スリランカの旅 第2部 2015.2.2~2.12 インド クジャク (ヤ-ラ国立公園にて) 2月7日 キャンディ~ピンナラワ~ヌワラエリヤ 早朝目覚めて窓を開けると、前方の山々は黒いシルエットとなって連なり、その上に赤く焼け た空があった。日の出前の美しい瞬間である。6時過ぎだったか、山の上に太陽が昇りはじめると 次第に空は明るくなり、青空の中にピンク色に染まった鰯雲が流れていた。今日は快晴のようだ。 ここは標高550m、朝の空気が清々しい。 日の出前のキャンディの朝 日の出の瞬間 青空にピンク色の雲が流れるキャンディの朝 7時40分ホテル出発、キャンディ湖畔にある仏歯寺を訪ねる。仏歯は紀元4世紀にインドから 持ちこまれて以来、王都が変わる度に一緒に運ばれた。仏歯を祀ることが王権の象徴であり、 都の置かれる場所ということになる。スリランカ最後の都だったキャンディに奉納されたのは 1590年といわれている。 境内には仏歯が納められているという堅牢な建物があった。天井や壁には見事な彫刻が施され、 仏画も見られた。仏堂の前にはいくつかの鋭い牙のようなものが祀られていたが、これは釈迦の 犬歯をイメ-ジしたものだろう。テ-ブルには参拝者が持ち寄った無数の花が置かれ、仏堂に 向かって一心に祈る人たちの姿があった。彼らの、いやこの国の人たちの仏教への信仰の深さ を思わせる。仏堂そばの白い建物の壁や天井にも、これまた見事な装飾が施されていた。 仏歯が納められているという建物 白い建物の装飾 仏歯寺から国立博物館を見学するスケジュ-ルになっていたが閉鎖されていたため、ペ-ラ デニア植物園に行き園内を散策する。広大な園内にはスリランカ固有種や様々な植物が見られた。 私が楽しみにしていたのは、♪この木、何の木、木になる♪と 日立のコマ-シャルで歌われていた大木で、名前は大ジャワ・ビンロ-。11年前の2003年10月 ここを訪ねた時、一番印象に残っていた樹木だ。当時私は強い日差しが照りつける園内を歩いて いたが、あまりの暑さにやりきれず、この大木の中に入って涼んだことを覚えている。 しかしこの大木は年老いてしまったのか、当時の面影を偲ぶことができないほど縮小していた。 カピラさんの話では1/4位になっているという。 2003年10月当時の大ジャワ・ビンロ- 2015年2月現在の大ジャワ・ビンロ- 2003年10月当時の樹木内 丸い大きな実の先に、もう一つ円筒状の実をつけたように見えるダブルココナツという木も あった。あまり見られない稀少種だそうだ。そして果物の王様ドリアンの木もあり、見上げる ような高い梢を青空に突き上げていた。実は8月頃につけるという。 ダブルココナツ ドリアンの木 その他にも南国にしか見られない竹、ジャイアントバンブ-、字が書けるタリボットペ-ム・ ツリ-、黄色い実をカレ-に入れる、ナツメグと呼ばれる樹木などが眼を楽しませてくれた。 植物園から訪ねたのがバザ-ル。といっても建物の中庭に面した通りに果物、香辛料、肉屋、 魚屋日曜雑貨などの店が軒を連ねていたところで、商品も比較的整然と並べられてあり、 バザ-ルというより庶民の商店街という雰囲気だった。白い帽子をつけた肉屋の店主はイスラム 教徒、肉は水牛だと思われる。 キャンディのバザ-ル 果物屋 肉 屋 その後キャンディを離れピンナラワへ向かう。1時間半後キャ-ガッラへ着き、レストランで 昼食。テラスの下は澄んだ谷川が流れ、対岸から奥にかけてはヤシの木々が生い茂る森が広がっ ていた。この辺り山岳地帯に近いところかもしれない。 レストランからの風景 川の中では大勢の象たちが水遊びしていた。近くの象の孤児院からやってきたらしい。大きい 象もいれば小さい象もいる。子供のときに親からはぐれたり怪我をしたりして施設で保護されて いる象たちだ。大きくなると野生に戻す試みが行われているそうだが、なかなか難しいらしい。 象たちは係員から体を洗ってもらったり水遊びしたり、何とも気持よさそうだ。 川で水遊びする象 体を洗ってもらっている象 鼻から水を吹きあげる象 河原では象にバナナをやっている観光客がいた。象は鼻を丸めて後ろにそらし、直接口から もらっている。私も象にバナナをやることにした。テラスから下りて河原に行き、係員から バナナを買って象の口にもってゆこうとするが、隣の象が長い鼻を伸ばして私の体をつつき、 もう一方の手に持っていたバナナの房を取り上げようとするのだ。うっかりすると間に挟まって つぶされそうになる。やむをえない、その象にも分けてやったが、ひと房のバナナはあっという 間に終わった。なかなか楽しいひと時だった。 象にバナナをやり終えて 象にバナナを差し出す観光客 レストランから近くのピンナルワの象の孤児院を訪ねたあと、ヌワラエリアに向かう。 午前中走ってきた道をキャンディ近くまで戻り、そこからさらに南下して行く。1時間余り走り、 トイレ休憩に立ち寄った建物の前に、実をいっぱいつけたビンロウの木があった。ヤシ科の樹木 で食べられないが、この種子を噛むと口に赤い汁が溜まるらしい。東南アジアの一部地域では、 ビンロウを習慣的に噛む人がいるという。 ビンロウの木 再びバスに乗り、渋滞していた街中を通り過ぎて山道に入る。辺りは丈高い樹木に覆われ 視界はきかない。車は右に左に大きくカ-ブしながら上って行く。やがて稜線に出ると視界 広がり眼下に峡谷を見るようになる。森の中に民家点々。遠く幾重にも重なり合った山々が 連なる。道沿いに露店、民家にも出会う。街中を通り過ぎることもある。車さらに高度を上げ て行く。右手後方に三角状の山、前方には長い滝が流れ落ちている。樹木の様相も、ヤシから ユ-カリが目立つようになる。いよいよ奥深い山岳地帯に入ってきたようだ。 18時5分日没、辺りうす暗くなる。遠く山々の稜線は黒いシルエットとなって浮かび上がり、 残照が空を赤く染めている。 車さらに1時間近く走り続け、19時ヌワラエリヤのホテルに着く。辺りはとっぷりと暮れていた。 2月8日 ヌワラ・エリヤ~ティッサマハ-ラ-マ 昨晩はグランドホテルに泊まった。1891年オ-プンしたホテルで120年以上の歴史をもつ。 かってはスリランカの総督の別荘であったという。外観は赤と白で統一され、内部の装飾にも 格調高い雰囲気が漂う。周囲の庭には絨毯のような芝生が敷かれ、裏側からは緑豊かな山々が 望める。160近い部屋があるが、イギリス統治下時代は要人や高官の招待に使われていたの だろう。従業員の応対も洗練されて感じが良い。 グランドホテルの正面 ホテルの裏側 ホテルのラウンジ 庭にはタイサンボク(泰山木)が植えられていた。すでに花の時期は終わりかけていると 思われたが、それでもいくつかの白い花を残していた。北アメリカ南部を原産とする樹木だが、 日本には明治初期に入り、庭や公園などに広く植えられている。高さは10~20mにもなり、 葉は厚くて堅い。枝先に白い大きな花を咲かせるモクレン科の常緑高木。花には強い芳香がある。 タイサンボクの花 私は植物の先生からこんな話を聞いたことがある。映画「風と共に去りぬ」の中で、 ヴィヴィアン・リ-演じるスカ-レット・オハラが焼け野原となった大地に立ち、 ”神様に誓います、私はこの大地で生きます!、ここは私の故郷なのだから!」と力強く叫んだ あのシ-ンのそばに立っていたのは”タイサンボク”なのだと…。 そのタイサンボクは、焼けただれながらも幹だけが黒い影となって映っていた。スカ-レットと 同じように、力強さと生命力に満ちあふれる樹木なのだろう。 映画「風と共に去りぬ}の1シ-ン 私は出発までの間、ホテル周辺を散策した。ここは標高1900m、ぬけるような青空が広がり 高原の空気が清々しい。ホテル前にはヒノキやユ-カリが空高く聳え立ち、南国特有の木々が 明るい林をつくっていた。ぶらぶら歩いていると 「おはようございます」…と声をかけられた。見ると木立の中に二人の男が立っている。 見知らぬ男だと思ったが、日本語が話せる。私は 「どうして日本語が話せるの?」…と聞いた。 「わたし日本にいたことあります、名前はサンタ、あなたたちのドライバ-です」…という返事。 そうだったのか、1週間一緒に旅をしながら私は気づかなかったのである。 「日本語上手いね、サンタクロ-スのサンタさんか…日本のどこに住んでいたの?」 「千葉県の八街に5年、佐倉に2年いました」。なるほど日本語ができるわけだ。 「仕事で?」 「はい、プラスティク工場で働いていました」 「お金貯まりました?」 「とんでもないです、時給は400円、アパ-ト代を支払うとほとんど何も残りませんでした。 日本に いたのは2000年から2007年です」…と話してくれた。それにしても時給400円 だとは…。 ロンジ-姿のサンタさんとアシスタントの青年 それ以来私はサンタさんに親近感を抱くようになり、その後も何回か彼と話す機会をもった。 11時ホテル出発、紅茶工場へ向かう。街中を通り過ぎると茶畑が広がってきた。見渡す限り 丘陵地帯は茶畑で埋められている。中に茶摘みする人もチラホラ見えるが少ない。茶摘みの 時期は過ぎているのだろう。2003年10月ここを訪ねた時は、茶摘み作業する大勢の人たちが 見られた。そのほとんどはタミル族といわれている。当時その前を通りがかった時、私は茶摘み する人から ”茶畑に上がってこい”とさかんに手招きされたが、時間がなかったため遠慮した。今でも、 その人なつっこいオジさんの顔が浮かぶような気がする。 茶摘みする人たち 2003年10月31日 ホテルを出て30分後、紅茶工場に着く。中に案内され、乾燥、発酵、乾燥、選別などの製造 過程を見学したあと、セイロンティ-をいただいた。ダストと呼ばれる低価格の粉茶だったが、 香りがよくとても美味しかった。 眼の前には一面に広がる茶畑があった。マックウッズ社が経営する茶畑らしい。中に立って いるのはユ-カリの木。 紅茶工場の前に広がる茶畑 下に眼をやると渓流が見られ、白いしぶきを飛ばしながら流れ下っていた。やはりここは山岳 地帯なのだ…そう改めて感じる。強い日差しをいっぱい浴びたアサガオやマメ科の木も眼に着く。 アサガオの原産地は熱帯アジア。花は日本のものより濃い。この黄色い花を咲かせるマメ科の 木も、南国ではしばしば眼にする。暖かいところが好きなのだろう。 紅茶工場下の渓流 濃い紫色の花をつけたアサガオ 黄色い花をつけたマメ科の木 昼食は山の上のレストランでとった。高台から俯瞰すると、眼下には赤や青色の屋根をもつ 家々がかたまり、その向うに青い水をたたえた湖面が見える。前方遠くには二つの頭をもつ岩峰 が空をつき、背後には深い木々に覆われた山々が長く伸びていた。標高は2500m、 スリランカでは一番高い山塊群らしい。頬を切る風が心地よい。熱帯にいるとはとても思えない 清々しさだ。 山の上にあるレストランからの景色 14時レストランを離れ、ティッサマハ-ラ-マに向かう。距離150km、標高差は約1900m。 車ゆるやかに下りはじめる。辺りにはマツ、ヒノキなどの針葉樹、ユ-カリの木が目立つ。 ヤシはほとんど眼につかない。標高が高いためだろう、今までに見られなかった樹木の様相だ。 山々はこんもりした常緑樹に覆われている。しばらくするとマツやヒノキは少なくなり、ユ-カリ の群落が続くようになる。段丘上の斜面に家々が散らばり、対岸に小さな滝。車九十九折りの 道をどんどん下って行く。時々上りになることもある。右手に谷を見るようになり、森の中に 小さな集落、その周りに短冊型の畑。15時35分、街中に入りトイレ休憩。 16時、再び出発。街をぬけ山間に入りるが道沿いには民家が続く。かなり下ってきたのか、辺り にヤシの木が現れはじめる。未舗装の山道だが意外に対向車が多い。狭い道を何台もの車が 上ってくる。その度に徐行、停車、なかなか前に進めない。 16時30分、急に視界開けてくる。対岸の山肌に光が当り、影の部分とのコントラストが美しい。 やがて舗装された道になり、しばらく走って行くと長大な滝が現れてきた。滝は山頂付近から何段 にもなって流れ落ちてきている。そのすべてをカメラに収めることは出来ない。スケ-ルの大きな 滝だ。名前はラワナ滝。写真ストップ。 ラワナ滝 道は平坦になってきた。快適なドライブになる。視界大きくなり、両脇に平原、畑、そして のどかな田園風景が広がりはじめてきた。右手に湖も見える。小川の中で水遊びする子供たち。 街中をぬけて田園風景の道沿いを走り、18時25分ティッサマハ-ラ-マのホテルに着く。 すでに辺りはうす暗くなっており、田園風景が広がるホテル裏の空は残照で赤く染まっていた。 田園風景が広がるホテル裏の風景 2月9日 ティッサマハ-ラ-マ~ヤ-ラ-(ルフヌ)国立公園~ミリッサ 早朝5時30分、ジ-プ4台に分乗してホテル出発、ヤ-ラ-国立公園に向かう。ジ-プは後ろに 6~8席の椅子が置かれたオ-プンカ-。街を通り過ぎ、すぐに平原に出る。辺りは真暗、平原 に帯のように続く低い森は黒い影となって映る。ほのかに明かりが見えはじめると、黒い草原に 湿原の沼が光り、茜色に染まった空が広がってきた。日の出はもうすぐだ。 早朝の草原に広がる風景 6時15分、ヤ-ラ-国立公園の入り口に着く。ところが車の多いのにびっくり、道いっぱいに 駐車している。ざっと見廻しただけでも百数十台はありそう、入場券を購入するため待っている のだ。公園事務所の前には大勢の人が立ち並んでいた。予約しておけばよいのにと思うのだが、 そうしたシステムはないという。 動物サファリ用ジ-プ 道いっぱいに駐車したジ-プ ガイドが入場券の購入手続きをしている間、私は車から降りて辺りを散策することにした。 周囲には野鳥がさえずりながら木々の間を飛び交い、湿原の沼には無数の水草が水面を覆って いた。辺りは深いジャングルに包まれている。いかにも動物が棲んでいそうな雰囲気だ。 公園事務所付近の沼 私は野鳥を追っていた。カメラを向けるがチョロチョロと飛び交い、難しい。しかし木の枝に 止まり、時に地面に降りたりする。近づいてもすぐには逃げない、人間をそれほど恐れていない ようだ。数種類の野鳥が眼につく。じっと眼をこらしていたが一羽の野鳥が木の枝に止まった 瞬間、パチリ。灰色の羽根をもち、頭から胸、腹にかけて白い野鳥だ。そしてもう一羽、今度は 全身黒い野鳥が大木の下に止まったところもパチリ、こちらはコマドリの1種かもしれない。 ガイドの話しによると、スリランカでは432の野鳥が見られ、そのうち渡り鳥が197、固有種は 32いるという。小さな島国のためか、大陸からの影響を受けずに独自に進化してきたのだろう。 黒い野鳥 灰色の羽根に頭から腹が白い野鳥 40分後入場の手続きが終わり、動物サファリへ出発。灌木に囲まれた狭い道を大きく揺れ ながら走って行く。ほどなく湖に出たところで、水辺を歩いていたイノシシに出会う。子連れの ようだ、6匹はいる。時に下を向き、何かをさかんに探しているように見える。朝餉の食べ物 だろう。 湖の中では水牛が気持よさそうに水浴していた。日中は水中に体を半分以上沈めて休むらしい。 野生の水牛である。 水浴する水牛 湖畔を歩くイノシシ その後野鳥がたくさんいるという湖畔に出てみたがほとんど野鳥は見られず、水牛の群れが 水辺に遊んでいた。あきらめて引き返し再び森の道に入ったところで、眼の覚めるような緑色の 羽根をもった野鳥が眼に入った。すぐ眼の前を飛び交ったり、時に止まることもあるがすぐに 飛び立つ。なかなか撮れない。諦めざるをえなかった。 しばらく行くと、右手前方に珍しい水鳥が湖畔の茂みにいた。ガイドはペイント・スト-クと 教えてくれたがカメラを向けるには遠すぎる。 車は水辺から離れ、草原に入って行く。まばらに木々は茂っているが見通しはよい。その時 草原のやや近いところにクジャクが現れてきた。ブル-の羽根がとても美しい。ジ-プに気づい ているはずだが、逃げようともしない。平然としている。 インド・クジャク よく見るとクジャクは遠く近く何羽も草原にいた。やたらに眼につく。さらに進んでいくと 今度は眼の前に現れてきた。するとクジャクは、私たちを待っていたかのように大きく羽根を 広げはじめた。そして、クルクルと舞いはじめたのだ。 「見て!見て!この姿を…これが私の自慢のポ-ズなの…」…とでも言いたそうである。 さらに、そばにいたもう一羽も羽根を広げはじめてきた。クジャクの競演だ。実に美しい。 私はその華麗な姿に見とれながらも何枚もシャッタ-を切った。 大きく羽根を広げて舞うクジャク 大きく羽根を広げて舞うクジャク それからほどなく、前方に7~8台のジ-プが止まっているのが眼に入った。何をしているの だろう…ガイドの話でどうやらヒョウがいるらしいというのだ。そこに近づき眼をこらしたが、 なかなか見つからない…あそこにいます!…ガイドが指さしてくれる…その時初めてヒョウが 大木の下にいるのが眼に入った。その距離40m位だろうか、あわててカメラを向けるが遠い、 レンズに入らない…そうこうしているうちにヒョウが動きはじめた。こちらに向かって悠々と 歩いてくる。ところがその瞬間、ヒョウの姿は前の車の蔭に隠れてしまったのだ。ヒョウは藪の 中に姿を消した…残念…。 そこから進んで行くと、岩山に止まっているクジャクの姿があった。ガイドの話しによると、 この辺りにもヒョウがよく見られるという。ヒョウの棲家があるのかもしれない。 その後明るい風景が広がってくる。湿地帯には黄色い花々が咲き誇り、そこを緑濃い常緑樹や 葉を落とした落葉樹が取り囲んでいる。熱帯にも落葉樹があるのだ…。 岩山に止まるクジャク 湿地帯の風景 大きな沼に出ると、サンバ-と呼ばれるスリランカ固有種の大きな鹿に出会った。うす暗くて よく分からないが、何頭かで食べ物を探しているようだ。こちらを見ているものもいる。成人した 雄は70cm近いツノを持つらしい。ヒョウはこうした鹿を襲うのだろう。 沼で餌を探すスリランカ・サンバ- 広い草原で、また羽根を広げたクジャクがいた。大きな展望の中で見るクジャクの姿も美しい。 私たちを出迎えてくれているようにも思える。 「ヤ-ラ-自然公園へようこそ!、わたしの姿を見て!」…そんな声が聞こえてきそうだ。 草原で羽根を広げるクジャク 湖畔の草原を走っていた子鹿が、私たちの車が通りかかるとピタリと足を止めた。そしてこちら をじっと見つめている。興味津々のようだ。逃げ出したりはしない、むしろ人間に親しみを感じて いるようにも思える。 「人間のいるところに、あの恐ろしいヒョウはいない」...そう安心しているのかもしれない。 しばらくすると子鹿は背を向けて走りだそうとしたがその瞬間、一羽のコサギがやってきて子鹿の 背中に飛び乗った…しかし子鹿は意に介せず、そのまま草原の向うへ走り去って行った。思わず 笑みがこぼれそうな自然のひとこまを見たような気がする。 サンバ-の子鹿 子鹿の背に飛び乗ろうとするコサギ 湖畔では岸辺で寝そべったり水浴したりする水牛の姿や、遠くエレフアント、ロックと呼ばれる 象の形をした岩山の風景が車窓に流れてゆく。遠く何かをついばむ水鳥の姿も見られる。 ぼんやりと辺りの風景を眺めていると、ここは動物の天国なのだ.そんな想いに引き込まれる。 水辺で遊ぶ水牛 遠くエレフアント・ロック 草原の茂みの道に入った時、いきなり珍しい水鳥が眼に飛び込んできた。ガイドがペイント・ スト-クと呼んでいたあの鳥だ。それまで何度か水辺に見られたが遠すぎた。しかし今度は眼の 前にいる。私たちに気づいているはずだが、気にしている様子もない。ひたすら食べ物を探して いる。 私は夢中になって何枚もシャッタ-を押した。あとで調べたらペイントスト-クは英名、和名は インド・トキコウと分かった。コウノトリの仲間で、魚やカエルの他に爬虫類、甲殻類、昆虫 なども捕食するらしい。 沼で餌を探すインド・トキコウ 餌を探すインド・トキコウ 車は灌木の道や広い草原の中を走り続け、やがて白い木肌の美しい木々が茂る湿地帯に出た ところ、日なったぼっこしているワニがいた。岩の上に3~4匹、長い体を伸ばし、大き口を開いた ままのワニもいる。いずれも微動だにしない、暖かい春の日差しを楽しんでいるようにも見える。 名前はスリランカ・ヌマワニ、体長は約4mにもなる。 岩の上で日なたぼっこしているワニ 岩の上で日なたぼっこしているワニ 右手に眼をやると、これまた珍しい水鳥がいた。体は白いが首から嘴にかけて黒く、嘴はトキ のように曲がっている。帰国後調べてみたら名前はクロトキ、やはりトキの一種だった。 日本にもまれに渡来することがあるそうだ。魚や昆虫類などを捕えて食べるらしい。 水辺にいたクロトキ 沼から離れ明るい樹林の中を走っていたときガイドが、 「あそこにトカゲがいます」…と教えてくれた。見ると大きなトカゲが大木の幹に張りついている。 辺りを窺っているようにも見えるが、微動だにしない。インド・リクオオトカゲかもしれない。 体長は1m位ありそう。 インド・リクオオトカゲ 樹林帯をぬけて草原を走り、やがて海岸に出てヤ-ラ-国立公園の休憩所に着く。そこでは 大勢の観光客が砂浜で散策したり、遊びに興じたりしていた。眼の前には青いインド洋が広がり、 海岸性の植物や黄色い花々が眼を楽しませてくれた。しかしここは、2004年12月24日 スマトラ島沖地震による大津波で、大勢の人たちが犠牲になったところである。何人かの日本人 も、ここで休憩していたとき津波に襲われ、亡くなっているという。 海辺に面したヤ-ラ-国立公園の一角 ヤ-ラ-国立公園の休憩所 海岸性の植物 海岸から引き返し帰路への道をしばらく走っていた時、沼の樹の上に止まっている大きな鳥が 眼についた。ガイドが 「あれはペリカンです」…と教えてくれたので私もそう思った。しかしコウノトリ科に分類され るコハゲコウらしい。主に森林内にある河川や沼、湿地などに生息し、魚や両生類、爬虫類、 貝などを食べる。樹の上から魚を狙っているのか…ペリカンに似ていて愛嬌のある顔をしている。 沼の樹の上に止まるコハゲコウ その後ヤ-ラ-国立公園をぬけてひたすら走り、ティッサマハ-ラ-マのホテルに帰り昼食。 13時ホテル出発、ミリッサへ向かう。ティッサマハ-ラから南へ進路をとり、海岸に出てからは 左手にインド洋を見ながら走り続け、16時前デウンダラ岬に着く。バスから降りて民家の間を 歩いて行くと、ヤシの木陰から白い灯台が見えてきた。スリランカ最南端にある灯台である。 灯台下にはインド洋の青い海が広がり、遠くから押し寄せてくる波が白いしぶきを飛ばしながら 岩に砕け散っていた。 デウンダラ岬の灯台 デウンダラ岬の海岸 帰り道、民家の前で、子供たちが無邪気な笑顔を見せながら手を振ってくれていた。道路脇 には大きい葉を茂らせたパンノキが高く梢を伸ばしていたが、実は見られなかった。時期が ずれていたのかもしれない。果肉はでんぷんを含み、蒸し焼きや丸焼きにして食べるという。 味は甘味の少ないサツマイモに似ているらしい。名前はギリシャ語のパンと果実に由来する。 ポリネシア原産で、クワ科の常緑高木。成長すると15m位になる。 高く梢を伸ばすパンノキ パンノキの葉 デウンダラ岬からさらに西へ進み、夕刻ミリッサのホテルに着く。 2月10日 ミリッサ~ゴ-ル~マウント・ラビニア 早朝ホテル裏の海岸に出てみた。眼の前には明るい光を浴びたインド洋が広がり、赤味を帯びた た砂浜が帯のように伸びる先には切り立った岸壁が海岸線を縁どり、おだやかな波が岩裾を洗って いた。すでに漁を終えて帰途についているのか、その岬から河口に入って行く数隻の船が見られた が、私は河口近くの海岸育ち、懐かしい思いでこの光景を眺めていた。磯の匂いを感じる潮風が 心地よい。 ホテルの庭には、ココナツが見事な実をつけていた。緑の葉とオレンジ色の実が、眼に鮮やかだ。 海から河口に入って行く漁船 ホテル裏の海岸 オレンジ色のココナツ 8時40分ホテル出発、海岸線を10分ほど走ったところで、ストルト・フィッシングなるものを 見せてもらった。浅瀬に立てた1本の杭につかまりながら魚を釣る不思議な漁だ。3人の男が 実演してくれたが、彼らは釣り糸を浅瀬に入れて魚を眼で追っているように思えた。なるほど 広い浅瀬には足場になる岩場が少なく船も出せない、高い杭の上からは魚の動きも見やすく なる。このような釣方が発明されたのは、そうした理由によるものかもしれない。釣り竿と釣り 糸を見せてもらったところ、彼らは 「竿はスリランカウッド、糸は木の皮をよじってつくったものだ」…と誇らしげに答えてくれた。 いずれも素朴なものだった。スリランカ南部に伝わる伝統的な漁だという。 ストルト・フィッシング しばらくストルト・フィッシングを見たあと彼らと別れ、海岸沿いを走りながらゴ-ルへ向かう。 私たちはスリランカ南端から西海岸へ北上していく。やや風があるのか、波は大きくうねりながら 押し寄せては引き返し、砂浜に白い帯をつくっている。時々岩場も見られる。空は青く澄みわたり、 強い日差しが降りそそぐ。右手に線路が続く。ここ南端から西海岸のコロンボへ、さらに北上して いく鉄道である。単線のようだ。 スリランカ南端の鉄道線路 車窓より 道沿いにはココナツ、バナナなの他に白いプルメリア、黄色いマメ科の花、赤いブ-ゲン ビレア、アサガオなどが眼につく。パンノキも見られる。その間に赤い屋根をもつ白壁の家が 続く。 やがて車の往来が烈しくなり、中でも三輪タクシ-が数多く眼につくようになってきた。 どうやらゴ-ルに着いたようだ。 ゴ-ルはスリランカ南部最大の街。古くから世界各地からやってくる商人たちの貿易地として 栄えてきたが、16世紀末にポルトガルが入植して砦を築き、17世紀中頃にはポルトガルから 支配権を奪ったオランダが砦を拡張していった。18世紀末にはオランダからイギリスの統治下 になったが、要塞はそのまま残された。現在見られる要塞や建物のほとんどは、オランダ時代の ものだという。 バスから降りて時計塔を見ながら砦に上って行く。海岸線は大きく湾曲し、遙か遠く航行して いるタンカ-らしき船が見られた。左手には緑の中に赤い家々が、対岸には白い建物が覗く。 下の広場では、大勢の子供たちがクリケットをする姿があった。スリランカは、世界でトップ クラスに入るクリケットの強豪国らしい。砦には銃を構えるオランダ兵の像が立ち並んでいた。 砦下に広がる入江の風景 銃を構えるオランダ兵の像 クリケットをする子供たち 時計台を背にしながら要塞跡を歩いて行く。辺りに見える瀟洒な家々は、たしかにアジア風の ものではない。どこかヨ-ロッパ風の雰囲気を感じる。すべてオランダ時代のもので、ポルとガル 時代の建物は残っていないそうだ。空の青さとこんもり茂る緑の木々、赤い建物のコントラストが 美しい。 要塞跡に建つ時計塔 オランダ時代の要塞跡 オランダ時代の建物 砦から道路脇に降りたところでココナツ売りのオジさんがいた。ココナツは地べたに置かれたり、 自転車に結びつけたものもある。その数50~60個位。誰かがそれを買い、なみなみと入った果汁を ストロ-で飲んでいる。旨そうだ。みな喉が渇いていたのだろう、メンバ-は次から次にココナツ を買い求めはじめた。オジさんはその頭を手際よく切り落としている。私も飲んでみたが、ほの 甘い味がした。飽きない味だ。喉が渇いたときにはとても良いドリンクになるだろう。ココナツは たちまち10数個が売れた。オジさんはホクホク顔、1日の稼ぎがわずか10分位で終わったのだから…。 崖沿いの道を灯台へ向かって歩いて行くと、長い髪を垂らし褐色の肌をもつ一人の若者が立って いた。むだな肉をそぎ落とし鍛え上げた、水泳選手のような体つきだ。どうやらチップを出せば、 崖から飛び降りてみせようというのである。下を覗くと澄みきった浅瀬に岩礁が見え、突きで出た 岩や浮いた岩も散らばっている。高さは30m位ありそう、一歩誤れば命はない。私を含め数人が 何がしかのチップを出した。すると彼は手を上げた…と思った瞬間、いきなり体を翻し崖下に真っ すぐ舞い降りていった。その間数秒、カメラを構えることすらできなかった。気がついた時は、 崖下の深みから笑みを浮かべながらこちらを見上げている彼の姿があった。うまく岩の間に飛び 降りることができたのだ。そして彼はスルスルと岸壁をよじ上ってきたのである。 手を上げ崖下に飛び込もうとする若者 飛び込んだあと、こちらを見上げる若者 海は青く澄み渡り、遠浅になっているのか波は砂浜に届く前で岩に砕け散り、白い帯を広げて いた。赤味を帯びた砂浜にはココナツや緑の木々が茂り、木陰で休む人たちが見られた。この辺り、 西日が当る夕暮れ時はさぞ美しいにちがいない。 ゴ-ルの海岸の風景 海岸を離れ、白壁の家々が軒を連ねる静かな旧市街を通りぬけ、オランダ教会を訪ねる。 18世紀半ばに建てられたプロテスタントの教会で、スリランカでは最も古い教会らしい。 中には大きなパイプオルガンが置かれてあった。讃美歌を合唱するときに使われたものだろう。 オランダ教会が並ぶ通り オランダ教会のパイプオルガン 昼食後アンバランゴダへ向かう途中、大きな仏像が眼に入った。2004年12月26日に発生した スマトラ沖地震の津波により犠牲になった人たちを供養するため、本願寺が建てたものだという。 仏像はアフガニスタン・バ-ミアン遺跡の像を模したものだそうだ。 5世紀から6世紀に造られたとされるバ-ミアンの西大仏は55m、東大仏は38mの高さを誇って いたが、2001年3月26日、アフガンの武装勢力タリバンによって破壊された。 この大仏の高さをガイドに聞いてみたが、分からないということだった。近くで撮ると全体像が カメラに収めきれなかったほどだから、相当の高さがあるように思われるのだが…。 スマトラ沖地震の犠牲者を供養する仏像 その後、スマトラ地震で列車に乗っていた人たちが亡くなった慰霊碑に立ち寄ったあとのどかな 田舎道に入り、ム-ンスト-ン(月長石)の石切り場に案内される。シナモンが茂る小路を歩いて 行くと宝石の採掘場があった。そこには深い井戸が掘られてあり、そこからくみ上げた砂利の中 から宝石を選別するのである。スリランカでは青く美しい光を放つ、ブル-ム-ンスト-ンも出る という。最高のものはロイヤルブル-ム-ンスト-ンと呼ばれ、七色の美しい光を放つらしい。 深い井戸に降りてゆく職人 砂利の中から宝石を選別する職人 採りだされたム-ン-スト-ン 採掘した原石を研磨工作する人たちがいた。熟練した彼らの職人技によって、美しい宝石が 生み出されるのである。この工房では中国人から青いム-ンスト-ンを約2000万円で受注、今 工作中だと聞いた。 宝石工房 原石を工作する職人 14時再出発、アンバランコダの街に入り仮面博物館を訪ねる。館内には夥しい数の仮面が展示 されてあった。祭に使われたり、魔除けのために家に置かれるものだろう。恐ろしげでもあるが、 どこか愛嬌も感じる。その表情から見ると、古くから伝わる土着信仰と密教、さらにヒンズ-教 が融合したシャ-マニズムの雰囲気を思わせる。 展示された仮面 仮面は木材でつくられていた。私の郷里の石見神楽の仮面もかっては木を使用していたが、今は 石州和紙を素材にしている。2009年ユネスコ無形文化遺産に登録された強靭な和紙である。 石見神楽の面とここの仮面とは、表情が随分違う。しかしそのル-ツは、インドやスリランカに あるのかもしれない。 石州和紙でつくられた石見神楽の鬼面 石州和紙でつくられた石見神楽の鬼面 仮面博物館から30分ほど走ってベントタ川の船着場に着く。そこで私たちは小さなボ-トに乗り、 リバ-クル-ズに出かけた。ボ-トは静かな川面に滑り出して行く。河岸は熱帯雨林のジャングル に覆われている。珍しい野鳥や動物が棲んでいそうなところだ。すでにクル-ズを終えて船着場に 向かう人たちと行き交ったり、私たちを追い越して行くグル-プもいた。彼らはすれ違うとき笑顔 を見せながら手を振ってくれる。みな楽しそうだ。私も開放的な気分になる。 ボ-トは河岸に近づきジャングルの狭い水路に入ったが、再び広い川面に出る。展望は大きい、 川というより大きな湖のようだ。流れはほとんど感じられない。緑に覆われたこんもりとした島も 点在している。この川には68もの島があるというからスゴイ。本当にここは川なのか…そんな 気さえしてくる。 ここは河口に近いところ、マングロ-ブの白い花がたくさん眼につく。マングロ-ブは、熱帯や 亜熱帯の海水と淡水が交わる気水に生育する森林の総称、個々の植物の名前ではない。世界には マングロ-ブを形成する70~100種の植物があるらしい。 クル-ジングする観光客 マングル-ブが茂るジャングルの水路 マングル-ブの白い花 河岸には高床式の小屋がポツンと立ち、川面ではボ-トを浮かべてのんびり釣りをしている人も いた。何とものどかな風景だ。川面を渡る風が心地よい。 河岸に立つ高床式の小屋 ボ-トを浮かべ釣りをする人 やがてボ-トから降りて、シナモン・アイランドと呼ばれる島に立ち寄った。 そこではシナモンを加工した商品を説明をしたり、その販売もしていたようだが、私は辺りに 茂る熱帯植物を眺めていた。 赤いひと際鮮やかな4弁の花が眼につき、若い係員に聞くと 「フレックカラ-・ツリ-」…と教えてくれた。おそらくスリランカ名だろう。しかしこの男 なかなか植物に詳しいようだ。その他にもこの植物の名前は 「ヴィ-モ-サ」…スリ-ピンググラスだ、などと即座に答えてくれたのである。 係員がフレックカラ-・ツリ-と呼んでいた植物 島を離れ船着場へ向かう。上空にはときどき川を横切ってゆく野鳥もいる。カワセミもいた らしい。タカも空を舞っていたが、森の奥に消えて行った。そんな風景にぼんやりしていると、 誰かが 「あそこにサルがいる」と叫んだ。振り返ると木の上に止まっているサルが眼に入った。 こちらを見ているようだ。カメラを向けるが遠い、レンズが揺れる。しかし何とかその影を収める ことができた。 樹上に止まるサル ジャングルクル-ズを終えてバスに乗り換え、2時間後の18時15分マウント・ラヴィニヤの ホテルに着く。 2月11日 マントラ・ヴィニヤ~コロンボ~ネゴンボ(旅の最終日) 宿泊したマウント・ラヴィニヤホテルはスリランカを代表する高級ホテル。外観は白亜の コロニアル建築で、内部はイギリス時代の伝統と格式を誇る雰囲気が漂う。ホテル裏には プ-ルが設けられ、海に面した客室からは青いインド洋が広がる。プ-ルサイドのレストラン から眺める海の景色は最高だ。白い制服を着た従業員の応対も洗練されて気持がよい。 マウント・ラヴィニヤホテル ホテル裏のプ-ル ホテル裏の海岸 私は朝ホテル近くの街を散策した。ホテルを出るとすぐ瀟洒な家が建ち並ぶ通りに出る。 人通りはほとんどない。三輪タクシ-に出会うくらいだ。静かな通りにはヤシ、パパイヤ、 パンノキ、マンゴ-、ボダイジュなどの木々が生い茂り、プルメリアが赤や黄色い花を咲か せていた。今までプルメリアの黄色い花は見てきたが、赤い花は初めて。この樹木は キョウチクトウ科に属し、原産地は中米から南米北部。しかしインドや東南アジアでもよく 見かける。暖かいところに適した樹木なのだろう。 ホテル近くの通り 赤い花をつけたプルメリア 黄色い花をつけたプルメリア 11時過ぎホテル出発、隣の街コロンボへ向かう、距離は12km。しかし道が渋滞していたため 意外に時間かかり、11時45分ガンガラ-マ寺院に着く。2月3日のペラヘラ祭はこの寺院の主催 で行われている。寺院内部には上座部仏教らしい仏像とともに、ヒンズ-の神も祀られてあったが、 眼を惹いたのは日本から贈られた釈迦如来像。白檀で造られた小さな像だったが、その表情は やはり親しみのもてるものだった。金剛力士像も展示されてあった。ただ窓際に置かれていたため 多少雑然とした感じがないでもなかった。この像もどこかの寺から贈られたものかもしれない。 日本の寺院では、阿形と吽形像は表門に祀られていることが多い。 日本から贈られた釈迦如来像 阿形像 吽形像 その後市内のレストランで昼食のあと、コロンボ国立博物館に行く。1877年イギリスの総督に よって建てられた博物館である。白い瀟洒な建物は非常に大きく、堂々たる風格を感じる。 ヨ-ロッパ諸国はかってアフリカや東洋に進出、長い間植民地化してきたが、街の風景やこうした 建物にも、彼らの文化を色濃く残している…。 この日はアヌラ-ダブラ時代の展示室は修復中だったため、主にボロンナルワおよびキャンディ 時代の作品を見てまわった。古い物では4世紀から9世紀の仏像彫刻も見られたが、12世紀から 13世紀にかけての農機具や剣、コイン、陶器、ヒンズ-教の影響を受けたと思われるシバ神像 などの作品が数多く眼についた。14世紀から19世紀にかけては黄金の玉座や象牙でつくられた 装身具、仏像、銅製の涅槃像の他に中国製陶器も置かれてあり、それぞれの展示品からこの国の 歴史の流れを感じさせてくれる博物館だと思った。 コロンボ国立博物館 博物館からはネゴンボに入り現地旅行社の社長宅を訪問、紅茶とお菓子でもてなされた。 その後運河の船着場や教会、さらに魚市場も訪ねた。しかしこの日の海は風強くシケており、 市場も閑散としていた。この砂浜では地引網が盛んらしく、網を修理する漁師が見られた。 かっては私の郷里でも地引網で漁をしていたが、今はまったくなくなっている。イワシなどの 魚が、海岸近くに寄ってこなくなっているからだろう。 このあと、ヒンズ-教寺院に立ち寄った。派手な建物にたくさんの神が祀られていたが、どうも 私はヒンズ-教には馴染めない、ドロドロした雰囲気に違和感を感じる。ふしぎな宗教だ。 ヒンズ-教寺院 これでスリランカの観光はすべて終わった。私たちはホテルのレストランで夕食したあと空港へ 向かい、到着後11日間世話をしてくれた現地の人たちに別れを告げた、 ガイドのカピラさん、ドライバ-のサンタさん、そしてアシスタントのブッティさん、ありがとう… さよなら…また逢うまで…。 その日の日付を越えた未明、UL454便にてスリランカ空港を離陸、2月12日午後12時15分、 定刻より30分遅れで成田空港に到着。ス-ツケ-スを受け取り、一部の人に軽く会釈して千葉 行きの電車に乗った。 トンネルをぬけると里山が広がってくる。時々訪ねる私の散策コ-スだ。田んぼの畔にわずか に淡い緑は見えるものの河畔は枯れ草で覆われ、低く連なる山の落葉樹も、常緑樹の間で白く 染まっていた。春を待ちながら、まだ固く芽を閉じているのだろう。しかし季節はそろそろ早春、 1ヶ月もすればスプリングエフェメラルたちが可憐な姿を見せてくれるに違いない…。 一眠りしたあとは寿司屋に飛びんで一杯やろう…酔うほどに楽しい旅の情景が眼に浮かんでくる だろう…そんなことを思いながら、私は車窓に流れる風景をぼんやり眺めていた。 スリランカの旅 第2部 ― 了 ― 2015.4.8 記 私のアジア紀行 http://www.taichan.info/ |