インド.ヒマラヤ紀行で出会った人たち インド北部の山岳地帯にはチベット仏教の寺院が点在する。 2015年7月、私たちは天空に砦のように聳え立つキ-・ゴンパを訪ねた。11世紀の設立当時 はニンマ派だつたが現在はゲルク派。チベット仏教の代表的な宗派はゲルク派である。 僧院の見学を終えたあと、リンチェンサンポ19世との謁見が許された。チベットの人たちに とっては神のような存在、近寄ることもできないらしい。祭のときには厳しい警護がついている という。 この47歳の高僧は近寄りがたい感じはまったくない、気さくな人に見えた。私たちの質問にも 丁寧に答えてくれたあと、笑顔を見せながら 私たち一人一人に接して写真に収まり、握手まで して戴いた。なかなかの人格者である。 リンチェンサンポ19世に謁見した時の写真 2015.7.14 屋上に行くと、僧院の窓を一生懸命拭いているヨ-ロッパ人と思われる青年がいた。 フランス人だ。2週間前ここにやってきて僧院の手伝いをしているという。昨年もこの僧院を 訪ねて長期滞在、僧侶と仲良くなり今年は招待されたのだという。 彼はフランスのリオンに住む薬剤師。昨年は10ヶ月だったが今回は3週間の休暇をとりやって きたらしい。私は驚いた、なぜ彼は遠いヨ-ロッパから一人でこのヒマラヤ山中にやってきた のか…。 この話を聞いて、私は1997年に公開された映画セブン・イヤ-ズ・インチベットを思い出した。 あるオ-ストリアの登山家がチベットに入り、若き日のダライラマ14世との交流を通じて チベット仏教の神秘性や、素朴なチベットの人たちに魅せられていく物語だったように思うが、 この青年もそうしたチベット文化に惹かれやってきたのかもしれない。彼は壮大なロマンをもっ ている、まさに旅人である…そんな思いをもった。 僧院の窓を拭くフランス人の青年 2015.7.14 もう一人あご髭をはやした老年の紳士がいた。彼の国はオ-ストラリヤだったか…スイスだっ たか、よく覚えていない。階段下に腰かけガイドのパッサンさんと談笑していた。 パッサンさんと談笑する紳士(右) 2015.7.14 キ-・ゴンパに向かう途中、民家の前で子供を背負う母娘に出会った。幸せそうである。 子供が何とも愛らしい。 子供を背負った母娘 2015.7.14 本堂へと坂道を歩いていたとき、3人の若い娘に出会った。チベット族らしい。誰かが声を かけると気軽に応じてくれた。私も便乗してパチリ、なかなかの美人である。オシャレである。 ヒマラヤの現代娘なのだろう。 キ・ゴンパ本堂への途中出会ったチベット族の娘たち 2015.7.14 この僧院が経営している老人ホ-ムの外に出てみると、民家の前で若い男がエンドウ豆を日干し にしていた。その様子を見ていたとき、もう一人の青年がやってきた。二人は友達らしい。 「撮っていい?」...カメラを向けると、笑顔を見せながらポ-ズをとってくれた。お礼にタバコ 数本を渡す。 エンドウ豆を日干しにしていた若い男 2015.7.14 キナ-ル渓谷の休憩時、道端でくつろいでいたドライバ-のタワ君とラケシュ君の写真を撮ら せてもらった。この二人は、私たちが車から乗り降りする時はドアの開け閉めをしてくれ、私の シ-トベルトがうまく嵌らずモタモタしていると手を添えてくれた。表情も素直だ。なかなかの 好青年である。 ドライバ-のラケシュ君(左)とダワ君(右) 2015.7.11 さらに40分ほど走った崖道で車が止まった。崖崩れらしい。道端に除石作業車が止まり、崖の 上では2~3人の男たちが棒のようのもので石をつつき落していた。 何だろう、何のために…一瞬そう思ったが、崩れかかった石を下に落とし、すでに道に落ちて いる石とともに除石車に運んでもらうためと分かった。ところが作業車はなかなか動かない。 どうやら作業車は故障し修理しているところらしい。30分後にようやく開通した。 作業車の様子を見ているガイドとドライバ- 2015.7.11 成田を出て5日目、スピテイ川の湾曲部に着く。 スピティ川は高い岩峰群が連なる谷間を大きくカ-ブしながら流れていた。灰色の川面も太陽の 光を浴びて白く見える。私たちはかなり高いところにいるはずだが、スピティ川は真下にあった。 私たちは明後日のクンザン峠まで、スピティ川に沿って溯って行く。地図で見ると、この川の 源流はクンザン峠からおよそ100km位北へ溯ったところにあった。ここで、ガイドのパッサン さんと一緒に写真に収まる。 ガイドのハッサンさんとスピテイ川の湾曲部にて 2015.7.13 1時間半後、車は断崖絶壁が続くスピティ渓谷から広い河畔の道に出たとき、グリ-ンピ-ス畑で 作業している人たちが見えてきた。どこか懐かしい風景だ、と思っていたら車が止まった。 ガイドが車から降りて家族の人に話しかけ、私たちの方を振り向き手招きしてくれた。どうやら グリ-ン畑に入ってくるようにということらしい。 グリ-ンピ-スを摘むチベット族の人たち 2015.7013 皆が近づくと家族の主人らしきオバさんがやってきて、大きなカンに入れたグリ-ンピ-スを 手掴みにして私たち一人一人にくれた。口に入れてみるとなかなか美味しい。ほの淡い甘味が 口に広がる。新鮮で懐かしい味だ、どこか郷愁を感じる... グリ-ンピ-スを手掴みにしてくれるオバさん 2015.7.13 私たちもエンドウ摘みの手伝いをさせてもらう。そしてみんなで写真に収まった。 家族の素朴な笑顔がいい。女性も男性も大人も子供も… 何とも心温まるひと時だった。 グリ-ンピ-ス摘みをしていた家族と一緒に 2015.7.13 昼過ぎ、マニラン山麓に佇むラルン・ゴンパに着く。黄色い屋根の小さなお堂だ。 入り口では幼い子供が出迎えてくれていた。とても可愛い。珍しそうにこちらを見つめていたが、 私たちがしつこくカメラを向けるので逃げ出してしまった。 ラルンゴンパ前にいた子供 2015.7.13 ラルン・ゴンパを見学したあと外に出てみると、ガイドのハッサンさんも一緒に中に入って、 ラルン村の人たちとくつろいでいた。和やかな情景である。彼はこの村の出身だという。 ラルン村の人たち 2015.7.13 その後ピン渓谷沿いを南に走り、ニンマ派の寺院クンリ・ゴンパに着く。 2004年に新しく再建された時にはダライラマ・14世も訪れ、ニンマ派とゲルク派の法要が 行われたという。 他の寺院と比べると内部は非常に明るい。宿泊施設もあり、150人の僧侶が修行に励んで いるという。玄関横の敷地では少年僧たちが読経本を手に勉強していた。 読経本を手に勉強する少年僧 2015.7.13 翌14日、山の斜面にヒマラヤン・ロ-ズが咲き乱れるところで、ドライバ-3人と一緒に写真 に収まった。左から2号車のアルジュン、3号車のダワ、右端が4号車のラケシュさんの皆さん。 黄色いカッパを着ているのが私。全員チベット族、運転技術は3人とも見事。 ドライバ-3人と一緒に 2015.7.14 キ・ゴンパからさらに上部の標高4200mにある集落、キッバル村を訪ねたが、村に着いて みると辺りは森閑としていた。どこにも人影は見られない。どうやらエンドウ豆の収穫に全員 出払っていたらしい。 諦めかけていたとき、学校帰りらしい子供に出会った。兄妹かもしれない、ニコニコしている。 カメラを向けるとおどけてポ-ズをとってくれた。なかなかお茶目な子供だ。とても可愛い。 おどけてポ-ズをとるチベット族の子供 2015.7.14 13時ホテルに帰り昼食をとり休憩したあと、サキャ派のカザ・ゴンパを訪ねる。 本堂に入り私たちが仏像を眺めていると、どこからか欧米風の外人が現れ、 「私は文殊菩薩についての専門家である、是非お聞き願いたい」…と皆に話しかけ、添乗員が OKのサインを出すやいなや、立て板に水のごとくしゃべりはじめた。皆が熱心に耳をかたむけ、 質問しようものなら、ますます口調は滑らかになる。時に大きなジェスチャ-も入る。止まる ことはない、機関銃のように次から次にしゃべり続ける。延々と続く。もう終わりかと思ったら また続く。初めのうちはまだよかったが、そのうちウンザリしてくる。もうそろそろ…と誰かが 言ったのだろう、 添乗員が彼に話しかけ説明をうち切ってもらった。黙っていたら彼は夜更けまでしゃべり続け たことだろう。 彼はカナダ人、この寺で僧侶に英語を教えているという。東洋の仏教に興味をもちやってきた のかもしれない。それにしても仏教への造詣の深さには驚く。どこか愛嬌のある人でもあった。 文殊菩薩について説明するカナダ人の男性 2015.7014 7月16日、標高3980mのロ-タン・パスから下った草原で高山植物を見ていたとき、自転車で 通りかかった欧風の若い女性に出会った。ロ-タンバスの方から来たようだ。自転車の後ろ には大きなザックが積み込まれてある。 メンバ-の誰かが話しかけるとにこやかに応対していた。彼女の国は聞いたように思うがよく 覚えていない...オ-ストラリアかオ-ストリアだったか...。 しばらくすると”それでは...”というように笑顔を見せながら大きく手を上げ下の方へ走って 行った。 それにしても自転車で旅するとは、しかも女性一人で…体力もスゴイが実に勇敢である、 たくましい。こうした青春の楽しみ方もある…大いに青春を楽しむのだ、そうエ-ルを送りたく なる。 西ヒマラヤを自転車で旅する欧風の女性 2015.7.16 7月19日ツォ・モリリと呼ばれる湖畔の近くにあるチャンタン高原を訪ねた。 草原にはいくつかの家族がテントを張っていた。テントは白いフェルトで覆われたものが多いが、 中には黒いものもあった。 ここの遊牧民たちが移動するのは春から秋にかけて4~6回、決められた草原を巡回している そうだ。草地を守るために知恵を出し合い互いに一定のル-ルを決め、他の草原を侵さないよう にしているのである。そうでなければ草地は尽きてしまう。 テントの周りでは遊牧民の子供たちが子ヤギと戯れながら遊んでいた。この大自然のなかで 生まれ育った子供たちだ。都会の華やかさなど想像もできないだろう。それでいい、ここは君 たちの古里なのだ、この大地でたくましく生きろ!...。 遊牧民の子供たち 2015.7.19 遊牧地から戻り、私たち宿泊する常設テントから徒歩でコルゾック僧院に出かける。 中庭に入るとリンポチェと呼ばれる高僧の周りに遊牧民たちが集まり、法話が始まっていた。 グスト-ル祭が開かれていたのである。 高僧の法話を聞く遊牧民 2015.7019 コミカルな仮面をつけた少年僧たちの動きは面白かった。 小僧と言ってもいいだろう。彼らは僧侶が踊るときに見学者が場内に立ち入ったり前に出過ぎ たりすると注意を促がす。言うことを聞かない人には相手の腕をつかみ、力まかせに押し戻し たりすることもある。 どうやら小僧たちは場内の整理係のようだ。言葉はいっさい発しない、すべてジェスチャ-で やる。とぼけた表情の仮面をつけていることもあってその動きはとてもコミカルだ。 言葉をいっさい使わず動作で表現するのも、お布施をねだるのも、少年僧の修行の一つなの だろう。 仮面をつけた少年僧 2015.7.19 本堂前の階段では幼い少年がラッパを吹く練習をしていた。”プ-、プ-”と音は出るが音楽 にはなっていない。これもまた少年僧の修行の一つなのだろう。チベットの祭や読経時には、 他の楽器とともに必ずラッパが使われる。 ラッパを吹く練習をする少年僧 2015.7019 7月20日、この日がグスト-ル祭の本番。 まだ仮面踊りは始まっていなかったが、すでにかなりの人たちが入ってきていた。1階にも2階 にも、さらに屋上からも...ヨ-ロッパ人たちも見られたが、そのほとんどは遊牧民たち。 2階に集まった遊牧民たち 2015.7.20 屋上からタンカが下ろされると、高らかにラッパの音が鳴り響きシンバルが打ち鳴らされ、 ホルンも地底から湧きあがるような音を響かせはじめる。なかなか賑やかだ。 ラッパを吹く僧侶 2015.7.20 シンバルを打ち鳴らす僧侶 この日も小僧たちの活躍が目立った。会場には白い線が引かれているが、小僧たちはその線 から中に入らないようさかんに注意している。そこから中に入っている人や入ろうとする者を 見つけると、ムチで地面をたたく。それでも言う事をきかない者には前日見たと同じように、 相手の腕をつかみ力まかせに押しもどそうとする。私もその一人だったが、子供にしてはかなり 力が強い。 ヒマになるとカタを見物客にかけて手を出し、しきりにお布施をねだる。気前よくお布施を出す 遊牧民もいるが、中には小僧が近寄ると手を出される前に手を出し、逆にお布施をねだるフリを する人もいた。なかなか面白い。 見物客に注意する小僧 2015.7.20 ふと正面に眼をやると、階段に座り込んでいる見物客に立ち退くよう小僧が抗議している光景 が見えた。階段は本堂から僧侶たちが降りてくる通り道になっているところだが、ヨ-ロッパ風 の人たちがその両端に腰かけて見物していた。2人のサングラスの男に小僧がそばに行きムチで 「ここはダメです、退いてください」と示した。もちろん言葉は発しない、身ぶり手ぶりである。 2人のサングラスの男に抗議する小僧 2015.7.20 「…」...男は無言、見ていないふりしてあらぬ方に顔をむけている。 「ここは僧侶が通るところです、アッチへ行ってください」... 小僧はムチをさかんに振り回している。 サングラスの男は気付いている様子だが 「…」...知らん顔、無視している。 サングラスの男に抗議する2人の小僧 2015.7.20 業を煮やしたか小僧は階段を駈け上り、すこし年長の小僧を連れてきた。二人がかりでの 抗議である。 年長の小僧は男の向かい側の女性にも退くよう促がしていたが、こちらも軽い笑みを浮かべ ただけで動こうとしない。ついに小僧たちはサングラスの男を強い身ぶり手ぶりで攻めたてた ところ、ようやく男は立ち上がり、周りの人たちも退いた。 小僧の抗議に立ち上がりかけたサングラスの男 2015.7.20 前座の舞は長々と続いていたが、ようやく白装束に奇妙な仮面をつけた踊り手が2人現れた。 その姿は骸骨のようでもあり、猿人のようでもあり、道化師のようにも見える。 誰かが”人間がすべての欲望を棄ててしまえば、骸骨のような汚れのない姿になる”などと 言っていたが、凡人にはよく分からない。 動きはコミカルだ、子供が戯れ遊んでいるようにも見える。なぜか2人は祭壇にくると向かい あい、手を合わせ踊っていた。 骸骨のような仮面を被って踊る僧侶 2015.7.20 一旦テントに戻り昼食後再び会場を訪ねたところ、遊牧民が占めていた1階は空いていた。 彼らも一旦席を外しどこかに行ったのだろう。のどかに辺りを見回しながら話しあったり して いた老夫婦や、幼い子供を連れてきた母親が見られたぐらいだったが、その周りに少しずつ人が 集まりはじめてきた。中高年の人が多いが中には若い女性も見られる。祭の日とあってかみな 着飾り楽しそうだ。 老人が被っている帽子は独特で立派、祭や祝い事の日に使われる伝統的なものかもしれない。 のどかに話し合う老夫婦と若い娘 2015.7.20 見る見るうちに人がどんどん集まりはじめ1階も2階も一杯になった。座り込んで見る場所は どこにもなさそうだ。ブラブラ歩きながら見物するしかない。 遊牧民たちは年に1度のこの祭を心待ちにしていたのだろう、その表情はとても明るい。 彼らにとって最大の娯楽である祭がやってきたのだから...。この楽しみが、あの厳しい環境の 中で暮らす一つの支えになっているのかもしれない...。 1階に陣取る大勢の遊牧民たち 2015.7.20 午後のチャムの舞が始まり、初めにカタを手にした赤い仮面、次に剣をもち青色の仮面を つけた踊り手が登場、場内を廻りはじめた。日本の神楽でいえば赤鬼と青鬼だ。どちらの面も 大きく開いた3つの眼をもち、口を開け舌を覗かせ憤怒の表情をしている。恐ろしく見えるとき もあれば、ユ-モラスな表情に見えるときもある。 頭には5つの髑髏を戴いているが、これは人間の5罪を克服した象徴だそうな。髑髏はすべて の煩悩を棄てた汚れのない姿を表しているのだという。 5罪とは”貪欲、妬み、愚かさ、幼稚さ、欲情”をいうそうだが、私のような凡人はこれを棄て ると生きてゆけない、どの煩悩にも未練がある...。 グスト-ル祭 チャムの踊り 2015.7.20 おやおや、今度は角を生やした牛や鹿の仮面も登場、そして白鬼、さらに怪獣まで現れてきた。 この恐ろしげな面々は悪魔か悪霊かと思っていたが神様の化身らしい。 悪霊はカタチとしては登場していない。どこに潜んでいるか分からないし、そのカタチも分から ないからである。 神様はその悪霊たちを調伏し、お祓いして下さっているのである、ありがたいことだ...そう 思って地元の人たちは見ていたにちがいない...。 グスト-ル祭 チャムの踊り 2015.7.20 踊りはゆるやかで単調だが、こののびやかさはチベットの風土でもあるのだろう。 ブ-タンも同じチベット仏教を信仰しているが、随分前見たことのあるブ-タン王立舞踊団に よる仮面の踊りは、跳躍を多くとりいれてテンポが早く、躍動感があったように感じた。 様々な神々が出てくるところは、多神教を信仰するヒンドゥ-教の影響もあるのではと思われる。 チベット仏教は7世紀前半の吐蕃国時代に、インドからチベットに伝わった大乗仏教と密教の 混合した仏教だといわれている。 グスト-ル祭 チャムの踊り 2015.7.20 ― 了 ― 2022.2.21 記 |