インド・ヒマラヤ紀行

                      2015年7月8日~7月23日

            シ-ビ-ザン連山 平均海抜6200m クンザン峠下にて 2015.7.15

           

    ヒマラヤ山脈は、東端のヤルンツァンポ川の大屈曲部から西端のインダス川に至る世界最大の
   山岳地帯である。その大きさは延長約2500km、幅200~300km、日本列島にほぼ等しい。
   世界最高峰のエベレストをはじめ第3位のカンチェンジュンガ、第4位のロ-ツェなど地球上の
   8000m峰14座のうち10座がヒマラヤ山脈に存在する。北側にはチベット高原が広がり、その向う
   には崑崙山脈が屏風のように連なっている。国別には中国、ブ-タン、ネパ-ル、インド、
   パキスタンに及ぶ。

    気候的には、ヒマラヤの南側はモンス-ンの影響で雨季には雨が降りやすく、崑崙山脈とヒマラヤ
   山脈に囲まれたチベット高原は、極端に乾燥した高山地帯で雨はほとんど降らない。秋から冬にかけ
   てはいずれも厳しい寒さに襲われる。

    ヒマラヤ山脈は、東端の高峰ナムチャバルワ(7782m)のあるアッサム・ヒマラヤ、シッキム・
   ブ-タン、ヒマラヤ、エベレストをはじめ8000m峰のほとんどを含むネパ-ル・ヒマラヤ、
   ガルワ-ル・ヒマラヤ、西の8000峰ナンガ・パルパットを擁するパンジャブ・ヒマラヤに分けられ
   るそうだが、今回私たちが訪ねたところはサトレジ川が流れるガルワ-ル・ヒマラヤと
   パンジャブ・ヒマラヤの間から、スピティ川さらにチャンドラ川、バガ川が流れるパンジャブ・
   ヒマラヤの渓谷であったように思われる。
    下の略図によれば、左端のデリ-からパキスタン国境近くにかけての西ヒマラヤである。

               ヒマラヤ山脈略図      西友旅行資料より

             

    別の言い方をすれば、西ヒマラヤ略図の点線部分に示しているようにデリ-からシムラまでは
   電車で、シムラからは4WDでキナ-ル谷、スピティ谷、ラホ-ル谷を経てラチュルン峠を越え、
   その先で右に折れてツォ・モリリ湖に立ち寄り3日間滞在、さらに海抜5328mのタグラン峠を越え
   てラダックの町レ-まで走ったことになる。(但しチャン・ラからパンゴン・ツオには行っていない
   私たちは標高239mのデリ-から体を慣らしながら上部へと上って行った。最高地点までの高低差
   は約5100m。

            西ヒマラヤの略図 点線の部分が今回のコ-ス(西友旅行資料より)

            

    デリ-からシムラまでは鬱蒼とした熱帯雨林が広がっていたがそこから先の景観は一変、サルチェ
   に至るまで切り立った峡谷が続き、谷底には黄濁した激流が渦巻き奔り流れていた。上流付近の
   大雨の影響によるものと思われたが、これだけの烈しい流れを眼にするのは久しぶりだった。
   黄河中流域の流れもスゴかったが、サトレジ川もスピティ川もチャンドラ川もその激しさは黄河を
   凌ぐほどに思えた。どこまで行ってもその勢いは衰えを見せなかったのである。

    峡谷に入ると険俊な岩峰が天を突きながら連なり、山顚辺りから無数の滝が流れ落ちて山道を川の
   ような流れにしていた。1回や2回ではない、またかまたか、というほどに数えきれない滝が山上から
    道を横切り崖下に落下していった。時には鉄砲水のような流れが車を直撃しそうなこともあった。
   押し流さてしまえばそれまで、車は崖下から谷底まで転落してしまう。しかし、ドライバ-たちは
   卓越した技術で走り抜いた。見事というほかない。どこだったか忘れたが、先頭を行くドライバ-の
   とっさの判断で烈しい流れの中を突っ切ったことがあった。あとで分かったことだがその15分あとで
   崖崩れが発生、そこは通行止になったそうだ。ここに着くのが15分遅れていたら、私たちはこの旅を
   続けることができなかったかもしれないのである。

    渓谷沿いには点々と集落が見られた。山間の段々畑で麦や野菜をつくって暮らしている人たちで
   ある。ところによってはリンゴ畑もあったが、10数年前からはじめたものらしい。他地区に売り
   だされる唯一の産業だという。ある民家の主人は、水と電気があるかぎりここに住み続けたいと
   話していた。厳しい環境にあるとはいえ、やはり生まれ育ったところがいいのだろう。

    行く先々には、荒涼とした崖上にチベット仏教の僧院が建っていた。私たちが訪ねたところだけ
   でも10僧院に及んだ。いずれも古い歴史をもち、大勢の僧侶たちが修行に励んでいた。僧侶は減る
   どころかむしろ増えていると聞いた。チベット仏教文化は、そこに住むチベット族の人たちの精神
   的なよりどころになっていると思われる。

    ラホ-ル谷を過ぎると大きく展望広がり壮大な風景が続いていた。幾重にも重なり合った山々が
   波のように連なり、その向うには四時雪を戴いたラダック・ヒマラヤの峰々が青空に映えていた。
   広大な草原にはヤクや羊、ヤギなどの大群を引き連れて行く遊牧民の姿があった。太古から悠久の
   時を経てきた今でも、頑としてその生活スタイルを変えていない人たちだ。この科学文明の世に
   あってふしぎな気がする。

    スピティ谷からラホ-ル谷にかけては様々な高山植物が眼を楽しませてくれた。サクラソウや
   バラ、ブル-ポピ-、シオガマギク、フウロソウ、オドリコソウ、マメ科やシソ科の仲間などで
   ある。私がヒマラヤで初めて見るものが多かったが、いずれも和名はないと思われる。科名と属名
   だけでも調べてみたい。

    今回はほとんどメモをとっていない。とくに移動中はガタガタ道ばかりでメモはとれなかった。
   しかし、車窓からの写真はやたらに撮った。その写真を見ながら順を追って書き綴ってゆきたいと
   思う。

      7月8日~9日

    7月8日成田空港雨模様で視界悪し。18時40分発の全日空NH827便大幅に遅れ、19時50分
   離陸、インド・デリ-空港着は翌日の0時30分。入国手続きを済ませ、深夜2時頃ホテルにチェック
   イン。日本との時差は3時間30分、日本時間では午前5時30分ということになる。

    今回の旅はSY旅行社主催によるツア-、メンバ-は男性4人、女性6人、添乗員の永田さん、
   それにガイドのパッサンさんの12名。

    一睡もしないままバ4時30分バスに乗りホテル出発、5時前駅に着く。早朝だというのに駅前には
   大勢の人出があった。10数年前インドの列車に乗ったときにはホ-ムに野良牛がウロウロ、あち
   こちに散らばっていた牛糞を踏んづけてしまったことがあるが、今回は見られなかった。時代の変遷
   を感じる。車体はかなり老朽化していたがエアコンはよく効いていた。誰かが新幹線に乗ると言って
   いたがジョ-クだったことに気づく。ス-ツケ-スは網棚の上に置く。

             デリ-駅のホ-ム                    列車内の様子

          

    この日はデリ-からカルカへ、さらに列車を乗り継いでイギリスが開発した避暑地シムラへ向かう日。
   5時40分列車動きはじめる。赤い大地の中に雑然と立ち並ぶレンガづくりの家々や水田風景を眺め
   たりしていたが、いささか退屈する。
    列車が停まるたびに大きなポットをもった男たちが入り込み、チャイ、チャイ、チャイと言いながら
   通路を通り過ぎて行く。紅茶の車内販売だ。列車が動きはじめたら下車するのかと思ったらそうでも
   ない。同じ男が車内を行ったり来たりしていた。先の駅で降りて下りの列車に乗り込むのか…。

    やっと経由地カルカに着いたのが11時過ぎ。
   ここから2008年世界遺産に指定されたトイトレインに乗り換える。カルカ・シムラ鉄道と呼ばれる
   線路幅76cmの小さな登山鉄道である。この列車で全96km、高低差1420mを約5時間かけて上って
   行く。スピ-ドは遅いが力は強い。カルカは標高656m、シムラは2076m。
   ダ-ジリンで見たトイトレインは蒸気機関車だったがこちらはデ-ゼルカ-、風情はないがトンネル
   の多いこのコ-スではありがたい。創設は1903年というから112年の歴史をもっていることになる。

           入線するデ-ゼル機関車               トイトレインの車内

          

    12時15分出発。車内はほぼ満員、インド人の家族連れが多い。トイトレインはインド人に人気が
   あるようだ。むし暑い、窓を開ける。
   列車は右に左にトラバ-スしながらゆっくり上って行く。車窓からはユ-カリ、ランタナ、カミヤツデ、
   ハキダメギク、野生化したブ-ゲンビレアなどが眼につく。とくにランタナはやたらに多い。辺りを
   覆うほどに繁茂していた。どこまで行ってもランタナ、ランタナ、ランタナ…途切れることがない。
   ランタナは熱帯アメリカ原産の常緑低木。花ははじめ淡黄色で、しだいにオレンジ色、紅色へと変化
   することからシチヘンゲ(七変化)とも呼ばれる。暖地では非常に繁殖力が強いのだろう。ネパ-ル
   でもチトワンからカトマンズまで無数のランタナを眼にしたことがある。日本にも入ってきているが
   野生化はしていない。残念なことにランタナは近くにあるため、走る列車からはカメラに収めることが
   できない。

    列車は家々の間を走りながら高度を上げていたが、やがて眼下の山間に集落を見るようになる。
   カルカの街の一角だろう。緑の中に赤い屋根が映える。窓から後ろを振り向くと、あえぎながら上って
   行くわがトイトレインの姿があった。

         緑の森に赤い屋根が映える集落           山間を上って行くトイトレイン

          

    いくつものトンネルをくぐって行く。その度に子供たちが奇声を上げる。列車がトンネルに入り、
   くぐり抜けるまで子供たちは大声を上げ続けているのだ。初めのうちは”まあ、いいだろう”と思って
   いたがそのうちウンザリしてくる。その声は車内に響き渡り耳をつんだく。調べてみたらトンネルは
   シムラまで103もあった。親たちはとがめるどころか、その様子をニコニコしながら見ている。
   ”まあ、ここはインドなのだ”…そう思って諦めるしかない。

              家族連れの乗客               トンネルから出てくるトイトレイン

          

    曇り空だった空が小雨になり次第に激しくなってきた。気がつくと天井から雨漏り、しかし誰も
   気にしている様子はない。何も大騒ぎすることはない、列車が支障なく走ってくれればそれでよい..
   のだ…そんな風に見える。
   列車は山麓から山腹、さらに上部へと走っている。前方の山の稜線がほぼ同じ高さになってきた。
   標高はすでに1000mを越えているのかもしれない。山の車道が遙か下になり、真下を覗くと今まで
   走ってきた線路が見える。列車は九十九折りに敷かれた線路をトラバ-スしながら上っているのだ。

           遙か下に見える車道             真下に走ってきた線路

          

    視界は大きくなったり狭くなったりする。森の中に入ったり出たりしている。しかし、列車はあえ
   ぎながらも確実に上部へと進んでいる。そんな風景を眺めていたとき、突然トイトレインは停まった。
   その瞬間、もの凄い悪臭が鼻をつく。強烈な臭いが車内を取り巻く。何だろう、何が起きたのだ…
   誰も分からない。時計を見ると14時10分…。そのうち通りかかった車掌に添乗員の永田さんが
   聞いた。
   「列車はどうして停まったのですか、何があったのです?」
   「いや、車体の調子が悪いだけだ」…車掌はそれだけ言って、次の客室に入って行った。何でもない
   という顔つきである。
   窓から外を覗くと、乗客たちが線路脇に降りてウロウロしていた。前の方へ歩いて行く人も見える。
   しかし意外にもみな表情はのんびり、中には写真を撮っている者もいた。

                  線路脇に降りてひと息入れている乗客たち

           

    しばらくすると、様子を見に行っていたガイドのパッサンさんが戻ってきて永田さんに知らせた。
   「列車が走っていたとき、突然上から牛糞が落ちてきて線路をふさいだのです。取り除く作業は
   だいたい終わりました。そろそろ動くでしょう」…。
   真上に牛小屋があったらしく、山のように積み上げられた牛糞が線路に落下したというのである。
   通過する車窓から見ると、牛糞が山の斜面を覆い尽くすほどに埋めていた。土砂崩れに非ず、牛糞
   山崩れである。何という珍事だ、インドならではのことだろう。いや、いかにインドでもこうした
   ことが度々起こるとは思えない…何ともおかしい、思わずクスリと笑ってしまった。

    臭いはすでにおさまっていた。14時35分再出発。
   車窓からはランタナが少なくなりヒメジョオンが多く眼につくようになる。樹木もユ-カリが消え、
   標高が高くにつれて針葉樹が山を埋めるようになっていた。とくに赤い肌をもつマツの木がよく
   目立つ。

     雨は小降りになったり時に激しく降りはじめたりする。長さ1146mのいちばん長いハロウブ・
   トンネルをぬけると、さらに雨激しくなり深い霧の中から木々がぼんやりと浮かぶ。いよいよ
   ヒマラヤの入り口に来たか.…そんな感慨を覚える。
     ほどなく標高の高い駅に着きしばらく停車。20あるこのコ-スの駅のひとつで、比較的大きな駅で
   ある。乗客たちは駅の売店でチャイを飲んでいたが、私は車窓から見えていた鮮やかな花を確かめ
   に行った。一つはノウゼンカズラ、もう一つはフユサンゴだった。いずれもホ-ムそばの山壁に咲い
   ていたものである。ノウゼンカズラは中国原産の落葉つる性の樹木。日本でも古くから庭園や公園に
   植えられている。フユサンゴはブラジル原産と考えられている常緑低木。赤い実は、庭木や冬の
   鉢物として観賞される。

            ノウゼンカズラ                   フユサンゴ

          

    やがて車窓の下に集落が見えてきた。山の斜面から山麓に広がる大きな街だ。ソ-ランドという
   街らしい。キノコが採れるところで有名なところだという。
   16時30分、陽が射しこみはじめ山の稜線がクッキリと浮かび上がる。遠く山の斜面にシムラの街が
   見えてきた。

            ソ-ランドの街            雲の上にクッキリと山の稜線

          

    シムラ駅に着く。迎えの4WDに分乗、ホテルに向かう。その途中、高い梢の木々が夕闇の霧の中
   に浮かんでいるのに気づいた。木々は無数に見える。辺り一面に繁茂している。街路も、家の周りも…
   さらに山々もこの針葉樹で埋めつくされていた…。これはヒマラヤスギにちがいない…ガイドに
   確かめところ、やはりそうだった。夢中になってカメラを向ける。
    ヒマラヤスギは、ヒマラヤ山脈西部の標高1500mから3200mの地域が原産地である。シムラから
   マナリ辺りがその中心と考えていいだろう。アフガニスタン東部にも見られるというが…。

                        ヒマラヤスギ

           

    ホテルに着いたのは18時40分頃。この日は、デリ-のホテルを4時30分に出発してから14時間の
   長い移動になった。

    ホテル内では部屋割の手続きをしているはずだったが、私は庭先でヒマラヤスギの風景を眺めた。
   どの梢も空高くスックリと立っている。天に向かって真っすぐ伸びている。樹高は30m~40m、高い
   ものは50m以上はあるだろう。
   枝ぶりも一様ではない、それぞれが勝手なつきかたをし、勝手な方向に伸ばしていたが、それが
   かえって風情を誘う。風景としての美しさを感じる…壮観である。
   古くに日本に入り植えられているヒマラヤスギは、樹形の美しさはあるがあまりに整い過ぎて風情は
   感じない。自然に生えているものと植えられているものとの違いだろう。

      7月10日  シムラ~カルパ 約270km。

              シムラ~カブラまでは緑の点線  西友旅行資料より

            

    昨晩はぐっすり眠った。頭はすっきりしている。早朝ホテル周辺を散策してみた。坂道を下って
   行くと、ヒマラヤスギの間から山の斜面にシムラの家々が見えてくる。屋根のほとんどは赤色、
   少ないが青色のものもある。
      雲は眼下にあって、その中に幾重にも重なる山々が黒いシルエットとなって浮かんでいた。
   幻想的な風景だ。静けさの中から野鳥のさえずりが聞こえる。シムラはヒマラヤの前山にある。
   朝の空気が清々しい。
     道端にはヘビイチゴ、アメリカフウロ、ムラサキカタバミ、アジサイ、イノコズチ、ハキダメギク、
   ソバなどの花々が咲き眼を楽しませてくれた。

                  雲海にシルエットとなって浮かぶ山々

             

       ヒマラヤスギの間から見えるシムラの街           雲海に浮かぶ山々

          

    朝食レストランでは、添乗員の永田さんがパルスオキシメ-タ-でメンバ-の血中酸素を測定して
   いた。ホテルの標高は約2200m。私の血中酸素は98%、平地と変わりない。しかし、この数値は高度
   が上がるにつれて次第に下がってくることになる。
   シムラからは4台の4WDに分乗、ラダックのレ-までヒマラヤの峡谷を走って行く。12日間の車の
   旅である。ドライバ-は1号車がゴ-トさん、2号車がアルジュンさん、3号車がダワさん、4号車が
   ラケシュさん。ゴ-トさんがいちばん年長に見えるが、いずれもチベット系の青年ドライバ-だ。
   私はラケシュさんの4号車に乗る。

     8時20分ホテル出発。

    街中をぬけ山道に入って行く。道は意外によい、ほぼ舗装されている。小雨模様だがドライブは
   快適。対向車はほとんどない。ときどき派手な装飾をしたトラックが行き交うぐらい。
   辺りには鬱蒼とヒマラヤスギが茂る。ヒマラヤスギ、ヒマラヤスギ、ヒマラヤスギ…どこまで行っても
   ヒマラヤスギだ。霧の中に無数の木々がぼんやりと浮かぶ。

    山壁には紅紫色のブッドレアが多く眼につく。中国原産の落葉低木で、和名ではフサフジウツギと
   呼ばれる。まれにサルスベリも見られる。
    雨激しくなりドシャ降りになってくる。窓ガラスに大粒の雨がしたたり落ち視界悪し。ときどき霧の
   中から現れてくるバイクのライトがボオ~と浮かび上がり通り過ぎて行く。

                 前方を行くツア-の4WDとやってくるバイク

             

   街近くに来ると車多くなり混んでくる、渋滞気味。なかなか抜けられなかったが、やっとナルカンダ
   という街に入りトイレ休憩。時刻は10時20分。少し寒い、店でチャイを飲んで体を温める。

    ドシャ降りの街路で数頭の野良牛がウロウロしていた。店に入りたそうだが入れてもらえない。
   大雨の中でうろついたり立ち止まったりしながら、うらめしそうに店の方を見ていた。
    雌牛は子を生み乳を出すため大事にされるが、雄牛は用が済むと野に放たれる。放たれた雄牛は
   餌を求めて街中をさまよい歩く。役にたたなくなった雄牛でも、殺して食べるわけにはゆかないのだ。
   インドでは牛は神の化身とされているのである。

        店の奥でチャイを飲むツア-メンバ-        大雨の中をウロウロする野良牛

          

    11時05分、ナルカンダ出発。山道に入りゆるやかに高度を上げてゆく。舗装された道路はなくなり
   車は大きく揺れる。辺りには依然ヒマラヤスギの群落続く。山間に赤い屋根をもつ家々点々。
   40分後写真ストップ。
    山々は針葉樹に包まれているが上部に行くほどまばらになっている。遙か下には黄濁したサトレジ
   川が、谷間をぬいながら激しい勢いで流れていた。暴れ川らしく、数年前には大洪水により大勢の
   犠牲者が出たという。山腹から山麓にかけては段々畑がつくられ、いくつかの集落が点在していた。

    サトレジ川は、チベットのカイラス山付近に源を発しヒマラヤ山脈を横断、南西に転じてパキスタン
   に入りチェナ-ブ川と合流、やがてインダス河に呑み込まれる。インダス河の支流の一つではあるが、
   全長1400kmの大河でもある。

           山間を流れて行くサトレジ川          山裾の集落と段々畑

            

    左前方の山々には白い雲がかかりゆっくりと流れていた。山麓にはときどき棚田が見られ民家
   チラホラ。雨は小降りになってきたが道はぬかるみ崩壊した大小の石がゴロゴロ、車前後左右に
   揺れながら走って行く。
    やがて遙か下に見ていたサトレジ川近づいてくる。川の色は灰白色、鉛を溶かしたような色だ。
   多くの鉱物を含んでいるものと思われる。深い峡谷の山裾を削りとりながら流れてきたからだろう。
   サトレジ川沿いの風景をぼんやり眺めていると、左前方に大きな街が見えてきた。ランプ-ルの
   街らしい。13時前、この街に入りホテルで昼食。ここの標高は1300m。シムラから900m下った
   ことになる。

                          ランプ-ルの街

             

          鉛色をしたサトレジ川の流れ          山道を行くツア-の4WD

          

    昼食を済ませたあと、キナ-ル王国時代の宮殿を訪ねる。この地を治めていたマハラジャ
   (王様)の家である。創建は1917年、しかしイギリス統治下になってからは経営が行き詰まり、
   1953には国に寄贈されたという。現在は大学として使用されているらしい。
   赤い屋根をもつコロニアル様式の建物で、随所に木材が使われている。なかなかの風格を感じる。

                   キナ-ル王国時代のマハラジャの館

             

    14時ランプ-ル出発。再び車は山道に入り、右に左に曲がりくねりながら次第に高度を上げる。
   左前方の対岸には1本の帯のように続く道が敷かれ、そこを走って行く車が見える。そのほとんどは
   トラックだ。まれにバスが通ることもある。私たちの4WDも小さな橋を渡り対岸へ渡って行く。
   対岸を渡ると今まで走ってきた道が見えてくる…。いったい俺たちは前に進んでいるのか…一瞬
   錯覚に陥る時がある。

              私たちが走ってきた山道 前にバス、うしろにトラック

             

    車は眼の前の山から谷へ、谷から山へ次から次へと上ったり下ったりしながら峡谷の山道を渡り
   走っている…。ここはヒマラヤの山岳地帯、先へ行くにはこの道を通るしかないのだろう…。
   ドライバ-のラケシュ君は、真剣な表情で前方を見据えハンドルを切っていた。

                  断崖の上を走って行くツア-の4WD

             

    真下を覗くと鋭い岸壁が切れ落ち、谷底には小さな流れが尾を引いていた。前方に眼をやると、
   幾筋もの滝が見られた。これこそ大河の源流である…。いずれはサトレジ川に流れ込んでいく
   支流になるのだろう。
    この山中にあっても、身を寄せ合うようにかたまる集落が眼につく。こんなところにも人が住んで
   いる…。

               谷底を流れる川              突き出た岩稜に建つ集落

          

    15時25分写真ストップ。崖下にはサトレジ川が激しい勢いで奔り下っていた。左前方には山肌に
   刻みこまれたような山道が見える。反対側に眼を向けると、岸壁の中程に細い糸のような道が続い
   ていた。かっての塩の道かもしれない。

          谷底を流れるサトレジ川           岸壁の中程につくられた道

          

    1時間後、ドライバ-がガソリンスタンドで車に給油している間、私は間近にサトレジ川の濁流を
   見つめた。流れは凄まじい勢いで迸り、渦巻、逆流、猛り狂っていた。何という激しさだ!、何という
   光景だ!、河神の怒りにでも触れたのか!...。いかなる力もこの濁流を鎮めることはできないだろう
   ...と思えるほどに凄まじい自然のエネルギ-を感じる...。
   激しい流れには白いしぶきが上がるはずだが、そんなものはない。ドロドロした灰褐色のしぶきが空間
   に飛び散り巻き上げられていたのである。サトレジ川の河床は、想像も及ばない険しい地形になって
   いるにちがいない。ここに人間が投げ込まれたらそれまで、たちまち濁流に呑み込まれて岩礁にぶち
   当たり、体は粉々に砕かれて飛び散ることだろう。
   猛り狂っていた逆流は眼の前の狭い範囲だけではなかった。辺り一面に広がりどこまでも続いていた。
   

                      サトレジ川の濁流

           

                        サトレジ川の濁流

          

    この先サトレジ川沿いの道は崖崩れで不通になっていたため、車は迂回することになった。頭上の
   高い山を上って下り、再びサトレジ川沿いの道を走ることになる。車は九十九折りの山道を上って
   いたが、峠近くに来たところで突然止まった。その先でも何台かの車が連なり、数人の人が降りて
   いた。どうやら対向車の大型トラックを通すため待機してらしい。下の道が不通のため、東西を繋ぐ
   道はこの道しかない。すべての車はこの道を利用せざるをえないのだ。私も車から降りてぶらぶら
   する。
   周りの高い山々は白い雲に覆われ展望はきかない。下を覗くと二つの川に挟まれ大きな船のような
   形をした中州に、何かの施設のような家々が見えた…軍の建物かもしれない。

          トラックを通すため待つ私たちの車              谷間に見える家々

          

    30分後、上りの車が動きはじめる。峠を越えると澄んだ川が見えてくる。清冽な流れだ。流れは白い
   しぶきを飛ばしながら激しく奔り下っている。私は珍しいものでも見るかのように、その白いしぶきを
   眺めていた。それまでサトレジ川の色ばかり見ていただけに新鮮に映ったのだ。しかしこの川も、
   下流に近づくにしたがい黄濁した色に変わっていった。そして、サトレジ川の横腹に突き刺さるよう
   に流れ込んでいった。サトレジ川の支流だったのである。

                        サトレジ川の支流

          

      その後私たちはサトレジ川沿いにキナ-ル渓谷を走り続け、19時頃だったかカルパのホテルに
      着く。カルパの標高は約3000m。私の血中酸素は93%だった。

      7月11日  カルバ~ナゴ・ゴンパ~タボ  約215km

                   カルバ~ナゴ・ゴンパ~タボまでは緑の点線

            

    早朝、ホテル前方にはひと際高いヒマラヤの山が聳えていた。ガイドに聞くと、正面に見えて
   いるのががキナ-ル・カイラス、右手はジョカンデンと教えてくれた。
   キナ-ル・カイラスは標高6050m。山の上部を輪のようにとり巻く雲の上にわずかに頭を覗かせ、
   山頂辺りから落ちる氷河とも雪の帯とも思えるような2本の白い流れが見える。その流れが交わる
   ところから下に落ちているのは滝か...。
   積雪は少ないものの、山の形はチベット西部に聳えるカイラス山によく似ている。名前はそこから
   つけられたものかもしれない。カイラス山のような信仰の山か...と思ったらそうでもないらしい。
   この地帯はインド系とチベット系の民族が混ざり合っているところだという。

                      キナ-ル・カイラス山

             

    ジョカンデンの標高は7127m。キナ-ル・カイラスと比べると山顚辺りに深い積雪が残り、幾筋
   もの氷河が流れ落ちていた。堂々たる貫録を感じる山だ。この辺りではいちばん高い山だろう。
   山腹から谷底にかけて流れているのは滝か…。この日は雨模様で山の稜線がはっきり見えないのが
   残念。

                       ジョカンデン山

           

    7時40分ホテル出発。この日は3号車に乗る。ドライバ-はダワ君。
   ホテルを出て街中に入り、ほどなくビ-マ-カ-ルと呼ばれるヒンズ-寺院と、チベット仏教寺院の
   ロツァワ・ゴンパに案内される。小さな寺だがいずれも10世紀に建てられ、千年以上の歴史をもつ
   古刹だそうだ。ヒンズ-寺院は木造建築、外観にけばけばしさはなくしっとりとした風情を感じる。
   ヒンズ-寺院にありがちなドロドロした感じはない。なかなか好感のもてる建物だ。

                     ビ-マ-・カ-リ-寺院

             

    ロツァワ・ゴンパには、閻魔大王が地獄に落ちた罪人をこらしめる壁画や、仏陀の生涯を描いた
   壁画が飾られてあった。壁画も10世紀のものだというから大変貴重なものだろう。日本でいえば
   国宝か重要文化財に値するものだと思われる。
   このゴンパは、10世紀リンチェン・サンポが建てたとされる。

                 ロツァワ・ゴンパに飾られていた壁画

          

    寺院の見学を終えてタボに向かう。距離は215km。タボの標高は3200m、高低差は約1000m
   だが一気に上って行くのではない。峡谷の山々をいくつも上ったり下ったりしながら高度を上げて
   行くのだ。この時期は雨季に辺り雨は降ったりやんだり、モンス-ンの影響を受けているのだろう。

    サトレジ川沿いにキナ-ル渓谷を溯って行く。道には崖崩れの大きな石がゴロゴロころがり、車
   上下左右に大きく揺れる。ヒマラヤスギは姿を消し、山の上部には点々と低い木々がダンゴ状に
   広がる。次第に滝が眼につくようになってきた。山頂辺りからいくつもの白い流れが落下している。
   滝は長いものもあれば短いものもある。…そんな風景をぼんやり眺めていたとき、突然眼の前に
   大きな滝が現れてきた。スゴイ流れだ!、地を揺るがすような大音響を轟かせている。
   車は無事そばの鉄橋を走りぬき対岸へ渡って行った。この先ももこうした難所に何回も遭遇すること
   になる。

                        激しい勢いで落下する滝

             

    9時40分頃、木造のつり橋付近で検問所を通過し40分ほど走ったあと写真ストップ、しばらく休憩。
   辺りには切り立ったな岩壁が屏風のように連なり、深い渓谷をつくっていた。前方にはオ-バ-
   ハングになった岩が道路に被さり、眼下にはいっこうに衰えないサトレジ川が灰褐色の川面を見せ
   ながら激しく流れていた。私たちはこの先もサトレジ川を溯って行くのだが、こうした光景はまだまだ
   続くのだろう。
    道端でくつろいでいたドライバ-のタワ君とラケシュ君の写真を撮らせてもらったが、光線の加減で
   顔が黒くなり残念。この二人は、私たちが車から乗り降りする時はドアの開け閉めをしてくれ、私の
   シ-トベルトがうまく嵌らずモタモタしていると手を添えてくれた。表情も素直だ。なかなかの好青年
   である。

      ドライバ-のラケシュ君(左)とダワ君(右)   キナ-ル渓谷でくつろぐツア-メンバ-

          

    休憩を終え再び走りはじめてほどなく、前方から大型バスがやってきた。車は山側によけてしばらく
   待つ。高度を上げて行くにつれて山肌の緑は少なくなり、色彩のない山岳地帯が続く。道端には
   崩れ落ちた岩の破片がゴロゴロ。真下には谷底を流れるサトレジ川が見える。いよいよヒマラヤの
   奥深くに入ってきたのか…。そんな思いをもつ。

              前方からやってきた大型バス     岩の破片がころがる道を行くツア-の4WD

          

    バスとすれ違い40分ほど走ったところでまた止まった。崖崩れらしい。道端に除石作業車が止まり、
   崖の上では2~3人の男たちが棒のようのもので石をつつき落していた。
   何だろう、何のために…一瞬そう思ったが、崩れかかった石を下に落とし、すでに道に落ちている
   石とともに除石車に運んでもらうためと分かった。ところが作業車はなかなか動かない。どうやら
   作業車は故障し修理しているところらしい。わがガイドとドライバ-もその様子を見ている。
   ドライバ-の一人は修理の手伝いをしていたかもしれない。

             崖の上から石を突き落す作業員     作業車の様子を見ているガイド、ドライバ-

          

    30分後ようやく作業車が動き出し開通した。峠を越えると視界広がり街が見えてきた。車どんどん
   高度を下げて街中に入り、橋の袂の茶店で昼食の弁当を開く。弁当はサンドイッチ、ジャガイモの
   ふかしたもの、ゆで卵、ジュ-ス、果物など。具のないラ-メンも食べたような気もする。
   ここの標高は約2500m。

        茶店そばの橋から眺めたサトレジ川          昼食をとった街の一角

          

    昼食後キナ-ル渓谷を溯って行くと、やがてサトレジ川とスピティ川の合流点にさしかかった。
   東からは茶褐色のサトレジ川が、北からは灰色のスピティ川が流れこみ合流していた。どちらも白い
   しぶきは見られない。それぞれが灰色と茶褐色の泥水を吹きあげていたが、合流してまもなく灰色の
   流れは茶褐色に染まり、スピティ川はサトレジ川に呑みこまれたように見えた。
   流れの激しさはどちらもスゴイ、岩を噛みながら渦巻き奔騰していた。しかしその勢いはサトレジ川
   のほうがより激しいように思われた。サトレジ川の上流には大雨があったらしい。
   ここから下流はスピティ川の名は消える…。名前は消えるがサトレジ川とともにインダス河に呑み
   込まれ、やがてはアラビア海に注いで行くのである。これから先、私たちはスピティ川に沿って北に
   進んで行く。

               サトレジ川(手前)とスピティ川(後方)の合流点

             

                       サトレジ川とスピティ川の合流点

          

    合流点に架けられた橋を渡り、キナ-ル渓谷からスピティ渓谷に入る。これから先は一気に高度を
   上げて行く。道沿いを流れていたスピティ川は遙か下になり、行く手には次々に岩山が現れてくる。
   岩山は赤褐色あるいは黒褐色の山肌をもったものが目立つ。褶曲状に線の入ったものもあれば
   縦横に割れ目の入った岩山もある。今にも崩れ落ちそうな岩山もある。雑多な種類の岩山が際限なく
   立ち現れてくる。壮大な風景だ。標高はすでに3000mを越えているかもしれない。

                            スピティ渓谷の岩山

             

    やがて展望大きく広がり、遠く山の窪みに集落が見えてきた。ナコの村だ。車はその集落に向かっ
   て進んで行く。14時ナコ・ゴンパの入り口に着く。
     小雨が降っていたため傘をもって湖畔を歩いて行くと、バラの花が咲く民家のそばでヤギ2頭が
   出迎えてくれていた。ヤギは無心にバラを食べていたが、私たちが通りかかると雄らしき1頭が
   こちらを向いた。ナコへようこそ...と思いたいが、見慣れない人間どもが来ている...とでも思って見て
   いたのかもしれない。
    バラの名は、ヒマラヤ・ムスク・ロ-ズ...現地の人が呼ぶ名前らしい。

             バラを食べるヤギ2頭            出迎えてくれた雄のヤギ

            

    ナコ・ゴンパは湖畔の一角にあった。パドマサンババが祀られている寺院で、10世紀末にチベット
   仏教の経典翻訳者であるリンチェン・サンポが建てたと伝えられている。
   パドマサンババはチベットやブ-タンではグル・リンポチェと呼ばれ、8世紀にチベット仏教で最も
   古いニンマ派を創設した人であり、チベット仏教の開祖でもある。八変化の神としても知られている。
   お堂にはその足跡とされるものも祀られていた。小さなお堂だが、チベット族の人たちにとっては
   心のよりどころになっている神聖な場所なのだろう。それにしても、顔の表情は日本の仏像と随分
   違っているのに驚く。

                           パドマサンババの像

             

    お堂を見学したあとはナコの村を散策した。この村に住んでいるのはほとんどがチベット族だ。
   四角いチベット風の家々は石塀で囲まれ、屋根の上にはたくさんの薪が載せられてあった。生活の
   ための燃料だろう。ここの標高は3662m、おそらく9月末頃から雪が降りはじめ、真冬にはマイナス
   20度前後まで冷え込むにちがいない。どの家にも経文が書かれたタルチョが立てられてあった。
   チベット族の人たちは風がはためく度に経文が読まれ、それが自分たちの幸せを呼ぶと考えている
   という。

                     チベット族が住むナコの村

          

    高台に上ると山の窪みにナコの村が見え、その向うにはスピティ川が灰色の川面を見せながら谷間
   をぬうように流れ、石段でつくられた棚田にはグリ-ンピ-スの畑が広がっていた。やせた土地でも
   グリ-ンピ-スは育つのだろう。マメ科の植物は根に根粒菌という細菌をもち、植物に欠かすことの
   できない窒素を大気中からとりいれる力をもっているためと思われる。

           高台から眺めたナコの村          棚田に広がるグリ-ンピ-ス畑

          

    ナコの村を離れてゆるやかに下って行き17時頃チェックポイントを通過、その後スピティ川沿いを
   ひたすら走り続け、18時30分頃タボのホテルに着く。
   タボの標高は約3200m。私の血中酸素は93%、前日と変わりなし。

     7月12日 終日タボ・ゴンパとフ-ゴンパ、村の散策

    久しぶりに青空が見える気持のよい朝だ。朝日が昇りはじめると、うす暗い中から辺りの景色が
   現れてくる。ホテルの周りには荒涼とした岩山が聳え立ち、明るい光に照らされたタボの村が広がる。
   午前中訪ねるタボ・ゴンパはこの村の中にある。
    ホテル裏から左手遠くに眼をやると、黒い山々の間から三角状の雪山が頭を覗かせていた。眼の前
   には麦畑が広がり、辺りの木々とともに瑞々しい緑が眼に沁みる。
   ホテル前の上には溶岩が流れ落ちたような岩山が横たわり、中腹のガレ場には四角い建物が見られた。
   午後訪ねる洞窟寺院だという。

                      ホテル裏からの風景

           

                 三角状の雪山            僧侶が瞑想したという洞窟寺院

          

    9時過ぎホテルを出て村の路地を歩いて行き10分ほどでタボ・ゴンパの入り口に着く。門をくぐり
   中に入ると民家を少し大きくしたような土壁の建物があった。996年リンチェンサンポによって築か
   れたと謂われ、今はゲルク派の僧院となっているタボ・ゴンパだ。いかにも質素な外観に見えるが、
   貴重な仏像や壁画などの美術品を外敵から護るため、目立たないようにつくられたと伝えられている。
   内部には、”ヒマラヤのアジャンタ”とも呼ばれる”カシミ-ル芸術の影響を受けたすばらしい美術品
   が保存されているという。ダライラマ14世は、この僧院を5回訪ねたことがあると聞いた。

    私たちが着いたときには、僧侶たちによってタルチョが立てられているところだった。夜は外され
   てあるのかもしれない。第1窟の入り口の壁には、曼荼羅の絵が描かれた説明文の幕が貼られてあった。
   内部は撮影禁止である。フラッシュによる美術品の劣化を防ぐためだろう。

                       タボ・ゴンパの外観

             

           タルチョを立てる僧侶たち        第1窟入り口に貼られた説明文

          

    靴を脱いで第1窟に入ると、天窓からもれるうす灯りの中にいくつもの仏像が見えてくる。
   正面にはご本尊の大日如来が祀られてあり、その下にはダライラマ14世の写真が飾られ、左右には
   それぞれ15体の仏像が安置されてあった。立体曼陀羅や金剛力士の像もあった。いずれも10世紀から
   11世紀につくられたものだという。辺りに荘厳な雰囲気が漂う。
    10世紀から14世紀に描かれた壁画も数多く見られた。奥に入るとそれぞれ顔の表情が違う千仏の
   壁画が、さらに天井や左右の壁にも様々な壁画が見られた。中にはチベット王の生涯が描かれた作品
   もあった。

    第2窟には中央にご本尊の釈迦如来が祀られ、8体の薬師如来が安置されてあったように思う。その
   他はすべて壁画だった。いつごろ建てられたかはよく覚えていない。

    第3窟はまんだら堂と呼ばれる小さなお堂。仏像は置かれてなくすべて壁画で埋められていた。
   釈迦如来を真中に、天井や左右の壁には大日如来、阿弥陀如来、薬師如来などの壁画が描かれてあっ
   たような気がする。このお堂では、女性を含む4人の画家が修復作業をしていた。
    彼らは私たちが入って来ても真剣な表情で壁画に向かい、筆をすべらせていた。うす暗い中での
   緻密な作業は大変だろうと思われる。しかしこの地道な作業があるからこそ、すばらしい美術品が
   後世に残されていくのである。彼らもそう思ってこの仕事を進めているにちがいない。

    建てられたのは14世紀か、それとも16世紀か…案内してくれた僧侶ははっきりしなかった。本人も
   よく分からなかったのかもしれない。

    第4窟も小さなお堂。17世紀につくられたものらしい。壁画は赤や青を基調にし、釈迦如来や文殊
   菩薩が鮮やかに描かれていた。

    第5窟の創建は10世紀だという。だとすれば第1窟と同じように古い歴史をもっていることになる。
   この窟も大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来、文殊菩薩などの壁画で埋められていたように思う。

    第6窟は弥勒菩薩堂と呼ばれ、13世紀につくられたとされる。ここもやはり弥勒菩薩を中心とした
   壁画だった。
    このあとも7窟から9窟まで案内されたそうだが、私は見学を諦めて外に出た。水を持ってきて
   いないことに気づき、近くに買い求めに行ったがそれらしき売店はどこにもなく、そのままブラブラ
   したり椅子で休んだりしていた。外に出てタバコで一服したかったからでもある。

    写真撮影が禁止されていたため、絵葉書からそのいくつかを披露させてもらうことにする。
   説明文によれば、11世紀につくられた仏像や壁画とされていることから第1窟のものが多いと
   思われる。

                    タボ・ゴンパの立体曼陀羅

           

                      タボ・ゴンパの壁画

          

                      タボ・ゴンパの仏像

              

                          タボ・ゴンパの壁画

              

    その後、隣に建てられていた修復中の新しい寺院や、早朝僧侶たちが礼拝に訪れるお堂にも案内
   してもらった。この寺院に在籍する僧侶は50人、うち33人は常時勤めているという。礼拝堂中央の
   祭壇にはダライラマ14世の写真が飾られてあった。

                    早朝僧侶たちが礼拝に訪れるお堂

           

    寺院を辞したあとチベット族の民家を訪問、階上の部屋に案内され紅茶とマツの実でもてなされた。
   流暢な英語を話すご主人にいろいろな質問が出されたが、私はリンゴについて訊ねてみた。
   前日カルパからタボに移動中、民家の周りはもちろん山麓や河畔に茂るたくさんのリンゴの木が
   眼につき、気になっていたからである。リンゴの木は人家のない山の斜面にも延々と続いていた。
   もしかしたら自然に生えているものではないのか...あるいは植えられていたものが逃げ出し、野生化
   したのかもしれない...と思ったのだが、ご主人は
   「すべて植えられているものです。リンゴの栽培は1999年から始まり、今ではこの地の重要な
    産業になっています。ここでつくられたリンゴはすべて他地区へ出荷されます」...と話してくれた。
     リンゴの実は日本のものより小ぶりで半分にも満たない。品種も栽培方法も違うからだろう。

             リンゴの実                    タボの街

          

    ご主人の話で印象に残ったのは
   「子供は都会に住んでいる者もいますが、私は水と電気があるかぎりここに住みつづけたいです」
   …という言葉だった。私たちにはこの厳しい自然の中で暮らすのは大変だろう、と思われるのだが、
   やはり生まれ育ったところがいいのだろう…。こうした話は他でも聞いたことがある。中国四川省の
   山奥に住むチベット族の若い娘も、ネパ-ルのジョムソンの山村に暮らすチベット系タカリ族のオバ
   さんも…。おそらく遊牧民もそうだろう。本人が幸せだと思えば、それが幸せなのである…。

    ホテルで昼食をとり休憩したあと、フ-・ゴンパと呼ばれる洞窟寺院に向かう。ホテル前から洞窟
   寺院に続く石畳の山道を上って行くと、一面に岩の破片が広がる山の斜面に黒い巨岩が眼に入って
   きた。巨岩には洞穴が見える。一瞬洞窟寺院かと思ったがそうではないらしい。もう少し先のようだ。
   この荒涼とした大地にも緑の草が生えていた。現地の人がウタバと呼ぶマメ科の植物だ。
   先にふれたようにマメ科の植物はやせた土地でも育つ。大気中から窒素をとりこみ、栄養にしている
   からである。

                         洞窟寺院入り口

             

          大きく穴の開いた巨岩              洞窟寺院に向かうツア-メンバ-

          

    洞窟寺院に着く。自然の洞穴を利用したものだろう。中には僧侶が瞑想修行する暗い窟があった。
   ガイドのパッサンさんは、
   「修行を志す僧侶は3年3ヶ月もの間この窟に籠ってひたすら瞑想にふけり、悟りを開こうとする。
    しかし瞑想中には様々な悪魔がとりつき修行の邪魔をしてくるが、そこで挫折すれば悟りを開くこと
    はできない。自分との戦いでもある。ゲセと呼ばれる高僧を目指し、こうした難行苦行に耐えなけれ
    ばならない。食事は村の人が運んでくれる。修行を成し遂げた僧侶は大勢の人たちから尊敬される
    ようになり、将来を予言したり、重い病気を治したりするなど、ふしぎな力をもつようになる」…と
   説明 してくれた。
    凡人にはなかなか理解しがたい話だが、ヒマラヤ山中には実際にこのような僧侶が存在し、人々
   から篤く尊敬されているのだろう。この厳しい環境の中で暮らす人たちにとっては、チベット仏教へ
   の”祈り”が心の支えになっていると思われる。
    この窟には15世紀から16世紀に描かれた壁画もあるということだったが、鍵がかかり拝見できなか
   った。その後村の散策をしたあとホテルに帰る。

     7月13日 タボ~ダンカル・ゴンパ~ラルン・ゴンパ~クンリ・ゴンパ~カザ 距離 120km

                     タボ~カザまでは緑の点線
            

    この日はタボからいくつかのゴンパに立ち寄りながらカザヘ向かう。8時30分ホテル出発。
   車はスピティ川沿いを走っていたが山道を上りはじめ深い渓谷に入ると、道の両側には大きく険しい
   岩山が続くようになる。岩山は縦に無数の割れ目が流れ落ちたもの、褶曲状に横に線の入ったもの、
   赤身を帯びたものが多いが、光の入らないところは黒い影になり鮮やかなコントラストを描いていた。
   しかし何れの岩山も、触るとボロボロ崩れ落ちそうに思える。もろい砂岩でできているのだろう。

                       スピティ渓谷の岩山

             

    展望大きく広がり、遠くに雪山が見えたところで写真ストップ。名前は聞かなかったが、四時
   雪を戴く6000m級の山だろう。青空に白い山顚を覗かせていた。手前の山々には低い樹木が散らばる。
   道端には白い花が生えていた。地元に人がウタバと呼ぶマメ科の植物だ。白い花びらを上に大きく
   広げ、太陽の光をいっぱい浴びていた。花は清楚で美しい。

                  スピティ渓谷の一角から雪山を遠望する

             

        地元に人がウタバと呼ぶマメ科の花     スピティ渓谷の一角から雪山を遠望する

          

    車ゆるやかに下りはじめ広い平原に出ると、一旦離れていたスピティ川にまた出会う。河畔には
   麦畑が広がり民家も点在するようになる。そこから大小の石がころがる荒蕪地に出たところで、
   数頭の牛の姿があった。こんなところで牛の放牧とは…と一瞬思ったが、草は砂礫の間にダンゴ状
   に散らばっていた。再び車は山の斜面を上りはじめ、やがてスピテイ川の湾曲部に着く。

    スピティ川は高い岩峰群が連なる谷間を大きくカ-ブしながら流れていた。灰色の川面も太陽の光
   を浴びて白く見える。私たちはかなり高いところにいるはずだが、スピティ川は真下にあった。
   この川も渓谷に沿って高所を流れているのだ。私たちは明後日のクンザン峠まで、スピティ川に沿っ
   て溯って行く。地図で見ると、この川の源流はクンザン峠からおよそ100km位北へ溯ったところに
   あった。ここで、ガイドのパッサンさんと一緒に写真に収まる。

                     深い渓谷を流れるスピテイ川

           

          ガイドのパッサンさんと          奇岩の間からスピティ川を覗く

          

    スピテイ川の湾曲部を離れて5分も経たないうちに先頭の車が止まった。”何だろう?…と思って
   前方を見ると、パッサンさんが真上の山を指している。すると永田さんが”野生のヤギがいます”、
   と教えてくれた。見上げると、山の斜面で草を食みながら動いている10頭位の動物が眼に入った。
   ヤギのようにもシカのようにも見える…とその時、”アイベックスだ!”という声が聞こえた。
   アイベックス!、ホントか!?…しかし私が知っている、いやテレビで見たことのあるアイベックス
   は大きく立派な角をもっていた。このヤギには角がない。あるのかもしれないがよく見えない。そう
   思いながらもカメラを向けるが遠すぎる。ズ-ムをいっぱい伸ばすがレンズがユラユラ動いて焦点が
   定まらないらい。それでもシャッタ-を押す、何回も押す、しかしうまく映らない、それでもなお
   押し続ける。その結果、何とかそれらしきものをカメラに収めことができた。どうやら、そこにいた
   アイベックスは雌だったようだ。

                   ヒマラヤン・アイベックスの群れ

             

                   草を食むヒマラヤン・アイベックス

          

     調べてみたところ名前はヒマラヤン・アイベックス。岩山に棲みつき崖から崖へ敏捷に跳び歩いたり、
   垂直に切り立った岸壁から岸壁へジャンプすることもあり、そのすばやい身のこなしから忍者ヤギ
   とも呼ばれているそうだ。この辺りには雪豹も棲んでいるらしいが、このアイベックスを捕えることは
   容易ではないだろう。

     車は山を下りはじめ前方の大きな谷間に向かって進んでいる。空は高く澄み渡りふとんのような白い
   雲が浮かぶ。時々長い吊り橋や鉄橋にも出会う。やがて渓谷大きく広がり、磊々たる磧に出てくる。
   荒々しい表情を見せていたスピティ川も広い磧の間を地を這うように流れはじめ、川面も心なしか
   青く見えるようになる。同じ川でもその表情は刻々と変わってゆく。

                     広い渓谷を流れるスピティ川

             

         吊り橋の下を激しく流れるスピティ川     磊々たる磧の間を流れるスピティ川

            

    車はいつのまにか河畔の平坦な道を走っていた。辺りに茂るヤナギやバラの木の緑が瑞々しく映る。
   車窓に入ってくる冷たい風が心地よい。快適なドライブだ...。そんな思いに浸っていたとき、前方の
   グリ-ンピ-ス畑で作業している人たちが見えてきた。家族連れかもしれない、どこか懐かしい風景だ
   ...と見ていたら車が止まった。
   パッサンさんが車から降りて家族の人に話しかけ、私たちの方を振り向き手招きしてくれた。どうやら
   グリ-ン畑に入ってくるようにということらしい。
    皆が近づくと家族の主人らしきオバさんがやってきて、大きなカンに入れたグリ-ンピ-スを手掴み
   にして私たち一人一人にくれた。口に入れてみるとなかなか美味しい。ほの淡い甘味が口に広がる。
   新鮮で懐かしい味だ、どこか郷愁を感じる...と言っても私は今までエンドウを生で食べたことはない。
   そんな気がしたのである。私は幼少のころ、野山のイチゴ、グミ、エビヅル、サクランボ、ヤマモモ、
   スカンポ、スイバ、ツバナ、カラスノエンドウなどをよく食べたが、初めての生のエンドウはそうした
   記憶を呼び起こしてくれたのかもしれない。

                 グリ-ンピ-スを私たちに差し出すオバさん

              

                 グリ-ンピ-スを摘むチベット族の家族

          

    私たちもエンドウ摘みの手伝いをさせてもらう。そしてみんなで写真に収まった。家族の素朴な
   笑顔がいい。女性も男性も大人も子供も…。摘み取ったエンドウは他地区に出荷されるのだろう。
   何とも心温まるひと時だった。

                エンドウ摘みをしていた家族と一緒に記念写真

             

   エンドウ摘みの家族と別れてまもなく、遠く切り立った崖の上に僧院が見えてきた。ダンカル・ゴンパ
   だ。まるで難攻不落の要塞のようにも見える。いかなる大軍が攻めて来ても容易には落ちないだろう...
   と思えるほどに、この僧院は険俊な岩山の上に建っていた。

                     切り立った崖に建つダンカル・ゴンパ

             

    ズ-ムを伸ばしてみると断崖の険しさがはっきりする。しかももろい砂岩の上に建っている。いつ
   崩れ落ちてもおかしくない。このゴンパは2006年、”世界で最も危険なモニュメント100”の一つに
   挙げられたらしい。

                    切り立った崖に建つダンカル・ゴンパ

             

    その後、休憩を挟んで河畔から九十九折りの山道を上って行く。辺りにはリンゴの木やヒマラヤン・
   ムスク・ロ-ズが散らばり、色彩の少ない風景にあって眼を癒してくれる。この野生のバラは乾燥に
   強い樹木にはちがいないが、地中深くに根を張り水分を得ているのだろう。
    前方遠くに眼をやると、純白の雪を戴いた高山が聳えていた。標高6553mのマニラン山の右手に
   連なる峰々と思われる。

      ヒマラヤン・ムスク・ロ-ズが生える河畔      マニラン山の右手に連なる雪山

          

    10時50分ダンカル・ゴンパに着く。ゴンパに向かい坂道を上って行くが、標高が高くなったせいか
   クラッとくる。日差しも強くとても暑い。ゴンパの上にはタルチョが風にはためき揺れていた。
   ここの標高は約3800m。この高さにあればどこからでも祈りを捧げることができる。ヒマラヤ山中の
   須弥山といってもいいだろう。須弥山は梵語で世界の妙高にあり、諸天もここに住むという意味を
   もつ。

                      ダンカル・ゴンパ

            

    小さなお堂にはご本尊の弥勒菩薩、そばにダライラマ14世の写真、壁にはタンカが祀られ、読経
   の部屋には正面にご本尊、左右に大太鼓、読経本、仏具、ロウソクなどが置かれてあった。
   ダンカル・ゴンパは10世紀末に建立され、1000年余の古い歴史をもつ寺院。当初はニンマ派だったが、
   12世紀からはゲルク派のゴンパとして今日に至っている。やはりチベットを代表するゴンパの一つ
   だろう。
    お堂を見学したあと寺院の屋上に上った。すばらしい眺めだ。車で九十九折りの山道を上るとき見え
   なかったマニランが、わずかに白い頭を覗かせていた。標高6553m、やはり他の山々よりは少し高く
   見える。西を振り向くと、広い谷間をゆったり流れる灰色のスピティ川があった。まるで止まっている
   かのようなおだやかな表情だ。下流であの激しい流れを見せていた同じ川とはとても思えない。

         雪山の一番左に見えるマニラン      広い谷間をゆったり流れるスピティ川

          

    ダンカルゴンパからラルン村に向かう。砂利石がころがるガタガタ道を30分ほど走って行くと、
   山の斜面から窪みにかけてやや大きい集落が見えてきた。赤い屋根をもち、白壁にいくつもの窓が
   見える。ラルン村らしい。村の背後には辺りを見降ろすかのように雪山が聳え立っていた。
   カイラス山を彷彿とされてくれるような堂々たる山だ。

                        ラルン村の風景

           

    15時30分、ラルンゴンパに着く。黄色い屋根の小さなお堂だ。入り口では幼い子供が出迎えてくれ
   ていた。とても可愛い。珍しそうにこちらを見つめていたが、私たちがしつこくカメラを向けるので
   逃げ出してしまった。

                 ラルンゴンパ                 ラルンゴンパ前にいた子供

          

    パッサンさんの尽力により内部の撮影が特別に許された。但しフラッシュは禁止。外観はただの
   お堂にしか見えなかったが、内部には見事な立体曼陀羅が祀られてあった。メンバ-の人たちが
   照らす懐中電灯の灯りで、辺りの仏像がほのかに浮かび上がる。正面左右の壁画の上にも数多く
   の曼荼羅が祀られ、重厚な雰囲気が漂っていた。やはりこのお堂も、10世紀末リンチェン・サンポ
   によって建てられたと伝えられている。

                     ラルン・ゴンパの立体曼陀羅

           

                      ラルン・ゴンパの立体曼陀羅

          

    ガイドのパッサンさんはラルン村の出身だという。昼食は彼が育った家をお借りし、弁当を開いた。
   彼の実家は小高い崖の上にあった。一般的なチベット族の家と思われる。ご両親は貧しかったかも
   しれないが一生懸命に働き、彼を学校に通わせ勉強の機会を与えたのだろう。だから今は立派な
   ガイドとして会社のあるマナリに住んでいる。昼食時、私たちは彼が入れてくれた紅茶を戴いた。
    外に出てみるとロバの親子が遊んでいた。黒いロバは珍しいと思ってカメラ向けていたら、嫌がって
   崖下に降りて行った。

            パッサンさんが育った家                   ロバの親子

          

    昼食後、ピン渓谷へ向かうため歩いて吊り橋を渡ることになった。別の橋から車で行くこともできた
   が皆こちらを選んだ。つり橋の上は板敷、歩くとユラユラ揺れる。橋の下は激流が渦巻き奔騰している。
   ロ-プの低いところで大きくよろめくと危ない。高所恐怖症の人はとてもムリ。しかし両側は鉄枠と
   金網が張られ、ふつうに歩いているかぎり落ちる心配はない。スリルを感じながらも全員渡って行った。
   今回のメンバ-は好奇心と冒険心旺盛な人たちばかりである。

                    吊り橋を渡って行くツア-メンバ-

             

    私たちは対岸で待ってくれていた車に乗りピン渓谷沿いを南に走り、14時15分クンリ・ゴンパに
   着く。
   チベット仏教ではもっとも古いニンマ派の寺院で、8世紀に僧侶として活躍したグル・リンポチェが
   開祖と伝えられている。コンリ・ゴンパの創建は12世紀とされているが、現在の建物は2004年に
   新しく再建されたもの。新築祝いにはダライラマ・14世も訪れ、ニンマ派とゲルク派の法要が行われ
   たという。他の寺院と比べると内部は非常に明るい。宿泊施設もあり、150人の僧侶が修行に励んで
   いるらしい。玄関横の敷地では少年僧たちが読経本を手に勉強していた。

            クンリ・ゴンパの本堂          読経本を手に勉強する少年僧

          

     本堂内には鮮やかな壁画も見られた。金剛界を描いた曼陀羅かもしれない。

                     本堂内に描かれていた壁画

          

    クンリ・ゴンパを離れカザへ向かう。30分ほど走ったところでヤクと羊の群れが草を食んでいた。
   中にはヤクと牛の雑種の”ゾ”もいた。”ゾ”は”ゾブキョ”とも呼ばれる。いよいよ遊牧の世界に
   入ってきた...そんな思いをもつ。
   渓谷はさらに大きくなり、スピティ川も地を這うように流れている。西に傾きはじめた日差しが山々
   を赤く染めてくる。ぼんやり車窓の風景を眺めていたとき、ふしぎな奇岩が眼についた。無数の岩が
   整然と立ち並んでいたのである。この岩群を人間に例えるなら、軍隊の兵士が整列しているように
   も見える。悠久の時を経て風と雨によって浸食されたものだろう。それにしてもこの整然さは見事で
   ある。

                  草を食むヤクと羊            整然と立ち並ぶ奇岩

          

    17時45分、カザのホテルに着く。ホテルは街から遠く離れた広大な草原の一角にポツンと建って
   いた。遠くから眺めると小さな箱のようにも見える。
   太陽は沈みはじめ夕日が山々を赤く染めていたがやがて辺りは暗くなり、草原の向うに見える川面
   は仄かに銀色に輝き、山も草原も黒いシルエットとなった。
   ここの標高は3450m、私の血中酸素は88%。

                      夕日に染まる山々

          

      7月14日  終日カザ周辺の観光

    早朝ホテルの周りに広がる草原に出てみた。西の山々は雲のすき間から差し込む朝日で赤く輝き、
   その右手の山肌はほの赤くそまり、中腹に城のような白い建物が佇んでいた。今日訪ねるキ・ゴンパ
   だろう。後ろを振り向くと青空が広がりやはり山々は朝日に照らされていたが、北の山々はまだ黒い
   影となって不機嫌な表情に見えた。

                      朝日に赤く輝く西の山々

             

          山の中腹に佇むキ・ゴンパ             朝日に照らされる南の山

          

    草原にはいくつかの花が咲いていた。最初に眼についたのがアザミ。砂利石の中から立ち上がり、
   花は光を求めるかのようにすべて上向き、枝先から突き出した刺は長く鋭い。茎や枝につく葉は
   少なく、全体に白い毛が密生しているように思われる。高地での厳しい寒さと乾燥から身を守るため
   だろう。

                         アザミの一種

          

    黄色や紫色の花びらをつけたマメ科の植物も見られた。羽状複葉の葉をつる状に伸ばし地を這って
   いるものもあれば、大地にしっかりと根を下ろしているものもあった。窒素を吸収する根粒菌と共生
   しているため、荒れた大地でも育つのである。

                         マメ科の植物

          

    草原の向うには、広い緑の中州を挟んで幾筋もの流れが地を這っていた。小さな流れは中州をぬう
   ように、大きな流れは重なり円を描くように...。流れはあまりにゆったりしていて、どちらが上流か
   下流か分からない、それぞれが勝手な方向に向いているように見える。上から眺めると、無数の五輪
   マ-クが重なり渦巻いているように見えることだろう。この流れはスピティ川の支流だと思われる。

                   スピティ川の支流と思われる川

             

    気がつくと辺りはすっかり明るくなり、雲ひとつない青空が広がっていた。散策を終えてホテルに
   帰る。

          青空に映えるカザ周辺の山           赤い岩山を背に建つカザのホテル

          

    8時30分ホテルを出て川沿いの道から山道に入り、しばらく走ったところで写真ストップ。展望は
   大きい。360度気が遠くなるような青空が広がっている。高原の空気も爽やかだ。谷間の遙か向うには
   雪山が聳え立ち、眼下にはスピティ川が穏やかな表情を見せながら流れていた。ここにも河岸から
   山の斜面にかけてたくさんのバラが生え眼を楽しませてくれた。
    このヒマラヤン・ムスク・ロ-ズは、中央アジアとヒマラヤの西部の乾燥地帯に見られる珍しいバラ。
   幹や枝には長い刺があり草食獣から身を守ろうとしているが、花枝につく短い刺にはその効果がなく、
   放牧されたヤギやヒツジは前足を枝にかけて若葉や花を食べるそうだ。たしかに私はナゴ・ゴンパの
   湖畔でバラを食べていたヤギを見ている。学名はロサ・ウエッビアナ。

                   ヒマラヤン・ムスク・ロ-ズ

          

    ここでドライバ-3人と一緒に写真を撮ってもらった。左から2号車のアルジュン、3号車のダワ、
   右端が4号車のラケシュの皆さん、黄色いカッパを着ているのが私。私の遠い先祖はチベット族、などと
   称してていたが、さすがに色の黒さは3人と比べると少し負けているかも…運転技術は3人とも見事。

                     ドライバ-3人と一緒に

          

    再び車に乗り走りだして間もなく、大きな城塞のような建物が現れてきた。キ・ゴンパだ!、
   姿かたちは城塞のようだ。王宮のようにも見える。ヒマラヤ山中に聳え立つ城郭といってもいい。
   その姿からは威風堂々たる雰囲気を感じる。壮観である。実に美しい。この僧院が築かれたのは
   11世紀、スピティ渓谷で最大最古の僧院らしい。

                         荒涼とした岩山を背に建つキ.ゴンパ

             

    キ・ゴンパ入り口に着き、この僧院が経営している老人ホ-ムを訪ねる。老人たちは部屋の隅に設け
   られた低い台座でポツネンとしている者が多かったが、メンバ-の人がジュレイ、(こんにちは)
   ジュレイと話しかけると、やはりジュレイ、ジュレイと笑顔を見せながら愛想良く応対していた。
   ここの老人たちは、僧侶たちの手厚い保護を受けながら、幸せに余生を過ごしているものと思われる。

    外に出てみると民家の前で若い男がエンドウ豆を日干しにしていた。その様子を見ていたとき、もう
   一人の青年がやってきた。二人は友達らしい。
   「ユウ、ハンサム!」私がカメラを向けると、笑顔を見せながらポ-ズをとってくれた。お礼にタバコ
   数本を渡す。

      エンドウ豆を日干しにしていた若い男と友人        日干しにされるエンドウ豆

          

    本堂へと坂道を歩いていたとき、3人の若い娘に出会った。チベット族らしい。誰かが声をかけると
   気軽に応じてくれた。私も便乗してパチリ、なかなかの美人である。オシャレである。ヒマラヤの現代
   娘なのだろう。

                  キ・ゴンパ本堂への途中出会ったチベット族の娘たち

             

    ここは4000m近い高所だ、空気は薄い。私が先頭で急坂をゆっくり上っていたとき、女性のKさん
   が追いつき追い越した。なかなかの健脚者だ。日頃山歩きなどで鍛えているのかもしれない。

    キ・ゴンパは11世紀につくられ設立当時はニンマ派だったが現在はゲルク派。リンチェン・サンポ
   19世を中心に200名の僧侶が修行している。門をくぐるとちょうど読経を終えた僧侶たちが本堂から
   出てくるところだった。少年僧もいた。お堂にはご本尊の弥勒菩薩が祀られ、小さなタンカ、壁画
   などが見られた。
                          キ・ゴンパの入り口

             

                     本堂から出てくる僧侶たち

          

   屋上からは大きな展望が広がり、遙か下に流れるスピティ川、その向うに明るい陽光に輝くヒマラヤ
   の峰々が望める。私たちもこの広大な渓谷の一角にいることが分かる。

                 キ・ゴンパの屋上からスピティ渓谷を望む

          

    気がつくと、僧院の窓を一生懸命拭いているヨ-ロッパ人と思われる青年がいた。永田さんが訊ね
   ると彼はフランス人、2週間前ここにやってきて僧院の手伝いをしている、昨年もこの僧院を訪ねて
   長期滞在、僧侶と仲良くなり今年は招待されたのだという。彼はフランスのリオンに住む薬剤師。
   昨年は10ヶ月だったが今回は3週間の休暇をとりやってきたらしい。こうした長期休暇は6年に一度
   あるそうだ。私は驚いた、長期休暇のことではない、なぜ彼は遠いヨ-ロッパから一人でこのヒマラヤ
   山中にやってきたのか…ということに…。
    この話を聞いて私は1997年に公開された映画”セブン・イヤ-ズ・インチベット”を思い出した。
   あるオ-ストリアの登山家がチベットに入り、若き日のダライラマ14世との交流を通じてチベット
   仏教の神秘性や、素朴なチベットの人たちに魅せられていく物語だったように思うが、この青年も
   そうしたチベット文化に惹かれやってきたのかもしれない。彼は壮大なロマンをもっている、まさに
   旅人である…そんな思いをもった。

    もう一人あご髭をはやした老年の紳士がいた。彼の国はオ-ストラリヤだったか…スイスだったか、
   よく覚えていない。階段下に腰かけパッサンさんと談笑していた。
   この僧院は地元の人のお布施よりも、外国人の寄付によるところが大きいらしい。

          僧院の窓を拭くフランス人の青年         パッサンさんと談笑する紳士

          

    本堂では祭を翌日にひかえ法要が行われていた。外にいても賑やかな楽器の音が聞こえてくる。
   中を覗くと法要はほとんど終わりかけていたが、読経の響きとともにラッパ、大太鼓、小太鼓、
   ホルン、シンバル、などを奏でる僧侶たちの姿があった。ラッパの音は高らかに響き渡り、大太鼓、
   小太鼓、シンバルはテンポよく打ち鳴らされ、ホルンは地底から湧きあがってくるような荘厳な響き
   があった。
    なるほどこれはオ-ケストラだ、心を晴れ晴れとさせてくれるような音楽だ…こんな明るい音楽が
   チベット仏教の法要にあったのだ…そんな気分にさせてくれた。

              法要が行われていた本堂                 チベットのホルン

          

    僧院の見学を終えたあとリンチェンサンポ19世との謁見が許された。ふつうこのような機会は
   めったにないそうだ。現地の人たちにとっては神のような存在、近寄ることもできないらしい。
   祭のときには厳しい警護がついているという。同じ仏教徒である日本人に好意を示していただいた
   のかもしれない。この47歳の高僧は近寄りがたい感じはまったくない、気さくな人に見えた。笑顔を
   見せながら私たち一人一人に接して写真に収まり、握手までして戴いた。なかなかの人格者である。

             リンチェンサンポ19世に謁見させてもらった時の記念写真

             

    キ・ゴンパからさらに上部へ向かう。標高4200mにあり、この辺りでは最も高いところにある
   キッバル村を訪ねるためである。ところが村に着いてみると辺りは森閑としていた。どこにも人影は
   見られない。村の中を歩いてみても誰にも出会わなかった。どうやらエンドウ豆の収穫に全員出払っ
   ていたらしい。諦めかけていたとき、学校帰りらしい子供に出会った。兄妹かもしれない、ニコニコ
   している。カメラを向けるとおどけてポ-ズをとってくれた。なかなかお茶目な子供だ。とても
   可愛い。
   家のそばに青色の花が咲いていた。フウロソウの一種である。日本のハクサンフウロやアサマフウロ
   の仲間だが、花弁の基部が白っぽい。花の色も日本のフウロソウは赤いものが多いが、こちらは赤味
   を帯びた青色。

                   おどけてポ-ズをとるチベット族の子供

             

             森閑としたキッバル村              フウロソウの一種

          

    13時ホテルに帰り昼食をとり休憩したあと、2009年に建てられたサキャ派のカザ・ゴンパを訪ねる。
   サキャ派は11世紀に興り、全盛期を迎えた13世紀にはモンゴルにチベット仏教を伝えている。しかし
   モンゴル帝国の崩壊とともに衰退し、現在はチベット仏教4大宗派の一つとして残されている。総本山
   はサキャ南寺。
    本堂に入り私たちが仏像を眺めていると、どこからか欧米風の外人が現れ、
   「私は文殊菩薩についての専門家である、是非お聞き願いたい」…と皆に話しかけ、永田さんがOKの
   サインを出すやいなや、立て板に水のごとくしゃべりはじめた。皆が熱心に耳をかたむけ、質問しよう
   ものなら、ますます口調は滑らかになる。時に大きなジェスチャ-も入る。止まることはない、機関銃
   のように次から次にしゃべり続ける。延々と続く。もう終わりかと思ったらまた続く。
   初めのうちはまだよかったが、そのうちウンザリしてくる。もうそろそろ…と誰かが言ったのだろう、
   永田さんが彼に話しかけ説明をうち切ってもらった。黙っていたら彼は夜更けまでしゃべり続けたこと
   だろう。
    彼はカナダ人、この寺で僧侶に英語を教えているという。東洋の仏教に興味をもちやってきたのかも
   しれない。それにしても仏教への造詣の深さには驚く。どこか愛嬌のある人でもあった。

                 文殊菩薩                 説明するカナダ人の男性

          

    その後カザのバザ-ルを散策する。路地には思ったより人出もあり、野菜、果物、衣類、日曜雑貨、
   ザック、カバン、クツなどが置かれた店が立ち並んでいた。小さなバザ-ルだが一応生活必需品は
   ここで揃うだろう。

                     カザのバザ-ルにて

          

    ホテルに帰った17時過ぎ天気が急変した。強い風が吹きはじめたと思うと辺りはうす暗くなり、
   小粒の雨が降りだしてきた。気温も急に下がり寒くなる。19時過ぎ東の空は灰色の雲に覆われ
   はじめ、その右手は青空のなかに白い雲がほの赤く染まっていたが、しばらくして西の方に眼を
   向けると、嵐になっているのか上空には黒い雲が覆い被さり、山の上は残照で茜色に輝いていた。

                       西方面の夕暮れの風景

             

                      東方面の夕暮れの風景

          

      7月15日  カザ~キ-ロン 距離180km

                        カザ~キ-ロンまでは緑の点線

              

    心配していた天気は雲が多いものの青空が覗いていた。7時30分ホテルを出発して1時間後樹木も
   茂る草原の近くで写真ストップ。草原には高山植物が咲いているらしい。
   「いよいよヒマラヤの花が見られるのか」...私は心を躍らせた。足早に歩き草原入り口に来たところ
   で永田さんから
   「この花は何でしょう、教えてください」...と聞かれた。見るとその花はシダのような長い葉を茂らせ、
   中から直立した花茎に丸い黄色の花をつけていた。もちろん初めて出会う花である。
   「ウ~ン、分かりません」...というしかなかった。どの仲間かも見当がつかなかったのである。
   ところが、翌朝ホテルで女性のAさんが図鑑をもってきて
   「昨日見た花はこれでしょう」...と教えていただいた。図鑑にはゴマノハグサ科と書かれ学名も記さ
   れてあった。帰国後調べてみたところ、この植物はスピティ渓谷からラホ-ル渓谷一帯、さらにパキ
   スタンにかけて分布するゴマノハグサ科シオガマギクの一種と分かった。葉は羽状複葉で細かい切れ
   込みがあり、花茎にたくさんの黄色い花をつける。学名はペディクラリス・ビコルヌタ。

                  シオガマギクの一種 ペディクラリス・ビコルヌタ

             

    それにしてもこの花がシオガマギクの仲間だとは気づかなかった。しかしあとで考えてみると、
   確かに葉の形はシオガマギクの特徴があり、なるほど、と思った。
   その他にも草原にはいろいろ珍しい花が咲いていた。葉がクサフジによく似ていて明らかにマメ科と
   分かるものもあれば、シオガマギクかマメ科の仲間か判別できないものもあった。なかなか難しい。

             マメ科の植物                シオガマギクの仲間?

          

    遠くから
   「リンドウがありますよ」…という声が聞こえた。行ってみると、そこには小さな花びらを広げ、
   せいいっぱい光を浴びている可憐なリンドウ咲いていた。日本のフデリンドウによく似ている。
   その近くにはふしぎな花が咲いていた。どうやらベンケイソウ科のロスラリア属の一種かと思われる。

                 リンドウの一種            ベンケイソウ科ロスラリアの一種

          

    さらにウスユキソウやナデシコの仲間もあった。ヨ-ロッパ・アルプスに生える同じウスユキソウ
   属のエ-デルワイスはドイツ名。エ-デルは高貴、ワイスは白いという意味。和名の薄雪草は淡い
   白色の苞葉を薄く積もった雪に例えたもの。ナデシコの仲間は半乾燥地の石の多い草地や水路の土手
   に生える、ナデシコ属のディアントゥス・アングラトゥス(学名)ではないかと思われる。

            ウスユキソウの一種              ナデシコの仲間

          

    再び車に乗りクンザン峠(4551m}を目指し山道を登って行く。道悪く車大きく揺れる。やがて
   大岩塊地帯に入り辺りには様々な岩山が現れてくる。大きなブロックをいくつも積み上げたような
   山もあれば、大きな鏃が林立したような山もある。山肌は相変わらず赤褐色か灰白色のものが多い。
   樹木は全く姿を消し、一木一草ない荒涼とした風景が続く。
    標高はかなり高くなってきたのか、ほぼ目線の高さに雪山が見えてきた。海抜6000m以上は
   あるか…澄みきった西ヒマラヤの天空に聳え立ち雄大である。

                   西ヒマラヤの青空に聳える雪山

           

    渓谷は深くなり、隔絶された大峡谷地帯を走って行く。遙か谷底にはうねうねと身をくねらせながら
   急坂を下り落ちる流れがあった。谷底も川面も不気味な鉛色。まるで大蛇が、いや巨大な竜が天涯
   から舞い降りてきた跡のようだ…と妄想するほど神秘な谷に見える。

                     うねうねと流れ落ちる上流の川

             

    大きな草原に出たところで休憩。この辺り乾燥した高山帯にあり、沙漠のような風景が広がって
   いた。赤い砂地に草の塊りが無数に散らばり、山の表面も砂を被ったようにもろく見える。
   草原の下は2つの川が合流し、合流点に突き出た岩の頭は切り取られたようにテ-ブル状になって
   いた。柔らかい部分が風雨で削り取られたのだろう。谷間から見上げると、この草原もまたテ-ブル
   状の台地が広がっているように見えることだろう。
    右手から流れ込んでくる川は、スピティ川の支流かもしれない。草原にはシオガマギクの白い花が
   点々と咲いていた。どうしてこんな沙漠に…と思いたくなるが、実にたくましい。

            草原で休憩する4WD              2つの川の合流点

          

    草原から渓谷のガタガタ道を巻いて行く。スピティ川もまた渓谷に沿ってうねうねと流れている。
   岩山は砂岩で出来ていると思われ、その形は雑多である。次々に不思議な岩山が現れてくる。
   溶岩の流れ出しているような流動感をもったものもあれば、鍾乳洞の石柱をいくつも並べ立てた
   ような岩山もある。いずれも触るとボロボロと崩れ落ちそうに見える。
    やがて山顚に大円形劇場でも持っていそうな岩山が現れてきた。丸いド-ム型の山々である。
   褶曲状に横線が入り、窓のようない穴が無数に見える。天空に聳え立つ大円形劇場のようだ。

                      天空に聳え立つ円形状の岩山

           

    山麓に集落が見えてくる。軍の施設かもしれない。さらに進んで行くと、今度は山頂辺りに雪を
   戴く岩峰群が現れてきた。どこまでも続く連山だ。その形は見る角度によって様々に変わってゆく。
   そんな風景に見とれているとき、行手に滝が現れてきた。滝は山から流れ落ち道を横切り崖下に
   落ちている。激しい流れだが角度はさほどでもない。その時私は4号車に乗っていた。大丈夫か...
   じっと見つめていると、先頭車が通過し、2号車、3号車も続いた。さらにわが4号車も無事突っ
   切って行った。一安心。

                         滝が流れ落ちる道を通過して行く4WD

          

    10時15分チェックポイントに到着。手続きを済ませたあと、今まで付き合ってくれたスピティ
   川を離れ山道をぐんぐん上って行く。
    やがて広い河原に幾筋もの流れが見えはじめ、前方遠く雪を戴く険俊な岩山が現れてくる。
   三角状の形をした連山だ。しかしその形は刻々と変化する。三角状の形が丸いド-ム型になったり、
   かまぼこ型になったり、時に象の背中のように見えたりする。雪山は次第に近づく。そしてさえぎる
   もののない広大な高原に出た。ワア~スゴイ!、私は思わず眼を見張った。
    山の斜面から鞍部にかけて広がる草原には羊の群れがのんびりと草を食み、黄色い花々が
   絨毯のように広がり、その向うには白い岩峰群が連なっていた。すばらしい風景だ!、ここは
   標高約4400m、高原の空気が清々しい。私は大きく深呼吸し、お花畑にしゃがんで写真を撮って
   もらった。

                クンザン峠手前の風景    標高約4400m

             

                    クンザン峠手前の高原にて

          

   黄色い花はバラ科キジムシロ属の一種だと思われる。花びらは5枚で葉は3出複葉。高山帯の草地や
   砂礫地に生えマット状に群生することが多い。日本の高山に見られるキンロバイやミヤマキンバイと
   同じ仲間。里山に生えるキジムシロ、ミツバツチグリ、ヘビイチゴなどもキジムシロ属である。
   その他にも、ムラサキ科やウスユキソウ属の花々が眼を楽しませてくれた。

                      バラ科キジムシロ属の一種

           

    草原の散策を終えてさらに上部へ向かい、標高4551mのクンザン峠に着く。山頂にはチョルテン
   が建てられ、ロ-プに結びつけられたタルチョが風にはためいていた。チベット圏の高所や峠には
   必ずこうしたタルチョが見られる。旅行く人の安全を祈るためだろう。

                         クンザン峠に建つチョルテンとタルチョ

          

    間近にはシ-ビ-サン連山が聳え立っていた。この山塊群は57座あり、平均海抜は6200mだと
   いう。
   眼の前に見えているのは右から14座、13座、12座、そして16座へと続く。それぞれの谷間に見える
   のは氷河だろう。壮大である、すばらしい、思わずバンザイ。それにしてもこの険しい峰々が57も
   あるとは…しかしシ-ビ-サン連山もヒマラヤの一部を形成しているにすぎない。

                       クンザン峠にて 後方はシ-ビ-サン連山

             

                          シ-ビ-サン連山

          

    この峠にも色とりどりの花々が咲いていた。紫色、黄色、白色それぞれ可憐で美しい。紫色の花は
   ムラサキ科のミヤマムラサキ属の一種かと思われる。花はヨ-ロッパ原産のワスレナグサに似て
   いるが葉の形は違う。ムラサキ科の多くは花びらの中に黄色い燐片があり、分かりやすい。

    黄色い花はアブラナ科イヌナズナ属の仲間で花びらは4枚。学名はドラバ・セトサ。カシミ-ルから
   ヒマチャル、チベット西部に分布し、乾燥高地の風にさらされた石の多い草地に群生することが多い。

    白い花はナデシコ科ミミナグサ属の一種。中央アジア、ヒマチャル、チベット西部、北アメリカ
   中国、などに分布し、乾燥した高山帯の草地に生える。

    もう一つ黄色い花があった。こちらはバラ科のタテヤマキンバイ属の一種かと思われる。花びらは
   5枚で葉は3出複葉。強靭な木質の根茎がよく分岐し、マット状の群落をつくる。

       ムラサキ科ミヤマムラサキ属の一種    アブラナ科イヌナズナ属のドラバ・セトサ 

          

            ナデシコ科ミミナグサ属の一種       バラ科タテヤマキンバイ属の一種

          

    クンザン峠下で昼食をとったあとラホ-ル渓谷を走って行く。山の斜面を白いしぶきを飛ばし
   ながら流れ落ちる細い川が見える。チャンドラ川の流れかもしれない。
   やがてシ-ビ-サン連山を見上げる広い磧に出たところでヤギとヒツジの大群に出会う。数百頭、
   いやもっといるかもしれない。大群が通り過ぎるのを待つ。
   ここで岩の間に咲いている白い花が眼についた。アブラナ科イヌナズナ属の一種だろう。日本の
   タネツケバナによく似ている。

             ヤギとヒツジの大群             アブラナ科の白い花

          

    再び車に乗り川沿いを走って行くが、道はさらに悪くなる。行手には大小の石がゴロゴロ、ときに
   川を横切ったり巨大な雪渓の間をぬけたりする。その度に車は大きく揺れる。川を横切ろうとして
   動けなくなった車にも出会った。そうした時はわがドライバ-たちが様子を見に行ったりしていた。

    大変な悪路だが景色はすばらしい。磊々たる磧に地を這うような流れがあり、その向うに雪を
   戴いた雄大な岩山が続く。ヒマラヤの空はあくまでも青く、鋭い岩峰が天を突いている。この岩峰群
   もシ-ビ-サン連山の一角か?…。

                           雄大なラホ-ル渓谷の岩峰群

           

             動けなくなった黒い車          巨大な雪渓の間を通り過ぎる4WD

          

    長大な滝が川向うの山から頻繁に流れ落ちている。1本や2本ではない、常に数本の滝が視界に
   入ってくる。途切れることがないのだ。滝は氷河の先から急角度に方角を変えながら岩の間を這い
   流れ、途中から一気に落下している。その長さは見当がつかない。今私たちは4000m前後を走って
   いるが、山の高さを6000mとすればその落差は2000m。おそらく長いものでは1000m前後あるか
   もしれない。

    そんな風景を眺めていたとき、突然前方に滝が現れた。スゴイ滝だ!、滝は茶褐色のしぶきを
   飛ばしながら激しい勢いで山道を襲っている。大丈夫か…見ていると果敢に1号車が突っ切り、続い
   て2号車、3号車が通り抜けた。そしてわが4号車も無事切り抜けた。

                       滝を突っ切る3号車

             

    この果敢な行動は1号車のドライバ-、ゴ-トさんのとっさの判断だったらしい。今通り抜け
   なければ崖崩れが起こる…と考えたという。その通り、この15分あとに崖崩れが発生、この道は
   ふさがれてしまったのである。
    滝は切り抜けたものの道は濁流が流れ込み川のようになっていた。それでも4WDは進んで行く。
   ところが突然止まってしまった。どうしたのだろう…渋滞か…。様子を見に行こう、そう思いドアを
   開けて車から降りようとしたとき、崖下の岩の間に赤い花が眼に入った。イブキジャコウソウだ!、
   車窓から何回も眼にしていた花だったが撮るチャンスがなかった。今撮らなければと思い、カメラを
   向ける。
    イブキジャコウソウはシソ科に属し日本の高山でもよく見かける。乾燥した砂礫地や岩の間に生え
   る小低木。日本のものとまったく同じではないが、非常によく似ている。

              イブキジャコウソウ            川のようになった道で待機する4WD

          

    石伝いに曲がり角まで行ってみると、手前に2号車が、流れを挟んで3~4台の対向車が止まって
   いた。よく見えないがそこでは、流れにはまり込んで動けなくなった車を男たちが引き上げようと
   しているらしい。
    岩の上では5~6人の男たちが忙しく動きまわり、ヤギやヒツジがウロウロしていた。彼らもまた
   流れを渡ろうといるようだ。しかし、山から滝となって下り落ちる雪融け水は激しい勢いで辺りに
   流れこんでいる。勇敢にもリ-ダ-らしきヤギが水際までくるが、流れの速さに驚いて引き返す。
   リ-ダ-が渡らなければ仲間はついてこない。動物たちにはとてもムリ、乗用車もムリ、まあ、渡る
   ことができるのは4WDぐらいだろう。

                     岩の間を下り落ちる濁流

             

        待機する2号車、左前方に対向車     岩の上で動く男たちとヤギ、ヒツジの群れ

          

    これは大分時間がかかりそうだ。車で待つことにしようと思い歩きはじめた時、岩の間から花らし
   きものが覗いているのに気づいた。今日最初に立ち寄った草地で見たベンケイソウ科の花のようだ。
   よく見るとやはりそうだった。こちらは根元に葉がついていて分かりやすい。中央アジア周辺から
   ヒマチャル、チベット西、南に分布するベンケイソウ科ロスラリアの一種である。

    その近くに白い小さな花が咲いていた。ナデシコ科タカネツメクサ属の一種だと思われる。花びら
   は5枚、花茎は細く、直立して叢生する。日本の高山に見られるタカネツメクサとよく似ている。

         ベンケイソウ科ロスラリアの一種       ナデシコ科タカネツメクサ属の一種

          

    1時間ぐらい経っただろうか、ようやく車が動き出した…と思ったらまた止まった。どうやら2号車
   が流れにはまったらしい。他のドライバ-と周りの男たちが車を左右に揺さぶる。タイヤが載るよう
   にとっかかりをつくろうとしているのかもしれない。彼らは何回も車を揺さぶっていたが、5分後
   2号車は深みからぬけ出すことができた。再出発。
    車はしばらく増水した流れの中を走っていたがようやく抜け出し、ガタガタ道を走って行く。
   その後も小さなな滝には何回も出会う。通り過ぎたと思ったらまた滝だ。もう終わりかと思っていた
   らまた遭遇する。滝にも大分慣れてきた、ヤレヤレ…とひと息ついていたらまたまたやってきた。
   今度のはかなりデッカイ、激しい流れが眼の前に迫ってくる、瞬時にカメラを向ける。車は滝の流れ
   を突っ切り氷河のそばを通りぬけて行った。

                     氷河の下をくぐりぬける激流

           

                         岩の間を流れ落ちる滝

          

    7時チェックポイントを通過する。車は高度を下げながらチャンドラ川に沿ってひたすら走り続ける。
   やがて辺りには緑が多くなり民家もチラホラ。山の中腹には棚田も見られるようになり、街が近いこと
   を思わせる。しかし上を見上げると岩山は依然として高く聳え立ち、山頂辺りから幾筋もの滝が白い
   帯のように流れ下っていた。
    18時45分キ-ロンのホテルに着く。カザから180kmの短い距離だったが、悪路のため11時間余り
   かかっている。ここの標高は3000m。私の血中酸素は94%。

    この続きは「インド・ヒマラヤ紀行第2部」へどうぞ、  以下のURLをクリックすると開きます。


                            himalaya2b.html へのリンク