちに言ってるのを見てポ-ルは
     「本当のことを言ったまでだ!、戦地へ行って命を犠牲にしろ!」…と叫んだ。ところが生徒
     たちは立ち上がり
     「臆病者!」…罵声を浴びせた。
     「現実は違うんだ!」…ポ-ルは生徒たちを説得しようとするが
     「臆病者!」…また罵しられる。
     「やめろ!…済まないが…」…カントレックは生徒たちに言い、ポ-ルにも席を外すよう
     求めた。
     「あなたには分からない、あれから何年です?、世間は現実を理解してると思ってたが子供
      まで戦地に送るとは…戻るべきではなかった、前線では生きるか死ぬかだ…いつか気づく
      だろう、敗戦に向かっていることも…3年という歳月がどれだけ長く感じられたか、泥に
      まみれ寝て食べて死と隣り合わせ…あなたには決して理解できない、戻るべきじゃなかった、
      俺の居場所はここにはない、失礼」…ポ-ルはそう言ったあと、唖然とするカントレックに
     背を向けて教室を出て行った。

      ポ-ルは家に帰った。ベッドにいる彼の頭を母親がなでている。
     「母さん、風邪を引くよベッドに戻って」
     「お前が行ったあとたくさん眠るわ、どうしても明日なの?」
     「命令なんだ」
     「怖い?」
     「平気さ」
     「一つ言っておくわ、女の人には気をつけるのよ」
     「戦地には女の子などいないさ」
     「前線では用心してね」
     「分かってるよ」
     「毎日祈ってるわ、あまり危険じゃない任務についてね」
     「料理係にさせてもらうよ」
     「誰かに何か言われたら…」
     「心配しないで、もう休んで…帰るまでに体を治しておいて」
     「新しい羊毛の下着を2つ入れたから」
     「おやすみ」
     「おやすみなさい」…母親はポ-ルにキス、ようやく離れた。
     「母さんは僕をまだ子供だと思ってる、母さんのひざで泣きたいよ」…ポ-ルつぶやく。

                      ポ-ルに話しかける母親

             

      ポ-ルは再び兵役の任務についた。貨車で遠く離れた兵営の基地に着いたが、建物は爆撃で
     破壊され、周囲の様相はまったく変わっていた。崩れ落ちた瓦礫の中を歩いていると、みな
     疲れ果て放心したような顔が眼につく。路地に座り込んで屯している者が多い。そのほとんど
     は若い少年兵だった。その中の一人にポ-ルが
     「これで全員か?」…と聞くと
     「はい、150人いましたが戦死しました、でも補充兵が来ます」…少年は答えた。
     「君は何歳?」…訊ねると
     「16歳です」…という返事が返ってきた。前線で戦っていた兵士の多くが戦死、若い少年たち
     が送られてきているのだろう…そんなことを考えながらポ-ルは以前の宿舎を探し歩いていた。

          崩壊した建物のなかを歩くポ-ル         腹を空かせ寝ころぶ少年

        

      宿舎では少年兵たちが床に座り込んでいたが、チャ-デンが入ってくるとみな一斉に立ち
     上がった。食べ物を待っていたのである。みな腹を空かしていたのだ。
     「何もなかった、オガクズでも食べるか」
     「俺はもうダメだ、病気になりそうだ」…顔を伏せていた少年兵が、悲痛な声で叫ぶ。
     そこへポ-ルが入ってきた。チャ-デン
     「オウ-!ポ-ルじゃないか!」…二人は再会を喜ぶ。
     「また激しい戦闘になる」…とチャ-デン。
     「ここを見つけるのが大変だったよ」…ポ-ル。
     「よかった」…そう言いながらパンを取り出し、口に入れようとしたチャ-デンだったが、
     少年兵の眼に気づき
     「分けるしかないな」…パンを少年兵に渡す。
     「以前は食べ物があったが、今は何もない、体がもたん」…チャ-デンが言う。
     「随分顔ぶれが変わったね」…ポ-ル周りを見渡す。
     「若いのが増えた、荷物も満足に持てない、すぐ死ぬし…」
     「いつもの顔ぶれは?」…ポ-ル聞く。
     「状況が変わったのさ」
     「ウエストフは?」
     「塹壕を出たところで負傷したよ…ところで休戦の話は本当か?」
     「ただのウワサさ」
     「まだ戦闘を続けろと?」
     「そういうこと」
     「ひどいな、ドイツは空っぽになるぞ」
     「デテリングは?」…ポ-ル聞く。
     「家が恋しくなったんだ、桜の木の話を覚えてるか?、帰ろうと逃げ出して逮捕された、
     それ以来消息不明さ、家が恋しかっただけなのに」
     「カチンスキ-は?」
     「大丈夫だ、あいつが死ぬのは戦争が終わるときだ」
     「今ごこに?」
     「ス-プの材料集めさ」
     「どっち?」
     「3キロほど向うだ」
     「あとで」…そうポ-ルは言って外に出て行った。

                    話し合うチャ-デンとポ-ル

           

      ポ-ルが焼け野原を歩いて行くと、こちらにやってくるカチンスキ-が見えた。彼も気づき
     大きく手を上げ
     「ポ-ル!」…と呼びかけ走りよって来ようとした時、二人の間に空から爆弾が落ちてきた。
     伏せるポ-ルとカチンスキ-…爆音が聞こえなくなると二人は立ち上がり、
     「よう-!」…握手、再会を喜ぶ。
     「ケガは?」…カチンスキ-が聞く。
     「治ったよ…収穫は?」
     「もう取られたあとだった、座ろうぜ」
     「故郷はどうだった?」
     「まあまあだ」
     「どうした?」
     「いいものではなかったよ、ここに長く居すぎた、命の大切さを話したら、臆病者と言われた…
      パリに進攻だと言う人もいるし、父も同じ意見だった」…ポ-ルが話す。
     「ア、ハ、ハ、ハ、そうだったのか」
     「違和感を感じたよ、君にすごく会いたかったよ、君だけが俺に残されたもの」
     「俺だって同じだよ、俺も寂しかった」…カチンスキ-が言う。
     「少なくともここにはウソがない」
     「パリに進攻か現実を見るべきだ、ヤツらは食料もあるし大量の武器もある、それにくらべ
       俺たちは?、使い物にならない武器と食料不足と上官不足…外ではそんなことが言われて
      いるのか…もう行こう」…カチンスキ-が言うとポ-ルも立ち上がり、二人は歩きはじめた。

        再会を喜ぶポ-ルとカチンスキ-     歩きながら話すポ-ルとカチンスキ-

          

     「頼もしい味方がいるから安全だと母にウソをついた、でも君と一緒だと本当の話しに
      思える」…そうポ-ルが話した時、爆音…カチンスキ-上空を見上げ
     「伏せろ!」…と叫んだ.…がその瞬間大きな轟音とともに爆弾炸裂。幸い難を逃れた
     ポ-ル、空に向かって
     「また外れたな」.…と叫び、カチンスキ-に
     「さあ行こう」…と呼びかけた。しかし彼は伏さったまま動かない.…ようやく
     「待て.…どうやら食料輸送車はボロがきたみたいだ、歩けないかもしれん」.…苦しそうに
     言った。
     「大丈夫か?」…
     「すねをやられた」.…見ると、カチンスキ-のズボンは血で真っ赤に染まっている。
     「何とかなりそうだ」…ポ-ル懸命に手当てする。
     「運が悪かった」
     「運がいい.…家に帰れるぞ」
     「いや.…俺が生きてるかぎり戦争は終わらない」

     ポ-ルと話しながら空を見上げるカチンスキ-     カチンスキ-を手当てするポ-ル

          

     「俺が運ぶよ、手を出して」.…ポ-ル、カチンスキ-を抱え上げゆっくり歩きはじめる。
     「また離れ離れだな」…とカチンスキ-は言ったが、その言葉は病院行きを示唆していたのか、
     それとも死を覚悟していたのか.…しかしポ-ルは、病院行きの言葉だと受け止めていたのに
     ちがいない。
     「戦争が終わったら一緒に何かしよう」
     「いいね」
     「住所を教えてよ」.…ポ-ルが言ったときまた爆音、
     「1日に2人もやられないぞ!」.…ポ-ル空を見上げて叫び、カチンスキ-に
     「絶対に会おう…ブタを一匹食べたの覚えてる?..…森で砲弾のよけかたを教えてくれたね、
     最初の砲撃.…入隊したてで泣きベそかいたっけ.…」.…などと話しかけていたが、彼からは
     何の応答もなかった。

                  カチンスキ-を抱え上げながら歩くポ-ル

           

      ポ-ルは、カチンスキ-を抱えながら3キロの道のりを歩いて彼を野営の応急処置所に運び
     こみ、
     「さあ着いたよ、ほらカチンスキ-」.…と呼びかけ彼を降ろした。衛生兵はカチンスキ-の
     様子を見ていたが、
     「無駄足だったな.…死んでる」.…とポ-ルに告げた。
     「気絶してるだけさ」
     「死んでるよ」.…衛生兵の言葉が信じられなかったポ-ルは、水をカチンスキ-に飲ませ
     ようとした。しかし手の脈を見て、彼が死んでいることを知り愕然とする。
     「支給簿を.…親族か?」.…衛生兵が聞く。
     「違う」
     「名前と番号.…W・カチンスキ-・306」.…衛生兵が事務処理をしているとき、ポ-ルは
     外に出た。ポ-ルは寂しかった.…悲しみがこみあげてきた.…俺がいちばん好きな戦友だった
     のに.…。

         カチンスキ-を運んできたポ-ル       カチンスキ-の支給簿を見るポ-ル

          

      それから何日かが過ぎたある日、ポ-ルは前線にいた。やはりフランス国境に近いドイツの
     西部戦線である。他の兵士たちは塹壕の道を掘り返していたが、ポ-ルは中でポツンとして
     いた。
     仲のよかった級友たちはみな死んでしまった.…ベ-ムもケメリックも、ミュ-ラ-も.…
     クロップは病院でどうしているのか.…農家出身のデテリングは消息不明、そしていちばん
     信頼していたカチンスキ-もいない.…

         塹壕の道を掘り返す兵士たち             思いに沈むポ-ル

          

      ぼんやりそんなことを考えているとふと、塹壕の穴の向うに何か動いているものが眼に
     入った。色鮮やかな美しい蝶だ、瓦礫の上に止まり、ヒラヒラと羽根を動かしている.…
     ポ-ルは思わずほほ笑んだ、心が安らぐ思いだった。

          蝶を見つけほほ笑むポ-ル             瓦礫に止まる蝶

          

      こんなところに生命がある、けなげに生きている、土の水でも吸っているのだろうか.…
     何とも愛おしい.…ポ-ルはそっと手をのばした.…とその時”バン!”.…ポ-ルは撃たれた.…
     伸ばしていた手の指先が縮み、そして掌がゆっくりと下を向くと、わずかに指先がのびて
     動かなくなった。即死だった。ポ-ルは狙撃兵に狙われていたのである。まだ20歳だった。

           ポ-ルを狙う狙撃兵            そっと手をのばすポ-ル

          

         撃たれた瞬間手の指先が縮まる        そしてゆっくりと掌が下を向く

          

      その日は1918年10月、第一次世界大戦終結の1ヶ月前だった。ポ-ルは前にうち伏して
     倒れ、まるで寝ているように地上にころがっていた。体をひっくり返してみると、長く苦し
     んだ形跡はないように見えた。
     その日司令部からは、
     ”西部戦線異状なし、報告すべき件なし”.…という報告が出されていた。
     戦場における無名の1兵士の戦死など、国家にとってはほんの些事のひとつにすぎないので
     ある。文面はそう言っているように思える.…。

       ラストシ-ンで、戦場に出て行く少年兵たちの面影が回想的に映し出されていく.…戦場に
     散っていった若者たちの姿である.…。

                      戦場に出て行くポ-ル

           

                     戦場に出て行く若者たち

          

                                   ― THE END ―

      第一次世界大戦開戦から100年目にあたる今年は、新聞などでその記事を眼にすることが多く
     なったが、この戦争の最前線を描いた「西部戦線異状なし」は、今なお新鮮な感覚で私たちに
     語りかけてくるものがある。それは愛国心という美名のもとに、大勢の若者たちが戦地に送ら
     れ犠牲になっているという現実が、世界各地に横たわっているからだろう。

      前線から、一時兵営基地に戻った若者たちが話し合う。
     「戦争はなぜ始まる」
     「国が国を侮辱したからさ」
     「なら俺には関係ない、俺は今すぐ家に帰るぞ」.…とか
     「見たこともないイギリス人を撃ちたくないよ、彼らも初めてドイツ人を見たのだろ、
      おかしな話だ」といったような素朴な会話が、若者たちの気持をよく表している。
      ポ-ルは穴に入ってきたフランス兵をとっさに刺し殺す。自分の身が危ないと思ったからだ。
     しかし冷静になった彼は
     「軍服を脱いだら友達になれたのに.…」と涙を流しながら言う。そして負傷兵として一時
     帰郷したとき、カントレック教師には
     「相変わらず同じ話をして多くの若者を扇動している.…僕は最初の爆撃で悟ったんです、
       自分の命を犠牲にしてまで戦う必要がないことを、どれだけの人間が命を落としたか.…
       前線では生きるか死ぬかだ.…みな使い捨ての駒として使われ、次々と倒れていった.…
      極限状態の中で精神異常をきたし、戦火に飛び込んで死んでいった友人もいる、この
      学窓から出征したベ-ムとケムリックだ.…あなたはいつか気づくだろう.…敗戦に 向かっ
      ていることも.…」.…と訴える。
      このポ-ルの言葉が作者の言いたかったことだろう.…この作品のテ-マでもある。

      ポ-ルにとって胸に深く突き刺さったのは、戦死した友人の母の言葉だろう。
     「あの子が死んでるのに、なぜあなたは生きてるんです.…」

     「西部戦線異常なし」の作者はドイツのジャ-ナリストでもあったレマルク、彼は18歳のとき
     第一次世界に出征した体験をもとにこの小説を書いた。出版されたのは1929年、戦地に
     かりだされた若者たちの愛と死、人類が初めて直面した大量殺戮の前で戦慄する様を、
     リアルに文学にとどめたものとして、世界的反響を呼び起こしたが、彼はナチスに睨まれて
     スイスに移り、のちアメリカに亡命した。
     他にも「愛する時と死する時」、「凱旋門」、「帰還の道」、「3人の戦友」、「隣人を愛せ」
     などの著書がある。
     翌年の1930年にはアメリカで映画化された。映画も全編に戦争批判とヒュ-マニズムが
     貫かれ、感動的な作品になっている。

         監  督        ルイス・マイルストン

         役  名        俳  優

         ポ-ル          リュ-・エア-ズ
         カチンスキ-      ルイス・ウォルハイム
         カントレック       ア-ノルド・ル-シ-
         ヒメルシュトス     ジョン・レイ
         ケメリック       ベン・アレキサンダ-
         クロック        ウイリアム・ベイクウェル
         レ-ル         スコット・コルク
         チャ-デン      スリム・サマ-ビル
         デテリング       ハロルド・グッドウィン
         ベ-ム         ウォルタ-・ブラウン・ロジャ-ズ

                                   2014.8.03  記



                      ビ ル マ の 竪琴 


                     ビルマの竪琴を弾く水島上等兵

           

      太平洋戦争に突入してから4年目の昭和20年7月、ビルマでは戦局は一段と厳しさを増し、
     日本軍は敵軍に追いつめられてバラバラにされ、いくつかの部隊に分かれてジャングルの中を
     さまよい歩いていた。井上隊長率いる30人余りの小隊もその一つであった。しかし彼らは
     苦しいとき、悲しいとき、寂しいときに、いつも歌を唄っていた。隊長は音楽学校出の若い
     音楽家で、兵隊たちに熱心に合唱を教えてみなを元気づけようとしたのである。
      この部隊は山から山へと逃げ歩き、何とか国境を越えてタイ国に入ろうとしていた。彼らが
     ヘトヘトに疲れて森の草叢で休んでいたとき、隊員の一人がみなに声をかけた。

     「歌わないか、こういう時の合唱だぞ」…すると隊長が竪琴の上手い隊員に言う。
     「水島!竪琴を弾いてくれ」…指示された水島上等兵は竪琴を持ち上げ、この曲を弾き始めた。
     私たちも子供の頃よく歌い今も時々口ずさむ、あの懐かしい「旅愁」である。みなもそれに
     合わせて合唱する。

            ♪ ふけゆく秋の夜~旅の空の~わびしき思いに~ひとり悩む~
              恋しや故郷~なつかし父母~夢路にたどるは~さとの家路~
              ふけゆく秋の夜~旅の空の~わびしき思いに~ひとり悩む~ 

             合唱する隊員たち            竪琴を弾く水島上等兵

          

      この隊では不自由な材料をつかって様々な楽器をつくっていたが、一番よく使われていた
     のは一種の竪琴だった。これはビルマ人の竪琴を真似てつくったもので、水島はこの竪琴を
     弾くのがとても上手かった。彼は隊に入ってから初めて音楽を知ったのだが、元来天分が
     あったとみえてみるみる上達、すばらしい曲を自分でつくって皆に披露していた。

      合唱が終わると水島は隊長に呼ばれた。斥候に行ってこいという命令である。

     「水島上等兵、前方の森に行ってまいります」
     「ご苦労」
     「いつものように竪琴で合図します、危険であれば危険の曲の方を、前進可能であれば大丈夫
      の曲を弾きます」…水島はいつも竪琴を身につけている。
     「水島は軍服よりその恰好のほうがよく似会うぞ」…隊長が笑顔を見せながら言うと、他の
     隊員から…「ビルマ人そっくりだ」…とか
     「おまえビルマで暮らしたほうがいいぞ、可愛がられるよ」…などと、からかわれた。
     彼は上半身は白いシャツ、下はビルマの民族服ロンヂ-をまとっていたのである。その言葉に
     彼は
     「わたし…ビルマ人…ビルマはいい国」…身ぶり手ぶりでおどけて見せて皆を笑わせた。

                ビルマの民族服でおどけてみせる水島上等兵

             

      水島直立不動の姿勢をとり敬礼、背をむけ森の中へ走って行った。深い草叢をかきわけて
     行くと前方に3人の男が眼に入る。あわてて大木の蔭に隠れ様子を窺う。どうも敵軍の兵士
     ではないらしい、現地人のようだ。彼らはこちらに気づいたのか、ピストルを向けながら
     近づき水島は取り巻かれてしまった。そして彼の腰の辺りを指差し何か言っている。

          草叢をかきわけて行く水島       ピストルを向けながら近づいてくる男たち

          

       一方隊員たちは水島の帰りが遅いので心配していた。
     「遅いなあ~水島」・・・隊員の一人が言う。すると伊東軍曹が隊長のところにかけより
     「代理の斥候を出しましょうか?」…進言した。とその時、静けさの中から竪琴の音が聞こえ
     てきた。
     「オッ、竪琴の音だ!」…小林1等兵が叫んだ。
     「水島が竪琴を弾いている!」…それまで座っていた全員が立ち上がり、竪琴の音に耳を
     澄ます。
     「どっちの曲でありますか?」…軍曹が隊長に聞く。彼は音楽に通じている隊員の中にあって、
     ただ一人音痴だった。
     「まだ覚えんのか、危険でないという方のだ」…隊長が言う。
     「自分の耳では万一聞き間違いということもありますから」
     「軍曹殿は音痴だからな」…馬場1等兵がちゃかす。軍曹その言葉に大きく眼をむいて馬場を
     睨みつけていたが、
     「出発!」…大きな声で号令をかけた。
     隊員たちがその音楽のする方に歩いて行くと、大木のそばで竪琴を弾いている水島の姿が
     現れた。
     皆一斉に彼のところにかけ寄って行ったが、そのヘンな恰好にみな驚く。上半身は裸、腰には
     木の葉のようなものをつけていたのだ。

         森の中で竪琴を弾く水島上等兵     水島の姿に驚く軍曹、小林1等兵、隊長

          

     「何だその恰好は!」
     「キツネにでも化かされたのか!」…隊員たちが聞くと、水島は
     「ドロボ-に会ったんだ」…と言い、涼しい顔をしている。
     「ドロボ-?何を盗られたんだ?」…と馬場1等兵。すると他のもう一人が
     「ロンヂ-1枚の斥候が何も盗られるもんか」…ちゃかすと、
     「そのロンヂ-を盗られたんだ」…水島が答える。
     「それでバナナの葉を巻いているのか?」…アッハハハ…皆が笑う。
     「これドロボ-がくれたんだ、こんな葉っぱをたくさん持っていたんだ、ピストルをつきつけ
       て、おまえのロンヂ-とバナナの葉ととりかえてくれと言ったんだ」…水島の説明に
     「ヘエ~、おだやかな強盗だな」
     「水島、おまえロンヂ-も似会うが、そのほうがもっとよく似会うな」
     「金の首輪でもしたら人喰い人種そっくりだな」…さんざん皆からからかわれるが、水島は
     「バナナの葉の腰巻き、涼しくていいもんだ」…言い返すと…皆どっと笑う。

                    隊員たちに説明する水島上等兵

             

      この部隊が一番困ったのは食料だった。山から山、谷から谷へと渡り歩き村落を探してゆく
     のだが、そうしたところには敵の落下傘部隊がいろんな妨害工作をしたり、村と村とがいつの
     まにか連絡をとりあい、敵に通報されるおそれもあって、容易に食料を手に入れることはでき
     なかった。それでも食料を求めるためには村を訪ねるしかなかった。本隊から分けてもらった
     食料はすでに底をついていたのだ。…そして長い行軍のあとタイとの国境に近づいて来た時、
     ある村に入ってきた。村からは村長はじめ大勢の人が出迎えてくれ、彼らは大きな草葺きの
     家を与えられたのである。

                 行軍していく井上隊長率いる隊員たち

          

      村人は大いに歓待してくれた。食べ物が出され、酒までふるまってくれた。そして思いもかけ
     ぬ宴会になっていつのまにか演芸会のようなものが始まり、若い村人たちがこんな歌を披露
     してくれた。

       とおく雪の中に光っているヒマラヤの雪 その融けた流れにわたくしたちは体を洗う
       とおくどこかに隠れているおまえの心 そのつめたい流れにこのあつい心を洗いたい

      この不思議な歌を聞いていた隊員の一人が村長に聞く。
     「ここからヒマラヤの山が見えるかね」
     「ここからはとても見えない、お経や伝説で聞いているだけです、ヒマラヤは魂のふるさと…
     生きているうちに一度は拝みたいと思っている」…村長が答える。

          隊員の問いに答える村長            歓待される隊員たち

          

      座が盛り上がってきたところで水島は竪琴をとりあげ、ポツン、ポツンと弾きながらこの
     歌に合わせようとしていた
     「水島、おまえの竪琴も堂に入ってきたな…一生ビルマにいて竪琴を弾いたらどうか…
       おまえビルマが好きだといつも言うじゃないか」…馬場が語りかけると
     「おれだって日本に帰りたいさ…」…ポツンと水島が言う。
     「日本か…」…と言いかけて馬場は、遠い眼をしてため息をつく。

                    竪琴を弾く水島と話す馬場

           

      村人の歌が終わると隊員たちは水島の竪琴でいろいろな曲を唄ったが、ことに「荒城の月」
     は非常な喝采を浴びた。村人たちはさらに集まり、彼らの踊りまで披露してくれた。宴会は
     夕刻まで続いた。ところが…ふと気がついてみると、村人たちは一人もいなくなっていたので
     ある。戸外を見ても窓の下にも、広場にも人影はまったくなくなっていたのだ。どうやら敵に
     通報されたらしい。

     「どうも話しがうますぎると思った」…誰かが言う。
     井上隊長立ち上がり窓から辺りを窺う。前方の森に動く人影が見える。その時突然一人の
     隊員が駈けだし外に出ようとした…が
     「動いてはいかん!」…隊長が止めた。
     「弾薬箱が広場に置いてあります!」…その隊員が叫んだ。
     「イギリス兵でありますか?」…軍曹小声で隊長に聞く。前方の人影さらにはっきりしてくる。
     多勢いるらしい。

         草叢から様子を窺う敵軍の兵士         広場に置かれてある弾薬箱

          

     「歌を唄え!」…隊長みなに指示、さらに
     「敵は散兵戦をつくるために木の間を散開している、我々が気がついたと悟られないように…
       歌を唄え!その間に戦闘の準備をするのだ!」…とゲ-トルを巻きながら激を飛ばす。
     隊員たちは大声で歌いはじめた。

         ♪ ああ玉杯に花うけて~緑酒に月の影やどし~治安の夢に耽りたる~
           栄華の巷低く見て~向が岡にそそり立つ~五陵の健児意気高し~ ♪

     この間にも彼らはゲ-トルを巻き、小銃を持ちながら戦闘の用意をしていた。隊長はつづける。
     「手をたたけ!、笑え!」…パチ、パチ、パチ、アッハハハハ、アッハハハハ
     「いつ向うから一斉射撃がくるかも分からんぞ…すぐ夜になるからな、それまで敵に油断
       させたほうがいい…もういちど手をたたいて笑うんだ」…隊長の声にみなパチ、パチ、パチ、
     アッハハハハ、アッハハハハ。
     隊員たちは無理をして笑い声を出していたが、これは苦しいことだったにちがいない。何しろ、
     森の中には機関銃がこちらを向いていて、いつ火を噴いてくるか分からないのだから…。

      その時軍曹が
     「弾薬箱はどうしますか?、一発敵弾を受ければ炸裂してしまします」…必死な顔で隊長に
     言う。
     「よしみんなで外に出よう、あの弾薬箱をこちらに引き寄せるのだ、手をたたき歌いながら
       出て行くのだ」…その言葉に隊員たちは

         ♪ ああ玉杯に花うけて~緑酒に月の影やどし~治安の夢に耽りたる~
           治安の夢に耽りたる~栄華の巷低く見て~向うが岡にそそりたつ~
           五陵の健児意気高し~ ♪

     歌い踊りながら手足を大きく動かし、酔ったふりして小屋から出て行き、そろそろと弾薬箱に
     近づいた。

                   歌い踊りながら弾薬箱に近づく隊員たち

             

      水島は弾薬箱に飛び乗り、竪琴で「埴生の宿」を弾きはじめた。皆は手分けして弾薬箱の
     うしろと横に廻り、小屋の方に動かしながら歌いつづける。

           ♪ 埴生の宿も~わが宿~ 玉のよそい うらやまじ~
             のどかなりや~春の空~ 花はあるじ~鳥は友~
             おおわが宿よ~ 楽しとも~たのもしや~ ♪

                   弾薬箱に乗り竪琴を弾く水島上等兵

           

     「弾がくるとぶっ飛んじゃうぞ」…おびえた声で誰かが言う。
     「ナミアミダブツ、ナミアミダブツ」

      彼らは歌いつづけながら、何とか弾薬箱を小屋のうしろに持って行くことができた。そして
     全員小屋に入り、戦闘の用意をする。隊長は窓の外の様子を窺っていたが、ほどなく他の
     隊員と同様床に伏せて戦闘態勢に入っていた。静寂が辺りを包んでいる…聞こえてくるのは
     遙か彼方のせせらぎの音…ときどき犬の遠吠え…。

                 床に伏せて戦闘態勢に入る隊長と隊員たち

          

      隊長が指揮刀を上げると、隊員たちも銃をとり「ウォ-!」という突貫の声をあげながら
     小屋を飛び出そうとした。とそのとき
     「待て!」と隊長が大きな声で叫んだ。そして
     「あの歌を聞け!」…と言った。皆は耳を澄ました。すると森の中から

        ♪ ホ-ム ホ-ム~スィ-トホ-ム~スィ-トホ-ム~ ♪

     という歌が聞こえてくるではないか…曲は「埴生の宿である。私たちはこの歌を子供のころ
     からよく歌い、聞かされてきた。日本の歌だと思っていた。どこか郷愁を感じる日本の抒情
     歌だと思っていた。しかしこの曲はイングランド民謡だったのである。イギリス軍の兵士たち
     は隊員たちが歌う「埴生の宿」に懐かしさを覚え、唱和してきたのだろう。彼らも子供のころ
     からこの歌を唄っていたにちがいないのだ。さらに別の一団から

        ♪ ザ ラ-スト- ロ-ズ~オヴ サンマ~…♪

     と聞こえてきたのは、「庭の千草」、この曲はアイルランド民謡である。

       夜の森から近づいてくるイギリス軍兵士         夜明け前の森の空

          

     「なんだ敵さんではなかったのか」…誰かがつぶやいた。
     「待て!もうすこし様子を見よう」…隊長が言った。
     歌声大きくなり、大勢のイギリス軍の兵士たちが小屋の前に近づくと、水島とっさに竪琴を
     とりその歌に合わせ弾きはじめた。曲は「埴生の宿」

           ♪  埴生の宿も~わが宿~ 玉のよそい うらやまじ~
              のどかなりや~春の空~ 花はあるじ~鳥は友~
              おおわが宿よ~ 楽しとも~たのもしや~ ♪

     隊員たちも一緒に合唱する…敵兵も日本兵も一緒になって合唱しはじめたのだ。イギリス軍
     兵士と日本軍兵士の二重奏である…さらに「庭の千草」を歌い、スコットランド民謡の
     「故郷の空」

           ♪ 夕空はれて 秋風吹き 月かげ落ちて鈴虫なく
             おもえば遠し故郷の空 ああわが父母いかにおわす ♪

     も歌った。水島はいろいろな曲を伴奏した。これはイギリス兵からも非常な喝采をうけた。
     水島の頬からは涙が流れ、それを見たイギリス兵も日本兵も涙を流して歌った…。
     いつか夜もふけていった・・・井上隊長以下隊員たちは銃を置いた…イギリス軍の捕虜と
     なったのだ。その夜彼らは、3日前に終戦になっていたことを知らされたのである。


                      歌に聞き入る水島上等兵

               

      翌日井上隊長は隊員たちを集め次のように訓辞した。

     「われわれは降伏をした。自分たちばかりではない、自分たちの国も降伏をした。このことを
       どう考えたらいいのか、私には分からない。…この先どうなるのか、どこへ連れて行かれて
       何をさせられるか…果たして生かしてもらえるのかどうかも分からない。…日本は全国に
       わたって空襲をうけ、人は焼かれ、追われ飢えているということである。…国は廃墟となり、
       自分たちの身は万里の外で捕虜となる。…今はただなり行きを待つほかはない。…今我々が
       運命にさからったところで、それが何になる…。むしろそれをいさぎよく認めて、その上で
       立ち直ったほうが男らしいやりかただと思う。…自分たちは今まで生死をともにしてきた、
       これからも共に運命に耐えてゆこう…この先、あるいはこのビルマの国で骨になるかもしれ
       ない、そのときは皆も一緒に骨になろう…もし万一にも国に帰ることができたら、その時は
       一人も残らず日本に帰って再建のために働こう…今自分に言えることはこれだけだ…。」

                       隊員の前で訓辞する井上隊長

             

      隊長の言葉を聞きながらすすり泣く者がいた。万感胸にせまるものがあったのだろう。
     ただ彼らが一番心配していたのはこれから先のことだった。隊員たちはムドンというところ
     に収容されるらしい。

     「ムドンてどんなところだ」
     「ムドンの捕虜収容所にいよいよ入るのか」
     「よかったな」
     「何がよかったんだ!」
     「収容所に集めといて皆殺しにされるのか」
     「ホッ、ホントか!」
     「ムドンてどんなところだ」
     「知るかよ、俺に聞いたって}

      隊員たちは今の不安を口ぐちに言う。そのとき水島は隊長に呼び出された。
     「3日前からイギリス軍が攻撃している山がある。日本軍が立てこもっていて、どうしても
       降伏しないという。自分はイギリスの将校に、我々の仲間を一人その山に行かせて説得に
       行くと 頼んだ。一人でもムダ死にをしないようにしたいんだ…あの山だ、どうだ行って
       くれるか…歩いて半日位のところなんだが…」。
     水島は山の方を見て考えていたが、
     「行ってまいります…どうゆうふうにやっていいか分かりませんから臨機応変に処理 します」
     …と答えた。
     「ありがとう、自分たちはこれから南方のムドンに送られるが君も役目を果たしたら、あと
       からついてきてくれ、遠い道のりを一人で歩くのは大変だと思うが、イギリス軍も承知して
       いるから」
     「水島役目を果たしたら、必ずムドンへ戻ります」…水島直立不動の姿勢をとり隊長に敬礼、
     隊長もにこやかに敬礼を返す。

      任務に旅立って行く水島を見送る隊員たち…水島はしばらく歩いていたが、うしろを振り返り
     竪琴を上げ、笑顔を見せながらラッラ、ラ、ラ、ラ~弾いてみせたかと思うと、再び背を向け
     山蔭に姿を消した。

           水島を見送る隊員たち          皆の見送りに竪琴で応える水島

          

      水島は三角山麓にあるイギリス軍の本部に着いた。ここを拠点にイギリス軍は、日本軍が
     たてこもる洞窟に激しい砲火を浴びせていた。頻繁に爆音が聞こえる。水島は指揮官に接見、
     井上隊長からの手紙を見てもらった。手紙を読み終えた指揮官は水島に言った。
     「よろしい、降伏を勧めてみよう、ただし30分間だけ、それ以上は少しも待たない」
     許可は出たが時間は30分しかない…水島が敬礼して立ち去ろうとすると、指揮官が背後から
     呼びとめた。
     「使命の成功を祈る」

       隊長からの手紙を読むイギリス軍指揮官      イギリス軍指揮官に敬礼する水島

          

      イギリス軍は砲撃を一時止めた。その間水島は岩場の急坂を這い上って行った。時間がない、
     急がなければ…。三角山の洞窟にたてこもる日本兵は
     「どうした、急に攻撃を止めたな」…砲撃手がそばの兵士に言う。
     「おやつのミルクでも飲んでいらっしゃるのだろ」
     とその時、前方に人影を見た日本兵の砲撃手がいきなり機関銃をぶっ放した。ダッダッダッ
     ダッダッ…
     水島は身をを伏せて弾を避ける、そして起き上がり前進しながら懸命に手を振る、相手はまだ
     気づかない。
     「この野郎!」…砲撃手が叫んだ。
     「待て、日本兵だ!」…そばの兵士が砲撃手に言った。

           日本兵に手を振る水島         洞窟の入り口で機関銃を構える日本兵

          

     水島は崖をよじ登り、最後の絶壁のところでは日本兵が手を貸し彼を引き上げた。
     「オイしっかりしろ、、よくきたなあ!どこから来た?」…他の日本兵も集まり、彼を抱き
     かかえるようにして洞窟の中に入れた。
     「えらいぞ!さあ、これを飲みたまえ」
     日本兵たちは懐かしそうに言い、水を出してくれた。水島はそれを一気に飲みほした。そして
     「隊長はどこにいますか?」…と聞いた。

           最後の絶壁を攀じ登る水島       抱きかかえられ洞窟に入れられる水島

          

      呼ばれた隊長が奥の方から出てきて。
     「オオ!よく来たな!」…眼を輝かせ昂然と言った、一本気な男らしい。
     「自分は井上隊の水島であります、使命でまいりました」
     「ナニ、使いで来た!?」
     「日本軍は降伏したのであります、この上はムダな反抗はなさるべきではない、貴隊もすみ
       やかに降伏を…」と水島が言うやいなや、
     「ダマレ!無礼な!、何ちゅうことをぬかすか!、今になって降伏して戦死した戦友たちに
       申し訳が立つか!わが隊は貴様の隊のように腰ぬけではない、我々は全滅するまで戦う!」
     …隊長は激昂、一気にまくしたてた。しかし水島は
     「全滅してそれが何になりますか、生きて忍んで働く、それが国のためです」…説得しようと
     するが、
     「国のため?生意気いうな!」
     「わが隊にはのうのうと生きる者は誰もいない!」
     「国中で誰も降参しなければ国は負けるはずはないじゃないか!」
     「そうだ、そうだ」
     周りにいた兵士たちは口ぐちに言い水島に詰め寄った。すると隊長は
     「お前みたいな根性のくさったやつは日本人じゃない、帰れ!」…と怒鳴った。
     「帰りません!、あなたたちがそんな野卑な態度を変えないうちは帰りません」
     「帰らんとここで死ぬぞ」
     「ムリに命を捨てたくはありません、日本のためにもならず、自分のためにもなりません、
       無意味です」
     「何を言うか!」…一人の兵士が水島を殴り倒した。水島起き上がり続ける。
     「隊長、あなたはこれだけの大切な命を預かりながら、もし本当にムダ死にとなったら、その
       責任をどうしますか!…国民に対し、家族に対し申し訳なさいますか」
      この言葉は隊長にこたえたらしい、一瞬虚をつかれた顔をして水島を見つめていたが、
     「よし、じゃ念のため兵隊たちの気持を聞こう」
     そう言って隊長は皆を奥の方に連れて行った。

         水島の言葉に虚をつかれた顔を見せる隊長       三角山守備隊長を説得する水島

          

      時間は刻々と迫っている。あと10分しか残っていない、水島はたまりかねて
     「5分以内に決定ねがいます」…奥の方に向かって怒鳴った。しばらくして隊長以下隊員たち
     が戻ってきた。みな興奮しているように見える。隊長は大声で言った。
      「総員の決意、わが隊はあくまでここを死守する!」…その言葉に水島は一瞬ガッカリした
     表情を見せたが、
     「もう一度イギリス軍に頼んでみる、時間をくれるように頼んでくる」…と言うやいなや出口
     の方へ走って行った。
     「そんなに命がほしいのか!出て行け、臆病者!」…兵士たちから背中に激しい言葉を浴びせ
     られるが、
     「自分は臆病者ではない、君たちと口論している時間はない」
     水島はそう言ったあと腰に巻いていた白布を竹棒につけ、白旗にして出口に立った。

                 洞窟入り口に白旗を立てようとする水島

             

      追いかけられ引き留められるが
     「自分は隊長から一人でもムダ死にをさせるな、という命令をうけてきているのだ!」…
     と叫んだ。その時隊長が軍刀を抜き
     「貴様!」…と言いかけたとき、もの凄い爆音…イギリス軍の攻撃が始まった、時間切れ
     になったのだ。洞窟入口辺りに砲弾が炸裂、砲弾は次々に撃ち込まれてくる。三角山の
     岩は破片が飛び散り、洞窟内は濛々とうずまく硝煙で視界はまったくきかなくなっていた。
     一瞬爆音が鳴りやんだ時、日本兵の砲撃手が入口に駈け上がり機関銃で反撃していたが、
     ほどなく敵弾にやられた。容赦ない敵軍の攻撃に日本兵は次々に倒れていった。

                    炸裂するイギリス軍の砲弾

           

       白旗をもつ水島を引き留めようとする兵士       洞窟が爆撃をうけた瞬間

          

      やがて爆音は止み、洞窟内は静かになった、不気味なほど静かになった。水島は伏せて
     いた顔を上げ、辺りを見渡すと全員倒れていた。その大半は死んでいた。彼はふらふらと立ち
     上がり、倒れている日本兵の間を踏み越えて出口の方へ歩いて行った。そして洞窟を出ようと
     したが体が痛い、思うように体が動かない、喉が渇いた、下の方で滝の音がする、水が飲み
     たい、そう思って岩山の斜面を這い下って石の上から身をのり出したとき、石がぐらりと揺れ、
     水島は崖下に転落して行った。

          倒れた兵士の間を踏み越えてゆく水島         崖下に転落していく水島

          

      井上隊はムドンの収容所に来ていた。山を下り平野に出て船でシッタン川を下り、それから
     汽車、トラックと乗り継いでビルマの南方にあるムドンに運ばれてきたのである。時々土木
     工事や森林伐採にかりだされることはあるが、それ以外は静かな毎日を過ごしていた。
     収容所は簡単なニッパハウスでつくられ、その周りは頑丈な柵で囲まれてあった。入り口には
     インド兵の番兵が立っていて、外から人が入ろうとすると、空砲を撃っておどかしたりして
     いた。
     「静かだなあ」…誰かが言ったとき、”バン!”という大きな音、その直後頭にカゴを乗せた
     オバアさんが入ってきた。この収容所に村人が入ることは禁止されていたが、このオバアさん
     だけは黙認されていた。

     「よく来たなあ、オバアちゃん、雨が降るのに」
     「オバアちゃん交換だ、交換だ」
     「今日は何があるんだい?」…隊員たちは口ぐちに言い、彼女のところに集まってきた。
     「イヒャ~、イヒャ~空砲なんか鳴らしおって、おどかしよって…ウチの顔知らんよって」

     新顔の番人のことを言っている。オバアちゃんの言葉は関西弁、以前ここにいた関西の
     兵士が教えたものらしい。カゴの中にはバナナ、マンゴ-、パパイアなどの果物の他、ダンゴ
     なども入っている。隊員たちの持ち物と物々交換するのだ。

             頭に果物などを入れたカゴを乗せてやってきたオバアちゃん

           

     「おい、オバアちゃん、この箒でチャンナカくれ」
     「ホウキか、はい、コウカン」…チャンナカはビルマのダンゴ、箒は兵士が暇つぶしに
     つくったものらしい。
     「オバアちゃん、この笛はきのう竹でつくったものだ、よく鳴るよ、バナナと交換して
       くれないか」
     「はい、コウカン」…オバアちゃんバナナを差し出す。
     「この前買ったこのサル、もういらないから食うもんと替えてくれ」
     「アカン、アカン、このサルいたずらするよってよう引きとらん」
     「オバアちゃん、このくつ下新しいんだ、ナ-ビ-と替えてくれ」…ナ-ビ-もビルマの
     ダンゴか?オカラのような味がするらしい。
     「はい、コウカン」
     みんなそれぞれ好きな者と交換していたとき、隊長がオバアちゃんに話しかけた。
     「オバアちゃん聞いてくれたあのこと?」
     「ウ~ン」…どうやら忘れているらしい。
     「アッ、また忘れたんだな、しようがねえな~」
     「我々は何にも情報が聞けないから、オバアちゃんだけが頼りなんだよ」…隊員たちが言う。
     「怒ってもしかたないよ」・・・隊長は彼らを制止、そして
     「頼むから忘れずに聞いてほしい…この町に収容されている傷病兵はホントウに三角山で
       捕えられた部隊なのか、もしそうだとしたらこの部隊が戦っている最中に使いに来た日本の
       兵隊はいなかったか、そしてその兵隊はどうなったか、それだけ聞いてほしいんだ」…
     オバアちゃんに念を押した。彼女は
     「承知した、その病院にも商いに行くからアンジョウ聞いておく」…ニコニコしながら気軽に
     承諾した。
     「お礼はできるだけするからね」

        オバアちゃんと物々交換する隊員たち    オバアちゃんに水島の消息を依頼する隊長

          

     「きっと忘れないで聞くんだぞ」…と軍曹。
     「また忘れちゃダメだぞ」…今度は他の隊員。
     「ワカッテルヨ」…オバアちゃんはそう言ったかと思うとカゴを頭にのせ
     「サイナラ、サイナラ、アリガトウね」…小柄な体をゆすりながら帰って行った。
     「大丈夫かなあ、あのオバアちゃん」
     「水島どうしたのかなあ、もう10日以上になる」
     「自分が行けばよかった…」…隊長つぶやき、何か考え込んでいるように見えた。

      そのあと隊員たちはサルのことでモメていた。サルの持ち主と口ゲンカしている者もいる。
     そんな彼らに隊長は
     「みんな静かにしないか、我々は敗戦の苦労らしいものはまだ何も始まっちゃいないだよ、
       じい~とここに閉じ込められているのはむしろありがたいもんじゃないか…どうだな、明日
       から合唱でも始めないか」…隊員に呼びかけた。
     翌日彼らは柵のところまで出て合唱をはじめる。

      ♪ ボウズが枯れ木で泣いている~おいらはワラをたたいてる~~~水車はまわってる~ ♪

                      合唱する隊員たち

          

      隊長が指揮をとり、歌は混声合唱になっていた。柵の外では大勢の村人が集まりこの歌を
     聞いている。

     「軍曹はあまり歌が得意じゃないですね」…隊員の一人が軍曹に話しかける。
     「自分はいちばんヘタだろう」…と軍曹。
     「オイ、またあのお坊さんが来てるよ」
     「アイツ、ここへ来るといつももらいがあるからいいナリをしていやがる」…もう一人の隊員
     が陰口をたたく。
     ビルマでは僧侶は人々から尊敬され、僧侶を見ると人々は何か差し出す。この日も腰をかがめ、 
     僧侶に大きな果物を差し出していた女性の姿が見られた。

            整列して合唱する隊員たち        柵の外で合唱に聞き入る村人たち

          

      ある日捕虜となった井上隊は橋工事の作業にかりだされていた。その日の作業が終わり
     隊長が、
     「全員集合」…号令をかけ二列縦隊になって橋の上を行進しはじめたとき、前方から一人の
     ビルマ僧がこちらに歩いてきた。若い僧侶で頭は丸坊主にし、手には托鉢を持っている。
     その肩には青いインコをとまらせていた。
     「どうしたんだ、オイどうしたんだ、早く行けよ、何してんだ」…前の方の列が歩きを止めた
     ため、後ろの者が騒ぎ出したのである。

          前方からやってくるビルマ僧          ビルマ僧を見つめる隊員たち

          

     「似た人もあるもんだな」
     「水島そっくりじゃないか」
     「ミズシマだって?」…隊員たちは口ぐちに言い足を止めたため、インド兵が「早く行け!」
     とせかす。
     ビルマ僧は後ろ向きに立ち止まり、皆が通り過ぎるのを待っている。そのとき隊長が
     「ビックリしてるじゃないか」…と言いながらチラット僧侶を見た。その瞬間、僧侶は眼を
     伏せながら足早に立ち去って行った。そのうしろ姿をじっと見つめる井上隊長…。

                      立ち去って行くビルマ僧

           

         ビルマ僧を見つめる隊員たち        立ち去って行く僧侶を見つめる隊長

          

      その帰り道隊員たちは激しいスコ-ルに見舞われた。雨宿りのため皆一斉に草葺きの小屋に
     飛び込んだところ、あのオバアちゃんが出てきたのである。
     「ようオバアちゃん何してるんだ」…ビックリして隊員の一人が聞く。
     「何してるって、ここウチの家」…オバアちゃん答える。
     「エエ~オバアちゃんのウチかい、ここ」
     「オバアちゃん聞いてくれたのかよ」…別の隊員がせきこんで言う。
     「聞きました、こんどこそチャ~ンと聞きました」
     「水島はどうしましたか?」
     「ミズシマ?」
     「いや、あれはどうしましたか、あれは?」
     「落ちついて聞きなさい、アノな、病院の兵隊さんはな」
     「簡単に言ってくれ、」…軍曹せかす。
     「三角山というところに行ったことあると言っていた、よそから来た一人兵隊さんいたそう
       です、その兵隊さん弾の中あちらこちらに走り回っていたからね、多分ね死んだのやろと
       いうこと」
     「やっぱりやったんだな」…と隊員の一人。
     「戦死したのか…」…隊長つぶやき、重苦しい雰囲気に包まれる。そのとき、柱にとまって
     いたインコが鳴く。別の隊員が口を切った。
     「さっき坊さんが連れていたのと同じだな」
     「あんたたち、あの坊さんに会わはったのかい、このインコはあの坊様の弟や、ウチの亭主
       昨日あちらの林で1日かかって5羽のインコ捕まえたんや、ちょうどその時あの坊さんに
       出会って1羽さし上げたんやそうや、3羽売ってもうこれ1羽になってしもうた」
     「オバアちゃん、その鳥売ってくれないか?」…隊長が尋ねる。
     「かわいい時やろな…」…オバアちゃん少しシブル。
     「いろいろ知らせてくれたお礼も一緒だ」…隊長自分の腕時計を外し差し出す。
     「オバアちゃん、これもだ」…軍曹もタバコケ-スを差し出す。
     「ありがと、ありがと、アンタそれとってくれなはれ」…オバアアちゃん亭主にインコを
       とってもらい、そしてこの鳥はな、教えれば何でも覚えるよ」…ニコニコしながら隊長に
     渡した。

         スコ-ルに見舞われる隊員たち      隊長から腕時計をもらい驚くオバアちゃん

          

      しかし水島を待っていた彼らの望みは断ち切れてしまった。くわしいことは何一つ知ること
     はできず、遺骨も遺髪も求めるすべはなかった。彼の戦死を信ずるほかなかった。

      水島は三角山近くの僧院で手厚い看護をうけていた。崖下に転落して気を失っていたところ
     にビルマ僧が通りがかり、彼を僧院まで運んでくれたのである。身体を包帯でぐるぐるに
     巻かれ、食べ物を口に入れてもらいながらつぶやく。
     「今日で5日経つ…」
     「焦るな、何事もムダなことだとなぜ悟らぬのか…イギリス兵がきて日本兵がきて、戦いが
       あっても何が変わるのだ…ビルマはビルマじゃ…ビルマは仏の国じゃ…」…老僧は水島を
     諭すように言う。

                    三角山近くのビルマの僧院内

           

           僧院に収容された水島         僧侶から食物を口に入れてもらう水島

          

      その後水島は元気になり、僧侶から袈裟をもらい旅に出かけて行く。途中川で頭を剃り
     ビルマ僧の姿で歩き始める。仲間のいるムドンへ、ムドンへ…ムドンは遙か南方にある…。
     険しい山をいくつも越え、谷間に入り歩きづめに歩いて行く。裸足の足は傷だらけ、痛さを
     こらえビッコを引きながら歩いて行く…焼けつくような暑さによろめきながら歩いて行く…
     疲れと、飢えと、暑さで彼の体力は次第に奪われ、広い平原に出たところでついに力尽きて
     しまった。ヨロヨロと倒れこむ。

           足の痛みをこらえる水島        焼けつくような暑さの中を歩く水島

          

     「腹へった…」…焼けついた大地に伏さりながらつぶやく。

      そこへ水牛を連れた農民が通りがかり、彼に竹皮でつつんだおにぎりを差し出した。農民は
     腰をかがめ両手をつき、頭を地面につけるようにして、1回…2回…3回…おじぎをして立ち
     去って行った。水島はおにぎりにかぶりつき、むさぼるように食べはじめた…。

               水牛を連れた農民          水島におにぎりを差し出す農民

          

      ビルマの僧侶は人々から篤く尊敬されている。自分たちの苦しみを僧侶たちが受けとめ、
     幸せをもたらしてくれると信じられているのだ。さらにそこに別の農民が現れ、水島に包み
     を差し出した。この農民も同じように3回おじぎをし立ち去ろうとした時、水島が尋ねた。

     「ムドンはどこか?」
     「ムドン…知らない」
     「南はどちらか?」
     「あちらです」

           水島におじぎする農民           おにぎりにかぶりつく水島

          

      水島立ち上がりフラフラと歩き始める。そのうしろ姿に農民は手をついておじぎをし、しばらく
     見送っていた。

      ある谷間に入ったとき、水島は落ちていたお護りを拾う、日本兵のものだ。その時バタ、バタ、
     バタ…
     彼の頭をかすめるようにカラスが飛んでいった。ふと前方を見ると眼を覆いたくなるような
     光景が飛び込んできた。山の斜面から下にかけて、ある者は伏せ、ある者はあお向けに
     なったまま…遺体はすでに腐乱し、頭蓋骨がむきだしになっているものもある…。その遺体に
     カラスがのっかかって肉をついばみ、その上にも無数のカラスが飛び交っていたのだ。軍刀や
     鉄兜、小銃から日本兵だと分かる。

        山の斜面に散乱する日本兵の遺体           遺体を集める水島

          

      水島は一人一人の遺体を一つの場所に集めようとした。そして焚き木を拾い焼いていった。
     ヒドイ臭いが鼻をつく。土を盛り丸い石をのせて敬礼…。彼が火葬したのはごく一部、とても
     全部はできない…まだ大勢の遺体が残されていた…しかしそれをあとにして南に向かう…
     仲間が待っている…ムドンへムドンへ…。

           遺体を引き寄せる水島          土を盛った墓に敬礼する水島

          

      山を越え森の中へ入って行くと、木によりかかったまま息絶えていた日本兵に出会う。
     おそらく敗走のさいに病気か負傷で落伍したものと思われる。
     「ここにもある…」…水島はつぶやき通り過ぎようとしたが、そばに落ちていた写真が眼に
     入る…幼児を抱いた父親の写真である。この幼児は日本のどこかの家で、これと同じ写真を
     壁にかけて、父親の帰りを待っているのかもしれない…この父親もいつか子供に会える日を
     夢見て、肌身離さずこの写真を持ち歩いていたのだろう…水島は写真を見つめ、それを袈裟
     の中に収め敬礼して立ち去った。

         森の中で出会った日本兵の遺体        落ちていた日本兵親子の写真

          

      森を通り抜け河畔に出た。ザブザブとドロ沼を歩いて行くと、累々と重ね合った屍の山が眼に
     入り、思わず息を飲む。それは眼を覆うばかりの惨状だった、とても正視できない光景だった。
     遺体には蟻や蛆がたかり、そのほとんどは白骨化していた。彼らはこの近くの河畔で戦闘で
     死んだのか…それとも小舟に大勢が乗り込み、この大きな川を渡ろうとして船が転覆、おぼれ
     死んでしまったのか…いずれにしてもそれらの遺体がここに流れ着いたものと思われる。
     水島はしばらく顔を覆っていたが、いたたまれず逃げるようにそこを走り抜けた。しかしまた
     立ち止まり、うしろを振り向く…これでよいのか…このまま放っておいてよいのか…。

                        白骨化した日本兵の遺体

             

         散乱した遺体に顔を覆う水島         逃げるように走って行く水島

          

      ふと気がつくと遠くシッタン川を渡ってくる小舟があった。小舟はだんだん近づき、水島の
     ところまでやってきた。降りてきたのは、水島を救ってくれたあのビルマ僧だった。

     「おや、まだムドンへは参られませんか?」…水島に老僧が尋ねる。
     「はい、日本兵の死骸が…」
     「この国には戦のために亡くなられた異国の方々の屍がまだまだそのままになっております、
       お気の毒なことで…」…二人は屍に向かい合掌したあと、老僧は水島に言った。
     「この船でムドンへ行かれるとよろしい」
     「ありがとうございます」…水島は船に乗せてもらった。その船を見送る老僧…。

         小舟から降りてきた老僧と水島      小舟に乗せてもらいムドンへ向かう水島

          

      その後何日か経ったある日の未明、彼はムドンに入り僧院を訪ねた。若い僧侶に案内され
     「ムドンへお寄りになったときは、いつでもこの部屋をお使いください」…僧院の一角を与え
     られた。そして
     「随分激しい修行をなさったお様子ですね、どうぞゆっくりお休みください」…ねぎらわれる。
     僧侶が去ったあと、水島つぶやく。
     「いよいよ明日だ、こんな姿をみたら、みんな驚くだろうな…」
     床につきそんな思いにひたっている時、どこからか竪琴の音が聞こえてきた。外に出てみると
     竪琴を弾いていたのは幼い少年だった。ポツポツと弦をつまびいている。じっと見ていた水島、
     少年に話しかける。

     「何故こんなに早くから弾いているのか?」…水島の声に
     「すみません、毎日タテゴトを弾いて銭をもらいに行くのです」…少年は言った。
     「どうしてその曲を弾くのか?」
     「これを弾くとイギリス人がお金をくれます」…少年が弾いていたのは「埴生の宿」だった。
     「ちょっと私に…」…水島は竪琴を借り「埴生の宿」の一節を弾いてみせた。

              竪琴を弾いていた少年           竪琴を弾いてみせる水島

          

      少年は眼を丸くして
     「お坊さま、ぜひその弾き方を教えてください、きっとそのほうがもらいが多いと思います」
     …水島にせがんだ。連続して弦をつまびく弾き方に惹かれたのだ。
     「教えてあげるがここではきっとうるさがられるだろう」…二人は場所を変えようとしばらく
     歩いて行くと、美しい女性の歌声が聞こえてきた。
     「讃美歌です、イギリスの病院の人たちが歌っているのです、今朝も日本の負傷兵が死んだ
       のでしょう」少年が言う。その歌声の前に”日本兵無名戦士の墓」と書かれた墓石があった。
     その周りには十字架が無数に建てられ、異国の地で散っていった人たちの墓が、国に関係なく
     祀られていたのである。
     ”イギリス人が日本人のことを…”水島は衝撃をうけた、胸をうたれた…。

           日本兵無名戦士の墓石        墓石の前で讃美歌を唄うイギリス人看護婦

          

      彼女たちが引き上げたあと、水島は花束が捧げられた日本兵の墓の前で手を合わせ、
     僧院に戻った。彼は悔やんでいた…あの山の斜面ににさらされた大勢の日本兵の遺体、あの
     河畔に累々と重ねあった無数の屍、木によりかかったまま息絶えていた青年…あのままで
     よいのか…なぜあのままにしておいたのか…そうだあの野に戻ろう、あの河畔に行こう…
     そして彼らを弔ってあげよう…何日かかるか分からない、しかしやろう…自分は日本に帰る
     わけにはゆかないのだ…そう思うといてもたってもいられず水島は僧院を出た。門を出ると
     き少年が呼びとめた。

     「お坊様、収容所には行かないのですか?、収容所はあちらです」…彼はその声に一瞬立ち
     止まったが、何も答えず再び平原への道をとった…あの河畔に向かって…。

         日本人墓石の前で手を合わせる水島      僧院を出ようとする水島を呼びとめる少年

          

      ムドンの町をぬけ橋を歩いていたとき、日本兵の一団に偶然出会う。それは懐かしい井上隊
     の隊員たちだった。今まで隊に戻りたい一心で山野を歩き、長い旅路の果てやっとめぐり合え
     た仲間だった。仲間たちから声をかけられた時、自分もそれに応えたかった。しかし必死に
     耐えた。あの放置された大勢の屍の山を思い日本に帰らないと決心した以上、今の自分の身を
     明かすわけにはいかなかったのである。
     「やはり自分は日本に帰るわけにはいかん…」…雨にうたれながら彼はつぶやく。

             橋を渡って行く水島         僧侶姿の水島を見つめる井上隊長

          

      それから何日か過ぎたある日、あの河畔で日本兵の屍をかたづけている水島の姿があった。
     遺体を集めて手で土を盛り、一つ一つ墓標をたてている彼をじっと見つめていた村人だったが、
     彼らも手伝ってくれるようになる。…1人、2人、3人…その数は次第に増えていった。水島の
     ひたむきな姿に、彼らは胸をうたれたのである。水島は手を合わせ村人に感謝する。

           水島の姿を見つめる村人          手伝ってくれる村人に眼をみはる水島

          

      彼は作業中砂の中から大きなルビ-を見つけた。手の中で燦然と輝いている。そばにいた
     村人の一人が叫んだ。
     「オオ-!ビルマのルビ-だ!」…さらにもう一人が言う。
     「こんな河原にこんな大きなルビ-があるのは不思議だ…」
     水島はそのルビ-を胸に抱きしめる…これは村人の言う通り日本兵の魂かもしれない…
     と思ったのだ。

        大きなルビ-を拾って見つめる水島       水島の手の中で燦然と輝くルビ-

          

      場面はビルマの大きな僧院。ビルマの人たちが地面に座り頭をつけて拝んでいる。そこに
     戦没イギリス兵の納骨堂の整備をするため、かりだされていた井上隊がやってきた。休憩
     時間のときである。
     「おや?」…と隊長。どこからか聞こえてくる竪琴の音に気づく。
     「何ですか?」…軍曹が聞く。
     「あの弦は…タテゴトだ…誰が弾いているのだろう…」
     「埴生の宿は有名な曲ですから」
     「いや、ちがうんだ、あの弾き方だ…いくつもの音の組み合わせ方…あれは水島のつくった
       曲だ」
     「山門のところにいたビルマの子供が弾いているんでしょう、きっと」
     「出よう、その子供をつかまえて、誰に教わったか聞いてみよう」…隊長は皆に言った。

     彼らは竪琴が聞こえてくる森の方へ走って行ったが、その途中でインド兵に止められる。休憩
     時間が終わったのだ。

           竪琴の音に気づく隊長と軍曹        竪琴の音の方に走って行く隊員たち

          

      その夜宿舎で水島のことが話題になる。

     「どうだろう、もし仮に水島が生きているとして、何かの事情でわが隊に帰ってくるのが
       イヤになることがあるだろうか?」
     「そんなことあるはずがない」
     「あの子供はどうして水島の曲を弾いたんだろうなあ?」
     「あれが水島の曲だって確かに分かるかい?」
     「そりゃオレには分からんさ、隊長があの出し方は水島のだって言うんだもの」
     「そうだなあ、隊長は音楽家なんだものなあ」
     「三角山で死んだ水島が教えるわけないだろう」
     「水島が死んだのを誰が見たんだ」
     「水島は死ななかったの?」
     「そりゃ分からんさ、ビルマ僧に化けた脱走兵だっているんだ」
     「じあ、いつか橋の上で会ったビルマ僧は水島かもしれない」
     「そうだそうだ、きっとそうだ」
     「あれが水島ならどうしてダマっていっちまったんだ、あの顔はどう見たって日本語が分かる
       顔じゃないよ」
     「でもあれは水島そっくりだった」

      そんな話をダマッて聞いていた軍曹が、突然立ち上がり怒りだした。
     「ダマレ!いいかげんにしないか!」…そして隊長のところに行き訴えた。
     「隊長どの、残念ではありますが水島のことはもうおあきらめ下さい、水島は使命を果たして
       立派に死んだのであります。我々がいつまでも水島の死を疑うのはかえって水島の魂を
       冒どくするものです。水島はビルマ人の恰好をするとビルマ人そっくりでした、だから
       あべこべに水島そっくりのビルマ人もいるでしょう。生きているかと思うから水島に見える
       のです、タテゴトの曲が水島のつくった曲に聞こえるのです。部下をかわいがってくれるの
      はありがたいですけど、そのために隊長の健康が損なわれたら隊のために大変です、どうか
       見込みのないことはおあきらめください」…実直な軍曹の言葉に隊長はしばらくして、
     「やっぱりそうかね…」…ポツンとつぶやく。

      翌日井上隊員は納骨堂の整備に協力したため、イギリス軍戦没士慰霊祭に参加することを
     許された。
     イギリス軍整列、井上隊も整列して敬礼…その前を戦没兵の遺骨を抱いた大勢のビルマ僧が、
     整然と並んで通り過ぎて行く。手を合わせるビルマの人たち…。
     そのとき、隊長は白箱を胸に抱いて歩いて行くビルマ僧の姿に眼を見張った。遺骨を包んだ
     白い布を首にかけて歩いているのは彼だけである。驚く隊長、じっと見つめる…もしかして…。
     やがてビルマ僧たちは、僧院の中に設けられた納骨堂に入って行った。

                  戦没兵の遺骨を抱いて歩くビルマ僧たち

           

      白箱を抱いて歩くビルマ僧に眼をみはる隊長           ビルマの僧院

          

      隊長は宿舎に戻りインコに言葉を教えはじめる。
     「オ-イ、ミズシマ、一緒に日本へ帰ろう」…一つ一つ区切りながら教えるがなかなか覚えて
     くれない
     「ダメかなあ、むつかしいかなあ」

      その後隊長は何回もイギリス軍司令部に出かけ、水島の消息を調べてくれるよう頼んだ。
     しかし司令部は
     「そりゃムリです、我々はできるだけのことはやったでしょう、三角山を攻撃したイギリス軍
       も本国へ帰った、 死傷した日本兵もこの町にはいない」…冷たくあしらう。隊長は
     「しかし、あの埴生の宿の曲は…」…くいさがるが
     「風にただようタテゴトの3つか4つの弦の組み合わせ方、それで死んだ人間が生きてる…
       キミ夢を見てるんじゃないか」…と言われ、隊長の願いもすげなく断られる。

          インコに言葉を教える隊長       英軍司令部で水島の消息を依頼する隊長

          

      その後何日かが過ぎたある日
     「ミズシマ、ニホンヘカエロウ」…インコがしゃべった。
     「覚えたね!」…隊長思わず嬉しそうににインコに呼びかけた。ところがそばにいた軍曹が
     真剣な顔で苦言する。
     「隊長!、この鳥にこの言葉を教えてそれが今さら何になりましょうか、いかに水島が死んだ
       のを残念がられているとしても、それはあまりにメメしいというものです、この鳥がそれを
       夜も昼も言いつづけているようでは隊の士気が衰えます、ただでさえ皆帰りたがっているん
       ですから…隊長お願いです、元気になってください」…軍曹の苦言に隊長は言う。
     「この間の慰霊祭のときあの僧が白い箱を抱いているのを見たか、あれは日本人が遺骨を
       運ぶときの習慣なんだ」
     「それは不思議に思いました、しかしビルマにもああいう習慣があるのではありませんか」
     「あの僧だけが白い箱を抱いていた、こんど往来であったらこの鳥をあのビルマ僧の肩に乗せ
      ようと思うんだ…もし水島だったらこの鳥が叫ぶ言葉に何とか答えてくれるだろう…それでも
      ダマっていたらやっぱり人違いだった…その時は自分もあきらめるよ…」…隊長はそう言った
     あと皆の前に座り、
     「みんなイヤな思いをさせて済まない、もうしばらく待ってほしんだ」…頭を下げる。

         話しあう井上隊長と伊東軍曹         言葉を覚えたインコに喜ぶ隊長

          

      イギリス軍戦没兵の遺骨が運び出されようとしていた日、ビルマ僧姿の水島が納骨堂に
     入ってきた。遺骨箱の前でひざまずいて礼拝、奥に入り自分が置いた白い箱に手を合わせる。
     これだけは持ち出し、どこかの地に埋葬したいと考えたのだろう。そのとき、イギリス軍将校
     が納骨堂入口で敬礼、ツカツカと足音を響かせながら入って来た。井上隊長もあとについて
     来ている。水島すばやく身を隠す。

     「遺骨を本国へ送るので我々が今から運び出す、そのあと君たちはこの段を取り払ってくれ」…
     将校はそう井上隊長に指示したあと、納骨堂から出て行った。

         納骨堂の白い箱の前にきた水島        納骨堂入口で敬礼するイギリス軍将校

          

      隊長は白い箱に気づき布をほどいて覗いてみると、中に置かれてあったのは光り輝く大きな
     ルビ-だった。水島があの河畔で見つけたルビ-である。隊長は一瞬さわろうとして思い
     とどまり、語りかける。

     「ミズシマ、やっぱりお前だったんだな…今納骨堂に運ばれているこの箱を見て私にははっ
       きりとそれが分かった…ミズシマお前はあの三角山でどんな経験をしたんだ…私には何も
       分からない…しかしお前の気持は私には分かるような気がする…えらい決心をしたもんだな、
       どんなにつらかったのだろう…」

      その声を柱の陰で聞いていた水島、涙を流す。

              白い箱の前で井上隊長        白い箱の中に置かれてあったルビ-

            

      翌日井上隊は休憩時のひととき、”荒城の月”をある僧院の外で合唱していた。

             ♪ 春高楼の~花の宴~めぐる盃~かげさして~
                千代の松が枝~わけいでし~昔の光~今いずこ~ ♪

      水島はその歌を大きな涅槃像の中でじっと聞いていたが、いても立ってもいられず竪琴を
     もって”荒城の月”を弾きはじめた。…そのとき隊員の誰かが叫んだ。
     「水島!、水島のタテゴトだ!」
     「あの森の奥から聞こえてきたぞ!」
     「どこだ!」
     「ちがう、ちがう、あの仏像だ!」

                       ビルマの大きな涅槃像

           

          荒城の月を指揮する隊長          涅槃像の中で竪琴を弾く水島

          

      全員その仏像の方へ走って行き、
     「水島!、水島!…仏像の扉をたたき、叫び声を上げた。隊長だけはそのうしろ姿を見ている。
     「いるんだったら開けろ!」
     「オ~イ聞こえないのか、水島!ミズシマ!」
     中の水島は彼らの声を聞きながら
     「ああ、あれは伊東軍曹だ…あれは川上の声だ…あれは馬場の声だ…」…ふるえる声で叫んだ。

          仏像の扉をたたく隊員たち      仏像内の壁によりかかり仲間の声を聞く水島

          

      その時インド兵がやって来て
     「カムオン!カムオン!」…引き上げろという命令…休憩時間が終わったのだ。
     水島は仏像内を走って階段を駆け上がり、仏像の眼の穴から皆が帰っていく姿を見つめ、壁に
     手をかけて泣き伏す…。
     しばらくして元のところに戻り、ルビ-の入った白い箱を土の中に埋める…。

             仏像の眼の穴から、仲間が引き上げて行く姿を見つめる水島

             

      それから数日後、宿舎の外にいた隊員の一人が走ってきて皆に叫んだ。
     「オ-イ、みんな俺たちは日本へ帰るんだ!、帰還命令が出たんだ!出発は3日後だ!」
     「日本へ帰れるんか?!」
     「本当か!」
     「隊長が言ったんだ」…よかった!、よかった!…みんな大騒ぎして喜ぶ。
     「そうだ、アンチクショウ、水島どんなことがあっても日本へ連れて帰ってやるぞ!」
     「出てこい水島ァ~!」…そのときインコが
     「ミズシマ、イッショニ ニホンヘカエロウ」…叫んだ。軍曹気づき
     「さて、こいつをどうやってあの坊主の肩にかけるかだ…」…インコには冷淡だった彼が
     つぶやく。

          帰還命令が出て喜ぶ隊員たち         インコを見つめる伊東軍曹

          

     「もう3日しかない、そんなのんきなことしとれますか」
     「といって勝手に探してまわることも出来んじゃないか」
     「いい考えがある!明日から毎日歌うんだ、きっと出てくるぞ水島!」
      翌日隊員たちは皆外に出て、歌いはじめる。帰還の打ち合せをしていた隊長に、日本語の
     達者なイギリス兵が言う。
     「あんたの隊はよっぽど歌が好きなんだね」

         ♪ ミラザ~のオセドのふるさ~とで 子供にこがればおやに~づれ~
           おやに~づれ~ おせど~のおせど~の赤トンボ~赤とんぼ~ ♪

      収容所の柵の金網にとりすがりながら大声を上げて歌う隊員たち・・・音痴の伊東軍曹も声を
     限りに歌っていた…いつか水島が現れてくるのを期待して…。

                    大声をはりあげて歌う隊員たち

           

           歌う馬場1等兵(右)たち            歌う伊東軍曹

          

     「オイ、きや~しないじゃないか」…誰かが言う。
     「声が出なくなっちゃったよ」
     「ダレだ、歌えば坊主が出てくると言いやがったのは」…と馬場1等兵。
     そこにあのオバアちゃんがやって来た。みんな彼女のところに駈けより、とり囲む。
     「オメデト、オメデト、帰るんやってなあ~、ウチもホントにウレシイワ…ああ、日本に
       帰ったら幸せに暮らしなさい」…彼女笑顔をふりまきながら言う。
     「オバアちゃん、いろいろお世話になったね」
     「日本に帰ったらうちのおふくろさんにオバアちゃんの話し聞かしてやるよ」
     「ハイ、ハ~イ、今までおおきにご苦労さんやったなあ」
     「オバアちゃん、これ記念だ」…隊員の一人ちびたエンピツを差し出す。
     「アァ~アリガト、アリガト」
     「オバアちゃんこれ上げるよ、お護りだ」
     「これ記念品だ」…キセルを差し出す者もいた。そしてスプ~ン、ノ-ト、本などいろいろ
     なものが彼女にプレゼントされた。その度にオバアちゃんは
     「アリガト、アリガト」…をくりかえし、
     「みな日本ばあさんと言われてたが、みな帰ってしまうと淋しくなるわ」…とホントに寂し
     そうな顔をした。
     「オバアちゃんの大阪弁も馴染んできたなあ」…と小林1等兵。
     「もうずっと前にここに駐屯してはった、日本軍の将校はんが教えてくれはったんや」
     「くれはったんか」…誰かがちゃかすとドット笑い声。
     「オバアちゃんこのインコだがね、このお兄さんを連れているお坊さんに渡してくれ
       ないか」…と伊東軍曹。
      「そんなムチャなこと、あのお坊さま旅のお坊さまやけど、そりゃありがたいお方やで~、
      だいいちどこにいやはるか分からへん」」
     「オレたちはもう明日帰るんだ、オバアちゃんにビルマ人をさがしてくれとは言わないよ、
       だけどもし合うことがあったら渡してくれないか」…軍曹必死で頼み込む。
     「ケッタイな頼みやなあ」
     「自分たちもあのお坊さんを大変尊敬しているんですよ」…馬場1等兵が言う。オバアちゃん
     眼をつぶってすこし考えていたが
     「よろし、ほんならお届するから安心しなさい」…そう言って承諾した。隊員の一人、インコ
     をオバアちゃんのカゴにのせる。
     「きっと頼んだよ」…と軍曹念を押す。
     「皆さんが帰る前にもういちど来ますがな、ほいならサヨナラ、アリガトウ、アリガトウね」…
     オバアちゃんはいつもの笑顔を見せて帰って行った。

         オバアちゃんに頼みこむ伊東軍曹    インコをカゴにのせて帰って行くオバアちゃん

          

     「大丈夫かなあ、あんな安うけあいしていっちまったよ」…誰かが言うと、
     「ダメでもしようがないよ、オレたちにはどうすることも出来ないんだから、万一という
       こともあるさ」…と軍曹。

      その夜宿舎で隊長が呼びかける。
     「みんな、引き揚げの支度は済んだの?」
     「支度することなんか何もないですよ」
     「このまま船に乗せてくれればそれでいいんですよ」
     「何だみんな声が変じゃないか」…隊長が聞く。
     「コイツが歌ったら水島が出てくるなんて言うもんだから」
     「バカだな」
     「隊長は水島がもう戻れなくてもいいと思っておられるんですか?」…あれだけ隊長に
     水島のことは諦めてくださいと言っていた軍曹が言う。水島をぜひ一緒に日本へ連れて
     帰りたいと思っていたのだ。水島のことをいちばん心配していたのは伊東軍曹だったので
     ある。

     そのとき誰かが
     「アッ、来た!来た!来た!」…スットンキョウな声を出した。
     「オイ何だ何だ、何が来たんだ、まさか水島が!」…と馬場ビックリして聞く。
     「どこに?」…と軍曹。
     「いや、坊主が柵の外にいる」
     その声でみな宿舎から飛び出し柵のところに駈けて行った。柵の外では、こちらをじっと
     見ているビルマ僧と子供の姿があった。
     「アッ、いつかの小僧もいる」
     「インコが2羽いる、肩のところに」

                   インコをのせて仲間を見ている水島

             

            柵の外に現れた水島と少年          水島の姿を見て驚く隊員たち

          

     「オ-イ水島」…軍曹低い声で呼びかける。すると
     「オ-イ、オ-イ…」…インコが何かしゃべっている。
     「オイ、オバアちゃんが届けてくれたらしいぞ、オレたちのインコだ、よく見ろ」
     「ちがうじゃないか、水島はあんなボヤ~とした顔じゃない」…馬場が言う。
     「やっぱり人違いかなあ…」
     「とにかく歌ってみようか」…隊員たちは「埴生の宿」を歌いはじめた。

             ♪ 埴生の宿も~わが宿~ 玉のよそい うらやまじ~
               のどかなりや~春の空~ 花はあるじ~鳥は友~
               おおわが宿よ~ 楽しとも~たのもしや~ ♪

      すると水島は少年がもっていた竪琴をうけとり、仲間の歌に合わせ弾きはじめた。
     「アア~、アッ、アア~、アッ」…みな大声で喜びの声を上げた。ビルマ僧が水島と分かった
     のである。
     「水島~我々は日本へ帰るんだぞ~」
     「よかったなあ~とうとう戻ってきて、早く帰ってこいよ!」
     「いったいどうしたんだ、わけを言えよ!」

     水島はそれには答えず、この曲を弾きはじめた。

             ♪ 仰げば尊しわが師の恩~教えの庭にも はや幾年~
               思えばいととしこの年月~今こそ別れめ いざさらば~ ♪

      彼は「仰げば尊し」を弾き終わると深々と一礼、静かに立ち去って行った…。

                   竪琴で「仰げば尊し」を弾く水島

           

          仲間の前で竪琴を弾く水島             仲間に一礼する水島

          

     「オ-イ、水島~、水島~、どうしたんだ!」…仲間が呼びかけるが、水島は背を向けた
     ままヤシの木陰に姿を消した。

     いよいよ帰国する日、オバアちゃんが頭にカゴをのせてやってきた。
     「コンニチハ」
     「ヨウ、オバアちゃん、オバアちゃん」…隊員たちが呼びかける。オバアちゃんはニコニコ
     しながらカゴの中から果物をとり出し皆に配りはじめた。バナナ、マンゴ-、パパイア等々。
     「もう交換するものないよ」
     「上げるために持ってきたんやがな」…そう言いながら彼女は1羽のインコをとり出した。
     すると
     「ヤッパリ ジブンハ カエルワケニハイカン」…インコがしゃべった。
     「こいつみような言葉を覚えてきたぞ」…と隊員の一人。
     「そんなインコ捨てちまえ」…軍曹が言う。
     「これはな、これは兄さん鳥の方や…エエ~お坊さまはこちらから届けたインコを自分の
       ところに置いて、その代わりにこれ隊の皆さまに届けてくれ言やはったんや」…オバア
     ちゃんは言いながら、懐から厚紙に包んだ封筒をとり出した。
     「これを隊長はんに渡してくれと頼まれましたわ」…軍曹受け取り見ると、表も裏も差出人は
     書いてないが、水島からの手紙らしい。
     「お坊様の言やはることやし、これもあんたらの世話ができる最後やと思って持ってきたんや」

           果物を差し出すオバアちゃん      インコをとり出し見せるオバアちゃん

          

     そのとき外から隊長が戻ってきて皆に声をかける。
     「もう出発だよ」
     「水島から手紙が届きました」…軍曹手紙を隊長に見せる。
     「今読んでるヒマはない…あとでも…」
     「いや隊長、もし何かのことで万一にも水島が…」
     「水島は…万一にも日本に帰ることはあるまいよ…今この手紙を読んでもどうにもなるまい
       と自分は思う …」…そう隊長は言って手紙をポケットにしまった。

     収容所広場では日本へ帰還する兵隊たちが整列していた。
     「和田小隊準備完了!」
     「岡田小隊準備完了!」
     「小川小隊準備完了!」
     「 ― 小隊準備完了!」
     「井上小隊準備完了!」…それぞれの隊長が発声する。何組か続いたあと
     …全員準備完了しました、シュッパ~ツ…号令がかかる。

     「和田小隊右へ進め~!」
     「岡田小隊前へ進め~!」
     「 ― 小隊前へ進め~!」…兵隊たちは足を高く上げ足並みをそろえ、行進しながら収容所
     を出て行った。隊の中にはタンカで運ばれたり、友人に背負られて行く傷病兵もいた。

     柵越しから彼らを見送る大勢の村人、そしてあのオバアちゃん…。

                 収容所広場に整列する英軍兵士と日本兵

               

          収容所を出て行く日本兵            背負られて行く傷病兵

          

      兵士たちは全員船に乗り、ビルマの人たちに見送られながら大きな川を下って行った。
     デッキからビルマの風景を眺める隊員たち。彼らの胸の中には、やっと日本へ帰れるという
     喜びはあったが、水島は今頃ビルマの大地でどうしているのだろうか、という思いが去来して
     いた。どうして彼は日本に帰ろうとしなかったのか…どうしてビルマに残ったのか…。

       見送るビルマの人たちを見つめる隊員          ビルマ河畔の風景

          

      船は海に出てやがてマラッカ海峡にさしかかるころ、井上隊長は皆に声をかけた。
     「みんないるね、これから水島の手紙を読む。自分は水島の気持は分かっているつもりだ。
       自分は納骨堂の取りかたづけが終わった日に、あの中に安置してある木箱を見た、その
       ときに私は分かったのだ…多少の不安はあったのでみんなには黙っていた、この手紙は
       おそらくみんなの疑問が晴れるように書いてあると思う」…そう言って彼は手紙を読み
     はじめた。

     「隊長どの、戦友諸君、私はどれほど皆様を懐かしく思っているか分かりません、どれほど
       隊に帰って皆様とともに働き、語り、歌いたいと思っているか分かりません、どれほど日本
       に帰りたいか、変わり果てたと思われる国に行ってウチの者にも会いたいか口に言えません
       …私は帰るわけにはいかないのです。
      私はビルマの山河に散らばっている同胞の屍を残して帰ることは出来なくなったのです。
       …私はまた元の道を戻って行きました。その途中の橋の上で皆様に行きちがったのです。
       その時の気持は何と表現していいか分かりません、しかし私は行かなければならないと決心
       したあとでした。…もう隊に戻ることもできぬ、私はただひたすら北へ北と足を早めたの
       です」…その時突然インコが
     「ヤッパリ ニホンヘカエルワケニハイカン」…としゃべった。驚いてインコの方を見る隊員
     たち…。

         隊長が読む水島の手紙を聞く隊員たち         水島の言葉をしゃべるインコ

          

       隊長つづける。
     「山をよじ川を渡ってそこに草むす、みづく屍を葬りながら私はつくづく疑念に苦しめられ
       ました。いったいこの世にはこのような悲惨なことがあるのだろうか…何ゆえにこのよう
       な不可解な苦悩があるのだろうか、この疑念にたいして私は教えられました。何ゆえに
       ということは所詮人間にはいかに考えても分からないことなのだ、我々はただこの苦しみ
       の多い世界に少しでも救いをもたらす者として行動せよ、その勇気をもて、そしていかなる
       この背理不合理に面してもなお忘れず、より高き平安と身をもって証する者たるの力を示せ、
       このことがはっきりとした自分の確信となるように出来るだけの修行をしたいと思います。

      私は最近三角山で私を救ってくれた僧侶に頼んで正式のビルマ僧にしてもらいました。
      隊長が言われたように一人ももれなくに日本へ帰って、ともに再建のために働こう…
       あの言葉は今も私の胸にあります。しかしひとたびこの国に死んで残る人たちの姿を見て、
       私はそれを諦めねばなりませんでした。私は幾十万の若き同胞の、今は亡き霊の休安の
       場所をつくるために残ります。そして幾年の後にこの仕事が済んだときに、もし許される
       なら日本へ帰ろと思います。あるいはそれもしないかもしれませんが、おそらく生涯をここ
       に果てるかと思います…。
      私は夜を徹してこの手紙を書いています…皆様からいただいたインコが時々私の肩の上で
     「オ-イ、ミズシマ、イッショニニホンヘカエロウ」…と叫びます。…
      ここで隊長涙声になり絶句…やや間を置いて再び読みはじめる。

       水島の手紙を真剣な表情で聞く隊員たち       水島の手紙を読み上げる井上隊長

          

     「そのたびに私は…そのたびに私はハットいたします、今もつい心乱れ平素の誓いも
       忘れ竪琴を弾きました…お別れの曲を皆様に聞いていただきました…いよいよ諦めも
       つきました…お別れの言葉はいくら書いてもつきることはありません、なごりを惜しんで
       くださる皆様のお心は何より嬉しくあつくお礼申し上げます。
      私はビルマの国にいても雪の積む高山から南十字星の輝く磯のほとりまで…いたるところ
       をさすらって歩きます…そして皆様を懐かしむ心に耐えぬときは竪琴を弾きます…長い間
       まことに言いつくせぬお世話になりました…皆様のご清福を心からお祈りいたします。…
       水島安彦。

      手紙を読み終えたあと船内はしばらくシンとした空気に包まれていたが、隊員の一人が口を
     切った。

     「さあ、国に帰ったらあの桑畑の真中の縁側でゆっくり昼寝をしてやろう」
     「俺は口笛吹いて自転車に乗って銀座の街を走るんだ、そいで帰りには映画を見てみつ豆
       食って…」
     「そんなうまい具合にとんやがおろしますかよ」
     「ねえ、水島はホントに一生帰らないつもりなんだろうか?」
     「なあんだ、水島のことは冷淡だったくせに、今頃何を言ってやがるんだお前」
     「水島のことは水島にまかせとけ、人間にはそれぞれ好きな生き方があるさ」
     「オレ、駅員になりたいんだ、駅員になれるかな」

      みんなそれぞれ好き勝手なことをしゃべっていたが、隊長はデッキに立ちつくし、夕日に
     照らされたマラッカ海峡の海をいつまでも眺めていた。その姿は何か考え込んでいるように
     見えた。
     おそらく自分たちと一緒に帰らなかった水島のことを、彼は水島の家族にどう説明しようか
     と考えていたのかもしれない…。

             甲板で海を見つめる井上隊長        解放された気分で話し合う隊員たち

          

      その頃、水島はビルマ僧の姿でビルマの赤い大地をさすらい歩いていた…。

                      ビルマの赤い大地を歩いて行く水島

             


                                       ― 了 ―

      映画「ビルマの竪琴は」竹山道雄の同名小説をもとに昭和31年に公開された。
     日本人が戦後の混乱から抜け出して、ようやく落着きをとり戻しつつあった時期である。
     昭和60年にはリメイク版が、同じ市川崑監督の演出でつくられている。

      小説「ビルマの竪琴」が子供の雑誌「赤とんぼ」に掲載された昭和22年~23年頃は大陸
     から復員兵が帰ってきたばかり、食料はは欠乏し、街では闇市と、娼婦と、復員服の青年
     たちが氾濫、人々は希望のもてない生活を余儀なくされていた時代だった。竹山道雄は
     こうした世相を憂慮していた。そして自分の友人や教え子の多くが異国で戦死、骨の一片
     が小さな白い箱に収められて届けられたものもあったが、中には写真だけが、ある人は
     何の形見も帰ってこなかったことにも心を痛めていたという。
      彼がこの小説を書いた動機はこうしたところにあったと思われる。彼は小説家ではない、
     童話作家でもない、独文学者であり、評論家なのである。しかし、止むに止まれぬ動機から
     この小説を書いたと言われている。

      この小説は童話風に書かれたフィクションンであるが、こうありたいと願う作者の気持が
     胸をつく。その気持を、その希望を、将来大人になっていく子供たちに、水島上等兵の生き
     方を通して訴えたかったのかもしれない。

      映画「ビルマの竪琴」の初版をいつごろ見たかははっきり覚えていない、随分大昔のような
     気がする。
     しかしそのイメ-ジは頭から離れない。とくに主演の安井昌二とオバアちゃん役の北林谷栄
     の印象が強い。
      当時この映画は大ヒットしたにちがいない。映画好きでない人でも「ビルマの竪琴」と口に
     するだけで、
     「ああ、あの水島上等兵の…」という言葉が返ってくるのだ。今まで「思い出の映画」の中に
     洋画ばかりコメントしてきたが、初めてこの邦画を入れてみた。
     「ビルマの竪琴」が一般的によく親しまれている映画だと思ったからである。

      この物語を広めたのはやはり映画だろう。見ていてとても楽しい映画になっている。
     水島上等兵が祖国に帰れるチャンスを棄て、ビルマに残って異国に果てた同胞のために
     弔う…自分を犠牲にして人々のために尽くす、それをビルマの僧侶が、現地の人たちが支え、
     井上隊長も水島の生き方を理解するようになる。戦友たちも水島を何とか日本へ連れ帰ろうと
     する。登場人物は皆いい人ばかりなのだが、それはそうあって欲しいと願う私たちの気持でも
     ある。また時々挿入される懐かしい唱歌が、この映画を抒情的な雰囲気にしている。美しい
     竪琴の音が胸をうつ。

      水島演じる安井昌二が若者らしい清々しい演技を見せてくれた。隊長の三国連太郎もサラリ
     と演じていた。その後の映画で見せるアクの強さは感じなかった。そしてオバアちゃん演じる
     北林谷栄もよかった。素朴なビルマ人のオバアちゃん役をコミカルに演じていた。彼女は
     リメイク版でも同じオバアちゃん役を演じている。
     「ビルマの竪琴「は公開されてから既に58年を経ているが、今でも私たちの心に残る不朽の
     名画である。


         監  督          市川 崑

         役  名          俳  優

         水島上等兵          安井昌二
         井上隊長          三国連太郎
         伊東軍曹           浜村 純
         オバアちゃん         北林谷栄
         三角山隊長          三橋達也
         馬場一等兵          西村 晃
         小林一等兵          内藤武敏

                                      2014.6.12 記


                        戦場にかける橋


                   爆破された瞬間のクウェ-川に架かる橋

             

      太平洋戦争に突入してから2年目の1942年(昭和17年)、日本軍はビルマ戦線への軍事
     物資輸送ル-トを確保するため鉄道敷設をタイ、ビルマ双方から開始していたが、この敷設
     に強制的に駆り出された地元の人々や連合軍の捕虜兵たちは、劣悪な環境の下で連日
     過酷な労働を強いられていた。
      翌年の1943年、その一環として国境付近のクウェ-河に橋を架ける計画が立てられ、建設
     作業のため捕虜となった大勢のイギリス軍兵士が現場に送られてきた。
      ♪ ピィロ、ピィロ、ピッ、ピッ、ピィ~、ピィロ、ピィロ、ラッ、ラッ、ラァ~ ♪、
     兵士たちは「クワイ河マ-チ」の軽快なメロディとともに、整然と隊列を組みながら収容所
     前の広場に集まってきた。傷病者もかなり含まれている。隊長はニクルソン大佐。

      収容所所長の斎藤大佐が宿舎から出てきて、皆の前で訓辞を始める。

     「大日本帝国天皇陛下の名に於いて、君たちを歓迎する。私が捕虜収容所の所長だ。
       我が第16収容所のそばを走っている鉄道は、近くバンコクとラング-ンを結ぶクウェ-河
       にかける橋の建設のため、君たちイギリス人の捕虜が選ばれた。大工事だが楽しい仕事
       だろう。将校も兵隊と同様に働いてもらう。
       日本軍は働かない者を食わすことはできない。よく働けば待遇を上げてやる。しかしまじめ
       に働かない者は罰に処する。次に脱走の件で一言、ここは有刺鉄線も囲いも管理塔もない、
       必要がないからだ。ジャングルの中の孤島からの脱出は不可能だ、死ぬだけだ、今日は休め、
       明日から仕事だ。山下将軍のモット-を教えてやる、”喜んで働け” ― 解散」。

                 収容所広場に集まって来たイギリス人捕虜兵

           

        イギリス兵を前に訓辞する斎藤大佐       斎藤大佐の訓辞を聞くニコルソン大佐

          

     「皆を宿舎へ、私は彼に話が」…
     ニコルソン大佐は部下の将校に伝えたあと、斎藤大佐に近づき言う。
     「私の兵隊は全員ご期待にそむかないことを保証する、我々将校も責任を持つ。しかし、
      将校の労役への使用を禁じられている事をお忘れか?、ジュネ-ブ条約のコピ-をお見せ
      してもいい」
     「それには及ばん」…斎藤はそう言っただけで宿舎に入って行った。

      ニコルソンはしばらく彼のうしろ姿を見ていたがあきらめ、眼の前にある野営病院に行く。
     そこでアメリカ海軍にいたというシア-ズ中佐に出会う。
     「アメリカ海軍?」…ニコルソンが聞く。
     「陸の上の魚です」…シア-ズが今の自分の境遇を言う。彼はここでさんざんコキ使われて
     いたが、現場監督の日本兵を買収し、この病院に入ってきたばかりだった。
     「船は?」…とニコルソン。
     「沈められて一人だけで岸に泳ぎ着きました」
     「ここの仲間は?」
     「オ-ストラリア人、イギリス人、インド人…」
     「彼らは?」
     「死んだ、マラリア、赤痢、脚気などの病気で、それ以外にも飢え、過労、銃弾による負傷、
       自殺も何人かいた。」
     「君の病気は?」
     「今見ます」…と言って軍医はシア-ズを診ていたが、大した病気はなさそうである。
     「将校宿舎に来たまえ、服も都合する」…ニコルソンが勧めたがシア-ズは
     「ご心配なく、病院のほうがいい」…と言って断る。
     「将校も労役を?」
     「しました」…将校のシア-ズが答える。
     「その問題をあの大佐に指摘したら、分かったらしかった、話の分かる男のようだ、もう行く、
       7時から将校会議だ、君も出たまえ」…そうニコルソンはシア-ズに言い、出て行った。
     そのあとシア-ズが冷ややかに笑う。
     「斎藤のような奴を”話の分かる男”とは傑作だ」…しかし軍医のクリプトンがたしなめる。
     「言葉の解釈の違いだ」

      その夜斎藤は部下に
     「警備の配置はここと、あそこと…」…指示を出していた。脱走出来ないところとはいえ、
     脱走する者が出てくるかもしれないのである。

        部下に警備の配置を指示する斎藤大佐       シア-ズを診察する軍医のクリプトン

          

      一方ニコルソンは将校を集め会議を開いていた。シ-ア-ズも出席している。一段落した
     あと、脱走計画の話が出たがニコルソンに止められる。
     「ここはジャングルの中だぞ、斎藤も言ったが脱走は99%不可能だ、経験豊かなシア-ズ
       中佐の意見は?」
     「不可能という意見には賛成です。しかし大佐、ここの捕虜生活の終着駅は100%あの墓場
       です。脱走を諦めろというのは、死刑の宣告にも等しい」
     「脱走を企てたことは?」
     「チャンスと仲間を待っているところです」
     「気持は分かる、脱走を企てるのは捕虜軍人の義務だ。だが、私も部下もある法的な制約を
       受けている。我々はシンガポ-ルで司令部から降伏を命じられた。命令だから脱走は軍律
       違反も同然なのだ」
     「それではあなたは、どんな犠牲を払っても法律を守ると?」
     「法律あっての文明だ」
     「ここに文明はない」
     「我々が手本を示す…脱走の話は終わる。他に何か?…では明日から始まる作業をしっかり
       やってくれ、兵隊の指揮官は我々であることを、彼らに忘れさせるな。兵隊も軍人であって、
       奴隷ではない、これも反対か?」…というニコルソンの言葉にシア-ズは
     「彼らが軍人のままでいられるといいですがね」…と言った。

                  会議を進めるニコルソンと将校たち

           

      翌日の朝礼時、斎藤はイギリス軍兵士たちを集め、橋の工事について命令を下した。
     「イギリスの捕虜たち!私はイギリスの軍人たちとは言わない、降伏の瞬間から軍人でなく
       なった。 5月12日までに橋工事を終えるのだ。日本人の技師が指揮をとる、三浦中尉だ。
       日数がないから全員働け、将校もだ。降伏によって彼らはお前たちを裏切ったのだから…
       そして屈辱を与えた。英雄として死ぬより労働者として生きろと言い、お前たちをここに
       連れて来た、だから彼らが労働に加わるのは当然だ…将校の捕虜は道具を持って来い」

      その時ニコルソンが1歩前に出て来て
     「大佐、ジュネ-ブ条約の第7条に労役への使用が許される捕虜は将校を除く」…条文を
       コピ-したノ-ト見ながら斎藤に言った。
     「見せろ」…ニコルソン、斎藤にノ-トを渡す。
     「読めますか?」
     「君は日本語は?」
     「読めませんが正確に翻訳させます」
      斎藤はノ-トを見ていたが、
     「この掟には…」…と言ったかと思うやいなや、いきなりニコルソンに往復ビンタを食らわ
     せた。
     驚いた捕虜兵が一斉に1~2歩前に出て詰め寄ろうとしたが、
     「動くな!」…ニコルソンが一喝、…彼の口元からは血が流れ出ていたが、直立不動のままで
     いる。
     「私に掟の話か?何のだ?卑怯者の掟か?」…斎藤はノ-トを投げ捨て、さらに
     「軍人の掟も武士道の掟も何も知らない君に隊長の資格はない」…大声で叫び、ニコルソンが
     脇に挟んでいた指揮棒を抜き取り、へし折って投げ捨ててしまった。ニコルソンはノ-トを
     拾い上げ、斎藤に詰め寄る。
     「文明社会の規則を破るのなら、あなたの命令には従わない、将校の労役は拒否します」
     「見ておれ…捕虜は全員作業を開始!軍曹皆を連れて行け!」

                    イギリス兵に命令を下す斎藤大佐

           

           ニコルソンに怒る斎藤大佐        口元から血を流すニコルソン大佐

          

      捕虜兵たちは作業場に連れられて行ったが、ニコルソン以下将校たちはその場を動かない。
     「強情を張らずに将校たちに働くように命令を」…斎藤は言うが
     「ダメだ!」…ニコルソンは突っぱねる。業を煮やした斎藤、手を挙げて合図すると、機関銃
     を備えた車が入って来た。
     「いよいよやる気だ、彼は本気だぞ」…野営病院にいるシア-ズが仲間に言う。
     「3ツ数える、3つ目までに君と将校が作業場へ向かわないなら、発射の命令を下す」…
     斎藤、ニコルソンに宣告する。
     「ワン…ツウ-」…その時「ストップ!」と大声を上げながら走ってくる男がいた。
     クリプトン軍医である。途中で日本兵にさえぎられ倒されてしまったが、ひるまず起き上がり
     斎藤の前にやってきた。
     「一部始終を見ていた私も患者も証人になります、歩けない者が集団脱走はできない」
     「ダマレ!」…軍医はビンタを張られるが
     「非武装の者を殺すのがあなたの掟か?」…訴える。その言葉に斎藤はしばらく軍医の顔を
     見ていたが、何か感じたらしく、無言のまま宿舎に引き上げて行った。しかし、ニコルソン
     以下将校たちは、そのまま炎天下に立たされてしまう。ジリジリと焼けつくような日差しに、
     倒れる者が出てくる。銃口は彼らに向けられたまま。野営病院にいる傷病兵の一人の
     ジェニックスがシア-ズにささやく。
     「隊長は勇気がある」
     「君は彼の勇気の恐ろしさを分かっていない、あの調子だと我々もいつ殺されるかもしれ
       ない」
     「脱走の仲間に入れて下さい、腕はもう大丈夫です」
     「彼は?」…炎天下に立ちつくしているニコルソンを指して、シア-ズが言う。
     「脱走はよせと言っただけです」
     「ジェニックス、ああいう人の忠告、すなわち命令だ…まだだ」

       炎天下で立ちつくすイギリス将校たち         傷病兵に話すシア-ズ

          

      日暮れになり、作業場に行っていた捕虜兵たちは帰ってきたが、将校たちはまだ立ちつく
     したままでいた。やがて日本兵が現れ
     「将校全員を営倉へという命令だ、伝えてくれ」…ニコルソンに言った。倒れた将校も含め
     彼らは重営倉へ連れられて行ったが、ニコルソンは引き留められた。
     「あんたは待て、こちらへ」…彼は斎藤大佐の宿舎に入る。宿舎の前で手を振り上げ大声で
     抗議する捕虜兵たち…。
      しばらくしてニコルソンが引き出されてきたが、ひどいリンチを受けたのか服は血で染まり、
     立ち上がれないほどヨロヨロしていた。彼は二人の日本兵に抱えられ重営倉に運ばれた。
     そこは窓も灯りもない非常に狭い小屋であった。

           手を振り上げ抗議する捕虜兵たち        重営倉に入れられるニコルソン

          

      その夜シア-ズと傷病兵二人が脱走した。夜のジャングルを逃げて行った3人だったが、二人
     は日本兵に見つかり射殺された。シア-ズは崖っ淵まで追われて撃たれ、峡谷の激流の中に
     落下して行った。追いかけて来た日本兵、濁流を見降ろして引き上げる。二人の遺体は天秤棒
     で吊るされ収容所に運ばれ、激流に落下したシア-ズも死亡したものとして報告された。

      ところがシア-ズは生きていた。急流を泳いで川岸に這い上がり、森の中に入って歩きづめに
     歩き、やがて乾いた大地に出る。もちろん水の流れはない。疲れ果てヨロヨロとした足取り、
     ヘナヘナと座りこむ。服はすでにボロボロになっている。
      ジリジリと照りつける強い日差し、上を見上げるとハゲ鷹が不気味な声で飛び回り、彼の死を
     待っているようにも見えた。…気をとり直しまた歩き始める。腰につけてて引きずっている
     水筒の中に、水は残っていない。枯木のジャングルの中を這うように移動していたが、ついに
     力つき意識を失ってしまう。
     しかし民家の近くであったのが幸いした。運よく通りがかった村人が見つけ、彼は助けられた
     のである。

                  乾いた大地にに倒れ込んでしまったシア-ズ

          

      それから3日後、軍医のクリプトンは斎藤大佐に訴えた。
     「ニコルソン大佐は監禁されてすでに3日になります。病気が心配されます、診察したい」
     「君の監督下にあった捕虜が脱走を企てたのは、君の責任だぞ」…斎藤はニコルソンの事には
     触れず、脱走兵について彼をとがめた。
     「知らなかった」
     「まあいい、彼らにも尊敬すべき点はある。脱走と死の間の短い時間に彼らは軍人に戻った、
       だが無謀な ことをしたものだ、2人が射殺され1人が溺死、現実からの脱走は死だった、
       これが現実だ」…と斎藤は言ったあと立ち上がり、橋建設の進捗状況を示す模型を示して
     続ける。
     「こちらが昼までに到達している予定の位置だが、実際に進行しているのはこの位置だ。君の
       隊長が頑固なため、工事が遅れている、しかも皆仕事をサボっている。この眼で見た、全員
       が 銃殺ものだ」
     「それでは人手がゼロに…サボタ-ジュではなく、日本人の指揮では働きにくいのです」
     「イギリスの将校も作業に加わるべきだ」
     「隊長が言うように、それは規則違反です」
     「規則が何だ?戦争だぞ、ゲ-ムではない、君の隊長はどうかしている…座りたまえ…隊長
       との面会を1回だけ許す、彼が将校を働かせないなら、病院を閉鎖して患者を代わりに
       働かせると言え、患者が死ん だら彼の責任だ、そう伝えてこい、時間は5分だ」…斎藤は
     軍医にニコルソンとの面会を許した。

                  話し合うクリプトン軍医と斎藤大佐

          

      クリプトンは営倉にいるニコルソンに会い、肉を少しとココナッツを差し入れた。
     「兵隊たちは元気か?」…ニコルソンが聞く。
     「元気です」
     「将校は?」…と言いながらニコルソンは、ココナッツの汁をむさぼるように飲み干す。
     「まだ営倉にいます。ジェニングス中尉は射殺されました、脱走しようとして」
     「…勇敢な青年だった、止めたのにな…」
     「時間がありません、拭きながら話します、斎藤に会ってきましたが伝言があります」…
     軍医は彼の額をさわり熱を診たあと拭いてやる。
     「彼は指揮官として最低だ、正気とは思えないが、それで?」
     「それはそうですが、彼は本気で患者を働かせるつもりです、メンツの問題なので引け
       ないのです」
     「だが脅迫だ」
     「このままではあなたは弱るばかりだし、将校も外で働くほうが体のためになります。兵隊
       はうまくなまけていますが、食事を減らされました。患者を働かせたら彼らは死にます」
     「分かっているが、これは主義の問題だ、いやだ」
     「文明から離れたジャングルの中で非情な男の手中にある今、主義が何になります?折れて
       ください」
     「将校たちを労役につかせることは出来ない」…ここで”時間だ”という日本兵の声。
     「皆に礼を言ってくれ」…と言いながらニコルソンは飲みほしたココナッツを返す。
     「患者全員が少しずつ出したものです、中には盗んだ者も」…軍医は”失礼します”と言って
     出ようとしたが、ニコルソンが聞く。
     「シア-ズ中佐は?」
     「撃たれて水中に」
     「愚かなことを!…3人とも犬死に終わった、今こそ頑張らなくては」

                 営倉で話しあうクリプトン軍医とニコルソン大佐

          

      クリプトンが営倉から出て行くと、斎藤大佐は宿舎前で彼を待っていた。
     「どうだった?」
     「ニコルソン大佐は力には屈服しません、主義の問題です。医者として彼への非人道的な
       待遇に抗議します、万一のことがあったら殺人と同じです」
     「それは彼の責任だ、私は知らん」…大佐はそう言って宿舎に入って行った。

      所長宿舎では斎藤大佐が橋工事の模型を前に、日本軍人幹部を叱りつけていた。外まで
     怒声が響く。工事の進捗状況が悪い事にいら立っているのである。
     「申し訳ありません」…工事責任者の三浦中尉が謝っている。
     「1、2、3、4、5本、15日までにたった5本、今月中に何本になる?、これが最後の日
     (5月12日)だ、バカ!」
     そう言い捨てたあと、彼は集めた捕虜兵の前に出てきた。

     「イギリスの捕虜たち!ひとつ聞く事がある、橋の工事はなぜ進まない?、それがお前たち
       の将校のせいなのは分かっているな?、彼らは偉いと思っているので労働しない。だから
       お前たちも喜んで働けない、そこで工事が遅れるのだ。しかし理由がもうひとつある、正直
       に言おう。残念なことだが、日本人スタッフの一人の失敗を私は認める、それは三浦中尉だ。
       無能な彼に工事を指揮する資格はない。そこで私は彼をその地位から外した。明日から工事
       のやり直しだ、指揮は私が直接とる。今日は休め、”休みなしの仕事は害になる”という、…
       以後よく働いてもらうために全員に贈り物をする…その贈り物を見せてやれ、喜んで働こう、
       ではこれで解散」…初めは厳しい顔で話していた大佐だったが、最後はやや笑みを見せる
     ほどやわらかい表情になっていた。

         橋工事について指示する斎藤大佐        赤十字からの贈り物を受ける捕虜兵

          

      車には赤十字から送られた品物が一杯詰め込まれていた。
     「おい見ろ、赤十字のだ!俺たちへの赤十字からの贈り物だ!」…贈り物に殺到して喜ぶ
     捕虜兵たち。

      翌日斎藤大佐は現場で直接指揮をとっていたが、工事がはかどるどころか眼の前で橋脚が
     倒れるなどさんざんだった。捕虜兵たちがとくにサボッているようにも見えなかったが、
     統率がとれていない、どこかおかしい、原因は何なのか?…大佐はそう考えるようになって
     いた。

            倒れてしまう橋脚            工事現場を見つめる斎藤大佐

          

      その夜、斎藤大佐は営倉からニコルソンを呼んだ。ある条件を出して彼を懐柔しようとした
     のである。ニコルソンは日本兵に連れられ、よろめくように宿舎に入ってきたが、大佐の前
     では敬礼、直立不動の姿勢をとった。顔は長い営倉生活で青ざめている。

     「そこに座ってくれ、遅い夕食中なのだ」…斎藤は彼を食堂のテ-ブルに座らせ、コンビ-フ
     を切り取って彼に差し出し、スコッチ・ウイスキ-もコップに注いだ。
     「酒よりもウイスキ-のほうが好きだ…ロンドンにいた3年間工芸学校で学んだが芸術には
       向かず、父も反対で軍人になることを選んだ、そこで私は芸術から技術に移った」…斎藤は
     おだやかに話し始めるが、ニコルソンはその話にはのらず
     「断っておくが、あなたの行動の報告書を作る」…と、反発、その言葉にむっときた斎藤が
     言いかえす。
     「私は命令を遂行しなければならない立場にあるのだぞ、工事完了日の5月12日まで12週間
       しかない、だから無理をしてでも人手がほしいのだ」
     「監督以外、将校は駄目だ」
     「他の収容所の将校が働いていることは知ってるはずだ」
     「各隊長の勝手だ、私は反対だが」
     「冷静に話そう…葉巻を」
     「要らない」
     「私は将校全員と言ったが、もちろん君は含まれていない、君の下の将校を働かせると言った
       のだ」
     「将校に労役はさせない」…ニコルソン、あくまで突っぱねる。
     「待ってくれ、私もいろいろ考えたのだ、少佐とそれ以上の将校には監督の仕事をさせ、下級
       将校だけに労役は?」…斎藤はかなり歩み寄ってきたが、ニコルソンは
     「駄目だ、条約に書いてある」…自分の姿勢を崩さない。
     「もし期日に遅れたら、私はどうなると思う?」…斎藤は立ち上がり、橋工事の進捗状況の
     模型を見る。
     「さあね」
     「自殺せねばならん、君が私ならどうする?」
     「そうだな、自殺しなければならいだろう…」…ここでニコルソン、初めてウイスキ-を
     飲む。
     「言っておくが、私が死ぬのは他の者たちが死んだあとだぞ、分かるか?」
     「軍医から聞いた、死ぬ話よりいい解決策がある」…ニコルソンまたウイスキ-を口にし、
     続ける。
     「君に聞くが、将校の第一の任務が指揮であることを認めるか?」
     「もちろん」
     「その橋の建設は巨大なプロジェクトだ…私の気がかりは、あなたの何とかいう技師のこと
       だ」
     「三浦」
     「ミウラ…彼にはこの橋の大工事は無理だ、一方こちらのリ-ブスとヒュ-ズは、インド
       各地で橋をつくってきた。彼らのように兵隊から尊敬されてこその将校だ、されなくなっ
       たら指揮できなくなり混乱が起こる、それを避けるのが将校の責任だ」
     「君は知るまいが、工事は私の指揮下にある」
     「それであなたは現状に満足か?」
     「いや、イギリス人は負けたくせに、恥を知らない、強情だが誇りがない、我慢するが勇気
       がない、 イギリス人は嫌いだ」…激昂した斎藤、持っていたナイフを投げ捨てる。
     「失礼する」
     「待て、オイ誰か来い、大佐殿を連れて行け」
     再びニコルソンは営倉に連れて行かれた。そのうしろ姿を見つめる斎藤…。

                  話し合うニコルソン大佐と斎藤大佐

          

      その頃村人に助けられたシア-ズは、すっかり元気を回復し、彼らに贈ってもらった小舟に
     乗り現地に別れを告げた。首に花輪をかけてもらい、村人に見送られながら村を離れたが、
     やがて食べ物は無くなり、壺に入れていた水は空になっていた。川の水をすくって凌いで
     いたが、次第に飢えと強い日差しに体力を奪われ、長い航海の果て、海への出口付近で漂流
     している彼の小舟があった。

         村人に別れを告げるシア-ズ           漂流するシア-ズの小舟

          

      それから何日か経ったある日、営倉に監禁されていたニコルソンは所長室に呼び出された。
     「プリ-ズ、今日が何の日か知ってるか?」…斎藤大佐が椅子を勧め話しかける。
     「知らない」
     「今日は日露戦争の我々の記念日だ、東アジアに住む日本人の祝日だ。記念に今日を君の
       隊の休日にしてやる、それに恩赦を与える、君も将校も宿舎に帰す。恩赦の一部として、
       将校は労役につくには及ばないことにしてやる」
      それまで憮然として聞いていたニコルソンだったが、最後の言葉に立ち上がって姿勢を正し、
     外れていたボタンをかけ直した。所長室から出て来た彼の表情を見て、捕虜兵たちは敏感に
     感じとった。
     「やった!」…みな歓喜の声を上げた。他の将校たちも全員釈放された。捕虜兵たちは
     ニコルソンのところに駆け寄り、彼を担ぎ上げて歓声を上げながら行進して行った。まるで
     帰還した凱旋将軍を迎えたかのように…
     ♪ ピィロ、ピィロ、ピッ、ピッ、ピィ~、ピィロ、ピィロ、ラッ、ラッ、ラァ~ ♪ 流れる
     「クワイ河マ-チ」。

                ニコルソンを担ぎ上げて行進する捕虜兵たち

           

      翌朝ニコルソン以下将校たちは橋工事の現場を見て回った。作業中の伍長にニコルソンが
     聞く。
     「班の人数は?」
     「さあ分かりません、普通は12名ですが今朝1名急病で、入院の付き添いが数名、とにかく
       ひどい苦しみで」
     「伍長が部下の人数を知らんのか?、神経痛でないのなら顔をしかめるな」
     ニコルソンはその場を離れ、川の中で騒いでいる兵士たちを見て
     「まじめに働かせろ」…そばの将校に指示する。そして。
     「こういう川の橋をつくった経験は?」…技師の将校リ-ブスに聞く。
     「マドラスなどで5~6回あります」
     「リ-ブス、君がもしこの橋をつくるとしたら?」
     「私ならこういう所にはつくりません」
     「なぜだ?」
     「地盤が最悪の場所を選んだのが致命的な失敗です。橋脚が沈んで行きます、兵隊がいくら
       打っても底なしです」
     「君ならどこに?」
     「ずっと下流になら、両岸に硬い岩床があります」…リバ-スの言葉にニコルソンうなずき、
       次にもう一人の将校ヒュ-ズに尋ねる。
     「ヒュ-ズ、君なら兵隊をどう使う?」
     「見てください、現状はメチャクチャです。連絡が悪いしチ-ムワ-クもない、邪魔しあって
       いる班さえあります」…ヒュ-ズ答える。
     「放置できない問題だ。日本軍のおかげで本隊は無秩序な群衆と化した、立て直しが必要だ。
       むずかしい仕事だが、幸い橋という良い手段がある」
     「橋?」
     「こっちの技術と能率を日本軍に見せよう、イギリス軍の実力も」
     「分かりました」
     「僻地での器具の調達はむずかしいだろうが、挑戦するのだ」
     「ではあなたは本気で橋をつくると?」…それまで黙って聞いていた、もう一人の将校が聞く。
     「今頃分かったのか、兵隊には目標が必要だ、ない場合は我々が考えだす。
     「その通り」…ヒュ-ズが賛同する。
     「目標ができたからには真剣にやれ、兵隊には自分の仕事に誇りを持たせることが肝心だ。
       技師の君が工事の責任者で、ヒュ-ズと私が君を補佐する」
     「やります」…リ-ブス、真剣な眼でニコルソンに約束する。
     「まず設計図、次に斎藤と会議を開き、彼を説得しなければ」

            橋の工事現場で、今後の方針について話し合うニコルソンと将校たち

          

      その翌日、ニコルソン大佐の提案で斎藤大佐と日本軍、イギリス軍将校たちを交えた会議が
     開かれた。ニコルソンが言う。
     「これで手続き上の問題は済んだ。次は関係者には不愉快な問題だろうが、急ぎ過ぎたせいか
       橋の位置の選定が誤っているらしい」
     「誤っている?」…斎藤、意外な顔でニコルソンを見る。
     「技師のリ-ブスが地盤を調べた結果分かった、河床が軟らかすぎることが」
     「軟らかい?」…斎藤、そばの日本軍将校を見る。
     「今までの努力は無駄だった…続けてくれ」…ニコルソン、リ-ブスに指示する。
     「軟らかすぎて橋脚を打てません、汽車を支えきれない。圧力と土の抵抗の数字がここに」…
     リ-ブス立ち上がって斎藤に見せる。
     「リ-ブスが選んだ下流の位置に新しい橋をかける案に、みな賛成だね?…次に兵隊の1日の
       ノルマを変更することにした…1ヤ-ド半を2ヤ-ドに増やす、これは全員の利益のためだ」
     …ニコルソンが説明したあと、ヒュ-ズが立ち上がって提案する。
     「調査で分かりましたが、労働力の配分が適切ではありません、作業班の組み換えが必要です、
       班の数を増やして分担を決めれば、1日の総作業量3割増は確実です」
     「斎藤大佐、もう一つ、急を要する問題がもうひとつある。兵隊の大半が橋で働くので鉄道の
       ほうが少なくなる。鉄道班の増強のため、日本兵を貸していただきたい、そうすれば線路
       への最後の部分が早く完成する」…ニコルソン、斎藤に要請する。
     「もう命令してある」
     「日本兵の1日のノルマを初め1ヤ-ド半と考えたが、イギリス兵と同じ2ヤ-ドでは…
       いい意味のライバル意識がでる」…ニコルソンさらに協力を求める。
     「もう命令してある」
     「今日の会議を終えるにあたり、君の協力に心から感謝する…他に質問は?」…ニコルソン、
     斎藤に礼を言う。
     「一つある、橋の工事は間に会うか?」…斎藤が問いかける、一番心配している期日のこと
     である。
     「無理というのが一致した意見だ、だがやるしかない。君が無駄にした1ヶ月あまりをとり
       返す覚悟で…」

      会議を終えて皆出て行ったが、一人座ったまま何か想いにふけっているような斎藤大佐の
     姿があった。彼の胸の中に、反省と、多少の安堵と、不安な思いが渦巻いていたのかもしれ
     ない。しかし彼らに任すしかないと…。

        会議中の斎藤大佐とイギリス軍将校       会議を終えて一人残る斎藤大佐

          

      その頃シア-ズは、セイロン島の海のそばに建つ瀟洒な病院にいた。小舟で漂流していた
     ところを、イギリスの救助飛行艇に救われたのである。病院の美しい看護婦と仲良くなり
     楽しい日々を過ごしていたが、ある日決死隊を訓練する教官ウオ-デン少佐がやってきて、
     重要な話があるから本部まで来てくれるよう求められた。
      翌日シア-ズが本部を訪ねると、ウオ-デンが切り出した。
     「君が働いていた鉄道の事が知りたい、貴重な情報を持っているはずだ」
     「私は本国へ帰るし、情報局の人に全部話した」…シア-ズはその話には関わりたくない態度
     を見せるが、
     「特別な意味で君の手助けが欲しい」…ウオ-デンはそう言ったあと、東南アジアの地図が
     架けてあるところに行き、
     「君の報告による情報が大半だが、収容所はこの辺だ」…と示し、さらに
     「ところで、ニコルソン大佐がどうしたか知らないか?…と尋ねた。
     「彼は銃口の前で平然としていた」…シア-ズが答える。
     「逃げたって無駄だからさ…ここが川で、ここが君が助けられた村、ここが鉄道だ、君はこの
     辺に詳しいだろ?」
     「いや夢中だったから」
     「鉄道はシンガポ-ルからバンコク、さらにラング-ン、当然インドに入る気だ」
     「私はどこで?」
     「この辺だ、5月中旬までにラング-ンを目指す日本軍を私は阻止する…爆撃機は遠すぎる
       から、地上爆破ということに…」
     「行くには?」
     「空からと歩きだ」
     「道具を持って?」
     「その通り、我々の弱点は現地に行った者が誰もいないということだ」
     「残念だが私は…」
     「私が橋の担当になって、チ-ムを組んで爆破する…あそこへ戻るのはいやか?」
     「戻る?」
     「愉快なことではないだろうが、君だけしかない知識が我々には必要だ」
     「そのために呼んだのか?」
     「実はね」
     「悪い冗談はよせ、逃げてきたばかりの所へ戻れとは、断る、私はアメリカ海軍の所属だ」
     「グリ-ン大佐がもう話をつけてある、アメリカ海軍は承知した。昨日太平洋艦隊の司令部
       から、君の一時転籍許可の電報が来た」
     「バカな!」
     「本当だ…言いにくかった」
     「海軍は大変な間違いをしている、私は中佐ではない、下級将校でさえない、化けてたんだ、
       本当はただの二等兵だ。船が沈んで助かった時中佐が一緒だったが、中佐は日本兵に殺さ
       れた、どうせ捕虜になると思ったので」
      「死んだ中佐と服を取り替えたか」
     「待遇のことを考えて」
     「無理もない」
     「だが斎藤のところでは働かされた」
     「予期しないことはいつも起こる」
     「とにかく私を使うことは諦めたまえ、シア-ズ中佐は幻の人物だ、海軍にバレたら階級詐称
       で本国送りになり、私はおしまいだ」
      シア-ズは必死になって橋爆破作戦への要請を断り続けていたが、実は彼の本当の身分は
     すでにアメリカ海軍にバレており、それを承知でイギリス海軍に彼の身柄を預け、処遇も
     任せていたのである。

                   話し合うウオ-デン少佐とシア-ズ

          

      ウオ-デンはおもむろに書類の中から1枚の写真を取り出し、シア-ズに見せた。
     「君の写真だろ?」
     「どうしてこれを?」…シア-ズ驚いて聞く。
     「アメリカ海軍は初め君と分からなかったが、やっと君の履歴書のコピ-が送られてきた。
       写真も指紋もも残っている、見るか?…我々は1週間前に真相を知った、海軍では困って
       いた。君は一方ではジャングルから脱走した英雄だが、帰還させて階級詐称を称えるわけ
       にはいかない。だから喜んでこちらへ譲った」
     「やっかい払いか!」
     「君の現在の階級に関しては大目にみよう、少佐待遇にしてやる」
     「少佐待遇か、悪くないな…こうなったら志願ということに」
     「偉い!」…ウオ-デン笑顔を見せる。そこにグリ-ン大佐が現れた。
     「グリ-ン大佐、シア-ズ少佐です、彼は橋爆破作戦への協力を志願しました」
     「よくやった、見上げた行為だ!」…グリ-ン大佐、シア-ズに握手を求める。

      翌日、志願兵のジョイスとチャップマンがグリ-ン大佐の面接により新たに選出された。
     橋爆破の決死隊は4人。隊長は橋や汽車の爆破に精通しているウオ-デン、補佐役に
     シア-ズ、そして水泳が得意なジョイスと冷静な男チャップマンである。
     シア-ズは、グリ-ン大佐から1錠飲めば即死するという猛毒の錠剤を渡される。万一捕虜
     になったり負傷して皆から置き去りにされた時は、ただちに自殺せようという指示なのだ。
     この作戦は極秘中の極秘、敵にもれることは許されない、目的達成がすべてに優先されると
     いうのである。
      
       決死隊のメンバ-に指示するグリ-ン大佐         決死隊メンバ-の一人ジョイス

          

      一方橋工事現場はバンコクから約130kmのところにあるクェ-河の下流に移され、一から
     の作業が始られていた。ニコルソンとリ-ブスは現場で設計図を見ながら忙しく立ち回って
     いたが、そこに軍医のクリプトンがやってきてニコルソンに聞く。
     「斎藤は?」
     「すっかり物分かりがよくなった」
     「だが本心は?」
     「分からん…どうだ見事な挑戦だろ?」…ニコルソン、誇らしげにクリプトンに言う。
     「この橋をつくるのが、いい考えだと思いますか?」
     「いい考えだって?…兵隊を見たまえ、彼らは士気が上がり規律と健康をとり戻した。食事
       もよくなり、大切にされて喜んでいる、君はいったい何を考えているのだ?」
     「では言います、実は我々がやっている事は敵を利するどころか反逆行為です」
     「バカを言うな、捕虜に労役拒否の権利はない」
     「しかしまじめに働く必要は?、なぜ敵がつくるのよりもっと良い橋を?」
     「斎藤の手術をするとしたら、努力せずに殺すか?、隊の規律や兵隊の評判はどうでもよい
       のか?、何者も我々を破壊できない事を示すのだ。よく見ろクリプトン、後世にこのは橋を
       渡る人は思うだろう、それを作ったイギリス軍は、とらわれの身でも奴隷に身を落とさなか
       った事を…君は立派な医者だが軍隊の事を知らない」
     ニコルソンは熱っぽい口調で言い立ち去って行った。しばらくそこに立ち尽くすクリプトン…。

                    クェ-河に架かる橋工事現場

             

      橋爆破決死隊に選ばれた4人は、セイロン島(今のスリランカ)から飛行機で現地近くまで
     行き、パラシュ-トで降下を試み、3人は無事着陸した。しかし、チャップマンは森の中に
     落下、樹木に激突して死亡。その様子を見ていた村人のヤイが3人を村に案内する。
     以前シア-ズが助けられた村である。ウオ-デンは、軍隊に入る前東洋の言葉を教えて
     いた大学教授で現地語が話せる。ヤイと話していた彼がシア-ズに言う。
     「君が脱走したときに通った道は、今はパトロ-ルで危険だそうだ。ジャングルを通る、
       ヤイが案内を…男は線路工事に駆り出されてる、だから荷物運びは女が…力持ちだ
       そうだ、村は 敵に近くて危険らしいから、ジャングルで寝なければならん」
     「この仕事になぜ俺が必要なんだ、案内はヤイがしてくれるのに」…シア-ズが聞く。
     「こういう時は予期しない事がいつも起きる、そろそろ出発しよう」…ウオ-デン、皆に
     促がす。

      ウオ-デン、シア-ズ、ジョイスの3人とヤイ、そして荷物運びの若い娘たちは深い
     ジャングルの中を進んで行く。道なき道をナタで切り開きながら…行けども行けどもヤブの
     中…シア-ズとジョイスは娘たちが時々見せる笑顔に心和む。

                  パラシュ-トで降下する決死隊の一人

           

         村娘の笑顔に心和むシア-ズ       暗闇のジャングルの中を行くウオ-デン

          

      やがて暗いジャングルを抜け湿地帯に出る。一面にハスの花が咲く沼を渡っていたが突然
     深みにはまってしまい、腰までつかりながら歩いて行く。再び暗い森の中に入ったところで
     しばらく休憩。
      シア-ズは足に吸いつかれていたヒルをタバコで落としていたが、ヤイに「動くな!」と
     言われる。
     どうやら背中にもくっついているらしい。上半身をぬいで背中のヒルを村娘にとってもらう。
     ジョイスが
     「君は美しい」…と言えば、シア-ズは
     「美人がこんなところで…どうして!」…感嘆の声を上げる。ウオ-デンに
     「通訳してやろうか」…からかわれるが
     「いや、この方がロマンチックだ」…と言い返す。

              腰までつかりながら沼を渡って行く決死隊のメンバ-と村娘

           

         笑顔を見せ会う村娘とジョイス      村娘に背中のヒルをとってもらうシア-ズ

          

      先程から持参した信号機をいじくったり、ヘッドホンをかけたり外したりしていたジョイス
     を見て、ウオ-デンが聞く。
     「信号が聞こえません、なぜかな」
     「このジャングルのように腐っているからだ、こんなの捨てちまえ!」…シア-ズがそう
     言うなり、信号機を蹴とばしてしまった…すると音楽とともに音声が流れてきたのである。
     「ラジオ東京です、あなたの友人として忠告します、決死隊に志願しないように」…と
     同時にイギリス軍本部から信号が入ってきた。ジョイスがそれを解読する。
     「解読しました」…ジョイスが皆に説明する。
     「1、イギリス軍は橋の工事を中止、下流に新しいのを建設中。
      2、敵は鉄道開通に当たり、軍要人を乗せた特別車を13日中に通過させる予定。
      3、汽車と橋を爆破せよ、成功を祈る、以上です」
     「汽車と橋か」…ウオ-デンが確かめる。
     「間に会うでしょうか?」…ジョイスがウオ-デンに言う。
     「ヤイの話では、急げば12日の夕方までに着けそうだ」
     「まさに世紀の大爆破作戦だ、さぞ嬉しいだろう」…シア-ズ、ウオ-デンを見て言う。
     「ラジオを直してくれたおかげだ」…シア-ズが信号機を蹴とばした事のジョ-クだが、
     結果的にそれでラジオが鳴りはじめたことを言っている。
     「いつも予期しないことが起こるね」…とシア-ズ。

        ラジオに聞き入るシア-ズとジョイス   イギリス軍本部からの暗号を解読するジョイス

          

      橋建設工事の進捗状況はかなり遅れているようだった。ある日ニコルソンが病院にやって
     きてクリプトンに相談する。
     「困ったことになった、橋の完成が間に合わないらしい。将校に手伝ってもらうことにしたが、
      それでも駄目だ」
     「将校までも?」
     「私の説明でみな快く承知したんだがね」
     「斎藤に頼んで…」
     「我々の仕事は我々でやる、実は患者のことだが…」
     「働ける者は一人もいません」
     「仮病の者がいるかもしれないと思っただけだ、堅苦しく考えないで一応当ってみよう」
      ニコルソンはそう言ったあと、患者がいるところに入って行く。彼は動けそうな者がいたら、
     軽い仕事を手伝ってもらおうと思ったのである。
     「ハスキンスは?」…ニコルソン、クリプトンに聞く。
     「赤痢と黒水病で熱が40度あります」
     「その男は?」
     「足の潰瘍で今夜手術します、それでも労役に?」
     「バカを言うな…あの男は?」
     「腕の化膿です、過労で回復が遅れて…」
     「その程度ならきっと外の軽作業の方が治る、カスリ傷ぐらいで入院は考えものだ。完全な
       健康な体でなくても役に立つことはできる、飾りや仕上げで」…ニコルソンがそこまで
     言ったとき、その男立ち上がる。
     「橋の簡単な仕事ならやれる自身があるか?」
     「あります」…その男はニコルソンの顔を見てキッパリと言った。
     「お前は?」
     「私も」…別の男も真剣な眼差しで答えた。
     「お前たちが本当のケガや病気であることは分かる、だが非常の時だ、外の者に手を貸して
       もらえないか?ペンキ塗りのような軽い仕事だ」
     「イエス」…さらに別の男が言った。
     「偉いぞ、ついてこい」
      ニコルソンの呼びかけで、次から次に名乗りを上げる者が出てきた。その数10人、彼らは
     ニコルソンのあとについて整然と工事現場に行進して行った…
     流れる「クワイ河マ-チ」…♪ ピィロ、ピィロ、ピッ、ピッ、ピィ~、ピィロ、ピィロ、
     ラッ、ラッ、ラァ~ ♪…その様子を、宿舎からじっと見つめている斎藤大佐の姿があった。

                ニコルソンのあとについて工事現場に行く患者兵たち

             

       患者兵に手伝いを求めるニコルソン大佐     患者兵の行進を見つめる斎藤大佐

          

      ウオ-デン一行は滝が流れ落ちるジャングルの川岸で、ヒゲを剃ったり頭を洗ったり、
     しばしの休息を楽しんでいた。村娘たちも滝のそばで水浴をしながら戯れている。隊長の
     ウオ-デンは辺りを警戒しながら見廻っていたが、娘に頭を洗ってもらっているシア-ズの
     ところに来て「あと10分で出発だ」と声をかける。
     と、その時突然娘の「キャ-!」と言う叫び声…ウオ-デン、シア-ズ、ジョイスは銃を
     持って崖の上に走り下を覗くと、日本兵4人が滝のそばで水浴していた娘たちに何か話し
     かけていた。ウオ-デンはとっさに森の中に石を投げつけ、野鳥を飛び立たせて日本兵に
     注意をそらせ、同時に彼らに銃を発射した。3人は即死、しかし1人は森の中に逃げて行った。

                   森の中から飛び立つ無数の野鳥

           

         崖の上から日本兵を撃つ決死隊3人       決死隊3人に撃たれ川に倒れる日本兵

          

     「皆死んだか確かめろ」…ウオ-デン叫ぶが、逃げていく日本兵が眼に入り彼とジョイスが
     追いかけて行く。二人はナイフを持って日本兵を探していたが、姿を見失う。警戒しながら
     森の中を歩いていたその時、いきなり草叢の中から若い日本兵が立ち上がった。ジョイスの
     眼の前である。おびえた顔に一瞬ためらうジョイス。見ていたウオ-デン、とっさに日本兵を
     ナイフで刺殺した。驚くジョイス。しかしウオ-デンは日本兵と一緒に倒れ込んだ時、足を
     怪我してしまった。彼は足を引きずりながら元の場所に戻ったが、状態はよくない。

       ジョイスの眼の前に立ち上がった日本兵         足を怪我したウオ-デン

          

     心配するジョイスにウオ-デンは
     「大丈夫だ、骨は折れていない」…と言う。
     「私のせいです」
     「大したことはない、歩けるのだから」
     「早さが問題だ、」…シア-ズが問いかける。
     「それは歩いてみないと分からん」
      間もなく一行はそこを離れる。ウオ-デンは足を引きずりながら皆のあとについていったが、
     崩れるように止まる。座り込み靴をナイフで切り裂き、裸足になって歩き始めるがメンバ-
     から大きく遅れるようになる。
     すでに一行は遙か遠く山の稜線を歩いている。彼を気遣い付き添っていた娘に
     「先に行けと手で合図」、そして杖にすがって歩こうとするが、すぐに倒れこむ。先に進んで
     いたメンバ-は沢沿いの崖にぶち当たり、ジョイスが先頭になって娘たちの荷物を引っ張り
     ながら絶壁をよじ登りはじめる。道を知っているのは案内人のヤイだけ、彼の指示によって
     進んで行く。遅れているウオ-デン、気力をふりしぼってまた歩きはじめる。

                   滝そばの絶壁を攀じ登ってゆくジョイスと村娘

             

        山の稜線を歩くウオ-デンとジョイス    ナイフで靴を切り裂こうとするウオ-デン

          

      みなヘトヘトに疲れている。沢を登りきったところで空地を見つけ、しばらく休憩する。
     遅れていたウオ-デンが追いついてきた。ヨロヨロとした足取りで今にも倒れそうで
     ある。しかし
     「止まれという命令は下してないぞ」…と一喝、スゴイ気迫だが体がいうことをきかない。
     その場に崩れるように座りこむ。そして
     「急いでも目的地までまだ5~6時間はかかる、歩けば出血で死ぬ、先に行ってくれ」…
     と指示するが隊長の彼を置き去りにするわけにはいかない。シア-ズが
     「できない」…と言う。
     「日没までに着かないと橋の構造がわからん」…ウオ-デンは自分を置いて先を急げと
     いうのだが、
     「帰りに私たちは他の道を通るかもしれません」…とジョイス。
     「君のケガだったら俺は置いて行く」…ウオ-デン、ジョイスに言うが、シア-ズは
     「任務のためなら君の母親もだろ?」…ウオ-デンに皮肉る。
     「置いて行け、命令だ、今度は君がリ-ダ-だ」…ウオ-デン、シア-ズに言う。
     しかしシア-ズは
     「俺は従わない、君は疫病のように死の影を引きずってる、爆薬か、毒薬か、爆破か、
       自殺か2つに1つだ。ニコルソンと同じように勇気という言葉に酔いしれ、死に方の事しか
       考えない。人間らしく生きるのが一番大切なのに!…俺は君を置いては行かないぞ…
       橋や軍律なんかどうでもいい、進む時は一緒に進む」 とウオ-デンを説得しながら腰を
     かがめて水筒を渡す。
     ウオ-デンは水を飲んだあとヤンに
     「先に行け!」…と叫び、立ち上がろうとするがまた倒れる。まったく動けなくなっている。
     しばらくすると、ヤンと村娘たちがつくった木の皮で編んだタンカが運ばれてきた。
     ウオ-デンは皆に抱き上げられてタンカに乗せられ、ヤンとジョイスが引っ張って行く。

         皆に追いついてきたウオ-デン     抱き上げられタンカに乗せられるウオ-デン

          

      やがて橋の建設現場が見下ろせる台地に着いた。日本軍が汽車を走らせる前日である。
     シア-ズとジョイスがウオ-デンを抱え上げそこに引きずって行く。決死隊の3人とヤイも
     橋を遠望する。ほぼ完成した橋が見える。
     「来てよかっただろ、大丈夫か?、君がリ-ダ-だ」…シア-ズ、そう言いながらウオ-デン
     の顔を見る。
     「変だな、設計も建築も本格的なものだ、いつものやっつけ仕事ではない」…双眼鏡でのぞき
     ながらウオ-デンが言い、ジョイスに双眼鏡を渡す。
     「かわいそうに、あんな体で働かされてる、イギリス将校もいて、日本兵と友好的なようです」

           橋を見降ろす決死隊3人          完成したクェ-河に架かる橋

          

      橋建設現場では、ニコルソン大佐と軍医のクリプトンが大木に記年板を打ちつけていた。
     ついに橋が完成したのである。記念板にはこう刻みこまれてあった。
     「この橋は英軍によって建設されたー1943年5月ーニコルソン隊長」
     記年板を打ちつけたあと、ニコルソンとクリプトンは固い握手。

             橋完成の記年板を打ちつけるニコルソン大佐とクリプトン

           

      決死隊3人は、橋周辺の様子を窺いながら作戦を練っていた。
     「橋だけなら時限爆弾が使える、だが汽車の時間が分からんし手でやるしかない。爆薬は
       橋脚の水面下約3メ-トルの所に仕掛け、下流の点火箱に電線でつなぐ。問題は箱の
       隠し場所だ」…ウオ-デンは双眼鏡で見ながらその隠し場所を探していたが、
     「川のこちら側は日本軍が使っているからすぐ見つかる…対岸に倒れた木の幹が見えるか?
       その下に灰色の岩と砂州が」…そう言ってジョイスに双眼鏡を渡す。
     「見えます」
     「あれを拠点に…川の反対側だが距離を考えると他にない。爆破したらすぐその者は泳いで
       戻らなければならん、命がけで」
     「私は水泳が得意です」
     「では君に頼む」
     「分かりました、やります」…ジョイスは、点火箱をそこに持って行くことを引き受けた。
     「彼を援護できる場所を選べ、ヤイと二人で日本兵の注意を彼からそらせろ、
     ”もう一つの何か”として俺も迫撃砲を用意して応援する。汽車目がけて撃ってもいい。
       分かったか?質問は?、暗くなったら始めろ。橋には歩哨がいるから、イカダを組んで
       道具を上流から運ぶことになる。イカダは3人の女が手伝い、1人は残す」…
     ウオ-デンはそうシア-ズに指示したあと、ヤイにも応援を求めた。ヤイは快くOKする。
     ウオ-デンは行こうとするにシア-ズを止め
     「足さえ自由ならジョイスの役を俺がするのだが…彼は大丈夫かな?」…そう言ってジョイス
     を気遣う。
     「俺がやろうか?」…とシア-ズ。
     「君はこっちを頼む。すまんな、終わったら傷病除隊の方は俺がうまくやる」

      ヤイと3人の娘はイカダを組む。シア-ズとジョイスは娘たちにドロで体を黒く塗ってもらう。
     夜の闇の中、目立たないようにするためだ。現地人と思わせる意味もある。一方ウオ-デンは
     迫撃砲を準備、弾の入れ方を娘に練習させていた。

        娘にドロを塗ってもらうシア-ズ       迫撃砲を準備して待つウオ-デン

          

      その日の夕暮れ時、完成した橋の上を歩くニコルソン大佐の姿があった。やっとできた、
     俺たちの力で…いかにも感慨深そうである。橋を見上げる彼の顔は、夕日に赤く染まって
     いた。
     そこに斎藤大佐がゆっくりとやってきた。彼も感慨ひとしおという顔で橋を見渡している。
     「見事だ}…斎藤がつぶやく。
     「まったく素晴らしい、これほど立派に出来上がるとは!」…ニコルソン、感極まった顔で
     言う。
     「見事な出来ばえだ」…斎藤が賞賛する。
      ニコルソンは橋の欄干に体をもたせ、川を眺めながら話し始めた。斎藤はそのうしろ姿を
     見ている。
     「考えたのだが…明日は軍隊に入って28年目だ。平和と戦争の28年間…国にいたのは
       せいぜい10ヶ月だ…だが、いい人生だった…私はインドが好きだ、不満はなかった。だが
       時々人生の終わりに近づいていることに気づく…そして私は自分に聞く…私の人生は
       何だったのか、私の存在が何かにとって少しでも意義があったかと、時に他の人の人生と
       比べてみる…健康的な考え方ではないが、正直なところ、そういう事を考える事が時々
       あった…しかし今夜…やっと!」…ニコルソンはそこまで話し、斎藤の方を向き直り
     「もう行く、今夜催しがあるそうだ」…そう言ってそこを離れた。
      斎藤は黙ったまま、去っていく彼のうしろ姿をじっと見つめていた。斎藤も自分の人生を
     振り返っていたのかもしれない。同じ軍人として自分はどうだったかと…。

                   橋を見渡しながら歩くニコルソン大佐

           

       橋の欄干に体をもたせ話すニコルソン大佐      ニコルソン大佐の話を聞く斎藤大佐

          

      その夜、橋の完成を祝い捕虜兵たちの演芸会が開かれた。自分たちの力で橋を作り上げた
     喜びはともかく、新しい収容所に移るという開放感が雰囲気を盛り上げていた。女装して
     コミカルにラインダンスを踊る兵士たち…笑いながら見る将校たち…。
      演芸会を終え、ニコルソン大佐が挨拶に立った。
     「私にとって君たちにとっても今夜は楽しい夜だ。君たちの大部分は明日新しい収容所へと
       去る。橋の渡り初めを見物できないまま…しかし喜んでくれ、この鉄道の開通によって、
       傷病者を新しい収容所へ汽車で送り届けることが出来るのだ。私と軍医と彼らが遅れて行く
       ことを、斎藤大佐は許可してくれた。
      橋の工事が終わって気がぬけた者もいるだろう…その気持はよく分かるが無理もないこと
       だ…1ヶ月後か、あるいは運よく帰還できた時に君たちは誇りに思うだろう…大きな苦難と
       戦いながら成し遂げた仕事を…君たちの行為は、軍人にとっても民間人にとっても
       全イギリス人の手本になるものだ。名誉を失う事なく君たちは生き抜き、この僻地で敗北を
       勝利にと変えた…おめでとう…。

                  捕虜兵たちを前に挨拶するニコルソン大佐

             

                   女装してコミカルに踊る捕虜兵たち

          

      その頃シア-ズ、ジョイス、ヤイの3人は、暗闇の中イカダに乗って橋の下に向かっていた。
     見送る娘たち。急流を下りながらそろそろと進んで行く。イカダには点火箱を積んでいる。
     演芸会がラインダンスからミュ-ジカルに変わり、雰囲気が最高潮に達していた頃である。
     斎藤大佐は宿舎で遺書らしきものを認め、短刀で頭髪を切り取り机の上に置く。
      橋の上で見廻る歩哨兵、岸壁の上から双眼鏡で見ているウオ-デン。橋の下に着いた
     シア-ズら3人は橋上の歩哨兵に注意しながら、電線で繋がれた爆弾を水面下の橋脚に
     縛りつける。電線の先には点火箱がつけられている。それをイカダで引っ張って行き、
     やがて点火箱は目的の場所に運ばれた。
      シア-ズとヤイはそこから離れた岸に這い上がり、ジョイスはそこに留まる。タイミングを
     見て点火箱のハンドルを押すのはジョイスの役目、シア-ズとヤイはジョイスを援護する
     役目である。
     「では頼むぞ、道具は全部そろっているな?、俺は川の向うにいる。”もう一つの何か”と
       して俺がやることは、無事を祈ることだけだ」…シア-ズはジョイスと離れる時そう言い、
     彼と固い握手を交わした。
      シア-ズとヤイは向う岸で、ジョイスが点火箱を押すまで銃を構えて見守る。彼を妨害する
     者が出てきたら、撃ち倒そうとしているのだ。しらじらと夜が明け始め、うすぼんやりと橋の
     全景が見えてきた。

                     夜が明け始めた頃の橋の全景

             

          辺りの様子を見るヤイとシア-ズ         点火箱のそばで警戒するジョイス

          

      夜が明けた。太陽の光で橋の全景が浮かび上がり、橋の上に数人の歩哨兵が見えている。
     一睡もせずに様子を窺っていたシア-ズは辺りの異変に気づく。
     「変だぞ」…シア-ズが言うと、そばにいたヤンも川の方を指さす。水位が下がり、電線を
     つないだ棒杭が.水面の上に、電線の一部も砂州の上に出ていたのだ。橋脚にとりつけた
     爆弾も姿を現わしている。岸壁のウオ-デンも双眼鏡で見て気づいていた。ジョイスは砂を
     つかみ取り、はみ出ていた電線にかぶせようとしていた。
      その時辺りの静けさを破るかのように”バ~ン”という音。橋の上では開通式が行われようと
     していたのである。斎藤大佐がテ-プを切ると、クワイ河マ-チとともに長い隊列を組んだ
     日本兵が入り、橋の上を通過して行った。その様子を双眼鏡で見ていたウオ-デン
     「汽車を待たずにすぐやれ!」…叫ぶがジョイスには届かない。ジョイスは点火箱を見るが、
     汽車が来るのを待っている。それが彼に課せられた命令なのだ。

                   全景を現してきたクウェ-河に架かる橋

           

        水面上に出て来た電線で繋がれた棒杭       辺りの様子を見るジョイス

          

      日本兵が橋を渡り切ったあと、ニコルソンとクリプトンがやってくる。
     「汽車は10分以内にくるはずだ」…ニコルソンが言う。
     「丘の上から見物します」…とクリプトン。
     「なぜ橋からではなく?」
     「それは局外者でいたいからです」
     「まったく君という男が分からん時がある」
     「それは私が軍隊を知らないせいでしょう」

      ニコルソンはそう言うクリプトンをおいて橋の方へ歩いて行った。彼は川の水位が下がって
     いると思い橋の下を覗いた時、橋脚に何かの電線がつけられていることに気づく。さらに辺り
     を見回すと、電線でつながれた棒杭が眼に入る。その時”ボウ-”汽笛の音が聞こえてきた。
     汽車が近づいてきている。
      何か様子がおかしいと感じたニコルソンは斎藤に声をかけた。
     「大佐どうも様子がおかしい、汽車が来る前に一緒に見て廻ろう」
     二人は橋の下に降りて河沿いに歩いて行く。その時”ボウ-ボウ-”また汽笛の音。遠く崖の
     上から見ていた
     ウオ-デンが舌打ちする。
     「同じイギリス人のくせに斎藤をあそこに連れて行く!」
     ニコルソンは川面に浮いていた棒杭を眼にしながらながら歩いていたが、砂州にはみ出た
     電線を見つけた。
     「やっぱりだ、変だと思った」…ニコルソン驚く。
      
       ニコルソンと斎藤の様子を見るヤイとシア-ズ    電線を持ち上げるニコルソンと斎藤

          

      彼がそれを持ち上げてみると、隠れていたものまで現れ長く繋がっていた。それを引っ張り
     ながらその方向へ辿って行く。二人の様子を対岸のシア-ズとヤイがハラハラしながら見て
     いる。ジョイスも気づき銃の安全装置を外し、さらにナイフを手に持つ。
     「ジョイス今やるんだ!」…シア-ズが叫ぶ。しかし声は届かない。電線を引っ張っていた
     ニコルソンが斎藤に言う。
     「あなたも手伝ってくれ」
     斎藤がニコルソンの方を振り向いた瞬間、岩陰に隠れていたジョイスが飛び出し、彼に後ろ
     から襲いかかった。その時”ボウ-、ボウ-”…いよいよ汽車が近づき、まさに橋にさしかか
     ろうとしていた。

                 クウェ-河の橋にさしかかろうとしていた汽車

           

      斎藤は、首を絞められて背中をナイフで突き刺され倒れた。驚いたニコルソン、ジョイスを
     川に押し倒し、組み伏せる。必死で逃げようとするジョイスは、息を切らしながら
     「私はイギリス将校です!橋を爆破に!…決死隊で…命令です」…と叫ぶ。彼の足を掴み、
     逃がすまいとするニコルソン…。

       ジョイスに背中を突き刺される斎藤大佐      ジョイスを組み伏せるニコルソン大佐

          

     「橋を爆破?!、ノウ-ノウ-!」
     ニコルソンは事態の重大さに気づき、橋の方に向かって何か大声で叫んだ。
     「殺してしまえ!」…遠くからウオ-デンがガナリ立てる。
     「放して下さい!」…ジョイス、足を掴んでいるニコルソンの手から逃れようとする。
     その時ダッ、ダッ、ダッダッ、ダッ、機関銃の音。ニコルソン、ようやくジョイスを
     あおむけに押さえこんだ…が急に彼は動かなくなった。ニコルソンの手に赤い血が
     ベットリ、ジョイスは胸を撃たれ絶命していたのである。
     ヤイとシア-ズも河岸から銃を発射し始めたが、ヤイは日本軍が撃つ無数の弾に当って
     死亡。シア-ズはナイフを持って河岸から飛び出し、川を走りながら渡っていたが彼も
     撃たれて倒れる。しかし起き上がりもの凄い形相でニコルソンに迫ってきた。

         ジョイスが撃たれ手についた血を見るニコルソン        撃たれて川の中に倒れこむシア-ズ

          

      日本兵の銃剣を払いながら猛然と向かって来る。倒れてまた起き上がる。手にはナイフを
     持っている。そしてニコルソンの眼の前にやって来た。ビックリするニコルソン。
     「君は!…あの時の!…」
     その時シア-ズまた撃たれる。
     「貴様!」…声をしぼり出すように言ったきり、シア-ズは力つき顔を川の中に埋める…
     茫然とするニコルソン…そのそばで、ジョイスもあお向けになって息絶えている。

        ニコルソンの眼の前に来たシア-ズ     シア-ズを見てビックリするニコルソン

          

     「私は何のために橋を…?」
     ニコルソンは一言つぶやき点火箱に近づこうとした時、突然ウオ-デンが撃った迫撃砲が
     さく裂、彼は飛び散った破片に撃たれて倒れる。その時シュッ、シュッ、シュッ…正確な
     音を刻みながら汽車がやって来た。…ニコルソン起き上がり天を仰ぎその音を聞く。そして
     ヨロヨロと点火箱の上に倒れた。その瞬間
     ハンドルが押され”バ-ン”…もの凄い爆音。…と同時に火花が飛び散って橋が真中から
     折れ曲がり、激流の谷底に落下して行った。

                   爆破されたクェ-河に架かる橋

           

        天を仰ぎながらよろめくニコルソン        点火箱の上に倒れたニコルソン

          

      汽車はすでに橋にさしかかっていた。崩れた橋の上に乗りかかり先頭の機関車が、次に
     2両目の車両が…そして3両目が…繋がれた車両は次から次に真下の激流に落下した。

               崩れ落ちる橋               激流の川に落ちてゆく車両

          

     「バカな!…信じられん」…この状況を丘で見ていたクリプトンは、吐き捨てるように言った。
     この橋爆破作戦で大勢の兵士、シア-ズ、ヤイ、ジョイス、斎藤大佐、ニコルソン大佐、
     さらに汽車に乗っていた乗客までが犠牲になった。
     皮肉にもニコルソンは、自分が橋を爆破する運命になった。イギリス兵ともに誇りをもって
     つくったあの橋である。彼はこの橋を後世に残しておきたかったのに…。
      岸壁の台地にいたウオ-デンは村娘の前で
     「やむをえなかった、彼らを捕虜にならないようにするためにはこれしかなかった」…と言う
     のだが…。

      やがて辺りは静かになった。不気味なほどの静けさがやってきた。その河原の上を一人歩い
     て行く軍医クリプトンの姿があった。1人でも生きている者がいれば…という思いで…。

              橋爆破後の風景          河原の上を歩いて行くクリプトン

          

      川面に一枚の板きれが浮かんでいた。
     「1943年、ニコルソン隊長の下、イギリス軍一同が橋を建設、設計」…と刻まれたあの
     記年板である。
      しばらくすると記年板は動きはじめ、流れに押されて川下にゆっくりと流れて行った…
     この戦争の空しさを象徴するかのように…

                      流れてゆく橋建設の記年板

           


                                   ー THE END ー

      映画「戦場にかける橋」が公開されたのは1957年、当時私は高校1年生だったがその頃
     からこの映画が話題になっていたのを覚えている。それが頭にあり、社会人になってから
     初めてこの映画を見た。
     大部分は忘れていたが、改めて見てこの映画のすばらしさを思った。戦争をテ-マにした
     映画ではあるが、ラストの橋爆破前後のシ-ンを除いてはアクションらしいアクションはない。
     なのに私は最後までこのドラマに惹きつけられた。面白かった、感動的だった。

      日本軍がタイからビルマへ、さらにインドまで伸ばそうとする輸送路をイギリス軍が断とうと
     したのは、それまでこの一帯を支配していた彼らの当然の戦略なのだろうが、そこで働いて
     いた大半は現地人であり、捕虜になったイギリス兵と連合国の兵士なのである。もちろん
     日本兵もいた。
      
      ニコルソンは誇りをもって橋をつくろうとした。部下にもその精神を植えつけた。そして見事
     な橋が出来た。彼は言う…
     「後世この橋を渡る人は思うだろう…この橋をつくったのはイギリス兵であると…過酷な状況
      の中でも、名誉を失うことなくつくられた橋であると…この橋が彼らの誇りの証であると…」
     しかし橋は、同じ同胞のイギリス軍によって破壊されたのである…。そこに戦争の空しさを
     感じるのだが…
     この映画は全編にヒュ-マニズムが溢れている。極限状態の中で生きる「戦争と人間」が
     描かれているのである。
      川面に記年板が流れていくラストシ-ンが印象的だった。このシ-ンで私は黒沢明監督の
     「影武者」を思い浮かべた。川面に浮かぶ武田家の旗「風林火山」を、影武者演じる
     仲代達矢が追いかけ倒れこむあのラストシ-ンを…。黒沢監督は、この映画のラストシ-ンを
     イメ-ジしていたのかもしれない。

      私は12年前の2002年10月、この「戦場にかける橋「を訪ねたことがある。それはバンコクの
     北西約130kmのカンチャナブリ-にあった。すでに修復され鉄橋になっていたが、その橋を
     渡ったところにカヤ葺の小屋があり、そこに日ノ丸とイギリスの国旗が掲げられてあったのを
     覚えている。汽車にも乗った。
     ビルマのラング-ンまでは届いていなかったが、車窓の周辺は緑の平原が広がり、ところ
     どころ農家が点在するのどかな風景があった。大地は赤かった、クウェ-河の水の色も
     赤褐色に染まっていた。

      凛々しいニコルソン大佐を演じるアレック・ギネスがいい。彼はこの映画で第30回アカデミ-
     主演男優賞に輝いている。
     斎藤大佐の早川雪舟も良かった。日本の軍人将校らしい風格を感じた。
     その他にもこの作品は作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、作曲賞、編集賞などを得て、当時の
     アカデミ-賞を総なめにしている。映画を盛り上げた「クワイ河マ-チ」は、数ある映画音楽
     の中でも最も親しまれている作品の一つと言えよう。
     監督はデヴィッドリ-ン、名作「アラビアのロレンス」や「ドクトル・ジバゴ」をつくった
     あの監督である。


       監  督           デヴィッドリ-ン

       役  名           俳  優
        
       ニコルソン大佐      アレック・ギネス
       シア-ズ中佐       ウイリアム・ホ-ルデン
       斎藤大佐          早川雪舟
       ウオ-デン少佐         ジャック・ホ-キンス
       軍医クリプトン       ジェ-ムス・ドナルド
       ジョイス          ジェフリ-・ホ-ン


                                  2014.4.2 記

                       私のアジア紀行  http://www.taichan.info/