インド・ヒマラヤ紀行  第2部

                            2015年7月8日~7月23日


               
           チベット神楽舞  グスト-ル祭    2015.7.20

          

     7月16日 キ-ロン滞在  ロ-タンパスへの日帰り観光   片道 67km(往復134km)

                キ-ロンからロ-タンパスまでは緑の点線

             

    日本を出発して9日目。旅の後半に入るが、この日を含めまだ1週間の旅が待っている。
   キ-ロンは高い山々を見上げる丘陵の上にあった。北へ向かえばレ-へ、南へ行けばマナリへ、
   また西方面へ通じる拠点にもなっているためかヒマラヤの山中にしてはかなりの家々が軒を連ね、
   狭い通りには日常雑貨品や果物屋なども散見される。旅行く人はここで買物をしていくのだろう。

                     ホテルの窓から キ-ロンの風景

           

    朝ホテルの廊下で女性のT・Yさんに出会い、懐中電灯に使う電池をいただいた。彼女の親切な
   心遣いに感謝。実は前夜停電があり懐中電灯を取り出し点けてみたが電池が切れていた。うかつ
   だった。そのことを朝食時に皆の前で話したのを耳にした彼女が
   「どうぞ使ってください」...予備の電池の中から差し出していただいたのである。この先4日間は
   テント暮らし、懐中電灯がなければ非常に不便だ、夜中にトイレにも行けない...大変助かった。

    朝8時30分ホテル出発。昨日走って来た道を少し戻って南方面へ向かい、狭い林道をゆるやかに
   下って行く。1時間ほど走り渓谷を見下ろす丘陵に出たところでストップ。景色でも眺めるのかと思っ
   たらそうではなく、パッサンさんはそこに建っていたレンガづくりの高い建物を見てもらいたかった
   らしい。彼によればその建物は18世紀に建てられたゴンドラ・フォ-トと呼ばれる砦だという。
   なるほどここは山を背にし、前方は一望の大渓谷が広がる高台にあり、敵兵の来襲があればすぐ
   に分かる処だ。砦としてはもってこいの場所にあった。この砦は200数十年経った今でも、ヒマチャル
   一帯の風景を眺めつづけている。

                 18世紀に建てられたゴンドラ・フオ-ト

           

    砦の周りにはヒマラヤン・ロ-ズが咲き誇り、日本の里山でも見られるノコギリソウやツリフネソウ
   なども生えていた。標高が少し下がり、日本の環境と似ているところがあるのかもしれない。

            セイヨウノコギリソウ                   ツリフネソウの一種

         

    車窓からは山の斜面にマット状に広がるイブキジャコウソウや、林立し群落をつくっているビロ-ド
   モウズイカが頻繁に眼につく。とくにビロ-ドモウズイカは延々と続いていた。よくもまあこれだけ
   広がっているものだと思う。この植物はゴマノハグサ科モウズイカ属の2年草で、ヨ-ロッパ原産
   だが世界各地に帰化しているらしい。日本でも園芸種として入ってきたものが各地に帰化しており、
   とくに北海道に多い。下の写真は5日前の7月11日昼食のあと河畔で撮ったもの。

                          ビロ-ドモウズイカ

         

    舗装された快適な道を走っていたが、やがて車は山道を上りはじめる。眼下には谷間をぬうように
   長い滝が流れ落ちていた。昨日の滝とくらべると規模も小さく流れもゆるやかだ。
   遊牧民が引き連れて行くヤギとヒツジの大群にも出会った。草を求めて移動しているのだろう。
   この文明の時代にあって、自然の中で暮らす彼らの姿にふしぎな感動を覚える。

                  谷間を流れ下る滝               ヤギとヒツジの大群に出会う

           

    車は山の中腹にかかり草原が広がるところでストップ。ブル-ポピ-が咲いているらしい。パッサン
   さんのあとについて行くと、ブル-ポピ-は道端上の岩の割れ目にひっそりと咲いていた。3~4株
   位だったか...群生しているよりこのほうが風情がある。ブル-ポピ-に出会うのは久しぶり、やはり
   美しい。心が吸いこまれそうな清楚な美しさだ。空の色とも海の色とも違う、引き込まれそうな青さ
   に惹かれてしまう。
    幻の花とも呼ばれているが、長い間チベットは国を閉ざしていた時代があり、見たくても見れなかっ
   た憧れの花としてこの名がつけられたのだろう。まさにヒマラヤに咲く花の女王である。

                岩の割れ目にひっそりと咲くブル-ポピ-

            

                 岩の割れ目にひっそりと咲くブル-ポピ-

           

    このブル-ポピ-はケシ科、メコノブシス属の一種で学名はメコノプシス・アクレアタだと思われる。
   今まで私が中国の青海省、四川省、雲南省のヒマラヤ山系で見たブル-ポピ-と比べると、花は
   似ているが葉はまったく違う。ちなみに中国ヒマラヤ山系のブル-ポピ-と比べると明らかに葉が
   違うことが分かる。私が初めて出会うブル-ポピ-だった。

             青海省で出会ったブル-ポピ-(メコノプシス・ホリドゥラ)

            

    ブル-ポピ-を見たあと皆と一緒に草原に戻ろうとしたとき、土手の上に広がっていた紫色の花
   が眼についた。茎を伸ばしスックリと立っている姿は、幼い子供が傘をさして踊っているようにも
   見える。輪生状にいくつもの花穂をつけているところはクリマバナに似ているが、シソ科の
   フロミス属の一種と分かった。随分前これに似た花を中国四川省の長坪溝で見たことがある。

    土手の壁には小さな白い花が咲いていた。花びらは5枚、紫紅色のスジがある。ナデシコ科カスミ
   ソウ属の花だと思われる。この花は土手の上にもたくさん見られた。

         シソ科 フロミス属の一種         ナデシコ科 カスミソウ属の花

           

    ナデシコの花のそばには、ひっそりと咲いていたピンクの花があった。サクラソウだ!、とても
   可愛い。サクラソウにもいろいろあるが、こちらはトチナイソウ属の一種。高山帯の岩礫地の草地
   に見られ、マット状に群落をつくることが多い。

                 サクラソウ科 トチナイソウ属の一種

            

    草原では鮮やかな赤い花が眼を惹いた。真紅のものもあれば朱紅色のもある。さらに黄色い花も
   咲いていた。葉の形はみな同じ、小葉が3個ある。いずれもバラ科キジムシロ属の一種で、黄色い
   花も赤い花の近縁種かと思われる。いずれも乾いた草原の中にあってよく目立つ。

                   バラ科 キジムシロ属の一種

            

                     バラ科 キジムシロ属の一種

         

    植物たちにとっては今がいちばん華やかな季節、大きく花びらを開いて虫を呼びこんでいる。オシベ
   の花粉をメシベにつけてもらいたいからだ。美しい姿が見られるのはあと1ヶ月ぐらい、果実を結んだ
   あとは長い眠りにつく。
    それにしてもどうしてこんな高地に棲みついているのか…おそらく競争相手の多い低地を避けて
   競争相手の少ないこの厳しい環境を選んでいるのだろう。
   その他にもいろいろな花が眼を楽しませてくれた。菜の花に似たアブラナ科の花、小さな星の塊りの
   ように花びらをキラキラさせていたムラサキ科の花、マット状に地面に張りついていたイブキジャコウ
   ソウ、葉蔭からかわいい顔を覗かせていたフウロソウ、そしてシロバナヘビイチゴにそっくりな白い
   花もあった。バラ科オランダイチゴ属の多年草で、同属のシロバナヘビイチゴのように美味しい赤い
   実をつけることだろう。

                      バラ科 オランダイチゴ属の多年草

            

         イブキジャコウソウ属の一種             フウロソウ属の一種

         

    もう一つ穂状に伸びた赤い花が眼についた。タデ科イブキトラノオ属の一種のようだ。日本の
   イブキトラノオは淡い紅色または白色だが、こちらは眼にも鮮やかな濃い赤色、とてもよく目立つ。

                      タデ科 イブキトラノオ属の一種

           

    草原の散策を終えて峠に向かって出発。空は曇り模様、まだ山の稜線は見えていたが次第に霧が
   深くなり、ロ-タンパス峠に着いたときにはほとんど何も見えなくなっていた。しばらく辺りを歩い
   てみたが霧の中にぼんやり動く人影と、山頂のタルチョがわずかに見えるくらい。峠の標高は
   3980m、ここからの眺望を楽しみにしていただけに残念。

                           霧に包まれたロ-タンパス峠の風景

           

    峠での眺望は諦めて車に引き返す途中、霧のなかに黄色い花が浮かんでいた。ウ~ン難しい、
   よく分からないまま帰国後図鑑を開いてみたら、ユキノシタ属にこの花によく似たものがあった。
   ユキノシタ属はふつう多年草で、寒冷地の霧のかかりやすい岩礫地に生えることが多いという。

                  ユキノシタ属の一種と思われる花

            

    再び車に乗りしばらく下った道端の空地で休憩。タバコで一服やっていると
   「ワア、花がいっぱい!」…という女性の声が聞こえた。そこは空地の上の山の斜面、行ってみると
   何とお花畑が広がっているではないか!、色も赤、黄、青、白と様々な花々が咲き誇り、草原を華や
   かに埋めていた。種類もたくさんあってどの花を先に撮ろうか迷ってしまうところだが、そんなこと
   は考えない、とにかく眼につく花は次から次にシャッタ-を押した。
   しかし一番目を惹くのはサクラソウだ。先程草原で見たサクラソウは岩陰にひっそりと咲いていたが、
   ここのは他の花々とともに賑やかにたくさんの花びらを広げていた。やはり草原の主役はサクラソウ
   である。

                   サクラソウ科 トチナイソウ属の一種

           

     キンポウゲ系の花もよく目立つ。光沢のある黄色い花びらをキラキラと光らせているもの、
   イチリンソウを思わせる白い花、薄黄色の花が太陽の光をいっぱい浴びていた。これまた華やかで
   美しい。

             黄色い光沢のある花はキンポウゲ科 キンポウゲ属の花

            

                  キンポウゲ科 イチリンソウ属の花

         

    リンドウも小さな場所をとって咲いていた。青い小さな花びらをいっぱいに広げている姿はとても
   可憐だ。フィ-ルドスタ-と言ってもいいだろう。そばにはサクラソウが控えめにより沿っていた。
   リンドウは太陽の光を受けているときには花びらを開くが、雨や曇りのときは閉じて身を守っている。

                      リンドウ科 リンドウの花

            

    ウルップルソウもあった。日本では北海道や白馬岳、八ヶ岳などに見られる珍しい花。穂状に
   青紫色の花をつけ、スックリと立っている姿は気品がある。この花ははじめに千島のウルップル島
   で採集されたことからこの名があるという。
     ヤマハハコも、太陽の光を求めるかのように白い花びらを上に向け広がっていた。春の七草として
   親しまれているハハコグサと似ているが属は分けられている。ちなみにハハコグサは全体に綿毛が
   多く、冠毛がほおけだつことから古くは”ホオコグサ”と呼び、これが訛ってハハコグサになった
   らしい。

      ゴマノハグサ科 ウルップルソウの一種         キク科  ヤマハハコの一種

         

    私は近くにいた女性のAさんにお願いし、写真を撮ってもらうことにした。被写体は悪いが山も花も
   入って構図がいい。思い出の写真になるだろう。

                     ロ-タンパス近くのお花畑にて

            

    空地に降りてみると自転車で通りかかった欧風の若い女性がいた。ロ-タンバスの方から来たよう
   だ。自転車の後ろには大きなザックが積み込まれてある。メンバ-の誰かが話しかけるとにこやかに
   応対していた。彼女の国は聞いたように思うがよく覚えていない、もしかしたらオ-ストリアだった
   かもしれない。しばらくすると”それでは…”というように笑顔を見せながら大きく手を上げ下の方へ
   走って行った。
   それにしても自転車で旅するとは、しかも女性一人で…体力もスゴイが実に勇敢である、たくましい。
   こうした青春の楽しみ方もある…大いに青春を楽しむのだ、そうエ-ルを送りたくなる。

                  西ヒマラヤを自転車で旅する欧風の女性

            

    昼食は辺りの山々が一望できる台地でとった。永田さんがつくって持ってきてくれた”ちらしずし”
   をいただく。とても美味しかった。折づめ一つの他に勧められてさらにその半分食べた。
   私はすしが大好き、にぎりずしをつまみながら一杯やることもある。ヒマラヤ山中ですしが食べられ
   るとは思ってもみなかった。
   ドライバ-たちは忙しく食事の世話をしてくれ、パッサンさんは気持よさそうに故里の風景を眺めて
   いた。

                昼食をとるメンバ-と世話をしてくれるドライバ-

            

      メンバ-と世話をしてくれるドライバ-          ガイドのパッサンさん

           

    この日はヒマラヤの自然を楽しむ日、見学するところはない。壮大な山を眺め花を愛でる、それだけ
   でいい…私にとってはそれがいちばん楽しいのだ。
    昼食のあと車で少し下ったところで再び草原を散策する。ここでも色々な花が眼を楽しませてくれた
   が種類は先程のところよりは少ない。しかし赤いシオガマギクが咲いていた。ポツンと小さな株を
   つくっていたが、それだけに愛らしく思えた。
    植物には面白い名前がたくさんあるがシオガマもその一つ。塩竃とは海水を煮詰めて塩をつくる
   かまどのこと。塩竃を「浜で美しい」ということから「葉まで美しいシオガマ」にかけた名前だと
   いう。
   この名づけ親は塩竃そのものを指しているのではなく、広い砂浜で竈を置き、海水をつくる風景を
   美しいと思ったのだろう。なかなか想像力逞しい人である。たしかにシオガマギクは花も葉も美しい。

                             シオガマギクの一種

            

    草原の散策を終えて帰途につき走っていたところ、車窓からシオガマギキらしきものが見えたので
   車を止めてもらい確かめに行った。しかしどうも違うようだ。花はシオガマギクに似ているが、葉に
   鋭い刺があり背丈は1m位、かなり大きい。帰国後図鑑を開いたらモリナ科に似たものがあった。
   おそらくこれに該当する植物だろう。
    その近くで強い光を浴びながら砂礫に張り付いていた黄色いマメ科の花が眼についた。花の形は
   ミヤコグサに似ているが、ゲンゲ属の多年草と思われる。

           モリナ科 モリナ属の花              マメ科 ゲンゲ属の花

         

    その後1時間近く走りチャンドラ川とバガ川の合流点に案内してもらう。高台から眺めると大きな
   チャンドラ川に右手から小さなバガ川が流れこんでいるのが見える。明日からはバガ川に沿って北上
   して行く。

                    チャンドラ川とバガ川の合流点

            

    高台の草叢にも色々な花が咲いていた。マンテマ、ナス科、シソ科、フウロソウ、ムラサキ科
   の仲間などだが、ロ-タンパスの草原で見た花ほど華やかさはない。
   マンテマ属でもたくさんの種類があるが、ここに咲いていたのはシラタマソウと呼ばれる種かも
   しれない。

                      ナデシコ科 マンテマ属の花

            

    ナス科の花はヒヨスと呼ばれる種だと思われる。淡黄色の花びらの基部が紫褐色になっているので
   分かりやすい。パキスタン~シッキム、チベット、ユ-ラシア各地に分布しているが有毒だそうだ。
   紫色の花はシソ科のウツボグサによく似ているが、イヌハッカ属の種かもしれない。判別が難しい。

            ナス科 ヒヨス属の花              シソ科の花

           

   チャンドラ川とバガ川の合流点を離れ夕刻キ-ロンのホテルに着く。私にとっては楽しい1日だった。

     7月17日 キ-ロン~サルチェ  距離 110km

                  キ-ロン~サルチェ  緑の点線部分

           

    ホテル8時出発 バガ川沿いから山道を上り高台にあるシャシュル・ゴンパを訪ねる。
   このゴンパはドゥク派の寺院で17世紀に建てられている。ドゥク派は、チベッ仏教の中でも最も
   密教色の強いカジュ派の一派。祭の時はドゥク派が広く信仰されているブ-タンから大勢の僧侶
   たちがやってくるという。堂内ではゲルク派のダライラマの写真が飾られてあったが、ドウク派
   にも影響をもっているのかもしれない。
    堂内には火葬にしても燃えなかったとされる建立者の心臓が祀られたり、壁画も様々なものが
   描かれていたが、やはり密教色の雰囲気が漂うゴンパだと感じた。

                     シャシュル・ゴンパの壁画

            

            ダライラマ14世の写真            シャシュル・ゴンパの壁画

           

    堂内を一通り見たあと私は外に出た。タバコで一服したかったからでもあるが、外の清々しい空気
   に触れ辺りの景色を眺めたいと思ったからだ。
    眼下にはバガ川がうねりながら谷間を流れ、その上の丘には棚田が広がり集落も見える。眼の前の
   山の斜面には数多くのヒノキが茂り、上を見上げると残雪が散らばる山々が幾重にも重なり連なって
   いた。
    裏にまわってみると、この寺の施設の一つと思われる建物を修復する人たちが、民家の前では
   老夫婦が石段にポツンと座りひなたぼっこしている姿があった。ややうら淋しいがのどかで平和な
   風景である。

         シャシュル・ゴンパからの風景           寺の施設を修復する人たち

           

    3階でお茶をいただいたあと10時過ぎゴンパを離れ、サルチュへ向かう。。山を下り街中に出た
   ところで郵便局に立ち寄り、そのあとはひたすらバガ川沿いを走って11時35分チェックポイントに
   着き休憩。ここではバイクで旅行する大勢の若者たちに出会う。しばらくすると彼らは手続きを
   済ませ北の方へ走って行った。私たちが行く同じ方向である。
    そばを流れるのはトラントップ川、バガ川は前方やや遠くに流れている。二つの川が合流している
   地点のようだ。

           チェックポイントの風景           バイクで北へ向かう若者たち

         

    河原をブラブラしていると石の間から覗いているマンテマ、そして白い花が眼についた。マンテマ
   は前日チャンドラ川とバガ川の合流点で咲いていたシラタマソウ、白い花は一瞬フウロソウかと思っ
   たがアオイ科の一種のようだ。日本に帰化しているゼニアオイの白花によく似ている。もしかしたら
   そのものかもしれない。

         マンテマ属 シラタマソウ          アオイ科 ゼニアオイの白花

           

    チェックポイントから車は山道を上りはじめ大きく迂回したところで、トラントップ川がバガ川に流れ
   こんでいるのが見えてきた。手前がトラントップ川、前方に流れているのがバガ川と思われる。
   私たちは対岸へ渡りバガ川を下に見ながら山腹を巻いて行く。

                   バガ川とトラントップ川の合流点

            

    上部へ行くにつれてしばしば滝にぶち当たる。激しい流れは山道を横切り、崖下に落ちて行く。
   この時期は雨季にあたり水量も多い。しかしドライバ-たちは楽々と走り抜け、何事もなかったかの
   ような顔をしている。見事な腕前だ。

                   山道を横切り崖下に落ちて行く激流

            

         山道へ流れこんでくる激流             崖下を流れる激流

         

    辺りの山々は山頂付近にわずかに雪を残しているものの、山全体は赤味を帯びたものが多くなる。
   谷間は次第に大きくなり、石コロの混じった草原は時に黄色く見えたりする。菜の花でも咲いている
   のか…。車はゆるやかに下りはじめやがて小さな湖に着く。名前はディパクタル湖。
   生憎の曇り空で湖面はさほど美しいとは思わなかったが、それでも周りの山々の影を鮮やかに映し
   ていた。晴れていればその青さが際立って見えたにちがいない。

                      ディパクタル湖と周辺の風景

            

    ディパクタル湖を離れて1時間近く走り、13時30分頃テント小屋が立ち並ぶところで昼食。
   前方には巨大な雪山が聳え立ち、裏手は小高い岩の丘陵が広がる河原となっていた。ジンジンバル
   というとこらしい。テント小屋の前ではバイクで旅行する大勢の若者たちがいた。チェックポイント
   で出会った連中かもしれない。昼食は持参してくれたサンドイッチやジャガイモのふかしたもの、
   タマゴ、ジュ-スなど、それに小屋でつくってくれたラ-メンも食べたように思う。

                               ジンジンバル周辺の風景

              

    永田さんがこの丘陵でブル-ポピ-を見たことがあるというので探しに行ってくれたが、見当たら
   なかったらしい。昼食後、私も辺りを歩いてみたが見つけられなかった。
    しばらくするとパッサンさんが見けたという情報が入り、外に出てみると丘陵の遠くから手を振っ
   ている彼の姿が見えた。足早に彼のところに行ってみると、ブル-ポピ-は岩のすき間から愛らしい
   顔をのぞかせていた。やはり美しい。その姿は
   「ようこそ遥々とここまで」…とでも言っているようにも見える。ロ-タンパスの草原で咲いていた
   ものと同じ種類のものだ。花びらは4枚、葉には深い切れ込みがある。図鑑で見ると学名は
   メコノプシス・アクレアタではないかと思われる。

                           ブル-ポピ-

            

                       ブル-ポピ-

         

    葉だけが茂りまだ花が咲いていないものもたくさんあった。今年はいつもより寒いらしく花期が
   遅れているのだろう。
    他にもいくつかの花が地面を埋めるように広がっていた。黄色い花はどちらもバラ科のキジムシロ
   属だが、種類は違う。一つは日本の高山でも見られるキンロバイだろう、もう一つはクンザン峠で
   群落をつくっていたものと同じものだと思われる。いずれも岩に張りつくように生えていた。

                  キンロバイ                バラ科 キジムシロ属の花

           

    さらに紫色のムラサキ科の花と、アブラナ科のイヌナズナ属と思われる花も眼についた。これまた
   岩にしっかりと根を下ろしていたが、あえて厳しい環境を選びそれに耐えうる生え方をしているのだ
   ろう。

               ムラサキ科の花           アブラナ科 イヌナズナ属の花

         

    昼食を済ませ雪山に向かってうねうねと山腹を巻いていたが、30分ほどでバララチャ峠に着く。
   峠の標高は4650m、空気は薄く非常に寒い。やはりここにもタルチョが祀られ、後方の山々は
   まだら模様に雪を被り、曇り空のためかその表情は多少不機嫌に見えた。たしかにここは富士山
   よりも900m高いところにある。天侯の変動で山の表情は様々に変わってゆく。晴れていれば
   すばらしい風景が見られたにちがいない。
    この峠は南北を結ぶ幹線道路上にあり、他に道はない。北へ行くにも南へ行くにもこの峠を越え
   るしかないのである。

                       バララチャ峠の風景

            

                       バララチャ峠の山々

         

    峠から赤茶けた山々を眺めながら下って行くと大きな平原に出た。サルチュに入ってきたようだ。
   しかし街らしきところはどこにも見当たらない。民家も見られない。ときどき眼にするのは山裾に
   つくられたテント張りの集団だけ。私たちも今日はそうしたテントで宿泊する。16時05分サルチュ
   の常設テントに着く。
    パッサンさんたちとはここでお別れ、明日から最終日の7月22日まではレ-からやってきたガイド
   やドライバ-たちが私たちを案内してくれることになっている。
    気がつくとすでにドライバ-たちの姿はなく、小雨の降る常設テントの出口付近でパッサンさんが
   こちらに手を振っているのが見えた。
   パッサンさん、ドライバ-のアルジュン、ダワ、ラケシュの皆さん、そしてリ-ダ-格のゴ-トさん、
   ありがとう、さようなら、さようなら…。
    彼らはこれからヒマラヤの山道を夜通し走りづめに走り、ロ-タンパス峠を越えてマナリに帰って
   行く。

                 常設テント出口付近で手を振るパッサンさん

            

    テント内にはベッドが置かれ簡易トイレもついていた。しかし4253mの高地にあり非常に寒かった。
   この日の私の血中酸素濃度は89%。
   夕食を済ませたあとウイスキ-を2~3杯あおり、寝袋にもぐりこんで早々と床につく。

     7月18日 サルチュ~ツォモリリ  距離230km

                 サルチュ~ツォモリリ 緑の点線部分

             

    昨晩は雨が降り続いていたが朝6時頃には青空が広がり、山々は朝日に光り輝いていた。
   しかしかなり冷えこみ気温は5度。寒いが高原の空気は清々しい。バケツで運んでもらった湯を
   洗面器にくみ取り顔をふく。ツア-旅行でのテント宿泊は初めて。快適とはいえないがまずまず、
   寝袋はとても暖かった。この日向かうツォモリリではテント宿泊が3日続く。

                    サルチュ常設テント付近の風景

            

             朝日に輝く山々                  サルチュ常設テント付近の風景

         

    この日からのガイドはパトマさん、ドライバ-はツェリン、テンジン・リクトル、テンジン・ティル、
   クンガの皆さん。レ-からやってきたスタッフである。

    7時30分テント村を出発。広大な草原の道を走って行く。展望は大きい。今まで通ってきた峡谷の
   圧倒されるような感じはない。草原遠くにはヤクや羊が草を食む牧歌的な風景が広がり、その向うに
   壮大な山塊群が連なる。のびのびとした景観に心和む。山々は遠くに離れたり近寄ったりする。
   どの山も巨大な山塊のいたるところに無数の彫刻を刻んでいるように見える。象、鬼面、天狗、布袋、
   天女…彫られているものは様々である。
    そんな風景をぼんやり眺めていると、砂をかぶった山の斜面に無数の鏃でも突き立てたような
   ふしぎな景観が現れてきた。鏃は縦横に流れている。降り積もった砂の中から岩の一部が顔を出し、
   悠久の歳月を経て風にさらされ出来上がったものだろう…。

                 砂を被った山の斜面から突き出した鋭い岩塊

            

    空は青く澄みわたり、川の流れはやや速いものの穏やかな表情を見せている。この辺りは乾燥した
   高原地帯、高い樹木はまったく見られずダンゴ状の低い草木だけが大地を埋め、山肌はあくまでも
   赤い。
    やがて山麓下の原野にいくつかの建物が見えてくる。建物の色は白、赤、そして青いものもある。
   軍の施設だろう。カシミ-ル地域ではパキスタンの住民と長い間紛争が続いているが、それに備え
   ての基地の一つかもしれない。

                        軍の施設と思われる建物

           

    車は前方に折り重なる山々に向かって進んでいたが、大きな河原に出たところでトイレ休憩。
   川幅は広く流れはゆったりしている。しかし水量は少なく、ところどころ川底が見えているところも
   あった。
   ここにも砂利の中に根をしっかりと下ろし、マット状に株をつくった花が咲いていた。中国原産で
   日本に帰化しているセリバヒエンソウに似ている。オオヒエンソウの一種だろう。ヒエンソウは
   花びらの形が飛ぶ燕のように見えることからつけられ名前だと思われる。

             休憩をとった河原          キンポウゲ科 オオヒエンソウ属の一種

           

    休憩を終えると車は山道を上りはじめ渓谷を下に見るようになる。上から眺めると、うねうねと
   曲がりくねりながら渓谷の奥へと入って行く川の流れが一望できる。それまで見上げていた山々は
   次第に近づき眼の高さになってくる。近くの山々は赤い粉でも被ったように見えるが、遠くの山塊群
   は黒い岩肌に雪を戴いている。なかなかの景観だ…と思っていたら車を止めてくれた。

                     ナギラ峠に向かう途中にて

            

    ここでも黄色い花が咲いていた。岩に張りつき大きな株にたくさんの花をちりばめていたが、乾燥
   高地の霧に潤される岩礫地に生える低木らしい。一瞬バラ科のキジムシロ属の一種かと思ったが、
   花はマメ科特有の形をしていた。ムレスズメ属の一種だと思われる。
   そして地に伏せり大きな葉の中から穂状に赤い花を覗かせていた花があった。シソ科のフロミス属の
   一種かと思われる…しかし図鑑ではこの葉の形に合うものがない。この花は中国の青海省でも見た
   ことがあるのだが…。

         マメ科 ムレスズメ属の花            シソ科 フロミス属の花?

         

    標高は高くなり眼の前に雪山が現れてくる。稜線はやわらかく雪もまばらだ。車は山を巻きながら
   上っているが山の形は刻々と変化する。丸いド-ム型に見えたり険俊な砦に見えたりもする。
    先程の休憩地点から20分程でナキラ峠に着く。この峠は標高4800mと富士山よりも1000m高い
   ところにあるが、天気がよいためかそれほど厳しさは感じない。タルチョの向うに見える山頂は青空
   に高く映えていた。

                             ナキラ峠の風景

            

                       ナキラ峠周辺の山々

         

    こんな高地にも花が咲いていた。この厳しい環境にも耐え鮮やかな花を咲かせているとは…実に
   逞しい。一つは岩の間に、もう一つは岩礫地に場所をとり自分の陣地をつくっていた。
   紫色の花はマメ科の仲間だと思われるが、オヤマノエンドウ属かゲンゲ属かはっきり区別がつか
   ない。マメ科の植物は窒素をとりいれる根粒菌と共生しているためか、この厳しい環境にも生きる
   ことができるのだろう。
    赤色の花は今回の旅で初めて出会うイワベンケイ属の多年草だ。中国の青海省でも見たことがある。
   花びらは5枚、葉は細長く厚い。名前の由来は、荒れた岩礫地でも平気で生え、丈夫で強いことから
   岩弁慶とつけられたのだろう。切り取ってもしばらくはしおれないらしい。

                マメ科の一種                     イワベンケイ属の一種

         

    車はさらに上部を目指す。一旦下りまた上って行く。車窓からは列をなして広大な山の原野を
   走ってくる軍のトラックが見えてきた。この道はレ-から西北へパキスタンとの国境、停戦ラインに
   つながっている。軍にとっても重要な幹線道路なのだろう。
    やがて曇り空に聳え立つ巨大な雪山が現れてきた。ラチュルン峠は近い。

                  広大な原野を走ってくる軍のトラック

            

    10時40分ラチュルン峠に着く。標高は16616フィ-ト、5060m。富士山よりも1300m近く高い
   ところにいるはずだが、周囲の展望が大きいためかそれほど高いところにいるという実感はない。
   しかしここの空気は平地の約半分、歩くと多少頭がクラクラする。
   私はタバコで一服しながら辺りを眺めてみたいと思いライタ-に火を点けようとしたが、点かない、
   何回パチパチしても同じだ。マッチならと思いガイドのパドマさんに借りようとしたところ、
   たしなめられた
   「ここは高いところですから、タバコはよくないです」
   「大丈夫です、ここよりも高いところで吸ったことがありますから」
   「どこですか?」
   「チベット側のエベレストベ-スキャンプです、高さは5250mあります」…彼は多少怪訝な顔を
    しながらも
   「どうぞお使いください」…と言いながらマッチをくれた。

    峠の周りは湿地のような原野が広がり、その向うには雪を残した山塊群が連なっていた。しかし
   これぐらいの高さでは名前はついていないと思われる…。敢えてつけるとすればラチュルン山群と
   いうことになるだろう。
    私はここに来るまでスゴイ山をいくつも眼にしてきたが、近くにガイドのパッサンさんがいると
   彼に聞いた。
   「あの山の名前は?」
   「ノ-ネ-ム」…とそっけない返事。そしてある日全山雪を被った山が現れ、また訊ねた。
   「あの山の名前は?」
   「ノ-ネ-ム」…答えは同じだった。その後も高い山が現れると、また聞きたくなった。
   「あの山の名前は?」
   「ノ-ネ-ム}…彼は笑いながら答えた。以来私は彼に山の名前を聞くのは諦めた。名前がついて
   いないのは本当だろう。ヒマラヤには5000m級の山は無数にある。数えきれないくらいある。
   現地の人たちはそんな山は山ではなく、丘ぐらいにしか考えていないのかもしれない…。

                     ラチュルン峠にて   標高 5060m

               

                      ラチュルン峠周辺の山々

           

    ラチュルン峠を離れ砂利石が埋める渓谷を下って行く。灰色の小さな流れが現れゆるやかに地を
   這っていたが、傾斜がきつくなるにつれて白いしぶきを飛ばすようになり流れも激しさを増す。
   前方には橋を渡って行く2台のトラックが見える。先程ラチュルン峠下の原野で軍の後ろを走って
   いたトラックかもしれない。深い谷間は、右も左も赤い岩山が屏風のようにそそり立っていた。

                    深い谷間を走って行くトラック

            

    渓谷を下りきると大きな平原が広がってきた。道沿いに建てられた家の前でストップ。ここで昼食
   をとる。昼食の中味はいつもと同じだが、別に出された野菜入りの緬は美味しかった。
    広い平原の遠くにはなだらかな山々が連なり、山麓下にはやや幅を広くした川が流れていた。
   家の裏にまわると10数羽のカラスがたむろ、遊んでいた。日本のカラスと違って体は小さく嘴は
   黄色い。日本ではいたずらをする嫌われ者のカラスだが、ここでは追い払ったり邪慳にする人は
   見られなかった。
    私は中国の青海省を旅していたとき、前方の車が前を横切ろうとした小ネズミを轢いてしまったの
   を見てチベット族のガイドに話したところ、彼は即座に両手を合わせ拝んだ。小ネズミが轢かれた
   ことよりもガイドのその姿に驚いてしまったが、チベットの人たちはたとえネズミでも殺生すること
   を嫌うということを知った。チベット仏教による風土なのだろう。

                           テントのそばで遊ぶカラス

            

    昼食を終えて東に道をとりツォ・カルと呼ばれる湖に向かう。広大な草原を走って行く。道は平坦、
   道らしきものはあるがどこを走ってもよい。車はときに草原の中を右に左に曲がりくねりながら
   走ることもある。前方を行く車の埃をさけるためだろう。草原をとりまく山々はやさしい稜線を描き
   波のように重なり続いている。すばらしい展望だ。のびのびとした気分になる。これほど気持のよい
   ドライブはない。
    広大な草原に一人ポツンと立っている人がいた。遊牧民かもしれないがヤクやヤギ、ヒツジの姿は
   ない。しかしこの広い大地のどこかに放牧されているのだろう。

         広大な草原を走って行く4WD          広大な草原にポツンと立つ人影

         

    突然前方の車が止まった。何かいるようだ。ドライバ-が指さす方を見ると馬らしきものが歩いて
   いる。色は明るい茶と白のまだら模様。思いだした、野生のロバだ。青海省で見たことがある。
   しかし写真を撮るには遠すぎる。レンズが揺れて焦点が定まらない。しばらく遠望したあと車で移動、
   近づいた。今度は何とかカメラに収めることができた。

                                 野生のロバ

            

    この野生のロバは和名ではノロバ、チベット語ではキャンと呼ばれる。飼育されているロバに比べ
   ると足も長く大きい。3年前中国の青海省でも出会ったことがあるから、チベット圏の広い範囲に亘り
   住んでいるのだろう。

    草原を突っ切り迂回していくと湖が現れてきた。湖といっても水面が見えるのはわずかで、砂利石
   と草叢に覆われた向うには広大な白い平原が広がっていた。波のようにうねる段丘も見られる。
   ツォ・カルと呼ばれる塩湖だという。その通り、平原の大部分は塩の塊りだった。太古の昔ここは海
   だったのかもしれない。
    この塩湖にはオグロヅルが飛来するというので辺りに眼をこらしてみたが、その姿は見られなかった。
   しかしじっと耳を澄ますと、この静かな空のどこかで”ギャ-、ギャ-と言う声が聞こえた。私の空耳
   か…それともオグロヅルの鳴き声だったのか…。それにしてもこの塩湖にどうしてオグロヅルがやっ
   てくるのか、草も少なく生き物もいないと思われるこの塩湖に…。

                          ツォ・カル湖の風景

            

                       ツォ・カル湖の風景

         

    オグロヅルの姿は諦めて湖の畔を通り過ぎたところで、前方の車が止まった。どうやらオグロヅル
   がいるらしい。みながカメラを向けている方角を見ると、たしかに草原の遠くにオグロヅルらしき
   ものが見える。しかし遠い、写真を撮るには遠すぎる。わがデジカメではとてもムリだろうと思い
   ながらもその方角に何度もシャッタ-を押した。そして何とかカメラの端にぼんやりとその姿を
   捉えることが出来た。

                      草原にいたオグロヅル

            

    その後20分ほど走り谷間の河原に出たところで休憩。川の流れは清冽、ゴロゴロと転がる砂利石
   の間を地を這うように流れ、草叢に眼をやるとバラ科の黄色い花が咲いていた。キジムシロ属の
   仲間だと思われる。

             河原を流れる清冽な小川             バラ科 キジムシロ属の花

           

    休憩を終えて走りはじめて間もなく大きな湖の入り口に出る。ツォ・モリリに着いたようだ。
   しかし常設テントはまだ先。途中放牧された羊の群れに出会い、しばらく見たあと車は湖畔をひた
   すら走っていたが突然1号車が止まった。パンクらしい。ガイドとドライバ-がタイヤを入れ替えて
   いたそのとき、同乗の男性、Kさんが苦しみ出した。高山病のようだ。彼は移動中眼をつむり
   ほとんど何もしゃべらず静かにしていたが、苦しさをこらえていたにちがいない。
   その様子を永田さんが知りガイドに伝えると、すぐ彼らの手で酸素ボンベが運ばれた。機敏な動きだ。
   Kさんは車の中でしばらく酸素を吸入していたが軍の病院で診てもらうことになり、ガイドと
   ドライバ-に肩を支えられながら1号車に移った。代わりに永田さんが私たちの車に乗る。
   その後軍の病院に立ち寄り、17時前宿泊地のテントに着く。ここの標高は4253m。
   雨が降りはじめ非常に寒い。この日の私の血中酸素濃度は84%、次の日は87%に回復していた。

     7月19日  ツォ・モリリ滞在

    夜中眼が覚めると、テントをたたく雨の音が聞こえる。外のトイレに行ってベッドに戻り、
   「ヤレヤレ明日は雨かな…どうか晴れてくれるように」…と願いながらまた眠りに入る。
   このところ夜になると雨が降る。今は雨季ということもあるが、とくにここは近くにある湖水による
   水蒸気が周りの山々にぶちあたり、雲ができて雨が降りやすくなっているのかもしれない。

                     ツォ・モリリの常設テント

            

    早朝4時30分に眼ざめ、テントの外に出てみると雨は止んでいた。スタッフが運んでくれたお湯で
   顔を拭き紅茶を飲んだあと、遊牧民がテントを張っているチャンタン高原に出かける。30分後高原
   に着いた時にはすでにヤギやヒツジは囲いから放たれ、遠く山麓下の草原にその姿があった。

                    草原を行くヤギ、ヒツジの群れ

            

    石積みの囲いの中にはカシミヤ山羊が残されていた。毛並みがとてもいいヤギだ。この毛から
   パシュミナと呼ばれるスト-ル・ショ-ルなどがつくられるという。一般的には低ランクのカシミヤ
   繊維や化学繊維のものまでパシュミナとして販売されているらしいが、ここカシミ-ルのカシミヤ
   山羊の毛からすべて手作業でつくられるスト-ル・ショ-ルは本物のパシュミナだそうだ。

    子ヤギたちは石積みの囲いの中に繋がれ互いに向かいあっていた。とても愛くるしい。皆と一緒に
   私も子ヤギを抱かしてもらった。随分前、子パンダを抱いたときは鋭い爪で顔をひっかけられたり
   して手こずったが、この子ヤギはおとなしく私の腕におさまってくれた。もっとも子パンダと比べる
   のはおかしいが…。
    ところが親ヤギが囲いの中から上に飛び出し、この様子を心配そうに見つめていた。多少怒って
   いるようにも見える。
   「見慣れぬヤツらめ、わが子を手荒に扱ってもらっては困る」…とでも思っていたのかもしれない。

                               カシミヤ子ヤギ

            

       心配そうに見ているカシミヤ親ヤギ           カシミヤ子ヤギを抱いて

         

    草原にはいくつかの家族がテントを張っていた。テントは白いフェルトで覆われたものが多いが、
   中には黒いものもあった。ヤクの毛皮でつくられたものかもしれない。彼らは今ここにテントを張っ
   ているが、草が尽きる前に新しい草を求めて草原から草原へと渡り歩き、ヤクやヒツジ、ヤギの乳
   からバタ-やチ-ズ、ヨ-グルトなどをつくり自給自足の生活を営んでいる。野菜は食べない。
   太古から頑としてその生活スタイルを変えていないのだ。この科学文明の世にあってふしぎな気が
   する。しかしズボンやブ-ツを発明し、チ-ズのつくりかたを世界に広めたのは、騎馬民族でも
   あった彼らの先祖なのである。私は彼らの姿に悠久のロマンを感じる。

                        遊牧民のテント

         

    ここの遊牧民たちが移動するのは春から秋にかけて4~6回、決められた草原を巡回している
   そうだ。草地を守るために知恵を出し合い互いに一定のル-ルを決め、他の草原を侵さないよう
   にしているのである。そうでなければ草地は尽きてしまう。

    テントの周りでは遊牧民の子供たちが子ヤギと戯れながら遊んでいた。この大自然のなかで生まれ
   育った子供たちだ。都会の華やかさなど想像もできないだろう。それでいい、ここは君たちの古里
   なのだ、この大地でたくましく生きろ!…。


                              遊牧民の子供たち

              

                      遊牧民の子供たち

           

     遠くにも遊牧民のテントが点々と散らばり、その周りで馬やヤギ、ヒツジの群れが草を食んでいた。
   朝食の支度なのか、煙が立ち昇るテントもあった。チャンタン高原に広がるのどかで平和な風景だ。
   草原には幾筋かの清冽な流れが大地を這って湿地をつくり、その周りに広がる草地には群生した
   黄色い小さな花が咲いていた。草地は緑の絨毯のようにも見える。

                    カシミ-ル山麓の草原で草を食む馬、ヤギ、ヒツジ

            

                      清冽な流れが地を這い湿地となっている草原

           

    緑の絨毯に生えていた花はキンポウゲ系の仲間だと思われる。キンポウゲ(金鳳花)は金色に輝く
   という意味。その名の通り、光沢のある花びらがやわらかい光にキラキラと照り映えていた。

                       湿地に生えていたキンポウゲ系の花

           

     遊牧地から戻り朝食を済ませたあとコルゾック僧院に出かける。僧院は常設テントから河原に降り
   て坂道を上り、車道に出てからさらに上の小高い丘にあった。わずか250~300mぐらいの距離だが、
   4600mの高地を上ったり下ったりするのはかなり息苦しい。
     中庭に入るとリンポチェと呼ばれる高僧の周りに遊牧民たちが集まり、僧侶たちによる法話らしき
   ものが開かれていた。遊牧民にとってリンポチェは神様のような存在なのだろう。

                       僧侶の法話を聞く遊牧民

            

                  遊牧民を前に法話するリンポチェと僧侶

         

     この日は翌日行われる祭のリハ-サルということもあってか院内は比較的空いていた。見学者は
   現地の人たちを除くと欧風の人たちが数多く見られた。日本人は私たちのグル-プだけ。
   僧侶による祭の練習風景は退屈したが、コミカルな仮面をつけた少年僧たちの動きは面白かった。
   小僧と言ってもいいだろう。彼らは僧侶が踊るときに見学者が場内に立ち入ったり前に出過ぎたり
   すると注意を促がす。言うことを聞かない人には相手の腕をつかみ、力まかせに押し戻したりする
   こともある。
     どうやら小僧たちは場内の整理係のようだ。言葉はいっさい発しない、すべてジェスチャ-でやる。
   とぼけた表情の仮面をつけていることもあってその動きはとてもコミカルだ。見ていて面白い。
     ところがこの小僧たち、見学者の首にカタを巻いてしきりにお布施をねだろうとする。しかし誰も
   相手にしない、カタを巻かれる前に手を横に振り断る者もいる。
     私は初めそれを知らなかった。小僧の一人が私の首にカタをかけた時、”歓迎の意味だろう”ぐらい
   にしか思っていなかったが手を差し出してきたので、”なんだお布施が欲しかったのか”と初めて気が
   ついた。”まあ、いいだろう”と思って50ルピ-を渡すと、小僧は嬉しかったのかその札をみなの前で
   見せびらかせていた。いや嬉しかったというよりは、その札を見せることによって別にお布施をねだ
   ろうとしたのだろう。この人がくれたのだから貴方もと…。ただ遊牧民のなかには小僧に何がしかの
   お布施をする人もいた。
     言葉をいっさい使わず動作で表現するのも、お布施をねだるのも、少年僧の修行の一つなのだろう。
   小銭を布施した代わりに彼を前に立たせ、写真を撮らせてもらった。チョロチョロと動く彼らに
   カメラを向けても、なかなかうまく撮れなかったかったからである。

                       場内整理役の小僧

            

                   コミカルな動きを見せる小僧

         

     カタというのは上の写真で小僧がもっている白いスカ-フのようなもので、祭壇に供えたり、
   客人への歓迎や敬意を表わすとき、また高僧の謁見、儀式などにも使われる。
   本堂の前の廊下では幼い少年がラッパを吹く練習をしていた。”プ-、プ-”と音は出るが音楽には
   なっていない。これもまた少年僧の修行の一つなのだろう。チベットの祭や読経時には、他の楽器と
   ともに必ずラッパが使われる。

                       ラッパを吹く練習をする少年僧

           

     午前中の見学を終えてテントに戻り、昼食をとったあと再びコルゾック僧院を訪れ本堂を拝観させ
   てもらう。この僧院もシャシュル・ゴンパと同様カギュ派の分派であるドゥク派、やはり祀られて
   いる仏像や壁画は密教色の強い雰囲気を感じる。金剛菩薩だろうか、燃え盛る炎の中で憤怒の表情を
   見せる姿が印象に残っている。なかなか迫力のある壁画だ。
    トルマと呼ばれる、バタ-やツァンパでつくられた供え物も飾られてあった。食べたら美味しい
   かもしれない。この祭はトルマを壊す祭らしく、その意味をもつグスト-ル祭の最後にはトルマを
   壊す儀式が行われるという。儀式には仏前にあったトルマを火に点けて燃やすことによって神霊が
   空高く昇り、天国から衆生の幸せを…というような願いが込められているのかもしれない。
   盆の終わりの日に、小さい灯篭.に火を点じて供え物を川や海に流す魂送りの「灯篭流し」とはすこし
   違うようでもあり、共通点もあるような気がする…。

                   金剛菩薩などが描かれた壁画

            

     バタ-やツァンパでつくられた供え物、トルマ              護法尊?

         

    堂内の見学を終えたあと許可をとりリンポチェに謁見させてもらう。部屋に入ると私たち一人一人
   にカタをかけていただく。リンポチェはダ-ジリンで生まれ4歳のときにリンポチェに認定され、
   現在は27歳。なかなか気さくな人のように見えた。子供の頃は自由奔放にふるまいダライ・ラマ
   からたしなめられたこともあったらしい。メンバ-からいくつかの質問が出されていたがよく覚えて
   いない。ただ、”私も貴方たちも同じ人間ですから…」という言葉が印象に残っている。

    その後テントに戻り車でツォ・モリリ湖のビュ-ポイントに出かけた。しかし湖の色は青く澄んで
   いたものの、黒い雲に覆われた生憎の天気だっためその輝きを失っていた。晴れていればすばらしい
   展望が見られたにちがいないのだが…。
   湖に魚は棲んでいないという。この高地の気圧に、魚は耐えうることができないのだろう。

                        ツォ・モリリ湖の一角

            

     強い風が吹きだし小雨も降りはじめてきたため、湖の展望はそこそこにしてテントに帰る。
   わがテントに入ろうとしてビックリ、入り口には水が溜まり、中を覗くとマットの上に水が浮き出し
   てス-ツが水浸しになっていたのだ。マットの上を歩くとピシャピシャと音がする。これはダメだ、
   テントを変えてもらおう…。ガイドとドライバ-がやってきてテント内の様子を見たあと外に出て
   行ったが、しばらくすると戻ってきた。空きテントがあったらしい。彼らに荷物運びを手伝って
   もらい、そのテントに移動した。
     ここのテント群は河原のやや上に設置されてあるとはいえ、二つの川に挟まれている。すぐ上には
   小さいが激しい流れが走り、下には濁流となった本流があった。ひとたびこの川の水が溢れだすと、
   テントはたちまち押し流されあとかたもなくなってしまうことだろう。

    夕食後はウイスキ-をあおり床に就く。外はシトシトと雨が降っており、眠るしかないのである。

      7月20日  ツォ・モリリ滞在

    早朝起きてみると昨晩から降り続いていた雨は止んでいたが山々の風景は一変、全山深い雪に
   包まれ、昨日見えていた黒い山肌はまったく消えていた。湖の上に連なる山々も、西前方の峰々も、
   まるで純白のいドレスをまとっているように見える。昨晩この4500mの高地は雨だったが、
   ここよりもさらに高い山は雪だったのだろう。地図で見ると、ツォ・モリリ湖の周りには6500m
   前後の山々がいくつも記されている。それにしても真夏に雪が降るとは…。

                   全山白い雪に包まれた湖上の山々

            

              西前方に連なる山々                  湖上に連なる山々

           

    改めて辺りを眺めてみると、テント群は山間から落ちてくる流れの河畔にあった。私たちのテント
   は20数張り、少し離れた河畔には15~30張り前後のテントが数か所に亘って置かれ、テント群の
   そばから激しい流れが草原を貫いてツォ・モリリ湖に流れこんでいた。ツォ・モリリ湖は標高4500m
   の西ヒマラヤ山中に広がる天上の湖。天空の鏡とも呼ばれる。大きさは南北27km、東西5~8km、
   平均の深さは40m位。
   すこし離れた丘の上にはコルゾック寺院やゲストハウス、日用雑貨品を売る小さな店が見える。

          河畔に置かれたテント群         ツォ・モリリ湖に流れ込む川

         

     この日はグスト-ル祭、いい場所をとるため早めにテントを出てコルゾック僧院に向かう。
   メンバ-は1階の日の当らない場所に座り込み陣取りしていたが、私はブラブラしながら見学させて
   もらうことにした。
     中庭の中央にはヤギ2匹とヒツジが繋がれていた。いずれも立派な角をもち体格も大きい、堂々と
   している。かなり高齢になったヤギとヒツジのようだ。
   犠牲祭のように生贄として供えられるのかと思ったらそうではないらしい。体にカタをつけて
   カラフルな色でペイントし、野に放つという。放たれた動物たちは人間から解放され、のんびりと
   余生を送ることができるのである。悪くいえば、用がなくなったから野に放つということなのかも
   しれないが、この儀式には”長い間ご苦労さまでした”、というチベットの人たちの動物たちへの感謝
   の気持ちが込められている。ペイントされるのは、神様のお祓いを受けたという印なのだろう。

                      ペイントされようとするヤギとヒツジ

            

    近くには馬もいた。いやがる犬も無理やり引っ張られてきた。この馬や犬も神様のお祓いを受ける
   のだろう。ヤクも連れてこられることになっていたが、大雨による崖崩れのため間に合わなかった
   らしい。

            ペイントされた馬            無理やり引っ張られる犬

           

    まだ仮面踊りは始まっていなかったが、すでにかなりの人たちが入ってきていた。1階にも2階に
   も、さらに屋上からも...。ヨ-ロッパ人たちも見られたがそのほとんどは遊牧民たち、近くに小さな
   集落はあるものの、辺りは広大な原野が広がっている。どこにこれだけの遊牧民がいるのだろうか
   ...と思うほどだ。はるばる遠くからやってきている人もいるのだろう。

                     2階から見降ろす遊牧民たち

            

                    1~2階に陣取る見物客

           

    屋上からタンカが下ろされると、高らかにラッパの音が鳴り響きシンバルが打ち鳴らされ、ホルン
   も地底から湧きあがるような音を響かせはじめる。なかなか賑やかだ。
   いよいよ「チャムの踊り」が始まろうとしていた。チベット仏教では僧侶が演じる仮面の踊りを
   「チャムの踊り」と呼んでいる。チャムとはチベット語で”跳”または”舞”という意味があるらしい。

                           祀られたタンカ

            

             ラッパを吹く僧侶              シンバルを打ち鳴らす僧侶

           

    この日も小僧たちの活躍が目立った。会場には白い線が引かれているが、小僧たちはその線から
   中に入らないようさかんに注意している。そこから中に入っている人や入ろうとする者を見つけると、
   ムチで地面をたたく。それでも言う事をきかない者には前日見たと同じように、相手の腕をつかみ
   力まかせに押しもどそうとする。私もその一人だったが、子供にしてはかなり力が強い。
   ヒマになるとカタを見物客にかけて手を出し、しきりにお布施をねだる。気前よくお布施を出す
   遊牧民もいるが、中には小僧が近寄ると手を出される前に手を出し、逆にお布施をねだるフリを
   する人もいた。なかなか面白い。

                      見物客に注意する小僧

            

    グスト-ル祭の舞が始まった。頭に黒い広縁の帽子をかぶり、豪華な衣装に身をつつんだ僧侶が
   手に小太鼓をもって登場してきたが、仮面はつけていない。初めは1人だったが次第に増え4人で
   場内を回りはじめた。時に太鼓を叩いたりするが同じ動作で何回もグルグル回っている。チャム
   踊りの最初の儀式なのだろう。ただテンポがゆるやかで単調、多少退屈する。

                   豪華な衣装をつけて踊る僧侶たち

            

    ふと正面に眼をやると、階段に座り込んでいる見物客に立ち退くよう小僧が抗議している光景
   が見えた。階段は本堂から僧侶たちが降りてくる通り道になっているところだが、ヨ-ロッパ風
   の人たちがその両端に腰かけて見物していた。サングラスの男に小僧がそばに行きムチで
   「ここはダメです、退いてください」…と示した。もちろん言葉は発しない、身ぶり手ぶりである。
   「……」…男は無言、見ていないふりしてあらぬ方に顔をむけている。
   「ここは僧侶が通るところです、アッチへ行ってください」…と言ったかどうか分からないが、
   小僧はムチをさかんに振り回している。それでもサングラスの男は
   「……」…知らん顔、無視している。僧侶が通れるぐらいの道は開いているではないか…とでも
   言いたかったのかもしれない。業を煮やしたか小僧は階段を駈け上り、すこし年長の小僧を連れ
   てきた。二人がかりでの抗議である。年長の小僧は男の向かい側の女性にも退くよう促がしていた
   が、こちらも軽い笑みを浮かべただけで動こうとしない。ついに小僧たちはサングラスの男を強い
   身ぶり手ぶりで攻めたてたところ、ようやく男は立ち上がり、周りの人たちも退いた。
   階段下の方にはたくさんの人たちが座り込んでいたが、ここはすこし広くなっているせいか小僧が
   抗議する姿は見られなかった。

                   サングラスの男と女性に抗議する二人の小僧

              

                 階段に座り込んでいる人たちに抗議する小僧たち

           

   前座の舞は長々と続いていたが、ようやく白装束に奇妙な仮面をつけた踊り手が2人現れた。その
  姿は骸骨のようでもあり、猿人のようでもあり、道化師のようにも見える。どこかユ-モラスに感じる。
  誰かが”人間がすべての欲望を棄ててしまえば、骸骨のような汚れのない姿になる”などと言っていたが、
  凡人にはよく分からない。もしかしたら往古インドからもたらされた密教の仏教観によるものかもしれ
  ない。
   動きはコミカルだ、子供が戯れ遊んでいるようにも見える。なぜか2人は祭壇にくると向かいあい、
  手を合わせ踊っていた。何か内緒話でもしていたのかな??...。


                     骸骨のような姿で踊る僧侶

            

    12時半ごろ一旦テントに戻り昼食後再び会場を訪ねたところ、遊牧民が占めていた1階は空い
   ていた。彼らも一旦席を外しどこかに行ったのだろう。のどかに辺りを見回しながら話しあったり
   していた老夫婦や、幼い子供を連れてきた母親が見られたぐらいだったが、その周りに少しずつ
   人が集まりはじめてきた。中高年の人が多いが中には若い女性も見られる。祭の日とあってか
   みな着飾り楽しそうだ。老人が被っている帽子は独特で立派、祭や祝い事の日に使われる伝統的
   なものかもしれない。

                         のどかに話し合う老夫婦

            

               幼い子供と一緒の母親            若い女性を交えた遊牧民

           

     見る見るうちに人がどんどん集まりはじめ1階も2階も一杯になった。座り込んで見る場所はどこ
   にもなさそうだ。ブラブラ歩きながら見物するしかない。
   遊牧民たちは年に1度のこの祭を心待ちにしていたのだろう、その表情はとても明るい。彼らに
   とって最大の娯楽である祭がやってきたのだから...。この楽しみが、あの厳しい環境の中で暮らす
   一つの支えになっているのかもしれない...。

                        1階に陣取る大勢の遊牧民たち

            

    午後のチャムの舞が始まり、初めにカタを手にした赤い仮面、次に剣をもち青色の仮面をつけた
   踊り手が登場、場内を廻りはじめた。日本の神楽でいえば赤鬼と青鬼だ。どちらの面も大きく
   開いた3つの眼をもち、口を開け舌を覗かせ憤怒の表情をしている。恐ろしく見えるときもあれば、
   ユ-モラスな表情に見えるときもある。頭には5つの髑髏を戴いているが、これは人間の5罪を
   克服した象徴だそうな。髑髏はすべての煩悩を棄てた汚れのない姿を表しているのかもしれない。
   5罪とは”貪欲、妬み、愚かさ、幼稚さ、欲情”をいうそうだが、私のような凡人はこれを棄てると
   生きてゆけない、どの煩悩にも未練がある...。

                        グスト-ル祭 チャムの踊り

            

                        グスト-ル祭 チャムの踊り

           

    おやおや、今度は角を生やした牛や鹿の仮面も登場、そして白鬼、さらに怪獣まで現れてきた。
   この恐ろしげな面々は悪魔か悪霊かと思っていたが神様の化身らしい。悪霊はカタチとしては登場
   していない。どんなカタチをしているか分からないし、どこにいるのかも分からない。あるいはどこ
   にでも潜んでいるかもしれないのだ。あの岩山の奥深くに、あの湖の底に、この広場に、自分の心の
   中に、天と地のあらゆるところに...。
   神様はその悪霊たちを調伏し、お祓いして下さっているのである、ありがたいことだ...そう思って
   地元の人たちは見ていたにちがいない...。

                    グスト-ル祭 チャムの踊り

            

                      グスト-ル祭 チャムの踊り

         

                    グスト-ル祭 チャムの踊り

           

                    グスト-ル祭 チャムの踊り

           

    踊りはゆるやかで単調だが、こののびやかさはチベットの風土でもあるのだろう。
   ブ-タンも同じチベット仏教を信仰しているが、随分前見たことのあるブ-タン王立舞踊団による
   仮面の踊りは、跳躍を多くとりいれてテンポが早く、躍動感があったように感じた。
   様々な神々が出てくるところは、多神教を信仰するヒンドゥ-教の影響もあるのではと思われる。
   チベット仏教は7世紀前半の吐蕃国時代に、インドからチベットに伝わった大乗仏教と密教の混合
   した仏教だといわれている。

    15時半ごろ私はチャムの踊りの見物はあきらめて女性のK・kさんを誘い、僧院下から湖にかけて
   草原に出かけてみた。僧院に向かうときこの草原そばを通り、この中には何か草花でも咲いているの
   ではないかと思ったがらである。
    高い金網で囲まれた草原の間を濁流が貫き入口らしくところはなかったが、フェンス横の狭い河岸
   を少しよろめきながら歩いて草原に降りた。濁流に落ちたらそれまで、しかしK・kさんは山歩きが
   好きな健脚者、楽々と私のあとについてきた。
    草原に入っていきなり眼についたのが群生した白い花。一瞬シオガマギクの仲間かと思ったが葉の
   形が違う、シソ科の一種かもしれない。
   その近くには遊牧民がテントを張っていたところにも咲いていた黄色いキンポウゲの花が生え、さら
   に赤いシオガマギクも見られた。

                    シソ科の一種と思われる白い花

            

            キンポウゲ系の花                 赤いシオガマギク

           

    前方の小さい橋を渡り大きな草原に入って行くと、大きな株をつくった淡黄色の花が出迎えて
   くれた。ナス科のアニソドゥス属の花と思われ、有毒だそうだ。次に眼に入ったのが紫色の花、
   シソ科の一種かと思われる。

                     草原の川に架けられた小さな橋

            

              ナス科の花                    シソ科の花

           

    さらに進んで行くと赤、黄、白など様々な花が広がるお花畑が眼に飛び込んできた。
   ワア、スゴイ!
   赤いシオガマギク、黄色いキンポウゲ、白いマメ科の花が群落をつくっていたのである。
   それにしても、4500mの高地にこれだけのお花畑が広がっているとは…まさに天上の花園だ。
   この一帯はガレ場の高地ではあるが、そばに流れる川と湖水が草地のできやすい環境をつくり、
   色々な花を咲かせているのだろう。

                    色とりどりの花が広がるお花畑

            

             赤いシオガマギクの一種                  マメ科の白い花

         

    もう少し散策したかったが雨が降りはじめたためテントに帰ることにした。その途中キジムシロ
   属の花とアブラナ科と思われる花が、河原の砂礫地の中から可憐な顔をのぞかせていた。

         バラ科 キジムシロ属の花          アブラナ科の一種と思われる花

         

    僧院にいたメンバ-の人たちは、仮面踊りが終わったあともトルマが壊される儀式の最後まで、
   雨が降りしきる外の会場で熱心に見学していたという。

      7月21日 ツォモリリ~レ-  距離235km

                   ツォモリリ~レ-  緑の点線部分

               

    いよいよ今回の旅行の最終日になった。ツォモリリはインド最北の地ジャンム-・カシミ-ル州
   の南部に位置している。これから北に向けてラダック地方のレ-まで走り一泊、翌日は空路デリ-
   へ飛び次の日に帰国の予定。
    ジャンム-・カシミ-ル州の面積は22万㎢、日本の国土の6割近くの広さがある。この州は
   パキスタンも領有を主張しこれまで何回も軍事衝突を繰り返してきたが、現在は北部に停戦ライン
   が引かれている。州内の西半分の地域はイスラム教とヒンドゥ-教、、ラダックからザンスカ-ル
   地方の東半分は、チベット仏教を信仰する人が多い。しかし全体ではイスラム教徒が多数を占め
   ているという。

    7時ツォモリリを出発、3日前通った同じ道を北へ1時間走ったところでヤクとヤギの大群に出会い
   ストップ。草原では遊牧民のテントが張られ、何百頭いるか分からないほどのヤクやヤギが草を
   食む光景が見られた。
   これまでもこうした風景は何回か出会っているが、草原の近くには必ず川が流れていた。雪融け水
   が草地を育んでいるからだろう。

                     草原で草を食むヤクとヤギの大群

            

    生まれて間もない子供のヤクもいた。ヤクは6月に子供を生むというからまだ生後1カ月を過ぎた
   頃だろうと思われる。体が茶と白のまだら模様の子供のヤクもいたが、成長するにつれて黒い毛
   に変わっていくのだろう。
   ヤクは4000m以上の高地に強く、荷役、毛皮、乳、食肉などに使われ、また燃料として糞までも
   利用される貴重な動物。古くから家畜化されているが野生のヤクもいるらしい。ただ食用の乱獲
   などによりその生息数は激減しているという。

        生後1カ月ぐらいの子供のヤク                 大人のヤク

           

    テント近くではカシミヤヤギが10頭ずつ向かい合って並べられ、女主人の乳しぼりにおとなしく
   応じていた。ヤギたちも気持よさそうに見える。

                     乳しぼりに応じるカシミヤヤギ

           

    遊牧民のテントを離れ広大な平原の中を走って行く。辺りは相変わらず赤い粉をまぶしたような
   山々が連なり、砂礫地の大地にはダンゴ状になった草叢が点々と散らばる。草叢はときに帯状に
   流れ緑の絨毯のように見えるときもある。
    しばらくすると山間に集落が見えてきた。遊牧民が冬越しをする家々かもしれない。この天涯の
   ような地であっても、彼らにとっては幸せの天地なのだろう…。

    3日前通ったところなのに反対方向に走っているせいか、前方の風景は違って見えている。どの
   辺りを走っているかもよく分からなかったが、ただ一つ原野に置かれた見覚えのあるものが眼に
   入ってきた。何かよく分からないが鉄の器物のようにも思える。川向うに軍の施設らしい建物が見え
   ることから、軍が使う何かの道具かもしれない。

                     原野に置かれた鉄の器物?

            

    ツォ・カル湖を通り過ぎ、サルチュへの道と交差するところからさらに進んで行くと広大な平原の
   向うに雪を戴いた連山が見えてきた。6000m前後の山々だと思われるが名前はなく、総称して
   ラダック連峰と呼んでいるらしい。大きな展望の中に聳え立っているせいか、その稜線はやさしく
   見える。

                        ラダック山脈

            

    ラダック連峰を左に見ながら走って行くと湿原に出た。その向うには川が流れている。ここで
   ティ-タイム。車から降りるとお茶は後まわしにしてすぐ湿地を歩いてみた。湿地には流れが迷路
   のように走り、うっかりするとはまり込んでしまう。流れを飛び越え進んで行ったところに赤い花が
   いくつかの株をつくり、黄色い花が帯状に群生していた。
    赤い花はサクラソウ、黄色い花はバラ科の一種かと思ったがそうではなかった。あらためて写真
   を見ると、花びらの中にえんじ色の班点があり、細長い葉は羽状に細かい切れ込みがある。
   図鑑で照合してみると、どうやらシオガマギクの一種のようだ。この花はカシミ-ル~ブ-タン、
   チベット、中国の雲南省、四川省の湿地や沼沢地に分布する。

                        ラダック高原に広がる湿原

            

             サクラソウの一種              シオガマギクの一種

           

    湿原での休憩を終えさらに広大な平原の中を走って行く。道はよい、快適なドライブだ。ラダック
   山脈は白い頭を覗かしたり消えたりしている。車は上りにかかり高度を上げて行くと再びラダック
   山脈が見えてきた。純白のドレスが青空に映え、ますます輝きを増す。美しい、壮大である。

    ラダック連峰もヒマラヤの一角にすぎない。。この山脈の北方には崑崙山脈に続くカラコルム山脈
   が横たわり、その西方にはヒンドゥ-クシュ山脈が東西に聳え立ち、さらにその北方にはパミ-ル
   高原が広がる。しかしその境界がはっきりしているわけではない。それぞれが連なりあい、まさに
   地球の屋根を形成する巨大な山塊群なのである。

                  全山雪に覆われたラダック山脈の一角

            

              広大な草原を走る4WD               ラダック山脈の白い峰々

           

    車は山道を巻きはじめ、高度が上がるにつれて白い峰々が間近に見えてくる。すばらしい展望だ、
   雄大である。青空はさらに濃さを増し、白い山容はますます際立って見える。
   山腹から上部にかけては光が当っているが谷間は黒い影となり、コケのような草が地面を覆って
   いる…。
                      濃い青空に際立つ白い峰々

              

                     濃い青空に際立つ白い峰々

           

    そんな風景をぼんやり眺めていると、いつの間にか辺りは一面の雪景色になっていた。雪はこの
   数日前に降ったものだろう、サラサラしている。車は上部をめざし、大きくカ-ブしながら走って
   行く。いよいよタグラン峠に近づいたようだ。

                   雪に覆われたタグラン峠下の風景

            

    12時ちょうどタグラン峠に着く。辺りは新雪に包まれた白銀の世界が広がっていた。あずま屋の
   そばにはためく無数のタルチョの周りは黒い土肌が見えるものの、遠くには全身白い連山が延々と
   続き、冬景色のような厳しい表情を感じる。しかし紺碧の空に聳える雪山は眼が覚めるように美しい。
   タグラン峠の標高は5328m、私が経験する最も高いところになる。さえぎるものは何もなくさすがに
   寒い。
    ガイドは車が通過できる峠としては世界で2番目に高い峠と話していたが、これはレ-の北方にある
   カルドゥン峠を想定したものだろう。
    フリ-百科事典「ウィキペディア」によれば、カルドゥン峠には5602mという標高が表記され、
   世界で一番高い峠として信じられているが、これは水増しされた標高で、実際の高さは5359m。車が
   通れる峠としてはカルドゥン峠よりもさらに高いスゲ峠(5430m)、セモ峠(5565m)などが
   チベットに存在する、と記されていた。

                     標高5328m タグラン峠の風景

            

                     タグラン峠周辺の風景

         

                     タグラン峠に停車する車、トラック

         

    タグラン峠をあとにして車は一気に下って行く。雪山は遙か遠くになり、再び広大な原野が広がっ
   てきた。原野をとり囲む山々は、色鮮やかな赤色をしたものが連なり続くようになる。酸化した鉄分
   を含んでいるのか、あるいは太古の昔、これらの山々が海底にあった時代、大量のプランクトンの
   残骸が積み重なり、赤くなったのかもしれない…おっと、後者は私の妄想か…。
    青色を帯びた山も現われてくる。こちらは銅を含んでいるのだろう。車窓にはこうした赤や青の
   山々が次から次に現れ流れて行く。ふしぎな景観である。
    13時ルムツェで昼食をとった後もひたすらレ-に向けて走って行く。ルムチェから1時間近く経っ
   ただろうか、峡谷に白い塔が現れてきた。17世紀に建てられたチョルテンだという。
   ブ-タンでも渓谷に建てられたチョルテンを見たことがあるが、その佇まいには旅行く人たちへの
   安全を祈る思いが伝わってくる。

                      赤い岩山の峡谷に建つチョルテン

              

    赤い山々はさらに続き車はその峡谷の道を進んで行く。峡谷といっても展望は大きい。その間には
   大小の石がころがる河原が広がり、道脇に濁流が走っている。この流れの色もまた赤い。
   峡谷をぬけるとさらに大きな展望が広がってきた。この辺り標高は3500m位あるはずだが、高い山々
   に連なる広大な丘陵が広がり、視野が大きいためか高地にいるという感覚はない。下界に降りてきた
   という感じさえする。
    丘陵の間には赤い川がゆったりと流れていた。ガイドのパドマさんが
   「この川はインダス河です」…と言ったので私はビックリ、思わず聞いた。
   「本流ですか、支流ですか?」
   「本流です」…彼はあらためて教えてくれた。しかしインダス河はパキスタンのイメ-ジが強かった
   せいかまだ信じられぬ思いだったが、調べてみるとやはりこの丘陵を流れる川はインダス河の上流
   だった。私が知らなかったのである。
     インダス河はチベット高原を発し、ラダック高原を通ってパキスタンのギルギット付近でギル
   ギット川と合流、その後、アフガニスタンから流れてくるカブ-ル川など数々の支流を呑みこみ
   ながら南下、カラチ近くのアラビア海に注ぐ。長さは3180km、インダス文明を育んだ大河である。

                赤い川面を見せながらゆったりと流れるインダス河の上流

            

    やがて広大な平原の遠くに要塞のような建物が見えてきた。インダス河畔の高さ60mの丘の
   上に建つカギュ派の僧院、スタクナ・ゴンパだという。なかなか風格を感じさせてくれるゴンパだ。
   大きな風景のなかに佇む建物は、遠くから眺めるのがいいのかもしれない。
   大平原からティクセ村に入り、小高い丘に聳えるティクセ・ゴンパと呼ばれるゲルク派の僧院に
   案内される。ラサのポタル宮によく似ていると思ったら、やはり真似てつくられたらしい。ただ
   ポタラ宮と比べると規模はかなり小さい。

       高さ60mの丘に建つスタクナ・ゴンパ      小高い丘に聳えるティクセ・ゴンパ

         

    その後王宮とマト・ゴンパと呼ばれるサキャ派のゴンパを見たあと、16時レ-のホテルに
   チェックインする。

    夕食時には主催旅行社により誕生日祝いをして戴いた。実は前日の7月20日が私の誕生日で、
   添乗員の永田さんからも”誕生日おめでとうございます”と認められた絵ハガキも贈ってもらって
   いる。全員にケ-キが配られたあと、
   「♪ハピ-バ-スディ、ツ-ユ~、ハピ-バ-スディ、ツ-ユ~♪」…と手拍子をしながら合唱
   して戴いたが、いささか気恥しくもあり、何となく嬉しくもあった。随分前にやはり旅行中に
   こうした催しをしてもらったことがあるので、誕生日祝いとしては2回目。
   私は終戦直後の食料が非常に乏しい時代に幼少期を過ごしていたため、誕生日祝いをしてもらっ
   たことは一度もない。それが当たり前だと思っていたし、家にそうした余裕もなかったからだろう。
   ただ、5月5日の子供の日には、重箱にカラフルなご馳走をつくってくれたことは覚えている。
   もちろん社会人になってからは、娘から誕生日祝いとして何回か贈り物をしてもらったことはある。

     今回のメンバ-は、私以外酒を飲む人は誰もいなかった。高地だから酒を控えていたのかと思って
   いたがそうでもなく、もともと飲めない人が多かったようだ。20年近い私のツア-旅行では初めて
   だったが、みな個性豊かな人たちばかりで面白かった。

    女性では、花が大好きで地元の人に”ジュレ~、ジュレ-”と挨拶していた陽気なA・Kさん、
   花をこよなく愛し、古い歌でも軽やかに口ずさんでいたS・Aさん、花はもちろん、美しいものを
   愛する控えめで親切なT・Yさん、K・Iさんの体調を気遣っていた健脚者のK・Kさん、誰にでも
   笑顔を見せながら明るく接していたT・Yさんと、F・Hさん…。
   男性では、チベット仏教に興味をお持ちのK・Iさん、無口で物静かなH・Sさん、温厚でひょう
   きんなところもあるS・Yさん、
   そして素朴でよく世話をしてくれたガイドのパッサンさん、見事な腕前をもつ4人のドライバ-、
   テントで何かと面倒を見てくれたレ-から来たガイドのパドマさんと4人のドライバ-、添乗員の
   永田さんも機敏によく動いてくれた。

    翌日は早朝レ-を飛び立ち、ほぼ予定通りデリ-に到着。迎えのバスで国立博物館を見学したあと
   昼食。その後はス-パ-マ-ケットに立ち寄り買物を済ませ、予約していたホテルで夕方まで休憩。
   夕食後は空港に行き数時間待ったあと翌日未明の飛行機に乗り、すこし遅れはあったものの無事
   成田に到着した。

    成田でス-ツケ-スを受け取り千葉行きの電車に乗る。トンネルをぬけると里山が現れる。
   ときどき私が散策するところだ。

    今回の旅を思いかえすと、
   トイトレインの車内ではしゃぶ子供たちの姿、夢にも思わなかった牛糞の洗礼、ヒマラヤスギが繁茂
   する清々しいシムラの朝、眼もくらむような深い峡谷と断崖が続くキナ-ル渓谷~スピティ谷~
   ラホ-ル谷、天上から流れ落ちてくるような無数の瀑布、断崖の上に佇む数々のゴンパ、チベット
   仏教に帰依する真摯な僧侶の姿、高原に咲き誇る可憐な花々、そこに生きるヒマラヤ・アイベックス、
   ノロバ、エンドウ豆を収穫するチベット人の家族、草原にテントを張りヤクやヤギを放牧する遊牧民、
   そして雪を戴き、ぬけるような青空に聳え立つ雄大な山塊群等々…が眼に浮かんでくる。

    ヒマラヤは大きい、その上に広がるヒマラヤの空もまた大きい…。誰かさんが言っていた。
   「私は旅先でも何枚かは空に向かってシャッタ-を押します。チベットの空の色、雲の姿、あの
    空気感…そんなものに惹かれるのです…。」


                                  ― 了 ―
                                 2015..10.7 記


                           私のアジア紀行 http://www.taichan.info/